#82 呪われた武器
フィーネを連れ、転移した先はアントレディアたちの工房だ。フロレーテは他の妖精たちが心配なようで、彼女たちの様子を見るために里へと戻っていった。
工房内では、アントレディアたちが慌ただしそうに行ったり来たりしている。普段よりも緊張感が漂っているのは、ダンジョンを彷徨う騎士の気配のせいなのか、それとも持ち込まれた武器によるものなのか。
「ギギー!」
すぐにこちらへとやってきたのは、工房の責任者であるシュミットだった。
今日はトレードマークである首元の青いリボンに加えて、聖銀製と思わしき武骨なガントレットのようなものを付けている。
どうやら防具用のものを使っているらしく、細かい作業には向かないように見える。誤って呪いに触れてしまっても、致命的な危険がないようにしているのだろう。
「迎えに来てくれたのか。それで――持ち込んだ例の武器はどうなった?」
「ギギギッ!」
「『既にある程度の情報は手に入りました』だって!」
「もうそこまで調査が進んでいるのか? じゃあさっそく聞かせてもらうとしよう」
一瞬誇らしげに胸を張るそぶりを見せたシュミットだったが、すぐに真剣な様子へと戻った。
やはり、今回持ち込まれた武器はかなり危険なものだったのだろう。彼女の纏う雰囲気も、どこかピリピリとした緊張感が含まれている。
黒い泥の付着した武器を工房へと送ってから、まだほんの数時間しか経っていない。
さすがにそこまでの成果は出ていないと思っていたのだが、どうやら予想以上に呪われた武器の検証は進んでいるらしい。
黒い泥の正体が呪いであるということは知らなかったそうだが、それでも非常に危険なものであると理解はできたそうだ。普段の作業を中止し、それらの調査にほぼ全ての労力をつぎ込んでくれたとのことである。
「ギーギー」
「ダン! まずは実験場に行くんだって!」
「よし、まずは実験場だな」
シュミットの後に続き、以前植物兵器の試し打ちに使った実験場へと移動する。
先頭を行くシュミットは、普段よりも歩くペースが速い。いつもとは異なるその足取りが何を表しているのか――彼女に遅れないようにこちらも足を速める。
すぐに工房奥の実験場に到着したのだが、その中には鎧を着こみ、武装したアントレディアが何体も控えていた。さらに工房に所属するアントレディアたちも聖銀のガントレットを付け、どことなく物々しい雰囲気が漂っている。
武装したアントレディアが囲むのは布のようなものを被せられ、その上から鎖で何重にもがんじがらめにされた細長い箱だ。箱に巻き付いた鎖の先は、実験場の地面へと金属の杭で縫い付けられている。
箱の周囲からは、僅かに嫌な気配が漂っている。きっとあの中には例の武器が入っているのだろう。あの大きさだと中に入っているのは槍だろうか?
なんとなくあたりを見回すと、実験場の片隅に焼かれて炭になったと思われる木々が積み重なっていた。そちらでも数体のアントレディアがその周辺を警戒しているようだ。
シュミットが合図を出すと、箱の周囲にいたアントレディアが地面に刺さった杭を抜く。鎖が外され被せられていた布が取り払われると、金属製の箱の蓋が開き、辺りに漂う嫌な気配が一層強くなっていく。
中から慎重に取り出されたのは、予想通りアントレディアが使っていた聖銀の穂先を持つ槍だ。だが、回収した時よりも全体に占める黒く変色した部分の割合が大きい。最初は槍の先端部分が黒く染まった程度だったはずなのだが、今では穂の部分の半分以上が黒く染まっている。
ガントレットを付けたアントレディアの一体が槍を受け取ると、ゆっくりと箱から離れる。
武装したアントレディアたちに周囲を囲まれながら移動した先には、どっしりと地面に根を張った大きな木が存在してる。エルブンツリーを改良して作られた試し切り用の植物だ。
種を撒いてからの成長が非常に早く、自ら地面に根を張りその場へと固定してくれる便利な木で、さらに試し切りを済ませた後は鍛冶に使う炭の材料にもなる優れものだ。
「ダン……」
「大丈夫か? 耐えられないなら実験場の外で待っていてもいいぞ?」
「ううん……まだ大丈夫……」
アントレディアの握る武器が放つ雰囲気に当てられてしまったのか、フィーネの顔色が悪い。
黒い部分の面積が増えた分、武器を浸食する呪いが強くなっているのだろうか? 槍が視界に入った際のぞわりとした悪寒は、先ほどの長剣の時よりも強い。
今は多少気分が悪い程度で済んでいるが、長時間槍の近くにいた場合はさっきの二の舞になってしまうかもしれないな……
そんなことを考えているうちに、アントレディアたちの準備が整ったようだ。
木の正面には槍を持った工房のアントレディアが、さらにその後ろには完全武装したアントレディアが2体。さらに、木の周囲を囲むように杖を持ったアントレディアが4体立っている。
槍を構えたアントレディアが、試し切り用の木へとその穂先を突きこむ――すると、すぐに木に異変が起こる。
先ほどまで葉を茂らせ、どっしりと地面に構えていた木が、まるで命を吸い取られていくかのように枯れていく。槍の穂先が触れた部分の周辺は黒く変色していた。
槍が差し込まれてから数分が経過した頃には木は完全に枯れてしまった。黒い泥のように数秒とまでは行かないが、それでも十分な効力があったようだ。あの時剣に触れていたら、枯れてしまった木と同じように命を吸い取られていたのだろうか?
