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88、緩慢たる急襲

驚きの連日投稿。


「どうして……」


 そう男は独りごちた。


 問いたいのはこちらの方だ。


 何故、凶人ギルタール・ゲッコーが空から降って来た。

 どうして奴は地面に叩きつけられて、血だまりを生んでいる。

 何がどう狂ったら、オレがそんな状況の目撃者にならなければならない。

 隣に立つ男がやったのか?

 青白い肌、メガネの奥に覗く紫紺の瞳、無造作に流れる濃翠の髪――――

 思考を数々の疑問が泡のように浮かんでは消え、断片的な情報が飛び散っていく。


「先ほどまではいなかったはずだ……どうして、人がここにいる……? まさか……」


 男は再び疑問を口にした。

 目の前に広がる光景。それは狂気と理解不能に充ちている。


 何故だかは知らないが、やばい。

 直感が、危険を告げる。

 あの男はまずい。明確に形容することは出来ないが、とにかく衝突してはならない。


「君たち!」


 オレの焦燥も置き去りに、メガネの男は明朗に呼びかけた。

 君たち、と呼ぶのは残念なことにオレと凛に他ならない。


「……何ですか」


 できるだけ刺激をしないように返事を返す。


「どうやってそこに隠れていたんだ? さっき私が見たときは人ひとりいなかったはずなんだが……」


 不可解な現象に首を傾げる男。その声音に敵意は無く、あくまで純粋が疑念のみを投げかけていた。

 だがオレの頭はフル回転して、いかにこの場をやり過ごすかを考える。


「……ああ、オレたちが静かに大人しく昼寝してたから、気付かなかったんじゃないですか?」


 ダンジョンの情報はぼかす。相手に情報を与えてはいけない。

 渇いた口がすらすらと嘘口上を垂れ流す。

 オレの苦し紛れの一手にも、男は表情を変えない。


「嘘だな」


 男の迷い無い断言。


「何で、そう思う?」


 一瞬で嘘だと看破され、冷や汗を垂らす。


「寝ているぐらいで見逃すほど、私は注意散漫な魔人じゃないのでね」


 そう言うと、痩躯の男は会心の冗談だと言わんばかりに肩をすくめた。

 何気なく放たれた言葉に、オレの思考が引っかかる。


「……魔人……?」


 奴は今、自分のことを魔人だと言った。


「ああ、そうだ。魔族、と言うと分かりやすだろうか? 君たち人間族の仇敵というやつだ」


 痩躯の男――――もとい魔族の男は、こともなげにそう言い放つ。

 奴の足下では、ギルタールが血まみれで倒れていることなど意にも介していない。目の前の痩せぎすの男が、巨体を持て余した獣人を投げ飛ばしたとは到底思えない。


 だが、もしその正体が魔族なのだとしたら。


「魔族……」


 凛がトラウマを刺激されたのか、苦い顔に変わる。瞳に浮かぶ色は恐怖。そして、不安と絶望が思考を占めていく様子が伝わってくる。


「その魔族さんが、こんな辺境の地に何をしに?」


 努めて冷静に彼へ妥当な疑問を飛ばす。


「……ふむ。君に一つ助言をあげよう」


 流れを切るような彼の言葉にオレも凛も虚をつかれた。


「君の態度は、不自然なまでに自然すぎる。……もし君が何の隠し事も無い純然たる一般人ならば、君はもう少しこの状況を見て慌てふためくべきだ」


 自らが冷静であろうとした結果、棚から牡丹餅どころか爆弾が落ちてくる展開になり、嫌な汗が吹き出た。目の前の存在はただ悠々と世間話をしている体なのに、その存在感は確かな圧力を持ってオレを襲う。


「……昔っから、感情表現が下手だと評判でね。内心では、超絶びびってますよ」


 そんな軽口を返すも、風向きが悪くなり始めた状況は覆らない。


「なるほど。……であれば、君の驚く顔を見るために、少しばかり策を弄しよう」


 『魔力感知』が男の魔力の高まりを認識する。

 そして、男が何をしようとしているのか、オレの馬鹿げた推測が正しければ――――


「凛! 飛び降りるぞ!!」


 凛とともに、十数メートルの高さにある木の洞から地上へと飛び降りる。


「――――『アトモスクーパー』」


 いつしか見た魔法を男は唱えた。

 風の薙ぐような音とともに、何かが切断される音が背後から聞こえた。凛を抱えながら、『空踏(ストライド)』で何とか勢いを殺し、無様に地上に不時着する。

 凛はうまく受身をとって、着地するが、オレだけが受身をとれずに転がった。


「中々の胆力だ。それに、その風魔法は見たことがないな……うむ。面白い」


 男が感心した息を漏らすが、オレはその言葉にゾッとする。

 一瞬でオレが落下制御で用いたものが風魔法だと見抜かれたのだ。オレの魔法はオリジナルだ。当然これを見たことがある人間は一部の者に限られる。少なくとも、魔族に見せたことが無い以上、こいつがこれを知っている道理は無い。

