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93、再会


「何言ってるの? わたしは織村凛だよ?」


「寝言は寝て言うもんだぜ、偽者。本物の凛はもっとちんちくりんだ」


 目の前の少女は茶色の短髪を揺らしながら、困ったように頬をかいた。口の端には野性味を感じさせる犬歯が覗く。

 確かに凛に似ているといえば似ていないこともない。雰囲気も口調も彼女に近いと言えばその通りだろう。


 だが、決定的に彼女とは違う。


「織村凛が、友人たちと一緒にいてそんな自然体で振舞えるわけが無いだろ?」


 そうだ。龍ヶ城たちと一緒にいる凛はもっと歪で、完璧な振舞い方をする。こんな気の抜けた、本当のアホみたいな態度ではいない。


「十一君……君は――――」


「ちょっと待ってって!」


 何か言いかけた龍ヶ城を、目の前の偽織村がさえぎった。


「優斗君は何か勘違いしてるって! ほら、だって勇者のみんなだってわたしのことが織村凛だって認めてくれてるよ?」


 偽織村が自慢げに回りを見渡す。


「……お前ら、本気でこいつが凛だと思ってんのか?」


「アナタがさっきから何を言っているのか分からないんだけど。振られたショックで頭でもおかしくなったの?」


 十六夜は隣に座っている少女が本物の織村凛だと疑わず、苛烈な言葉をオレに投げかける。


「十一……どういうことだ、説明してくれ」


 熊野剛毅もその豪腕を組み、訝しげな視線をこちらへ向ける。口は堅く結ばれ、文字通り熊のような姿だ。オレの返答次第では、こちらを許さないという態度だろう。

 他の勇者たちも彼女の存在に何の違和感も抱いていない。

 その状況にオレは薄ら寒さを覚える。

 そして、奴らの友情の薄っぺらさに反吐が出る。


「何だよ、それ……お前ら、凛の友達なんだろ!? 何で、偽物と本物の区別もつかないんだよ!?」


 友情は美しいものじゃねぇのか。お前らが散々見せ付けてきやがったものは、そんな程度のものだったのかよ!

 思考をノイズまみれの感情が占め始める。


 目の前で友情を騙る勇者どもに吐き気すら覚えている中で、オレの冷静さを取り戻させたのは意外な人物だった。


「十一君」


「あ、何だよ龍ヶ城」


 澄んだ声がオレを制止し、そのまま彼はいすを引いてこちらに近寄ってくる。


「お前、ついに暴力に訴えるようなキャラになったのか? おいおい、筆頭勇者様がそんな邪知暴虐な存在でいいのか――――」


「君のことを、待っていた」


「……は?」


「……ありがとう。僕は、間違っていなかった」


 警戒交じりに龍ヶ城の反応を窺っていたオレは、その虚を衝く言葉で全ての思考が停止する。彼の言葉は聞き間違いでなければ感謝。


 同時に胸中を渦巻いていた感情の数々も鳴りを潜め、状況を俯瞰する冷静さを取り戻した。


「……どうして、お前が礼を言うんだ」


「君が僕の友を思う気持ちの正しさを証明してくれたからだ」


「…………はぁ?」


 待て、こいつ……何を言ってるんだ?


