91、魔族との縁
暗い。ほの暗い世界だ。
眠い。いや、もう眠くないかもしれない。
ぼんやりとしていた輪郭が徐々に形を帯びていき、それが現実であることを思い出す。
意識の覚醒に伴い、感覚が蘇る。
「ゆーくん、大丈夫?」
「ここはどこわたしはだれ?」
まどろみから急激に現実に引き戻され、思わずわけのわらかないことを口走る。
「ゆ、ゆーくん!? どうしよう、ゆーくんが記憶喪失に……」
「大丈夫だ。ちょっとした冗談だ」
べしぃっ、とある意味今回の旅で一番痛いんじゃないかというビンタを食らい、涙目ながらもお怒りの凛さんと向き合う。
「凛、元気か?」
「さっきまで元気じゃなかったけど、ゆーくんの顔見たら元気になったかも」
「そういうのあざといって言うんだよ、凛さん?」
オープンな好意を向けられ、オレがどうしようかとため息を漏らすと、凛ははにかみながら話題を変えた。
「何があったか、覚えてる?」
「……思い出したくは無いが、魔族の男と戦って、辛勝。その後寝そべったら気を失った」
「うん。そんな感じ」
周りを見れば木製の小屋のような場所だ。家具の素材も木ばかりで出来ており、窓の外から見える景色を鑑みるにいまだにデックポート集落にいると見てよいだろう。
「そうだ。フォンズは?」
「私ならここだ」
オレの声に対する返事が部屋の扉の外から聞こえてくる。その声は風で揺らされた物ではなく、フォンズ本人の物だと一聞きして分かる。
すぐに声の主が扉を小さく開けて顔を出した。思わず右手を突き出して魔力を練るが、その首には相変わらず首輪がついていることを認めてほっと胸を撫で下ろす。
「安心しろ。未だに私は君の支配下を抜け出してはいない」
オレの心境を読み取ったフォンズが小さく笑う。顔は最初に見たとき同様蒼白なそれに戻っており、煤も落ちている。体中に包帯が巻かれていることや、杖をついていることを除けば、おおむね健康そのものだ。
「思ったより元気そうだな……」
「そう残念がるな。少しばかり人から治癒魔法を受けたからな。おかげで魔法を使わずともかろうじて生きていられるというわけだ」
「おいおい……」
こいつに治癒魔法をかけるなんて馬鹿がいるのか……
そんな目で見ると、フォンズは頭を振った。
「私に治癒魔法をかけろ、と言ったのはそこの少女だぞ」
「はぁ? 凛が?」
素っ頓狂な声が漏れ、凛がオレの隣で罰の悪そうに視線をそらした。
「う、うん。えっと、ゆーくんなら、そうするかなーって……」
「お前なぁ……オレなら、そうするって思った根拠は?」
「え? いや、この前の魔族の人だってゆーくんは治療してたし……その、ゆーくんってそういう人なのかなって」
凛のオレを聖人かのように扱う態度にため息を漏らす。
「いいか、凛。オレは別に博愛と慈愛の精神でだれかれ構わず治療するわけじゃない。そいつが自分にとって有益かどうか、利をもたらすかどうかで判断しているだけだ。その点で言えば、まあ、フォンズを治療したことについては確かにいい判断だが……」
「ほ、ほんと?」
うれしそうに顔を上げる凛を制して厳しい口調で言う。
「だが、あまりにリスク管理がザルだ。もしこいつが本来の力を取り戻して大暴れでもしていたらどうしたんだ? もし治療するにしても、それは治療した後でなお屈服させられるだけの力量がこちらに余っている場合にすべきだ。治した相手に寝首をかかれちゃたまらない」
オレの説教に凛が再びしょぼんと肩を落とす。
「あまりその少女を責めない方がいい。男としての器量が問われるぞ」
「生憎オレは小心、狭量、自己中と三拍子揃ってるから問われるまでも無い」
「そうか」
フォンズは鼻を鳴らすように笑うと興味を失くしたのか、そのまま扉の外に出て行った。
何であんなに自由なんだあいつ……
とりあえずこちらと敵対する気はないと分かり胸を撫で下ろす。
「あ、そういえばね」
凛が思い出したように手をたたいた。
「えっと、ギルタールさんがお見舞いに来てたときに、わたし聞いてみたんだ」
「何を?」
というか、ギルタールの奴が見舞いに来てたのか。意外だな。
まあ、概ねオレの無様な寝顔を笑いに来たとかそんなところだろうが。
「えっと、ファルド・ゲッコーって人のこと」
ファルド・ゲッコー。大樹の最上層で自殺していた獣人だ。そしてダンジョンの持ち主だった男でもある。ギルタールの本名はギルタール・ゲッコー。ファルドと同じ家名だ。
「それで、何だって?」
「……ええっとね、なんかすごい怒られちゃった」
「怒られた?」
「うん。すごい剣幕で、『そんな大罪人の名を出すな!!』って」
「大罪人……」
確か、リスチェリカのダンジョンの持ち主だったカシュール・ドランも『大罪人』だったはずだ。
つまり、各地にあるダンジョンは『大罪人』が作った……?