 つまり、こいつはオレの魔法を初見で、しかも一度見ただけでその属性までをも見破った。

 目の前の存在が化け物に見えるとともに、軋んで割れるような轟音が響いた。


「いっ……!!」


 振り向けばこちらに倒れ来る巨木。

 見れば、視界に映る木々のほとんどが根元から切断され、あちらこちらへと倒れようとしている。ゆったりとした動きの巨木は、重力につられて徐々に速度を増す。その一本が、明らかにこちらに向かって倒れこんできていた。


「凛! 行けるか!?」


「うん! 守れ、『ディバインシールド』!!」


 凛の盾で間一髪、倒れた巨木を受け止める。次々と木々が倒れ伏し、撃音と土煙を上げていく。木の葉が舞い、木の枝が弾丸の如く飛び交う。


「結界か。これも珍しい……それに、ほぼ無詠唱……」


 男が一つ一つ、目の前で起きた出来事を確かめるように、口に含める。

 徐々に男の目が鋭くなっていく。先ほどから感じていた危機感が強まっていく。それは、明確な根拠を持たないただの虫の知らせだった。だが、今その直感は現実味を帯び始めている。

 今の木々を倒したのは、男の放った風魔法『アトモスクーパー』。不可視の刃で、裁断する魔法だ。その威力は目の前にある大量の切り株が物語る。


 そして何よりも驚くべきは、


「あいつ、詠唱してねぇ……!」


 目の前の男が無詠唱で魔法を放ったという事実。

 この世界で、無詠唱で魔法を放つことはほぼほぼ不可能だ。不可能なはずだ。バレッタには無詠唱を教える、とは言ったが実現するとは思っていなかった。凛の結界魔法の無詠唱に関しては、彼女の勇者の恩寵、そして術法への類まれなる才能が為せる技のはずだ。


 だが、実際に目の前の男は無詠唱で魔法を放った。

 今しがた起きた事象に、思考が追いついていかない。


 こいつは一体……


「いや、手荒な真似をしてすまなかったな。流石に、君たちを人畜無害な一般人と断定するのは、難しか

ったのでね」


「ゆーくん」


 凛が視線で問うてくる。どうやって逃げるか、と。

 ああ、分かっている。オレだって先ほどから逃げる術を探している。


 だが、


「君たちは何者だ? 一体、どうやってそんなに優秀な魔法を……」


 後ずさるオレたちのことなど意に介した様子も無く、男は無表情ながらに興奮した様子で問う。彼のあまりに緊張感に欠けた態度に不気味さを覚える。


「……ああ、すまない。人に名を尋ねるときはまずこちらから、だったか」


 オレたちの沈黙をどうとったのか、男は苦笑して一人話し続ける。今この状況を、まるで緊迫した状況だと思っていないかのように。


「私の名は、フォンズ・ヘルブロウ」


 男の名は聞いたことが無い。にも関わらず不思議とゾッとしない響きを帯びている。



「――――北の大陸で、魔族を率いる六将軍の一人だ」



「六、将軍……」


 オレが異世界に飛ばされてきた日のことを思い出す。

 心臓が嫌というほどうるさく鳴っている。

 オレたちがこの世界に召還された理由は、魔族との戦争に駆りだすためだ。そして、勇者召還の引き金となったのが魔族側の強力な新戦力。戦争の均衡をも傾け得る、切り札。


 それが、六将軍。


 そんな化け物の中の化け物の一人が、今目の前に立つ蒼白な男。


「……名前ぐらいは、聞いたこと無いだろうか? 流石に、自分で名乗るのはやや恥ずかしい肩書きなんだがね」


 聞いたことがあるどころじゃない。

 オレたち勇者が今「ここ」にいる理由こそが目の前の男を倒すことだからだ。

 偶然にしては出来すぎている邂逅に、オレは吐き気すら覚える。


 ……いや、待てよ。


 違う、そうじゃない。それは「勇者」の目的であってオレの目的ではない。オレは必ずしもコイツを倒す必要は無い。オレは勇者としての使命を全うする気などさらさら無い。魔族と戦う気も然りだ。


 なら、もしかしたら。


「オレの名前は、十一優斗。召還された、元勇者だ」


「…………ふむ。思っていた以上の答えが返ってきたな」


 男は一瞬の沈黙の後に続けた。男の顔に動揺の色は見えず、なおも冷静だ。

 その彼の反応に好感触を得る。


「それで、元、というのはどういう意味だ?」


「簡単だ。オレは勇者を辞めた。めんどくさかったからな。だから、あんたら魔族と戦う理由は存在しない。隣にいるこいつも一緒だ」


 元勇者。この肩書きならば、オレや凛を敵対勢力として攻撃する必要は無いはずだ。

 先ほどからこいつは冷静に話を進めている。あくまで合理的に、あくまで順当な論理に基づいて。さすれば、理詰めで説得をすれば何とかなるかもしれない。

 自分の身分をわざわざ「元」とは言え、勇者と名乗るメリットとデメリットは半々程度だ。メリットは、身分を偽る嘘をほとんどつかなくてよいこと。普通の旅人、などと嘘をつけばそれを突き通すために多くの嘘が必要になる。デメリットは、「元」であろうと勇者ならば殺すと直情的に結論付けられる可能性があること。だが、このデメリットについては目の前の男の立ち居振る舞いからあまり心配しなくても良いと読んだ。


 だからこその一手。どうなる?