「……つまり、僕もあの少女は織村凛ではない、と思っているということさ」


「なっ……」


 十六夜穂華、熊野剛毅、そして筆頭勇者の面々。全員があの偽物を本物の織村凛だと思い込んでいたから、当然こいつもそうなのだと思っていた。


 だが、違った。


「あの少女は君が旅に出てから少しして現れたんだ。織村凛を自称して、周りの皆が当然のようにそれを受け入れていた。……自分の正気を疑う日々だったよ」


 龍ヶ城だけはあの少女を織村凛だとは思わず、偽物だと気づいていた。彼こそは友人の真偽を見抜けていたのだ。

 だが、同時に彼の友人は偽物を本物だと断言した。彼は苦悩したのだろう。自分の中の友情を信じるべきなのか、それとも周囲の友人を信じるべきなのか。

 どちらかを信じるということは、どちらかを信じないということだ。

 友誼を心から大事にする勇者、龍ヶ城輝政にとってその決断は苦渋だったはずだ。


「だから、君が彼女を偽物だと断定してくれたとき、僕は間違っていなかったことが分かった。本当に、ありがとう」


「……はっ、礼を言われるようなことじゃねぇな」


 だが、オレと龍ヶ城だけは偽物を偽物だと思っていないというこの状況。


 ようやく見えてきたぞ。


 おそらくは闇魔法の類だ。幻想や洗脳。それも相当高位な。

 あいつを織村凛だと違和感なく受け入れさせる魔法。もしかしたら、嘘を信じさせる魔法の類なのかもしれない。

 だが、オレは完全記憶能力があったため洗脳からすぐに解けたし、龍ヶ城は恐らく状態異常や洗脳の類を回避するスキルでも持っているのだろう。どうせこいつチートだし。


「まさか、お前と意見が一致する日が来るなんてな」


「僕としてはいつでも君と分かりあいたいと思っていたんだけどね」


「笑わせるな。……でもまあ、とりあえずは」


「ああ、そうだね」


 オレと龍ヶ城は警戒の構えをとる。

 目の前の少女は勇者全員を騙すほどの闇魔法を使える。

 その目的までは分からない。だが、明らかに友好的な相手ではない。


「ちょ、ちょっと、輝政? あなた、何やってるの? どうしてそんな……」


「穂華、その少女から離れるんだ」


「その少女って、凛よ!? そんな他人みたいな言い方……!」


 凛を庇うように抱きしめた十六夜穂華が「うっ」とうめき声を上げ、目の焦点が合わなくなる。一瞬の出来事にオレが声を漏らす間もなく、そのまま彼女はテーブルに大きな音を立てて突っ伏した。原因は、ニセ織村の握られた拳からも明らかだ。


「穂華ッ!!」


 龍ヶ城が目にも留まらない速度で少女に肉薄し、胸部に掌底を食らわせる。

 少女は両腕でそれを受け止めると、そのまま後方に吹き飛んでいき、そのまま遥か後方のテーブルを木片に変えた。


「……穂華……よかった、気絶してるだけだ」


 龍ヶ城のやつこの一ヶ月でめちゃくちゃ強くなってないか……なんだ今の速さと攻撃力……

 筆頭勇者が化け物じみたステータスになっていることに戦々恐々としつつも、木片の中に沈む少女をにらみつける。


 これで気絶でもしてくれればいいんだが。

 淡い期待をこめてそう願うも、木片の崩れる音がその期待を打ち砕いた。


「…………いったーい! ちょっとちょっと!! いきなり女の子殴るなんて酷くない!? 酷いよね!? うん、酷いってば!」


 先ほどまでの凛の振りではない、もっとハイテンションな調子で少女が声を上げた。その声は残念ながら元気そうで、龍ヶ城の攻撃が効いてるようには見えない。

 龍ヶ城は意識のない十六夜を抱きかかえながら少女をにらみつけた。


「やっぱりさー、こう、優しさって言うのかな? そういうの大事! いくら弱肉強食が真理の世界でも、そうした思いやりが人と人の関係をよりよいものにすると思うんだ! そうは思わない?」


 楽しそうにケラケラと笑いながらまくし立てる少女のテンションの高さに薄気味の悪さを覚える。だが、この声、どこかで聞き覚えがある。


 少女を睨み付けていると、楽しげに喋る彼女の姿が文字通り変わっていく。


「げっ、あらら、変装してたのに、解けちゃった。意外とダメージ入ったのかなぁ……」


 少女の肌がみるみると青白くなっていき、瞳の色が黄色く変わっていく。髪は茶髪から紫紺に染まり、口元から覗く犬歯はより凶暴に鋭くとがる。


 その姿を見て思い出す。少女が何者かを。


「というわけで、改めまして自己紹介。アタシはアルティ・フレン。皆さんご存知、魔族の戦略兵器、六将軍でーす! いえーい!」


 心の底から楽しそうに、笑みを絶やすことのない魔族の少女は、ただただ最悪な自己紹介をした。




「いやー、ごめんね、織村凛にはすごく悪いことしちゃったなーと思ったんだけど、あれだね、タイミングが最悪だったね。まさか龍ヶ城輝政が席を外してるときに本物が来るなんて! なんて神様のいたずらだろうね!」


 龍ヶ城がいながら本物の凛が拒絶されて帰ってきたのはそれが理由か……何て間の悪い男だ……!


