#90 蟻VSキノコ ①
10/1改稿
実験的な三人称から一人称に戻しました。
内容に大きな変更はありません!
ガーランドとの戦いからおよそ一週間が経過した。
入り口方面に集結させていたアントたちは、戦闘が終了した後にすぐに撤退させた。
ガーランドとの戦闘に参加しなかったアントたちは呪いの影響も弱く、今では普段のように一階層を闊歩している。
戦いで負傷したアントたちは治療を受け、呪いの影響を受けてしまったアントたちも休息を得ることで回復を果たした。
ダンジョン内に飛び散った呪いも既にほぼ消えており、特に不快感なども感じられない。
そして、シュバルツとアントレディアたちが討ち取ったガーランドだが、その体は現在は二階層で監視を付けて安置されている。
あの再生能力があることを考慮すると、体に刺さった槍を抜くわけにはいかない。
さらに、槍で心臓を串刺しにされた状態になっても、驚くことにガーランドは完全に死亡していないようだ。
それどころか、未だに敵対状態のままなため、このまま放っておくこともできない。
彼を1階層上部にそのまま放っておけば、それを見つけた他の侵入者に手を出される可能性もあった。
護衛を付けた状態でダンジョンの奥へと運ばれ封印されたガーランドだが、現時点では、ごく稀に思い出したように黒い泥があふれ出す以外に目立った動きは無い。
ダンジョンへと派遣されていた監視役の冒険者たちは、ジャイアントアントたちの突然の撤退に動揺していたようだった。
しばらくダンジョン内で警戒していた彼らだったが、今回の件の報告のために撤退したようだ。
それから約一週間が経過したが、人間勢力側には目立った動きは見られない。
俺の指示を受け、周辺の町を監視しているアントフライから手に入る情報では、未だに町へとやってくる冒険者は複数確認できた。
しかし、こちらの動きを警戒しているのか、このダンジョンへやって来る者は皆無だった。
一向に動きを見せない人間勢力に、嵐の前の静けさのような不安を感じながらも、俺たちは荒れたダンジョンの立て直しに追われていた。
◆
ダンジョンの最深部にあるコアルームで、ダンジョンの各地から寄せられる報告をチェックしていた。
手元にあるのは、細かく文字が書き込まれた紙だ。
やや厚めで繊維の跡が残る紙には、ダンジョンの拡張予定やその進行度合い、発生した不具合などが記されている。
紐でまとめられるように、小さな穴があけられたそれは、やや不格好ながらも報告書と言える物になっていた。
報告書を用意したのは、工房に所属するアントレディアたちである。
ショップ機能から手に入る魔導具の力や、ダンジョンコアの機能では、アントレディアたちに文字を覚えさせることはできなかった。
しかし、本などの言葉が記された資料ならば、手に入れることは可能である。
本来、アントレディアたちは文字といった概念を持たない。そんな彼女たちが一から文字を学習するのは、困難を極めた。
彼女たちは教師役のフロレーテに教えられながら、簡単な絵本などから文字の学習を始めると、約四か月をかけて基本的な会話ができるようにまで文字を習得することに成功した。
複雑な表現を行うにはまだまだ学習を重ねる必要があったが、どこで何があったか、これから何をするか程度ならばやや拙いながらも書き記すことは可能になったのだ。
文字の問題をクリアした後に問題となったのは、報告書の製造に関するコストだった。
本と同じく、紙やインクなどはショップ経由で手に入れるとコストがかさむ。それを大量生産するとなれば、そう簡単に無視できない出費になってしまう。
長期的に運用するならば、コストの軽減の必要があった。
そこでアントレディアたちは品種改良で作られた植物の繊維から紙を作り、植物から作った煤や染料とワーカーアントの接着剤を混ぜ合わせることでインクとして使用できる塗料を開発した。
完成した紙は、試作品ということもあってムラがあり、厚さも均一ではない。
試作されたインクも少し滲んだり、色が変化したりといった改良点が残されてはいる。
しかし、紙による報告書というのは――まさしく画期的なものだった。
