90、決着
奴の、フォンズ・ヘルブロウの首に奴隷化の首輪を付ける。
そうすれば、奴はオレの奴隷となり、この戦いが終わる。
魔力も体力も残っていないオレたちの勝ち筋は他に無い。
「まずは、全員にこれを渡しておく」
「これは……」
「首輪のダミーだ。あいつに首輪を付けることを狙っているのはすぐにバレる。ダミーを複数個用意しておけば、どれが本命の奴隷首輪か分からないだろ」
気休めにはなるだろう。
後は、思い描いたシナリオどおりになることを願うばかりだ。
フォンズは強敵だ。恐らくオレの作戦を読んでくる。チャンスは一度きり。
「いいか、何があってもオレを信じろ」
凛たちに宣言する。
凛は力強くうなづき、ギルタールはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「先陣はギルタール、その後にオレと凛が続く」
「ふん。貴様の作戦に乗るのは癪だが、おれも死にたがりでは無いからな」
「減らず口をどうもありがとうよ。……じゃあ、行くぞ」
作戦会議を終え、フォンズに向き直る。
「『作戦会議は終わりみたいだな』」
「おう。毎度待たせて悪いな」
このフォンズという男は、こちらの準備を毎回待っている。どういった意図があるのかは知らないが、こちらが打ち合わせをする時間を設けてくれているわけだ。
舐められているのか、はたまた。
「『いや、私は策謀、策略の類は好きでね。存分に私を謀ってくれて構わない』」
前言撤回、こいつの趣味だ。
「じゃあ、胸を借りて、存分に謀らせてもらうよ!!」
ギルタールが一直線に飛び出す。
ギルタールを壁にしてオレと凛が走り、フォンズへの距離を縮める。
「『エアバレット』」
風弾が数発、オレたちをめがけて放たれる。
ギルタールが爪で、凛が短剣でそれをいなすと、そのまま凛が跳躍する。そのままギルタールの肩を蹴り、短剣をフォンズに突きつける。
「『アトモスクーパー』」
紙一重のところで敵の魔法に弾かれ、凛が後退。
低くかがんだ凛を飛び越えるようにして猛る虎がその爪をフォンズへと伸ばす。
「『甘いな。』『アトムズシールド』」
だが、その爪もあっけなく防がれる。
ギルタールは強引に右手でその盾を掴み、そのまま左手で盾をまくる。フォンズの首元めがけて、ギルタールの豪腕が飛ぶ。
「くっ……『アトモスクーパー』!」
だが、またも風の剣によって防がれ、握られたダミーの首輪もろとも、ギルタールの左手が切り裂かれる。
同時に今のやりとりで確信する。フォンズは動きに精彩を欠いている。魔法でごまかしてはいるが、体は限界だ。つまり、あいつはあの場所から動けない。
「『なるほど。私に首輪をつけようというわけか、考えたな』」
感心する声を無視して続ける。
「凛ッ!!」
ギルタールに気をとられていた奴は気づかない。凛が背後に回っていたことに。
「『気づいていたさ。』『エアバレット』」
風弾が凛の左肩を貫く。そのまま彼女の手から首輪のダミーが落ちる。
「『この首輪は本物かな? いや、君なら本物を彼女に託したりはしないだろう』」
凛が貫かれたことに叫びたくなる衝動をぐっと堪え、オレはそのまま真正面から堂々と肉薄する。
一瞬だけ凛に向いた意識。その瞬間、オレのスキルを開放する。
MPが切れていようと、このスキルは使えるはずだ。否、使えなければならない。
スキル、『隠密』!!
「『……!? 少年が消え――――』」
一度でも意識の外に出してしまえば、オレの高純度まで高めた『隠密』を見破るのは難しい。それこそ、オレが本気でこのスキルを使えば。
「これで、詰みだッ! フォンズッ!!」
彼の首に手をかけ、そのまま首輪を押し付ける。
とった。この距離ならば、奴の魔法名の詠唱も間に合わない。
これで、終わりだ。風の魔人ッ!