「僕がいない間に凛が来ていたのか!? もし僕が居合わせたなら、穂香が傷つかずに済んだのに……!!」


 凛が傷ついている実情など目もくれずに目の前の十六夜の心配をする。無理もないだろう。こいつからすれば凛が傷つく理由など無いのだ。彼と凛、そして仲間たちの間にはゆるぎない絆で結ばれているという妄信に基づいた考えだろう。


 胸糞が悪い。


「……にしても、まさかお前が六将軍だったとはな」


「んー、ごめんね、隠してて。十一優斗お兄さん?」


 オレは一度こいつと会っている。

 旅を始めて一週間ほど経ったころ、村で動物と話せるという少女に出会った。その少女が冒険者たちに絡まれていたので助けたことは記憶に古くない。

名は、アルティ・フレン。その少女こそが今目の前にいるこの魔族の名と一致している。それだけなら単なる偶然と断じてしまえるだろうが、確かにあの時と外見的特徴は一致している。あの時は人間の肌色をしていたが、今は魔族特有の青白い肌をしている。恐らく、外見を変える魔法を使えるのだろう。


「オレと凛が勇者だと分かっていて陰で笑ってたわけか」


「そんなことないよ! アタシは笑いたいときはそいつの目の前で盛大に笑ってやるからね!」


 常に笑みを浮かべているアルティは豪胆にそう言い放った。


「あの時は単純に興味本位から接触しただけ。勇者ってどんな感じなのかなーって思ってね!」


 でも、とアルティは続けた。


「そこの輝政君以外は、ころっとみんな騙されちゃってるし。勇者って意外と脆いなぁ、ってのが率直な感想かな」


 そんな身も蓋もない直球な所感を漏らすアルティに勇者たちがぽかんとした表情を浮かべる。もしかしたら、まだ洗脳が解けきっていないのかもしれない。

 十六夜穂華が意識を失っているのがまだ救いだろうか。もし彼女が偽物の織村凛を本物と思い込んでいたことに気づいていたら、どうなっていたか分からない。


「……まあ、タネは分かった。で、こいつらの洗脳状態はどうしてくれるんだ? 闇魔法の使い手さん」


 相手が本当に闇魔法使いなのかを確かめるカマをかける。


「え、あー、違う違う! これアタシの魔法じゃないんだ」


 そういうと、魔族の少女アルティは腰につけたポーチから謎の物体を取り出した。

 黒い針の回りをぐるりと何枚ものリングがついているようなものだ。人工物だということしか分からない。


「えーっとね、これを、こうすれば……」


 アルティがなにやら手元のソレを弄繰り回すと、途端に頭の中のもやが晴れたような感覚を得た。


「一体何を……」


「んっとね、みんなの洗脳状態を解いたよ」


 アルティは手元の物を見せびらかすように振りながら言った。


「これね、アイリーン姉さんの発明なんだけど、すごいよね! そこらへんの人だけじゃなくて勇者まで騙せちゃうんだもん!」


 となると、洗脳の魔法はアルティのものではなくその手元の魔法道具によるものか……

 ちらりと勇者たちを見れば、今まで自分たちが魔族の少女を本物の織村凛だと信じ込んでいたことに気づいた勇者たちが茫然自失としている。どうやら、洗脳は本当に解けているようだ。


「でも、まさか君にも効かないなんてねー。あ、もちろん凛ちゃん本人には効かなかったけど」


 眉根を下げなら笑うアルティ・フレン。だが、さして困った様子でもなく、「ま、仕方ないか」程度の感情しかないことが窺える。

 その態度に龍ヶ城が怒りを顕にした。


「こんな……こんな非道いことが許されると思っているのか!?」


「いーや、思ってないよ?」


 龍ヶ城の詰問にも、アルティはあっけらかんと返して見せた。


「アタシはね、別に許されると思ってないし、許されたいとも思ってないからねー」


「君は……! 人を何だと思ってるんだ!?」


「ん、動物の一種」


 龍ヶ城が絶句する。


 だが、それはオレやほかの勇者も同然だ。

 奴は人間を動物としてしか認識していない。犬や猫、牛、馬と同じ動物。

 確かにその考えを間違いだと断言することは出来ない。それは人間がほかの種を超越した存在だと自負する驕りに通じる。

 だが、仮にも知性ある者がほかの知性ある存在を「ただの動物」だと断じて公言するその心持にはゾッとしない。


「冷静に考えてみたら、分かるでしょ? 自分にとって大切な誰か以外はね、等しくそこいらの犬とか猫と一緒! 人間だから、魔族だから、知性があるからって馬鹿らしい! どこまで行こうと世界は弱肉強食! 弱者は蹂躙されて当然、嬲られて当然、支配されて当然、死んで当然っ! それこそが摂理ってやつでしょ?」