広大なダンジョン内で起こった出来事や、戦闘の報告は非常に多岐にわたる。
それを逐一口頭で報告するとなれば非常に手間がかかり、さらに何かしらの報告漏れが発生する可能性も高い。
口頭ではなく紙媒体を使った報告であれば、それらの問題を緩和させることができ、さらに報告内容を長期間保存することも可能となった。
そして俺が今、手に持っているのが、栄えある第一回目の報告書である。
報告書に目を通し終え、アーマイゼへと念話を送る。
「アーマイゼ、送られてきた報告書は読み終わったぞ」
『ダン様、お待ちしておりました。それで、試作第一号の報告書はいかがでしたか?」』
「……そうだな。まだまだ改良の余地はあるが、悪くは無かった。やはり報告書を作らせることにしたのは正解だったな。これからもよろしく頼む」
試作第一号の報告書は、まずまずの出来だった。これならば、今後の報告にも使えるだろう。
既にアーマイゼの指示により、使いやすく劣化しにくい紙やインクの製造を目指し、工房のアントレディアたちが改良を始めている。
『お任せください! 既にいくつか新しい試作品を作らせています。数日以内には改良版を作成できるでしょう』
「ああ、期待している。それで、報告書の内容に関してだが――」
積み重なった報告書を順に手に取りながら、アーマイゼへと指示を出していく。
俺たちの話が終盤に差し掛かった時だった。
アーマイゼとの念話に割り込むように、別の念話が届く。
『おお、我らが神よ。偉大なる貴方様の第一の下僕であるキノコでございます』
それは、3階層を拠点とするフェアリーマッシュからのものであった。
ダンジョンが20階層に到達した際、サブマスターを指定できる数が一つ増加した。
そこで、新たに作られたサブマスター枠にフェアリーマッシュを加えたのだ。
フェアリーマッシュたちは、興奮すると周囲に危険な胞子をばら撒いてしまうという困った癖がある。
そのため、彼らが俺と直接話す機会を得てしまうと、すぐに周囲に胞子が飛び散ってしまうのだ。
空気中に胞子が舞い続ける三階層に自ら出向くわけにもいかず、丁度いい機会だと彼らをサブマスターに指定したのだが、彼らにとっては別の意味を持っていた。
偉大なる神から直接神託を降されるようになった――そう狂喜乱舞したフェアリーマッシュの信仰心はあっという間に上昇し、樹海の各地に神を称える菌糸のモニュメントが作られた。
今もなおその信仰心は天井知らずで上がり続け、ついには一日に数回決まった時間に、念話を通してこちらへと祈り始めるようになったのだ。
最初はそのむず痒さからやめさせようかと思ったのだが、それ以外に特に実害があるわけでもない。
フェアリーマッシュたちの士気も大きく上がっていることもあり、わざわざ水を差す必要もないと思っていたのだが――
「すまないが、今は少し手が離せない。もう少しだけ待っていてくれるか?」
『そうです。ダン様は今私と話をしているのです。キノコごときが邪魔をしないでください!』
そうフェアリーマッシュに告げる俺とアーマイゼだが、フェアリーマッシュに対するアーマイゼの言葉には、隠すつもりもない棘が含まれている。
それと同時に、どこか剣呑な雰囲気を漂わせはじめた両者の気配を感じて、こっそりとため息をついた。
以前からあまり良好とは言えなかったアーマイゼとフェアリーマッシュたちの関係だったが、フェアリーマッシュたちがサブマスターになってからは、さらなる悪化の一途を辿っていた。
アーマイゼは、ダンジョン内で勢力を伸ばしつつあるフェアリーマッシュに、今までの役目を奪われないか警戒しているようだ。
対するフェアリーマッシュたちは、俺のことは神のように敬うものの、他のジャイアントアントや妖精たちに対しては自分たちよりも劣る下等種であると考えているようだ。
ダンジョン運営に関しては、お互いに足を引っ張り合うことは無いが、こちらの指示以外では自発的に協力しようということもない。
なんとか仲裁しようともしているのだが、改善の目途すらも経っていない。