二つだけの情報で確定するのは早計だが、十二分に可能性がある。だが、『大罪人』がどういった存在なのか、まだ何も分かっていない。
とりあえずは保留だな。
「ありがとな、凛。そういや、お前の怪我は大丈夫なのか?」
「え? わたし? あ、うん! 治してもらったから、ほら!」
そういうと凛は肩をはだけさせる。
「ばっ!? アホ! お前、もっと恥じらいをだな……!!」
「あっ! ご、ごめん!!」
自分でも気づいていなかったのか、凛は耳まで赤くすると背中を向けてしまった。
だが、すでにオレの完全記憶にはばっちりと彼女の柔肌が焼きついており、胸までは見えなかったものの鎖骨までの華奢な――――
閑話休題。バイザウェイ。
「ちょっと痕が残ってたな……」
フォンズにより肩に空けられた穴。完全にふさがってはいたが少しだけ痕が残っていた。
「うん……でもね、わたし、別にいいんだ」
難しい顔をするオレに対して、凛は楽観的に笑った。
「いい、って何がだよ? お前、一応は女子だろ、さすがにそんな傷跡……」
「あ、ゆーくん、わたしのこと女の子だと思ってくれてたんだ、えへへ」
屈託無く笑う凛。だがその言葉がオレの質問に答えていないことに、小さな苛立ちを覚える。その苛立ちは理不尽だ。自分でも辟易するぐらい理不尽なのは分かりきっている。
「だって、この傷はゆーくんと一緒に戦ってついた傷だもん。だから、ゆーくんの負ってたかもしれない傷を肩代わりできたなら、いいかなーって」
純粋な笑顔。だが、彼女の吐く言葉にはゾッとしないものを覚える。
「じゃあ、仮に……だ」
オレは思いついてしまった残酷な質問を投げかける。
その残酷さは決して彼女だけへ向けたものではない。もしかしたら、オレにとって最も残酷かもしれない。
「もし、仮に、オレの代わりにお前が死ぬようなことになったとしたら、それでもお前はそうやって笑えるのか……?」
懇願にも近いオレの問い。
オレはここで凛にどう返事をしてもらいたかったのだろうか。それは、分からない。
「うん。ゆーくんの分までゆーくんを守れたなら、それでよかった、かな?」
けれども、オレはまず間違いなくそんな答えを求めてはいなかった。
「そう、か」
だから、オレは何も言えない。
目の前の仮面をかぶった少女は。
その仮面の裏にあった本当の顔は。
仮面以上に歪で、おぞましいものだった。
曖昧な返答でごまかし、彼女にオレが眠っていた間の顛末を聞く。
凛いわく、オレはフォンズとの戦いに勝ってぶっ倒れてから丸二日寝ていたらしい。逆に丸二日でよく済んだなぁ、と我ながら思うが、ギルタールは半日、凛にいたっては数時間寝た程度でおおむね体力を取り戻しているのだから、この世界はやはりおかしい。
肝心のギルタールは療養をしながら、今回の件の後始末に奔走しているらしい。腐っても南部連合の副首長。今回、フォンズに折られた木々の数々の処理や、フォンズの襲来時に避難した住民を呼び戻したりと、中々に忙しいようだ。
見舞いには一度来たようだが、オレは眠っていたので知らない。
「ふむ、そろそろいいかな?」
そう言うと入り口からフォンズ・ヘルブロウがこちらを覗きこんでいた。
「何だ、盗み聞きか?」
「安心したまえ。内容までは聞いていない。ただ静かになったので頃合かと思ったのでね。もし邪魔だというなら出直すが」
「別に構わない。フォンズ・ベルブロウ。あんたにいくつか頼みがある」
目の前の痩躯の男に面と向かって頼みを告げる。
「頼み、というのは些か語弊があるな。これは奴隷に対するただの命令だ」
「まあ、そんな大層なことは言わねえよ。何、簡単だ」
フォンズ・ヘルブロウという六将軍の男。彼を駒として手に入れられたのは非常に僥倖だ。上手く使えば、今後、世界を旅するにあたって立ち回りやすくなる。