 彼女の騙る理論は、どこまでもストイックに自然論の体現だ。どこまでも自然主体に立ち返り、知性ある存在の傲慢を馬鹿にしている。


 それに皆、呑まれている。


「……お前の哲学は興味深いっちゃ興味深いが、残念ながら今は至極どうでもいい」


「あらら、随分とつれないね?」


「できれば六将軍なんかと戦いたくないんだが、何のために潜入してたか洗いざらい話した後に穏便にお帰りいただくことは可能で?」


「あははっ! それ、穏便に帰すつもり無さそうだね! でも、アタシ戦う気無いんだけどなー」


 アルティが今までで一番愉快そうに笑う。

 退散する気は無さそうだな……


「龍ヶ城、前衛は任せた。――――仕方が無いから、後衛はオレに任せろ」


「十一君……ああ、分かった」


 龍ヶ城とタッグを組むのは癪だが、状況が状況だ。こいつの力を利用しない手は無い。


「いや、だから戦う気は無いんだってば! うわあ、聞いてないよこの人ら」


 アルティが頬をかき、そのままローブの中に腕をしまう。

敵の将がここまで懐にもぐりこんできておいて戦う気が無いは流石にありえないだろ。こいつの軽口や数々のこちらを騙してきた事実から、嘘である可能性の方が高い。


 龍ヶ城が構えをとり、オレも魔力を練り始める。


「あ」


 アルティが思い出したように声をあげ、手を高く掲げた。彼女の掲げた右手に止まっているのは一羽の鳥。いつの間にそこに現れたのか。緑と赤の極彩色が特徴の鳥の嘴が、カチカチと鳴らされる。


 何をする気かオレが気づくと同時に、龍ヶ城が叫ぶ。


「全員、目を塞げッ!!」


 龍ヶ城の叫びとほぼ同時にオレは自分と龍ヶ城の周囲に風の壁を張って目を腕でかばった。

 カチッ、という何かの打ち合わされる音と同時に閉じた瞼の向こう側で世界が白く閃く。目を閉じてなお網膜を焼かれるような感覚を覚える。


 一瞬の間に白くなった世界が引いていき、キィン、という音が鼓膜を叩いた。

 にじむ視界の中で、龍ヶ城が少女の拳を受け止めているのが映る。

 龍ヶ城とアルティがギリギリ目で追えないような速さで打ち合いを続けている。


「なんだこれ……」


 徐々に慣れ始めた視界の端で、勇者たちが顔を抑えながら蹲っている。


「あぁああ……目がぁ……」


「くそっ、何も見えねぇ……!」


 彼らのうめき声から、先ほどの閃光が目潰しであったことを悟る。

 あの一手で勇者たちは完全に視界を奪われていた。

 だが、勇者の中の勇者龍ヶ城だけは敵を見誤らず、その拳を彼女へと飛ばす。


「ちょっと輝政君、強すぎじゃない!? あの光のなかで不意打ちに反応できるってありえないってば!」


 アルティが初めてその表情にあせりを見せる。


「いや、僕はまだまだ力不足だよ。……君が凛に成り代わるのを見過ごしてしまったからね」


 歯を食いしばらん限りの悔恨にその端正な顔をゆがめる。だが、そんな自責の感情に苛まれながらも龍ヶ城輝政の攻撃は一手一手が洗練され、正確無比で、残酷に少女に致命打を与えんと迫る。


「龍ヶ城ッ! 使え!」


 『持ち物(インベントリ)』から適当な直剣を取り出して龍ヶ城に投げる。龍ヶ城はそれを見もせずに受け取り、そのまま流れるようにしてアルティに切りかかった。

 六将軍の一人と言えど、その勇者の埒外な能力の前では防戦に回る一方だ。


 こりゃ、オレが後衛をするまでもなく勝てるんじゃないか?


