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97、理解できないもの

「ユ、ユートさん……おはようございます……!」


 絹よりも白い長髪をたなびかせ、少女が不安そうにこちらを見た。


「シエル、今日も来てくれたのか。悪いな」


 アルティが来て一晩明け。当然オレらの間には何事も無かった。アルティには家の中では何もするなと釘を刺しておいたためオレの安眠を妨げることもなく、大人しいものだった。

 今は昼前。日課のように、今日もシエルがうちに来てくれた。

 オレが騎士団寮に行こうと玄関に向かったところ、ちょうど彼女が家の呼び鈴を鳴らしたのだ。彼女の不安の表情は恐らくオレが出て行こうとしていることが理由だろう。


「も、もしかして、何か御用事でしたか……あの、でしたら、出直しますけど……」


「あー、いや急ぎの用でもないんだ。……色々と積もる話もあるからな。まあ、大したもてなしは出来ないが上がってくれ」


「あ、ありがとうございます……あの、それで、その、ですね……」


 オドオドとした調子の彼女は、ちらりと遠慮がちにオレの背後に目をやった。

 振り向けばそこには犬歯を覗かせて笑顔を浮かべる少女、アルティの姿がある。見ればオレの言いつけ通り、人間の姿に擬態しているようだ。


「あー、こいつは、知り合いの妹でな。ちょっとうちで預かってるんだ」


「お知り合いの、妹さん、ですか……」


 首を傾げながらも必死にこちらの言葉を信じようとしている姿にやや罪悪感を覚えたが、六将軍だとも言えないのだから仕方が無い。


「そゆこと。よろしくね、えーっと」


「あ、シ、シエル・バーミリオンです……よ、よろしく、お願いしますっ……!」


「ん、アタシは、アルティ。んー、なるほどねー」


 舐るような目つきでシエルを眺めていたアルティが口の端を歪めて呟いた。


「また妙なこと考えてるんじゃないだろうな」


「いんや、全然」


「あ、あの。ユートさんのお知り合いの妹さん、なんですよね?」


「うん、そだね」


「ほ、本当に、そう、なんですよね? あ、す、すみません……」


 まだ疑念が残っているのか、シエルは自分で問うてから謝罪を口にした。

 オレの中の良心が呵責に押しつぶされかけたところで、アルティが満面の笑みで言った。


「うん。アタシ、アンタのこと嫌いだわ」


「……え?」


 何を言われたか分からないシエルがぽかん、と口を開ける。

 オレでさえ、突然に放たれた拒絶の言葉に反応を返せない。先ほどまでオレを苦しめていた良心の呵責は驚きの前に掻き消える。


 意外にも最初に言葉を発したのはシエルだった。


「あの、その、どうして、そんな酷いこと、言うんですか……」


「ん、アタシの率直な感想――――って、痛ぁ!? 何すんのダーリン!?」


 アルティをすっぱたくと、不満げにアルティがわめく。


「アホか、初対面の相手にいきなり『嫌い』ってお前コミュ障なの? 社会性をお母さんのおなかの中に忘れてきたの?」


 六将軍という相手に常識を期待する方が馬鹿らしいが、これまでまともに会話が出来てきたことから、こいつは常識がある奴だと思い込んでしまっていた。

 だが、こいつがまともな常識を持っていれば、そもそもこんな珍奇な関係は構築されていない。そう、相手に理性を期待するな。常識や良心を求めるな。それは必ずしっぺ返しを食う。