「っ……『ああ、そうだな』」
勝ちを、確信する。
ここまで距離を縮めた。この首輪をはめれば、オレの勝ちだ。
詠唱も間に合うまい。どれだけ詠唱時間が短かろうと、魔法名を言うことすら――――
「――――――『詰んだのは、君たちの方だ』」
オレが両手で握っていた首輪が、目の前で音も立てずに、切り裂かれる。
「『何を勘違いしているのかは知らないが』」
フォンズの声がやたらとゆっくりと聞こえる。
「『私は一言も、魔法名を言わなければ魔法を使えないとは、言っていないんだがな』」
勢いが殺され、そのまま地面に顔から不時着する。
ぬかるみに頬をこすりつけ、口の中に大量の泥が入ってくる。思わずえずいて、口の中のものをすべて吐き出した。
だが、そんな不快感すらどうでも良いほどの感情がわきあがる。
絶望。
ただただ黒い絶望が思考を無遠慮に塗りつぶしていく。
雨はもう、止んでいる。
「『とてもいい作戦だった。陽動、複数のダミー、そして君の最後の切り札であるスキル……そのどれもが上手く噛み合い、よく回っていた』」
ただ、それは奴の無詠唱を読み誤らなければの話だ。
くそ! くそがッ!! 何でその可能性に思い当たらなかったんだオレは!! 馬鹿じゃないのか!? 目の前の男の魔法の威力にばかり気を取られ、無詠唱であることを軽視しすぎたッ!! 当たり前だ! オレと同じように、こいつだって魔法名を言う必要なんて無いんだ!! ただ、イメージの補強、魔法の補足に過ぎないッ!! 何でそれを失念していた……ッ!
「『程よい意趣返しになったようだな。といっても』」
地面にうずくまるオレを見下ろして、フォンズは悲しげな顔を浮かべる。
「『もう心が折れてしまったようだが』」
そのままフォンズは地面に額をこすりつけるオレを見て、片膝をついた。もう戦いは終わったと言わんばかりに。オレの絶望の表情を見ようと顔を近づけてくる。
奴は魔法名など叫ばずとも、ただ無音の中でオレを殺すことが出来る。
「………てくれ」
「『すまないが、よく聞こえなかった。誰かのせいで鼓膜が死んでいてね。今は風魔法で無理やり音を拾っているに過ぎないんだ』」
「……助けてくれ」
懇願する。その姿にうつぶせに倒れた凛が顔だけを上げて驚愕する。ギルタールが、憤怒に形相を染めてにらみつける。
だが、それらは何も意味を為さない。
なぜなら、すでに決着はついているのだから。
「『なるほど命乞いか。残念だがそれは聞いてやれない』」
「何で……!」
「『期待はずれだったからだ、と言っても分からないだろうな』」
「なら、あの二人だけでも逃がしてやってくれ……! 見てくれ、あの二人、あんなに傷ついて……! オレなんて、ただ逃げ回るだけでまったく傷ついて無い! いっつもそうだ! オレは、いつも……」
オレはいつも逃げて、人を傷つけて、人に傷つけさせている。自分の吐いた言葉が、自分に刺さっている楔を大きく揺らした。別に戦いに限った話じゃない。オレはいつだって、安全地帯から勝利を狙うために狡知を使う。
それは誰がなんと言おうと変わらない事実だ。
「違う、違うよ! ゆーくん!!」
すでに嗄れかけている喉で凛が叫ぶ。
凛もすでにボロボロだ。ああ、オレがもっとうまくやれていれば、こんなに傷つくことも無かったのだろう。
「残念だが、これで詰みだ」
フォンズが零す。悲痛な叫びを受けて、凛に視線を向ける。奴はそのまま先に凛を始末する気なのだろう。だから、すでに戦意を失ったオレを放置して凛に向き直る。
フォンズがオレから、意識を、外す。
――――外してしまう。
カチッ。
金属のはまる音。
雨が止み、ただ静かに風の音だけが聞こえる世界でその音は異質。だが、確かにチェックメイトの一手を打った音だった。
「…………ああ、そうだ。確かに違う」
驚愕に目を見開き、フォンズが自らの首に巻かれた首輪に震える手で触った。
首輪は淡い光を放っている。
オレは震える手をぬかるみに打ち付けると、叫んだ。
