#79 漆黒の騎士
あけましておめでとうございます!(一日遅れ)
ダンの支配するダンジョン『黒軍の大穴』、そこでは冒険者たちが日夜ダンジョンを徘徊するジャイアントアントたちと戦いを繰り広げている。
最近ではアントレディアと呼ばれる新種がその数を増やし、特徴的な外見のものは呼び名を付けられ、冒険者の間でその戦い方や癖などを共有するようになっていた。
アントレディアたちの装備する武具はその性能だけではなく、見た目にも工夫を凝らしたものへと変わりつつある。持ち手であるアントレディアたちの技量も上がったことにより、以前より手に入れにくくなったことも合わせ、それらの装備品の価値はじりじりと上昇していた。
噂が広がってゆくにつれ、腕に自信のある者や一獲千金を夢見る者たちがダンジョンへとやってくるようになり、ダンジョンに挑む冒険者は増加する一方である。
このダンジョンが発見されてからまだおよそ一年足らず。だが、数々の名声やその難易度によって、この大陸でも指折りのダンジョンへと成長しつつあった。
その『黒軍の大穴』の第一階層。
その入り口のほど近くにある大きな空間は、今では冒険者の休憩スペースとして使われている。
崩落を警戒してダンジョン内で寝泊まりをする者こそ少ないものの、ダンジョン内を進む場合は必ずここを通ることになる。入り口が近くすぐに脱出が可能なこともあり、このスペースで休憩を取るものは多い。
食事をとる者や、ダンジョン内で仕留めたモンスターを解体する者、お互いに情報交換をする者などが集まり、モンスターに襲われても十分な戦力が常に存在しているこの空間は危険なダンジョンの内部では数少ない貴重な場所となっていた。
「なあ、今日はやけに人が少なくないか?」
「――確かにそうだな……この時間なら、いつもは確実にこの倍以上はいるはずなんだが……」
自分の武器の確認と手入れをしていた男が、隣で同じ作業をしていた仲間に小声で話かける。すると、声をかけられた冒険者もあたりを見回し、首をひねりつつも返事をよこした。
毎日のように多くの冒険者が立ち寄るこの大部屋だが、今日はなぜかそこにいる冒険者の数は普段より少なかった。数えるほどしかいない冒険者たちも、その多くがほとんど口をひらくこともなく、黙々と自分の作業をこなす。
いつもはもっと賑やかなはずの大部屋は、今日は嵐の前の静けさとでも言うような静寂に包まれていた。
――何か事件があったわけではない。しかし、今日に限って攻略を取りやめたり、ダンジョンに来てもすぐに引き返したりする冒険者が続出している。
長い間、戦いの中に身を置いてきた冒険者による、野生の動物にも似た勘が何かを伝えていた。
「最近は新種が強くなってきたくらいで、別に何か大きな事件が起こったってわけでもないよな?」
「ああ、少なくとも俺は聞いた覚えがない。――そういや、ヴァレッドの奴らも今日は気がのらないから休むって言ってたな」
「……ルドガーもそんなことを言ってたな。今日の朝にギルドで会ったんだが、なんでも今日は朝から嫌な予感がするって話だ」
「そうか……かくいう俺も、ダンジョンに入ってからやけに古傷が痛むんだよな……」
「お前もかよ……俺も今日はなんだか背中がぞわぞわするんだよな……」
腕の古傷を撫でながらそう語る仲間を見て、冒険者はぶるりと体を震わせる。
彼らだけではない、彼らのパーティーメンバーも、そしてダンジョン内にいる他の冒険者も、一様に何か嫌な予感がしていた。何か気になる情報があったわけではない。ただ、虫の知らせとでも言うような――そんな何かを感じていただけだ。
「どうする? 他のやつとも相談して引き返すか?」
「そうだな……せっかく来たんだしある程度は狩って行きたいところだが――どうにも気味が悪いな」
「ああ、こういう時はさっさと帰って酒を飲んで眠るに限る」
「まったく、一体何があるって言うんだよ……」
武器の手入れを切り上げ、食事を作っている仲間の元へと二人が引き返そうと立ち上がった時だった。