 現状、オレはあいつらの戦いにほぼ手を出していない。その理由は無論、アルティの挙動に目を配り続けるためというものもあるが、主たる理由は違う。


 誤射への恐怖だ。


 オレのギリギリ認識できる程の俊敏さで動き回るあいつらのうち、アルティだけに正確に魔法を当てるというのは至難の技だ。もし龍ヶ城に当たってしまえば目も当てられない。

 そうして初めて今まで自分が後衛を語っておきながら前衛の仕事しかしてこなかったと悟る。全ての戦闘はオレが矢面に立って魔法でドンパチしてきた。凛も、基本的には結界術を使ってオレを守る役割だから、オレのさらに後衛だ。


 前衛の魔法使いとかゾッとするな……


 自分の置いてきた環境の苛酷さに苦笑を漏らしながらも、目の前の激戦から決して目を逸らさない。瞬きすら憚られる緊迫感の中で、拮抗していた戦況が崩れる。


「っ……」


 龍ヶ城の蹴りがアルティのわき腹を掠める。ただ蹴りが掠めただけだというのにもかかわらず、ローブが音を立てて引きちぎれた。


 残像が見えるほどの速度と論外な筋力を以ってして放たれた蹴りは、大砲をも凌ぐ。


「いやーこれは流石に、まずいかなぁ……」


 アルティは余裕そうな口ぶりながらもその表情には困惑と焦りが色濃く浮かぶ。

 だが、オレは決して油断しない。六将軍がこの程度で片付くような相手なら、オレたちが召喚されてなどいないはずだ。


 そんなオレの懸念が的を射てしまう。


「仕方ない、か。うん、輝政君の強さに敬意を表して、こっちも切り札を見せようかな!」


「龍ヶ城、一旦下がれッ!」


 『魔力感知』がアルティの魔力の不自然なうねりを察知する。彼女の目の色が変色する。

 龍ヶ城はオレの声を聞くまでもなく一瞬で飛びのいた。


「――――うん、遅いね」


 否、飛びのいたのではない。


「がっ!?」


 アルティの変質した右腕に吹き飛ばされたのだ。

 その右腕は先ほどまでのような人の形をしていない。霊長類ですらない。

 猛獣。虎や獅子を連想するような、毛むくじゃらで獲物を狩ることに特化した凶爪を構えた拳。その爪の先からは真っ赤な血が滴り落ちる。


「おい、龍ヶ城! 大丈夫かッ!?」


「あ、ああ……何とかね」


 龍ヶ城の腹部の「爪痕」に治療をかけてアルティの異様な姿をにらみつける。


「ほら、この格好ってすごいいかめしいじゃない? だから、あんまり好きじゃないんだけど」


 アルティはそういいながら爪についた龍ヶ城の血を舐めた。


「……うーん、これも違うなぁ」


 残念そうな笑みを浮かべたアルティの言葉の真意は誰にも分からない。

 だがそんなことがどうでもよくなるぐらい彼女の右腕は異質だ。それを見るものが生物であれば、本能的な恐怖を抱くほか無いと言わんばかりの凶暴な豪腕。毛皮の外からでも筋肉質だと分かるそれは華奢な少女が誂えるには不釣合いに過ぎる。


「……あれ、おかしいな。ドラゴンですら一瞬で昏睡するような睡眠毒を注いだはずなんだけど……」


 元気そうな龍ヶ城を見て、アルティは少女らしく小首を傾げた。彼女の挙措と、つぶやく内容の乖離に薄ら寒いものを覚える。


「龍ヶ城、お前、状態異常系の攻撃効かないんじゃないか?」


「そうだね。僕のスキルに『状態異常無効』というスキルがあるから、多分それだろう」


 やはりその手のスキルを持っていたか。

『状態異常無効』。ゲームなどでよく見る表記だが、この現実世界においてそのスキルの持つ効果は絶大だ。自分にとって不調や異常な状態にならないということは、要するに常にベストコンディションでいられるということだ。

 誰しも疲労や睡魔、精神状態、疾患など様々な理由で自らのパフォーマンスの低下が避けられないのは当然の事実だろう。だが、この龍ヶ城という傑物はそうした影響を一切受けないのだ。常にベストコンディション、自らの最大限の力を発揮できる。


