#83 不可解な行動
目の前に置かれているのは、例の騎士と戦ったアントレディアの一体が使っていた片刃の長剣。どす黒く染まっていたはずの刃は、今は水に溶かした墨を塗ったかのような灰色になっている。
まだ完全に呪いを消し去ることはできていないのか、ほんの少しの嫌な気配を漂わせてはいるのだが、それでもさっき目にした槍や剣よりはずっとその気配は弱い。
「これは――呪いが弱くなっているように見えるが、もう呪いを消す方法が見つかったのか?」
「ギギー」
剣を持ってきたアントレディアに問いかけると、肯定するかのように頷く。
どうやらすでに呪いを消す方法に当たりを付けているようだ。これであの騎士を倒すための算段が付けばいいのだが……
どうやら呪いを消す方法を実演してくれるようで、区画内のアントレディアがあちこちで準備を進めている。テーブルの上にはいくつもの黒塗りのビンや、長剣が入るほどの大きさの透明な容器などが置かれていく。
アントレディアが準備している道具には見覚えがあるな。
目の前に並んだ道具の使い道を思い出した時だった――
「ダン! あれ見て!」
「ん? どうかしたのか?」
工房内をきょろきょろと見回していたフィーネが何かに気が付いたようだ。服を引っ張るフィーネに急かされ、何事かと後ろを振り返る。
そこにいたのは、魔女の使うような黒い三角帽子と、黒いマントのようなものを羽織り、大きなねじくれた木の杖を持ったいかにもといった格好の――シュミットだった。
……何故そんな恰好をしているのだろうか。いや、魔女をモチーフにしているのだろうということは分かるのだが、その格好に何か意味はあるのだろうか。
そんな疑問を抱く俺とは裏腹に、シュミットの格好を見たフィーネは目を輝かせている。
「ダン! 魔女だよ! 魔女!」
「ああ、それは分かるけど――」
「ギーギッギッギッ」
シュミットはこちらの声を遮るように不気味な笑い声を響かせながら、杖の先に小さな炎を灯す。
どうしてそんな恰好をしているのか――そんな疑問が頭に浮かんでいたのだが、フィーネの喜ぶ姿を見て一つの仮説が思い浮かんだ。
おそらくだが、シュミットなりにフィーネを気遣っているのだろう。
呪いは直接触れなければ体を蝕むことは無いが、それでも精神には負担が蓄積していく。先ほどまでのフィーネは、呪いの影響のためかあまり元気が無かった。
呪いによって負担がかかっていた精神を感情によって盛り上げることで、呪いによる効果を弱めようというつもりだったのだろう。
そして、その試みはうまくいったようだ。シュミットの姿を見て笑顔を浮かべるフィーネは、先ほどよりもちょっとだけだが元気を取り戻しているように見える。
「シュミット、助かったよ。ありがとうな」
「ギーギ」
「ふえ? どうかしたの?」
シュミットにお礼を言うと、どういたしましてとでも言うかのような返事が返ってくる。どうやら、仮説はあったっていたようだ。
今のやり取りの意味が分からなかったのか、フィーネはきょとんとした顔で首をかしげていた。
フィーネが少し元気を取り戻したところで、さっそく実演に移るようだ。いつの間にかテーブルの上には、いくつもの器具が集まっていた。
作業の邪魔になるのか、魔女の服装を脱いだシュミットが並べられた器具を手に取る。
容器の半分ほどに水を入れ、粉末になるまで砕いた魔石を加える。
さらに表面に魔力を遮断する物質が塗られた黒塗りのビンから、うっすらと光を放つ液体が流し込まれる。
光る液体の正体は世界樹の樹液だ。そしてこの工程は、ミスリルを聖銀へと変化させるときの方法でもある。
聖銀が呪いへの抵抗力を持っていたのならば、それを作る工程で呪いを弱めることができるのではないか、ということなのだろう。なるほど、何とも単純明快でわかりやすい。
完成した溶液の中へと、灰色に染まった刃が浸される。すると、灰色に染まった部分から黒い靄のようなものが滲み始める。
のたうつ様に蠢く黒い靄はやがて力尽きるかのように溶液内へと霧散し、それと同時に長剣の色が徐々に元に戻っていく。やがて黒い靄がほとんど出なくなる頃には、長剣は淡い灰色の跡がうっすらと残っている状態へと変化していた。
これならば、もうほとんど呪いが消えた状態と言ってもいいだろう。嫌な気配もほとんど残っておらず、なんとなくそんな気がする程度にまで抑えられている。
呪いを消し去ったのは、樹液に含まれる何かしらの要素の効果であると考えられる。それならば、原液を直接かけた場合にはどうなるのだろうか?