何かが軋むような音と、得も知れぬ悪寒を感じた男たちは入り口の方をとっさに振り返る。さらに同時に、異様な気配を感じた冒険者全員がその動きを止め、入り口へと目を向ける。
ガチャリ、ガチャリという何かが徐々に彼らの元へと近づいてくる音だけが響き、その音が大きくなるにつれ、冒険者たちの感じる言い知れぬ嫌な気配が膨らんでいく。
彼らの視線の先から現れたのは――漆黒の鎧に身を包んだ騎士だった。
激しい攻撃にさらされる盾役の冒険者でさえ身につけないような、重厚な全身鎧に身を包み、ゆっくりと歩みを進める黒い騎士。
騎士が纏うその鎧はまるで闇を切り取ったかのような漆黒。それは光を反射するどころか、辺りの光を吸い取っているかのようだ。
たった一人の騎士に、その場のすべての視線が集まる。
騎士は冒険者など最初からいないかのようにただ歩いているだけ――それなのに、まるで蛇に睨まれた蛙のように冒険者たちは指一本すら動かすことができない。騎士の発する異様な雰囲気に当てられた冒険者たちからは汗が噴き出し、満足に呼吸ができなくなるものまで現れる程だ。
そんな彼らの様子など最初から目に入ってすらいないかのように騎士は進む。鎧の軋む音を立て、一歩、また一歩と足を進める漆黒の騎士はダンジョンの奥へと消えていった。
ようやく騎士の姿も、その歩く音も聞こえなくなると、その場で立っていた冒険者から足の力が抜け、どさりと地面に尻餅をつく。その音をきっかけに、ようやく硬直が溶けた冒険者たちはお互いに顔を見合わせる。
「な、なんだよあれ……」
「――『黒騎士』だ。きっと、そうだ。」
「馬鹿言え、あんなのただの噂話だろ――」
ぼそりと仲間がつぶやいた『黒騎士』という名前――それを聞いた冒険者は頭を振る。
『黒騎士』とは、大陸の各地に伝わる都市伝説のようなものだ。
曰く――全身を漆黒の鎧に包んだ騎士のようなものが、町を襲ったモンスターの群れをたった一人で追い返した。それは何も言わずにその土地から姿を消した。
曰く――山奥で黒い鎧の騎士が各地で暴虐の限りを尽くしていた邪竜と戦っていた。それ以来、邪竜の姿を見たものはいない。
曰く――とある町を根城にしていた大規模な盗賊団が、たった一人の騎士によって壊滅に追い込まれた。生き残った盗賊たちはほぼ全てが廃人になり、かろうじて正気を保っていた者も、黒色を異常に恐れるようになった。
――などの噂が、この大陸のあちこちで交わされ、そこで語られるのが『黒騎士』である。
魔族との戦いで死んだはずの聖国の聖騎士長だった、どこかの国の英雄が顔を隠して旅をしている、騎士ではなくただのモンスターである。
そんな噂が数え切れないほど存在するが、その正体は不明。どこの誰かも分からず、それどころか顔を見たものも、言葉を交わした者すらいない。
いつから『黒騎士』の噂がささやかれるようになったのか――それすらも分からない。いつの間にか、当然のようにその名が知られていた。
主を求め、各地を巡る遍歴の騎士の中には、その名にあやかって黒い装備を身に着けるものもいる。
本当は『黒騎士』など存在せず、何かをきっかけに噂が出来上がり、それを真似した騎士たちが各地で活躍しているだけだと笑い飛ばす者もいるほどにその数は多い。事実、『黒騎士』にあやかった武具を付け、何かしらの武勇によってその名を広めた騎士も何人も存在する。
実在するのかしないのか、それすらも不明なものが『黒騎士』であった。
「だけどよ……冒険者であんな全身鎧を付けるようなやつはいねえだろ。それに――」
「ああ……今思い出すだけでも震えが止まらない……」
「生きた心地がしなかったぜ……」
「……どうにも今日はもう無理そうだ。さっさと帰ろうぜ」
「そうだな……他の奴らも帰り支度を始めたみたいだ――」
町を救ったという噂とは裏腹に、『黒騎士』の纏う気配はまるで――心臓を掴まれたかのような、そんな不気味な感覚を思い出した冒険者が体を震わせる。
その場にいた全ての冒険者たちは、すぐにダンジョンの攻略の予定を切り上げ、町へと引き返していった。