フェアリーマッシュをサブマスターにすることで、念話による対話を行うことでお互いを知り、関係を改善してほしいと思っていたのだが、残念ながら逆効果になっていた。
『そもそも、貴方たちは新参者でしょう! 私たちは以前からダン様のために働き続けているのですよ!』
『だからどうしたというのだ! 偉大なる神に仕えるのは吾輩たちで十分だ。下等なアリどもなど必要ないわ!』
『下等? 以前私たちに手も足も出なかったキノコごときに何ができるというのですか!』
『フハハハハ! その程度のことなどとうの昔に対策済みよ! 今なら力押ししか能の無いアリなど一捻りにしてくれるわ!』
「あー、そこまでだ。お互いにダンジョンに住む仲間だろうに。もう少し仲良くしてくれると助かるんだが……」
もはやこちらの存在など忘れたようにヒートアップしていく両者。
このままでは致命的な亀裂が入りかねないと仲裁に入るが、今回ばかりは悪手だったようだ。
『……ダン様。そもそもダン様がはっきりしないからいけないのですよ! 私たちとあのキノコのどちらが役に立つと考えておられるのですか! もちろん私たちですよね!』
『確かに、このアリの言うことも一理ありますぞ。我らが神よ、恐れ多いことですが、神のお考えを聞かせていただきたく存じます。なに、アリどもに遠慮する必要はありませんぞ』
仲裁に入った俺に対して、その矛先を向けるアーマイゼとフェアリーマッシュ。
藪を突いて蛇を出してしまったが、その質問に答えるわけにもいかない。
現状ダンジョンの運営に最も貢献しているのはアーマイゼ率いるジャイアントアントたちなのは間違いない。
ダンジョンの防衛、拡張、さらには物資の供給のほぼ全てが彼女たちの手で行われている。
だが、フェアリーマッシュたちが役に立っていないかと言われれば、それも否である。
フェアリーマッシュたちの持つ能力は搦め手として使う場合は非常に強力だ。
ジャイアントアントたちが戦闘を行う際に、先手を取って冒険者たちに胞子を吸わせることができれば、幻覚と麻痺の効果でその後の戦闘を有利に進めることが可能になる。
それは戦闘で発生する被害を大きく押さえることにもつながる。
戦闘の際に使える手段が増えるのは、それだけで防衛の成功率を引き上げる。
そのため、こちらとしてはどちらが上かを争うのではなく、お互いに協力して欲しいのだが、彼女たちはお互いに譲らなかった。
『もはや我慢なりません! こうなればどちらが上か白黒をつけるほかはありません!』
『ほう? 吾輩たちに勝負を挑むつもりか? よかろう。下等なアリどもに現実を見せてくれるわ!』
『それはこちらのセリフです! 一度戒められたにもかかわらず、未だ驕り高ぶる貴方たちを、ダン様の代わりに今一度懲らしめるといたしましょう』
返答に困っているうちに、いつの間にかジャイアントアントとフェアリーマッシュで勝負が行われることになってしまっていた。
さすがにダンジョン内で戦力を潰しあうのは避けたいと、制止の声をかけようとしたが、そこで一つの案を思いついた。
「よし分かった。そこまで言うのなら、こちらで決めたルールに沿って戦ってもらおう。ただし、お互いに被害が出るようなことは無しだ」
ここまでヒートアップしてしまえば、もう何を言っても止まらないだろう。
ガーランドとの戦いと、飛び散った呪いの影響はまだ完全に消えたという訳ではない。
彼女たちの争いも、呪いの影響によって蓄積したストレスが発散できていないためという可能性もある。
争いが避けられないならば、こちらの監督の元、一度全力で競わせることでそのストレスと鬱憤をまとめて発散してしまえばいい。
あわよくば、それを通じてジャイアントアントとフェアリーマッシュが仲良くなってくれればいいのだが……
「準備期間は……とりあえず1週間だな。その間に何を競うか決定する」
『分かりました。どんなものが出てきても私たちがこのキノコに負けるはずがありません』
『フハハハハ! そう言っていられるのも今のうちよ! 戦いの後に崩れ落ちる貴様の姿が目に浮かぶようだわ!』
そして、ダンジョンを揺るがす、ジャイアントアントとフェアリーマッシュの雌雄を決する戦いが始まることになった。