「ユートさん……」


 シエルが目に涙を溜めてこちらを見る。

 手は胸の前で硬く握られ、不条理に襲われたことに震えている。


「ほら、アルティ。あっち行ってろ」


「……はー。ま、だーりんがそれでいいなら別にいいけどね」


 急に冷めた目をしたアルティはこちらを一瞥するとそのまま外へと出て行った。

 彼女の対応にオレはため息を漏らすと、シエルに向き直る。


「今日はどうして来てくれたんだ?」


「あ、その、お掃除とかしないといけないと、思いまして……」


「あー……わざわざ悪いな」


 真面目な彼女は、オレがいない間だけでなくいる間も掃除をしてくれようとしているらしい。


「昨日も言ったが、別にやらなくてもいいんだぞ? オレがいない間はお願いできればありがたいが、オレが家にいる間は自分で面倒見るしな」


 流石にそこまでお願いするのは申し訳ない。


「い、いえ! だ、大丈夫です……ユートさんには、その、恩もありますし……」


「この前の旅の間に家を見てくれていただけで十分借りは返してもらったつもりなんだがな」


 偽りない本心を告げるも、シエルはとんでもないと首を振った。


「や、やらせてください! お願いします!」


 がばっ、と頭を下げるシエル。白い髪がふわりと舞い、そのまま地に垂れた。

 こちらが頼む立場にも関わらず彼女に頭を下げられた状況に混乱する。


「ま、待て、分かった。分かったから、顔上げろって!」


「は、はい」


「……まあ、そこまで言ってくれるなら頼む」


「ほ、ほんとですか!? ありがとう、ございます……」


 まるで一世一代の告白が受け入れられたかのように安堵に胸をなでおろす彼女に苦笑を返す。

 何とも不思議な少女だ。


「……そうだな。ちょっと食堂の方で茶でも飲むか」


「あ、私淹れますね……!」


「ああ、ありがとう」


 一瞬だけアルティを呼ぶか迷うが、自分のことを嫌いと言い放つ相手と一緒にいるのはシエルにとって酷だろう。


 そう思いながらシエルとともに家の中に戻った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「なるほどな、じゃあ、最近は商売周りの交渉は順調なのか」