奴隷化したフォンズに命令を与えていく。
①嘘を付くな。
②隠し事をするな。
③奴隷にされたこと、および首輪のことは全身全霊を以って隠せ。
④発覚した際には出来る限り首輪を守り、奴隷の地位を維持するようにしろ。ただし、自分の地位や生命が危うくならない範囲でよい。
⑤これまで通り六将軍として活動し、魔族側の情報や動向を逐一オレに報告しろ。
⑥オレの知り合いや勇者に危害を加えるな。
⑦オレ自身に不利となる行為を禁止する。
⑧上記の制約を破った場合、オレの許可があれば自害をすること。
「と、まあこんなもんか」
ざっと命令をリスト化し、直接口に出してフォンズに命令する。そのたびに首輪が淡く光っているのを見れば、しっかりと命令が効いていると考えてよいだろう。
「つまり、私に魔族側の情報を渡せというわけか」
「そゆこと。特に難しい指示は出してないだろ? 六将軍側からもらえる情報の価値は重いからな」
「その情報を得てどうする? 君は、魔族と敵対する気は無いのだろう?」
「ああ、敵対する気は無い。けど、仲間になるつもりもない」
より正確に言えば、今は敵対状況には無いが、場合によっては敵対する可能性もあるわけだ。だから、相手の情報を知っておいて損はないし、それは人間相手だろうと獣人相手だろうと同じだ。
「なるほど……情報に重きを置くというのは非常に好感が持てる。最近の輩は、情報を軽視する者も多いのでね」
一人勝手に納得しているフォンズに拍子を抜かれる。
「内容的には、魔族を裏切れ、って要約できるんだけど随分と冷静だな?」
「君は、とりたてて魔族に害を為すつもりは無いのだろう? それならば、別に君に情報を渡したとしてそれが裏切りにつながるとは限らない」
中々にリベラルな考えをお持ちで。
「……それに、だ。こんな甘々な命令を押し付けるような人間を恨めというほうが難しい」
フォンズが薄く笑みを貼り付けながら肩をすくめる。
「……人の嫌なことは必要最低限以外しない、って主義なんで」
「やはり、ユウトは面白いな。君のような少年、いや、君のような者に会えたことを心から嬉しく思う」
こいつ、ほんとに奴隷化してんのか……? 不安になるぐらい不遜で泰然とした態度なんだが……
「そういや、フォンズ。お前、六将軍なんだよな?」
「ん? ああ、そうだな。名目上はそういうことになっている」
六将軍。魔族の秘密兵器。
戦争の局面を大きく変え得る力の持ち主。その力の一端はオレが目の当たりにしたとおりだ。
「何でこんなところに来たんだ? しかもギルタールの奴に奴隷首輪まで付けようとして」
ギルタールから既に聞いていたことではあるが、それには奴の主観も多分に含まれる。こいつの口から直接聞いておく必要もあるだろう。
「ああ、簡単なことだ。上……大臣たちが、南部の獣人たちと同盟を組もうと考えていてね。その話し合いに来ただけだ」
「……の割には獣人のトップを奴隷化させようとしてたみたいだが」
「上からは同盟が快諾されなければ、強硬も已む無しと言われているんだ。私としては何とか穏便に交渉を済ませたかったのだが、あの御仁は少々気の荒い人だったようでね」
ギルタールがぶちギレて暴れたのでフォンズが防衛したってところか……で、ついでに奴隷首輪でもつけて、交渉成立したことにしてしまおうと。
ちゃっかりしてるというか、考えがえげつないな。
「ってことは、オレの活躍で人間は南北から挟撃されることにはならなかったってわけか」
「心にも無いことを言うのはよしたまえ」
「ま、何はともあれ、お前の目的と身柄は分かったし、これからはオレの諜報役としてビシバシ働いてもらうから」
「休日や給与払いがいいと嬉しいんだがな」
こいつ、さっきから好き勝手言ってるけど、ホントに奴隷化されてるんだろうな……?