「ギギー」
「えーっと……あんまり効果が強すぎると、憑りついた呪いが暴れるみたいだよ!」
「そうなると遠距離からぶつける必要があるか。そうだな……この前作った投擲用の道具の中に詰めるのはどうだ?」
樹液を直接かけた場合には、暴れた呪いが周囲へと飛び散り危険な状態になるらしい。そのため、遠距離からぶつける必要が出てくる。
液体である世界樹の樹液を遠距離まで届かせるならば、何かしらの容器に詰めて投げつける必要がある。そのための道具には心当たりがあった。
運ばれてきたのは、こぶし大よりも一回り大きなクルミのような見た目の殻を持つ植物の種だ。
硬い殻の内部は空洞になっているため、粉末状のものや液体を入れることができる。中身を詰めた後は弱めの接着剤でつなぎ合わせてから相手に投擲する。
投擲された種はぶつかった衝撃で接着剤が剥がれて割れる。そして内部に詰めた物体をまき散らすのだ。
本来はフェアリーマッシュの胞子であったり、燃料や毒液を内部に詰めてぶつけるためのものなのだが、樹液を詰めても問題はないだろう。
中に詰める樹液は、今まで集めたものが大量に存在している。回復力を強化しようと濃縮したものも廃棄することなく倉庫内に眠っているため、その量は十分だ。
「この中に樹液を詰めたものをできるだけ多く用意してくれ。どれだけの効果があるかは分からないが、一度試してみたい」
「ギー!」
「ああ、頼んだぞ。完成したら前線にいるアントたちに持たせるとしよう。あとは、どうやってこれをぶつけるか、だな」
豹変した後の騎士の纏う雰囲気は、最初のものと違って刺々しく重苦しいものへと変化している。今の騎士が相手では、アントレディアでさえも耐えられないかもしれない。
ダンジョンマスターの力を使った命令ならば、彼女たちの意思を無視しで動かすこともできるのだが……
何かいい方法はないかと考えこんでいると、念話が届く。どうやらシュバルツのようだが、何かあったのだろうか?
『主様、例の黒い騎士についての報告をしてもよろしいでしょうか?』
「何か動きがあったのか? 丁度あの騎士について考えていたところだが」
『はい、例の騎士はその後、もう一組の冒険者と思われる集団と交戦しました。冒険者たちを黒い泥で包んだ後なのですが、最初にダンジョンへと入った時と同じような状態へと戻りました』
「元に戻ったのか? その前後の状況を詳しく教えてくれ」
シュバルツの報告によると、俺との念話が終了した後、前線で活動しているアントたちを一旦ダンジョンの奥に下がらせたとのことだ。
例の騎士に対抗するための有効な手段もなく、さらには近接攻撃しかできないアントでは攻撃することすらできない。アントレディアでさえも満足に戦うことのできないような状況では、仕方のないことだろう。
ダンジョンの入り口付近から全てのアントが撤退したため、騎士の存在に気が付かずにダンジョン内で行動していた冒険者たちは、モンスターを探してダンジョン内を移動することになる。やがて、ダンジョン内を彷徨う騎士とそんな冒険者たちの集団が遭遇したらしい。
それからの展開は、俺が見たものとほぼ同じである。冒険者たちの攻撃は騎士に対してはほとんど効果を発揮せず、以前の冒険者たちと同じように黒い泥に包まれて全滅した。
問題はそこからだ。冒険者たちを殺した騎士は、その後しばらくその場で動きを止めていたそうだ。
やがて騎士がもう一度動き始めた頃には、重苦しい重圧は消え、最初の時のような纏わりつくような気配へと戻ったとのことだ。
そして――
『元の状態に戻った騎士ですが、自分が倒した冒険者の死体を運び、戦闘を行った通路の先にある広間に埋めています』
「埋めた? いったいどういうことだ? そんなことをして何の意味がある?」
『騎士の意図は不明ですが――そうですね……私にはまるで彼らを埋葬しているかのように見えました』
死体を運んだ騎士は、その先にある小部屋で穴を掘ると、冒険者たちの死体をその穴へと埋めたらしい。
丁寧に土をかけ、彼らが使っていた武器をその上へと刺すと、しばらくその場で立ち止まっていた騎士は、またダンジョン内を移動し始めたとのことだ。
シュバルツによると、騎士が冒険者たちの死を悼み、埋葬してからその場から立ち去ったように見えたらしい。
確かに、死体を埋めた後に刺した武器は墓標の代わり、その場で立ち止まっていたのは祈りを捧げていた。そんな風に考えれば、騎士が冒険者たちを弔っていたとも見ることはできる。
「埋葬か……最初に戦った冒険者の時は死体をその場に置いていったよな? 雰囲気が変わった後とその前で行動パターンが違うのは分かっていたが……」
『あの騎士がどんな意図で死体を埋めたのかは分かりません。埋葬というのも、そう見えただけで確証があるわけではありませんね。そもそも、ダンジョン内に死体を埋めたところであまり意味は無いでしょう』
「ふむ……」
シュバルツの言う通り、ダンジョン内で死体を弔ったところで、すぐに回収されてしまう。さらに、フロレーテによると呪いを吸収した死体は、アンデッドとして起き上がることもあるらしい。
もしも、騎士がそれらを知らずに冒険者たちの死体を埋葬したとしても――どうにもちぐはぐな行動に感じる。
騎士の行動の意味が分からないのは何とも不気味ではあるが、今ならアントレディアが戦うこともできるはずだ。また騎士の様子が変化する前に、試しておきたいことはいくつもある。
時間が経てば、またあの状態へと変化してしまうかもしれない。その前に準備が整うといいのだが。