木が完全に枯れたのを確認したアントレディアが、槍を引き抜き後ろへと下がる。
すぐに四方を囲むアントレディアから放たれた火球が着弾し、呪いの影響を受けた木を焼き尽くした。先ほど目についた炭化した木は、燃料ではなく呪いを受けた木を処分した時に発生した物だったのだろう。
火葬――という訳ではないが、その依代を燃やすことで呪いを霧散させることはできるようだな。炎が効かなかった例の騎士には使えそうにはないが、役に立つ情報ではある。
呪いを受けた冒険者の死体は未だに倉庫の中だ。倉庫内に隔離しておけば外部に影響は出ないだろうが、いつまでもそのままというのもあまり精神的には良くない。火葬して処理できるなら、その方がいい。
ダンジョンコアに吸収させるのも一つの手ではあるのだが、それはあの騎士との決着がついてからだ。もしも、ダンジョンコアに何らかの悪影響が出てしまえば、その対処に追われている間、あの騎士が野放しになってしまう可能性も捨てきれない。
もっとも、呪いを吸収させることでダンジョンコアの機能が拡張される可能性もあるので、いつかは試しておきたいところだが――
「ギギギ……ギー」
「『見ての通り、命あるものに対してならば異常なまでの効力を発揮します。ですが、できれば使わない方がいいでしょう』だって……アタシもそう思うな……」
「そうだな……」
呪いを受けた武器は命あるものに触れることで、その効力を徐々に増していくらしい。事実、先ほど使用された槍だが、穂先を浸食する黒い染みはその範囲を広げていた。
命を奪うほどにその威力を増していき、僅かな傷からでも相手を蝕む呪い。もしも武器として使うならば、かなり強力な代物になるのは間違いない。しかし、好んでそれらの武器を使おうとは思えなかった。
武器に込められた呪いは使うほどに強くなる。それらの武器を扱うアントレディアは、その影響に晒され続ける。長い間使い続ければ、いつか呪いに取り込まれてしまうかもしれない。
植物にそこまでの意思があるのかどうかは分からないが、木が枯れていく様子は苦しんでいると形容できるようなものだった。もしもその呪われた刃が仲間へと向けられれば……
その殺傷力だけは魅力的とも言える。だが、同時に存在するデメリットも非常に大きい。なにより、これだけ嫌な気配を漂わせる武器は使わせたくはないな。
アントレディアたちの手によって、槍が箱の中へと封印されると辺りに漂っていた嫌な気配が弱くなる。
目立ったトラブルも発生せず、呪いの影響を強く受けたアントレディアもいないようだ。フィーネもこれくらいならばそこまで辛くないようで、ほっと溜息を吐いている。
「ギギー?」
「俺は大丈夫だ。フィーネはどうだ?」
「アタシもまだ大丈夫だよ! まだ、大丈夫……」
「……一緒に来てくれるのはありがたいが、そこまで無理をする必要はないんだぞ?」
「ううん! 一緒に行くよ! 通訳も必要になるからね!」
シュミットが心配そうな声音でこちらの体調を問う。
先ほどの槍の影響のせいで気分がいいとは言えないが、何度も体験したおかげで慣れてきたのか、そこまでひどいものではない。むしろ気になるのは、フィーネの方だ。
妖精の祝福による抵抗力を持つ俺と、比較的高い能力を持つモンスターであるアントレディアに対して、フィーネは呪いの影響に対する抵抗力がそこまで高いとは言えないのではないだろうか?
一緒に行く――そう言って気合を込めるフィーネだが、やはりその顔色はあまりよくない。その顔に浮かべた笑顔も、どこか無理をしているような気配を滲ませている。
あまり無理をさせたくはないのだが、俺がフィーネを心配しているように、フィーネもまた俺が心配なのだろう。このまま置いていかれるのは嫌ということか。
それに、アントレディアたちの言葉を通訳できるフィーネがいれば意思の疎通がしやすいのは間違いない。簡単なものならまだしもアントレディアの言っていることが完全に理解できるわけではないのだ。
「……わかった。だけど、耐えられそうになかったらちゃんと言ってくれよ? 急いでいるといっても、少しくらいなら休憩してもいいんだからな」
「うん!」
フィーネは大きく頷くと、いつものように頭の上へと移動する。
シュミットもまた心配そうにこちらを見つめていたが、フィーネの意思を酌んでくれるようだ。
「ギギー!」
「次の場所に向かうみたいだよ! 早くいこう!」
「ああ、さっさとあの騎士を倒して、またゆっくりしたいところだな」
シュミットに連れられ、実験場を出て錬金術関連の区画へと移動する。
区画内へと入ると、こちらに気が付いたアントレディアたちが出迎えてくれた。
案内された場所にあるテーブルの上には、先ほどのものとよく似た金属の箱が置かれている。
おそらく、あの中にも回収した武器のうちの一本が入っているのだろう。しかし、箱の中から漂う嫌な気配と背中を這い回る悪寒が弱いように感じる。
「ギギー」
「あれ? この剣、色がさっきの槍とは違うね?」
「それに、武器から感じる気配もかなり弱いな。これならそこまで辛くはなさそうだ」
箱から取り出されたのは、やや反りの入った片刃の剣だ。これも、例の騎士を切りつけた際に黒い泥が付着したもので間違い無い。
呪いを受けた武器は、皆一様に光を反射しない闇のように黒い染みに浸食されているはずである。しかし、取り出されたそれはどす黒い染みが付いているわけではなかった。
濃い灰色に染まった刃は、僅かにではあるが、元のミスリルの色合いを取り戻しつつあるようにも見える。うっすらと光を反射するそれは、その刃を浸食する呪いが弱まっている証のように思えた。