 それがいかに恐ろしいことか、想像に難くは無い。


「お前って奴は相も変わらず薄気味が悪いな」


「……そう言われると、流石に傷つくな」


 そうこう言っている間に龍ヶ城の治療が終わる。龍ヶ城自身の異常な耐久力と治癒力からオレの魔力消費もほとんど無い。

 アルティ自身は、睡眠毒が効かなかった時点で龍ヶ城の治癒を見逃すつもりらしい。余裕綽々の態度で治癒の完了を見届けた。


「今ので眠ってくれてれば良かったんだけど……ま、仕方ないね!」


 アルティは自分の手札が不発に終わったにも関わらずその楽観的な態度を変えようとしない。欠片も自分が負けるとは思っていないのだ。


「じゃ、お次はこんなのでどう?」


 言い終えるや否や、アルティが片足を大地に打ちつけ、そのままめり込ませた。

 何をやっているのかとオレと龍ヶ城が警戒をしていると、再び魔力の膨張を感じた。

 その源は当然アルティ。だがそこから薄い魔力の線が延びていく。

 伸びていく先は、足元。否、さらにその下。


「龍ヶ城ッ! 下から来るぞッ!」


 オレの注意を受けて一瞬で龍ヶ城が飛びのいた。


「『風踏(ストライド)』ッ!」


 同時にオレも宙を飛ぶ。

 オレと龍ヶ城の足が地上から浮いた瞬間、食堂の床が音を立てながら割れた。

 二つに、などというレベルではない。大地の中に手を突っ込んで無理やり持ち上げたかのような隆起、そして断裂。


 飛び散った破片の一つが頬をかすめ、擦り傷を作った。


「うーん……ホントに厄介っ!」


 オレから目を逸らし、龍ヶ城の着地を狙うアルティの姿が見える。龍ヶ城はすでに空中で攻撃を受ける構えを取っているが、あの体勢ではダメージはまぬかれない。


 だが、


「オレを忘れるなよ。――――迸れ、『雷走槍(ボルトランナー)』」


 雷光がうなり声を上げて線となり走る。きわめて正確に直線を描いた白い稲光はそのままアルティの胸部に直撃して弾けた。


「……やったか!?」


 龍ヶ城が叫ぶ。彼は崩れた地面に危なげなく足をつけ、バチバチと帯電する少女を見やる。オレの雷撃を受けてなおそこに立つ少女の姿は失われていない。


「龍ヶ城、お前それフラグ……!」


「――――びっくりしたぁ……まさか雷の魔法とはとは! 初めて見た!」


 元気そうに笑う六将軍の姿に、嫌な汗が垂れる。


 効いて、無さそうだな……


「これは聞きしにも勝りて、という奴だね! まさか、そんな魔法の力を隠してたなんて! いやあ、ごめんごめん。優斗君のことはかんっぜんに眼中に無かったから油断してたよ! ほら、優斗君ってどう見ても弱いじゃん? うん、戦う者としてはとても弱い、弱すぎるねっ! そこらへんの小動物と変わらないっ!」


 アルティはオレに散々な評価を下す。

 だが、オレが弱者であると思ってくれるのは一向に構わない。実際に接近戦では勝てる道理はありはしないし、相手が油断してくれれば御の字だ。


 だが、アルティはあくまで嬉しそうに言葉を続けた。


「……でもね、一つだけ訂正するよ」


 アルティの目の色が変わり、口の端がつりあがる。

 それは彼女が今まで見せたことの無い攻撃的な笑み。幼い体躯からは想像も出来ないほど妖艶で、それでいて暴力的な笑みだ。


「アンタみたいな弱者が、生物としちゃ一番の強者だよ。うん、だから世界は面白い!」


 愛おしげにこちらに視線を送るアルティ。その表情に浮かぶのは喜色。

 彼女の両足が音を立てながら変形していく。緑色のうろこが生え、脚部の形状が弓型にゆがんでいく。足の先には鋭く太い爪。


「――――――は?」


 情けない空気のような声が漏れる。

 それは決して彼女の変容に驚いたからではない。


「……おっ、これは……うん、アタリだ。いいね、いい。ツイてる」


 眼前にアルティが出現していた。

 それは瞬きの間。彼女の肉薄を、まったく目で追うことができなかった。

 アルティが何かをつぶやきながらオレの頬を直接舐めている。擦り傷を舐められ、静かな痛みが頬に走ると同時に、恐怖が背筋を撫でた。


「お前ッ……」


 咄嗟に離れようとしたオレの視界がぐるりと回った。

 背中から地面に叩きつけられ、肺の空気を全て吐き出す。


「十一君ッ!」


 龍ヶ城の声が聞こえ、輪郭がぼやける世界の中で大きな影を見る。


 何だ、こいつ……カバ……?