「よし、フォンズ。怪我しない程度に、そこの窓から地上まで飛び降りてくれ。五秒以内な」
オレの命令に首輪が淡く光る。
「なっ……ちょっと待ってくれ首輪の効果を試したいという君の気持ちは分かるがユートォオオ――――――」
確かに窓から落ちていくフォンズの姿を見て、しっかりと奴隷になっていることを確認する。
「ゆーくんって結構ドSだよね……」
「まあ、MかSかで言えばS寄りだろうな」
そんなくだらないことを話して、オレの事後処理は無事に終わる。
その後、無事に戻ってきたフォンズから連絡用の魔法道具である指輪を受け取る。何でも、これで通信が実現するらしい。
「いや、お前、さらっと渡すけどな……」
「何だ? まさか私に人の国と魔族の国を頻繁に行き来しろと言うんじゃあるまいな?」
「通信技術なんて、技術革命中の革命だぞ? 少なくともオレが知る限りこの世界にはまだ存在しない。こんなもんが普及したら、生活も戦争も一変しちまう」
そう、遠距離での通信の確立というのはそれだけで大きな技術革新なのだ。
今この世界で遠方に情報を伝達する手段といえば、竜車に文書を預けるぐらいしか無く、当然届いて返事が戻るまでの時間は非常に長い。しかも確実性があるとは言いがたく届かないこともざら。
そんな世界で、指輪サイズの、少なくとも数週間かかる距離間での通信が可能な品など、国が有り金を積んででも手元に置いておきたいレベルのはずだ。
「……まあ、私も最初は驚いた。このような空想上のような技術を実現させるなど」
フォンズはオレの反応に賛同を示した。
奴隷化の首輪にしろ、これにしろ、魔族ってのは随分と魔法に関する技術が進んでいるらしい。
「なあ、この奴隷化の首輪とか通信用魔石とかを作ったのって同じやつなのか?」
「…………何故、そう思った?」
「いや、ただの直感」
直感だ。ただ、なんとなくそんな気がしたというだけの。
「ああ、そうだ。君の言うとおりこれを作ったのは、一人の天才だ」
天才。その言葉を聞くだけで、薄ら寒いものがこみ上げてくる。
「――――――アイリーン・ブラックスノウ。六将軍の一人だ」
「アイリーン・ブラックスノウ……そいつも六将軍か……」
「ああ。……個人的には、私はあいつが苦手だが。まあ、前線には出てこない。基本的には裏の暗躍が得意で、本人もそれを好き好んでいるような性根の暗い女だ」
その一人の女が、この数ある天才的な発明をしたって言うのか……
「『災媛の魔女』とも呼ばれているな。まあ、要するに天才だ。それも、そこらの天才とは桁が違う。本当に天から才を与えられているとしか思えない。……凡人の身としては悔しいながらにね」
災媛の魔女、何ともぞっとしない響きだ。そして、フォンズが天才と称する相手。それだけで彼女がどれだけの逸材かは推して測ることが出来る。
「まあ、そんなところだ。他に聞きたいことは?」
「……いや、大丈夫だ」
「では、今度はこちらから一つ聞きたいことがある」
フォンズはそういうとごそごそと自らのローブの中を漁り始めた。そして、すぐに掌にキラキラと輝く宝石のようなものを持ち出した。
それは淡い紫色をした宝石だ。カットされており、光を反射してきれいに光っている。
「これが何だか、君には分かるか?」
「あ? んなもん、ただの宝石じゃないのか……?」
その宝石は、ただフォンズの掌の上で輝きを示すばかりで、オレにその価値はよく分からない。
オレのそんな返答にフォンズは、無表情で「そうか」とだけ呟くと、再びその宝石をローブにしまった。
「いや、知らないならいい。忘れてくれ」
「忘れろ、と言われても完全記憶能力があるから忘れられないんだけどな」
そんなオレの渾身の冗談を聞き終えると、フォンズは小さく息を吐いて肩を竦めた。
「また連絡する」
そういうとフォンズは話は終わりだと言わんばかりに部屋から出て行った。
フォンズという男との邂逅により、オレと魔族との距離はぐっと縮まった。それを幸とみなすか、不幸とみなすかは、今後のオレのはたらき如何なのだろう。
「たまったもんじゃねえな……」
棚から零れ落ちてきた、とんでもない厄餅にオレは一人ため息を漏らした。
 