「はい……ユートさんには何とお礼を言えば……」


 オレの力じゃない、と首を振って、茶をすすった。

 やはりシエルの淹れたお茶は旨い。渋みがほとんど無く、飲みやすい。ほどよい苦味と香りが鼻を抜けていき、喉を気持ちの良い熱が通っていく。

 繊細で小さな気配りのできる彼女だから為せる技だろうか。


「確かにオレは助言はした。だが、それを自分なりに解釈して実行したのはシエルだ。その事実をもっと誇っていいんじゃないか?」


 彼女に足りていないのは自信。

 自らの出自、ハーフエルフという性質、そしてこれまでいじめられてきた経験。それらが彼女から自信を奪い去っている。

 だが、彼女の出自や血は決して彼女の存在を否定するものではない。

 そう言ってみせることは簡単だが、これまで苦境の中で抑圧されてきた少女の心持ちを変えることは容易ではない。


 だから、彼女は成功体験を通じて自信を獲得していくしかない。


「そんなことありません! 全部、ユートさんのおかげです……」


 ……前途は多難そうだ。


「ま、今はそれでもいいか。商人見習いは続けるんだろ?」


「はい……その、恥ずかしながら、他に自分がやれそうなことも、見つからなくて……」


 自虐げな笑みを浮かべる。

 よく見るその彼女の笑みは、オレの心に黒いしみを落とす。過去の記憶が蘇り、一人の青年の表情とダブる。


「ま、その年で自分の将来を見据えられる方がおかしい。オレなんてもう18にもなるのに、まだなーんも将来の展望とか抱いてないしな」


「そんなものでしょうか……」


「そんなもんだ」


 納得していなさそうなシエルを無理やりに納得させる。

 ちらりと壁にかかった時計を見やると、気づけば昼過ぎも昼過ぎ。昼食時の時間をすでに過ぎており、急に空腹を覚える。そういえば朝食をとっていなかった。


「あ、あの。何か、軽いお食事でも作りましょうか?」


 目ざといシエルがオレの反応を見て、控えめに提案した。

 こうした気配りにはやはり尊敬を感じずにはいられない。


「ああ、そうだなよろしく頼む――――」


 彼女の提案に甘えさせてもらおうとしたところで、呼び鈴が鳴った。


 自分が出るか目だけで問うシエルを手で制すると、オレはゆっくりと椅子から立ち上がった。

オレが玄関に向かうまでの間に、呼び鈴が再び鳴らされ、その後呼び鈴が絶え間なくなり続ける。訪問者がよほど急いでいるか、こちらにいい感情を抱いていないと考えられる。


 今日はよく人が来る日だ。


「はいはい、今出ますよっと」


 筆頭勇者か国の近衛兵あたりだろうとタカをくくって玄関の扉を開く。


「ごきげんよう、ユート。アナタに話が――――ちょっと扉を閉めないでくださいまし!?」


 オレが無言で扉を閉めようとすると、強引に手を入れてこじ開けてくる。

 当然、膂力で劣っているオレが競り勝てるわけもなく。無残にも我が家の扉は開け放たれてしまった。


「……これはこれは王女様。このような辺鄙な場所にどのような御用で?」


「あら、王女であるワタクシがわざわざこのような場所に来たのです。それなりにもてなしてはくれますわね?」


「……はぁ、何の用だ、リア」


 くだらない茶番をやめ、単刀直入に目の前の金髪王女に用件を問う。

 リア・アストレア。この国の第四王女にして、オレの名目上の騎士。こいつに酷い目に遭わされた記憶が鮮烈なため苦手な相手だ。


「命の恩人相手に随分な言い様ですわね」


「……あー、そりゃ、まあ、何だ。助かった」


「良きにはからえ、というやつです」


 そう言うとリアはニヤリと笑った。


「別に恩を振りかざすつもりはありません。本題はそれではなく……」


 リアの顔に笑みが浮かぶ。


 その笑みに不穏なものを感じて後ずさると、リアがオレの両肩をがっしりと掴んだ。


 痛い。痛いんですけど!? この王女様、馬鹿力ってレベルじゃないんですけど!?


「……どうしてあれから、騎士団寮にすぐに顔を見せに来ませんの?」


「……あー、それは……」


 昨日オレは、凛を追うためにその場の説明責任を逃れたのだ。

 昨日は冷静でいられそうになかったから騎士団寮には行かなかった。今日の午前中に行こうと思ったのだが、そう思った矢先にシエルが来て機会を逃してしまった。


 その二つのどちらも言い訳として口にするには情け無いので、オレは曖昧な笑みを浮かべた。


「はぁ……まあ、アナタはそういう人ですからね……」


「お褒めに預かり光栄です」


「…………」


 視線が冷たい。


「……この家に昨日の魔族の少女の気配がしますわね。加えて……他にも誰かいますわね?」


「は? 何で分かるんだ?」


「あら、アナタが旅に出ている間、ワタクシが何もしていないとお思いで?」


 新しいスキルでも習得したのか……


 アルティとシエルの存在を視認せずして言い当てた彼女の能力に恐々とする。


「まあ、アナタなら悪徳政治家だろうと狂人だろうと魔族だろうと仲良くやっていけるでしょうし、それは構いません」


「それ褒められてないよね?」


「本題はここからです」


 彼女の目の奥に怒りの炎が灯る。

 これは騎士団寮に出向かなかったことを怒られるんだろうなあとオレが今から始まる説教にげんなりとしていると、彼女の続けた言葉は意外なものだった。


「アナタ、旅に行くこと、どうしてワタクシに言わなかったんですの?」


 こちらが目を逸らすことを許すまじと鋭い目線で睨みつけてくる。

 顔が近く、こんな状況だというのに改めて彼女の顔の端正さを実感する。長いまつげの一本一本が見え、薄い唇の柔らかさが分かる。


「答えなさい」


 唐突に投げかけられた予想外の質問に脳内を疑問符が占める。だが、彼女が掴む肩が軋み始め、痛みを告げるに連れて疑問符が錯綜する。


「いててててて!! だって、何でお前に言う必要があったんだよ!?」


「……一応、ワタクシはアナタの騎士なんですのよ?」


「それは他でもないお前が否定してただろ!」


 目の端に涙を溜めながら必死に受け答える。

 オレが旅に出ることを伝えたのはブラント団長とシエルだけだ。オレの交友関係の中で、伝えておく必要があったのはその二人のみであるとオレは判断した。他の奴らについては別に後で知ったところで特に問題は無いからだ。


「だから! お前に言う必要ってのは、無かったんだって!」


「それでも、ワタクシは……!」


 彼女の手から力が抜ける。


「お前は、名目上のオレの騎士。またオレを打倒しようと目論んでいる危ない奴。ってのがオレの認識だが、間違いはあるか?」


 オレの言葉にリアが一瞬面食らったような顔をすると、そのままだらんと腕をたらして俯いてしまった。


 下を向いて何かをぶつぶつと呟くと、彼女はそのままの姿勢で何か言葉を漏らした。


「…………ましょう」


「は?」


 彼女らしくないくぐもった声に思わず聞き返すと、今度は顔を上げて言い放った。


「決闘、しましょう」


 彼女は獰猛にも見える笑みを浮かべて、そう繰り返した。


「やだ」


 即答で首を振る。


「ダメです。この家の裏手に広場がありますわよね? そこでやりましょう」


「いやいやいや! ダメ! 無し! お前と戦いたくない!!」


 お前のことを傷つけるなんて考えられない!