 元の世界で言う動物のカバに酷似した生物。そんなデカブツがどこから現れたのかオレの眼前にいた。

次の瞬間、カバの口から伸びてきたなにかに絡みとられ、そのまま暗闇の中に引きずりこまれた。

 一瞬で食われたのだと悟り強い焦燥と恐怖が脳を焦がす。


「こいつッ! 離せよ!!」


 カバの舌に絡み取られ、身動きが取れないままに肉壁に囲まれている。ここが口内なのか胃腸内なのかは何も見えないため分からないが、このままここにいて無事で済まないことだけは明白だった。

 外の音がくぐもって聞こえる。


「……れで、アタシの……は達成……」


「……を離せッ!!」


 打撃音、破砕音、金属音、声、打撃音、声、声。


 だが、五感をシャットダウンされた現状でそれらの意味を捉えることが出来ない。


 粘液が体中にまとわりつき、不快感から吐き気がこみ上げてくる。無臭であることがせめてもの救いだろうか。


「『青斬(アオギリ)』ッ!」


 内壁を斬り破るべく、魔法を発現させようとする。


「なっ!?」


 だがそれは叶わない。


 そもそも魔法が発現しないのだ。


 どういうことだよ!? 何で魔法が発現しない!? 一体何が原因で……


 状況の悪さにどす黒い絶望が這い上がるのを感じた。

 何とかして拘束から抜け出そうともがくも、絡みついた舌はびくともしない。むしろオレの拘束を強めるばかりだ。


 オレは身体能力については一般人とさして変わらない。身動き一つとれないこの状況で魔法が使えないとなると、本格的に外部の助けを待つしかない。


 だが、本当に助けが来るのか?


 龍ヶ城は当然助けようとするだろうが、相手は六将軍のアルティ・フレンだ。先ほどからアルティは体の一部を変化させて身体能力を高めている。恐らくそういう能力なのだろうが、あの龍ヶ城が反応しきれない速度で動いているというのは末恐ろしい。


 もし龍ヶ城が引き分け以下の結果で終わったらオレは詰みだ。


「くっそ……何でこんな……!!」


 オレを捕らえるメリットがまるで見当たらず、理不尽さに悪態を付いていると、舌が伸びて顔にまでまとわりついてくる。


「がっ……! っ――――っ――――」


 口をふさがれ息が出来なくなり、両手を使って必死に拘束をどかそうとする。


 くそっ、粘液がぬめって上手く引き剥がせない!


「っ……! っ――――」


 声にならないうめき声だけが暗い閉鎖空間でこもる。


 くそっ、くそっ!! はがれろ、剥がれろよッ!!


 もがけばもがくほど、体の酸素が使われていき、苦しくなっていく。


 ……くそ、ダメだ……呼吸が……意識が……


 ぼんやりと思考がフェードアウトしていき、そのまま瞼が重くなる。


 意識が、飛ぶ――――





「――――」





 突如暗闇の世界が開ける。


 舌の拘束から解放され、塞いでいた口が解放される。


「げほっ、げほっ!!」


 体中が酸素を求め肺に重労働を求める。肺と気管に痛みを感じるほどに空気を吸っては咳で吐き出すことを繰り返す。


 気だるい頭を何とか起こして目の前を見る。

 そこには体を真っ二つに断ち切られたカバの姿。


 そして、金と赤が印象的な一人の女性。


「……帰ってきたから小言の一言でも言おうと思ったら……どうして死にかけていますの?」


 呆れるような声は鈴を鳴らすがごとく、鼓膜を気持ちよく揺らした。ただ、その言葉には若干の棘が含まれる。


 つり目がちの目を半開きにして、こちらへ呆れている態度を隠そうともしない。

 手には直剣。一目で業物と分かる輝きを放っている。

 金髪を優雅にたなびかせ、だがしかしその鋭い目つきはどこまでも研ぎ澄まされている。


「……悪かったな、そういう星の下に生まれてきたんだ」


「あら、そう思っているなら、助けなくても良かったのかしら」


「……いや、助かった。……リア」


 仕方なさそうに肩を竦める彼女は、名目上のオレの騎士、リア・アストレアその人だった。


めっちゃ再会。

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