◆
冒険者がダンジョンから撤退を始めていた頃、騎士は先ほどと変わらぬ速さで通路を進んでいた。
周囲を警戒することもなく、ゆっくりとしたその歩みは、まるでここが危険なダンジョンではないかのようですらある。
ダンジョン内を徘徊しているジャイアントアントたちも、その異様な雰囲気を纏う騎士に手が出せないでいた。人間よりも本能が占める割合が高いジャイアントアントは、本能が激しくならす警鐘によって騎士に近づくことすらできない。
そんな中、何とか本能からの叫び声を押さえつけたアントレディアたちの部隊の一つが騎士の前に立ちはだかった。
「ギギッ!」
鋭く響く鳴き声で攻撃の指示を出したリーダーの声に従い、アントレディアたちは遠距離からの攻撃を開始する。
毒の塗られた矢が騎士に届くが、その鎧を貫くことはできない。さらに、アントレディアの一体が放った火球を騎士が掲げた盾が受ける。
盾にぶつかった火球はそこから膨れ上がり、騎士の体を包み込むと容赦なく燃え盛る。
アントレディアたちの元にまで熱気が届く灼熱に包まれ、騎士の足が止まる。しかし、身じろぎをした騎士は、炎を振り払うそぶりを見せることもなく前へと進み始めた。
炎の中から現れた騎士――ダメージを与えることができたのか、それともできていないのかすらその姿からは判別できない。
アントレディアたちから次々と矢や火球、さらに岩の砲弾が放たれる。だが、そのどれが当たっても、騎士の歩みは止まらない。その異様な光景を見た彼女たちに動揺が広がっていく。
「ギッ!? ギギッ!」
着実にその距離を縮める騎士と、それから放たれる重圧に負けたアントレディアの一体が、思わずといった様子で前へと出て、その手に握った槍で騎士を狙う。
聖銀で出来た槍の穂先は、彼女たちの練度の高さを思わせるような、流れるような動きで騎士の胸元へと吸い込まれていく。硬く鋭い槍の穂先は騎士の鎧を削り、僅かにその胸元へとめり込んだ。
「ギギ!?」
槍の穂先は騎士の鎧をわずかではあるが貫いた。だが、槍を突き出したアントレディアから放たれたのは困惑したような鳴き声であった。
彼女が渾身の力で突き出した槍――それは確かに騎士の鎧へと突き刺さった。しかし、彼女の手に届いたのは、まるで非常に粘度の高い泥に刺したかのような手ごたえ。その奥には硬い鎧があるようなのだが、それを覆う黒い泥のようなものに槍の勢いがそがれてしまう。
槍をつきだしたアントレディアに続くように、後続も攻撃を繰り出すのだが、やはりその手に伝わるのは泥を切りつけたような手ごたえばかり。表面に刃は通るのだが、その奥には届かない。
困惑するアントレディアたちへと、騎士がその手に持った漆黒の剣で切りかかる。
その鎧と同じく黒一色の剣が、風を裂く音とともにすかさずアントレディアが構えた盾にぶつかり、甲高い音を立てた。
「ギッ……」
攻撃を防いだアントレディアだが、人間を超える膂力を持つはずのその体が、騎士の攻撃の重さによって僅かによろめく。
攻撃を受けた盾の表面には、黒い泥のようなものがべっとりと付着している。騎士に攻撃を加えた槍や剣にも、同じく黒い泥がへばりついている。
彼女たちの武具に付着した泥のようなもの。その正体は分からない――だが、彼女たちはそれが良くないものであるとだけは本能的に理解できたようだ。
「ギギギッ!」
騎士と仲間の戦いを後方で見ていたリーダー役が撤退の指示を出す。
不気味な黒い騎士の纏う雰囲気に押しつぶされそうになっていたアントレディアたちは、その命令と共に素早く騎士から距離を取る。
魔法使い役のアントレディアたちが騎士の足を止め、その間に彼女たちは退却することに成功した。
アントレディアたちが逃げ去った後、その場に取り残された騎士はまたゆっくりとダンジョン内を進み始めた。
というわけでファンシーな年末とは反対に、ちょっと不気味な感じになりました。
たぶん今回はダンジョン側の視点がメインで進むはずです!
それでは本年も「アリの巣ダンジョンへようこそ!」をよろしくお願いします!