「詰んだのはやっぱりお前だ、フォンズ・ヘルブロウ! 奴隷紋を以って命じる! オレたちへの敵対行動を一切禁止する!」
勝負はすでに決していた。
オレが賭けに負けた、とフォンズがそう思い込んだそのときに。
「『どうして……』」
フォンズの声は風を揺らして作られたものだ。だが、その声にはノイズが混じり、彼の声とは似ても似つかない声質に変わっていた。強い動揺が隠しきれていない。
「『どうして、君は……!! 諦めていたんじゃ無かったのか!?』」
「この状況で諦められるわけ無いだろ!? 諦めたら、お前に殺されるってのに!」
泥まみれで言葉を吐きかけるオレに未だに理解できない様子のフォンズは体を震わせた。
極度の緊張から解放されたことで震える声を見栄と虚勢で誤魔化して大見得を切る。そうしないと昂ぶりのあまり意識を失ってしまいそうだった。
「聡明なアンタなら分かるはずだ! ここまでがオレの策謀だ!」
「『まさか、ありえない! 獣人、少女、君、首輪は三つ破壊した! 二つのダミーを含めてもすべて破壊したはず――――ッ!?』」
「気づいたか? オレたちがそれぞれ持ってた首輪。あれは全部ダミーだ! 本物はオレが隠し持っていた。お前に首輪をつける直前までな!!」
さっき凛とギルタールにダミーを渡した時点で、本物の首輪は『持ち物』の中にあり、オレの持っていた物も偽物だ。つまり、あいつは三つの偽物を破壊して安心しきっていたことになる。
「『分からない! 君の作戦は、陽動とハッタリで私をだましつつ、本物を持っている君が私に首輪を付ける! そうだろう!?』」
「ああ、それは間違ってない」
「『だから、私はそれを破った! 最後に君が何かしらの切り札を切って、私に特攻をしてくると予想して!』」
「そうだな。あんたなら、そうしてくれると思ってたよ……!」
オレの言葉にフォンズが口の端を震わせる。
「『まさか、私が君の特攻を読んで無詠唱で対応するところまでが想定内だったと言うのか……!?』」
「オレは予知能力者じゃないんだぞ? さすがにそこまでピンポイントじゃあない」
だが、確かに読んでいた。
フォンズという男はこちらの作戦を読み解き、本命がオレであることまで読んでくる。そして、最後に何かしらの切り札を切って、こちらの作戦を失敗に終わらせるだろうと。
流石に魔法名をまったく言わずに魔法が発現できることは想定外だった。もしあのとき奴が首輪でなく直接オレを狙っていたら死んでいた。
薄氷の上を渡っていたことに、自らの不甲斐なさに辟易する。
「これでもオレはこの数十分の戦いで、あんたのこと相当信頼してんだぜ? あんたなら、きっとオレの作戦を看破して、失敗させてくれると信じてた」
だから、更なる布石を打った。
奴が戦いが終わったと、作戦が終わったと油断したそのときに、賭けたのだ。
意識をオレから外した瞬間に『隠密』を使い、かつ残ったMPで風魔法を行使してやつに音が聞き取られないように空気をかき乱した。
「『そんなもの、結果論だ……!!』」
「ああ、そうだな。戦いなんてのはいつだって結果論のギャンブルだ。オレだってしたくない」
でもな。
「やらなきゃいけないなら、オレはあらゆる手段を使って勝ちに行く」
腕の中から取りこぼさないように。
すべてを掬うという義務をかなえるために。
そして、何よりも自分の贖罪のために。
「もう一度言う。これで詰みだ。フォンズ・ベルロウ」
ここに命じる。
「これから、お前はオレに絶対服従だ」
「『…………この首輪を付けられた時点で、私に選択権は無い』」
諦めたようなフォンズの顔を見て、オレはもう一度地面に背中を預けた。
木漏れ日から日差しが差しこんでまぶしい。
雲は晴れ、幾重にも重なった葉枝の向こうには、太陽が眩しく輝いているのだろう。
肩で息をしながら目を瞑る。
長かった旅がようやく終わる。
空から差し込む光は、オレたちを暖かく包み込んでくれた。
1年かかった戦い(更新してないだけ)