 などという甘い理由では当然無く。


 単純に彼女と戦うのはオレの身が危ない。大怪我で済めばいいが、命を落とすようなことになったら目も当てられない。

 加えて、もしオレが本気で戦うとなると周囲への被害は小さいものではない。オレの魔法は、周りに気を遣って使えるようなコンパクトなものではない。彼女に届く魔法は、逸れれば他に甚大な被害を起こしかねない。


「大体、何で決闘なんだよ!? お前、決闘しか頭に無いとか、何、デュエリストなの!?」


「いえ、お互いの意思疎通になにやら齟齬があったようですので、闘いを通じて取り除こうかと……」


「今まさにお前との間に齟齬を感じてるよ!」


 目の前の一般的に見て美麗な女性が世紀末もびっくりの脳筋であることに嫌な汗を流しながら、この状況からどう逃げ切るかを考える。

 敗北宣言は良い手ではない。こいつは、戦うこと自体に意味があると考えており、オレの敗北宣言に意味は無い。こいつが直接オレを打倒し、勝利することに意味があるようだ。


 オレからしてみれば何の価値があるのか分からないが。


「……前回、オレに負けただろ? 自分が勝つまで挑み続けるってのは、いささか騎士精神、戦士精神に欠けるとは思わないか?」


「それは……」


 だから、こいつの支柱に揺さぶりをかける。


 こいつは勝利を求めるが、その根底にあるものは強さへの渇望だ。

 何が彼女にそこまで強さを求めさせるのかは分からないが、少なくとも彼女がある種の指針として抱えていることは確かだ。


 それを揺さぶる。


 実力差があったからといって、何万回も挑んでいれば偶々勝てるときがあるかもしれない。そんな偶然に頼ってお前は嬉しいのか? そう問う。

 人の意思を無視して傲慢に強さを無心するような奴は、自らの決めたルールに苦しんでもらうほか無い。


「…………それでも、ワタクシはアナタと剣を交える。交えなければならない」


 リアが搾り出した言葉は彼女でも納得していないほどに弱弱しく、擦り切れてしまいそうな切実さを孕んでいる。

 彼女らしくないその言い方にやや怪訝なものを覚えながらも、オレは意地悪く問い続ける。


「じゃあ、オレがお前と剣を交えなければならない理由は?」


「……簡単ですわ。もしアナタがこの話を受けないというのであれば、」


 リアは瞬きのうちに剣を抜き、呼吸をするようにオレの首に刃を当てた。

 そのまま以前も見たような獰猛な表情で口の端をゆがめる。


「……そうか。いいぜ、別に」


「っ……!?」


 オレの首に当たった剣から、彼女の動揺が直接伝わってくる。


「どうした? やらないのか? ほら、殺せよ」


 オレのまくし立てる言葉の弾丸に、どうすればいいか分からずリアが目を泳がせる。


 ほら、やっぱりそうだ。


「……殺せないよな。今この状況でオレを殺せば、お前は立派な弱者だ」


「アナタはッ!!」


 リアの握る剣に力が入り、オレの首からツーと血が一筋垂れた。だが、痛みを伴うほどの傷でもないのは彼女が理性を失っていない証拠だ。

 もし無抵抗のオレを殺せば彼女は強者たる証明をすることができなくなる。

 かつてのオレは、彼女にとっては弱者かどうか分からなかった。だから、切り捨ててもいい存在だ。だが、今のオレは一度彼女自身を打倒した存在。事実はどうあれ、彼女にとっては強者だ。そんな人間を無抵抗のまま殺しても、彼女の強さを証明するどころか、むしろ抵抗されれば殺せなかったという弱さを刻み付けてしまう。


 だから、殺せない。オレの命は、オレが彼女に負けない限り、人質として価値を持ちうる。


「アナタは、分かっていない……何も、何一つ……」


「ああ、そうだよ。分からない。分かると驕ることすらできない」


 そして、


「分かりたいとも思わない」


 オレは冷たくそう言い放った。


 そのとき脳裏に浮かんでいたのは、誰の顔だっただろうか。

 リアは一瞬だけ苦痛に顔をゆがめると、そのまま剣をしまった。


「……そうやって、人を攻撃することで自分の身を守るのは……みっともないですわよ」


 最後に自嘲げな笑みを浮かべると、彼女は振り返ることなく玄関を出て行った。


 先ほどまで彼女が立っていた床を見つめ、オレはため息を漏らす。

 濁った澱のような吐息が地に垂れていく。


 分からないさ。人の気持ちなんて、何一つ。


 思い浮かぶのは告白をしてきた少女の顔。


 自らを刺した少女の顔。


 そして、曖昧な笑みを浮かべて視界から消えていく青年の顔。


「……分かるわけ、ないだろ」


 苛立ち混じりに呟いた声は誰にも届かない。


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