「……ということは、君はもう魔族と争う気は無い、と?」


「ああ、そうだ。オレは元々、魔族との戦争に賛成ってわけじゃない。戦争ってのは、互いの正義があってそれがぶつかりあってるだけだ。それに部外者のオレたちがしゃしゃり出て、よくも知らないくせにどちらかに肩入れするのは間違ってる」


 オレの持論に、男は瞑目し、何かを考えるような姿勢で固まった。今のうちに逃げてしまいたいところだが、生憎難しいだろう。


「なるほど、なるほど」


 十分な時間の沈黙を経て、男――――フォンズは本人にしか分かりえない言葉を漏らした。


「……十分だな」


「あ? 何が――――」


「『エアバレット』」


 微小な魔力を感じる。ひゅん、と軽い音がオレの耳を掠めた。

 頬に感じる違和感を手で拭い取る。

 掌にべっとりと付いているのは、血。鮮血。紅血。

 幾度と無く目にしたその色。そして今しがた感じた魔力。目の前の男の言葉――――


「――――だからといって、私が君たちを見逃す理由にはなりえない。いや、だからこそ私は君たちを見逃すわけにはいかない」


 再び、男の魔力が膨張する。それが何よりの答えだった。

 嫌な予感が、絶望が、現実になった。


「凛! 来るぞ、構えろ!!」


 戦闘を回避できなかったことに舌打ちを漏らしながら、凛に防御体制をとらせる。

 男の魔力が具現化する。今度は微小などと言うことは出来ない。むしろ逆だ。莫大な魔力が練られているのが嫌でも分かる。


「『アトモスクーパー』」


「『ディバインシールド』!!」


 男の魔法の発現と、凛の結界がほぼ同時。

 男が風の剣を振るう度、金属同士のぶつかりあう耳障りな音が何度も木霊する。


「ほう……防ぐのか……! そうでなくてはな!」


 男の口の端が嬉しそうに歪む。

 ちっ、もうやるしかねぇのか!!

 掌の魔力を集めて、構築する。


「お返しだッ! 『疾風尖槍(ガストランス)』!」


 風の槍が男に真っ直ぐに飛ぶ。どこまでも真っ直ぐに、標的を貫くために。

 ダンジョンの攻略で鍛えられた魔法は、その威力も効率も段違いに上がっている。鋼鉄程度であればいとも容易く貫ける槍だ。


「悪くない」


 だが、男が振るった風剣の一閃。

 たったそれだけにあえなくオレの魔法は解けて消える。


「だが、足りないな」


 男の余裕に充ちた言葉に、嫌な汗が垂れた。

『アトモスクーパー』はかつてリスチェリカのダンジョンで勇者たちを襲った魔族が使っていたのと同じ魔法だ。あの時は、不可視の剣であるが故の強さだった。

 しかし、目の前の男の使う魔法はそれとは全く別物だ。『魔力感知』で位置が明確に分かるどころか、うっすらと目に見えさえする。それを弱体化と呼べればどれだけ良かったか。


「もう一回! 『疾風尖槍(ガストランス)』!」


 今度の一撃もあえなく敵の剣にかき消される。

 空気の剣でありながら、目に見えるほどの魔力。そして、異常なまでの威力。

 同名の魔法でありながら、ありえないレベルにまで昇華されている。


「まだだ! 『疾風尖槍(ガストランス)』!」


「芸が無い――――ッ!?」


 『疾風尖槍』と称して放たれた『蒼斬(アオギリ)』に男の顔が驚きに歪む。男が『蒼斬』を受けようと無理な姿勢をとる。そこに追撃を加える。

 もう片方の手から『蒼斬』を放ち男の空いた胴体を左側から水のレーザーで切りつける。


「くっ……! 『アトムズシールド』ッ!!」


 再び金属音。一つは彼の『アトモスクーパー』とオレの『蒼斬』が奏でる物。もう一つは、彼の作り出した風の盾と『蒼斬』がぶつかった物だ。

 無詠唱による不意討ちと、必殺の水魔法。二つの手札を切ったにも関わらず、敵には一切のダメージも与えられない。


「無詠唱の奴って、こんなに攻撃通らないのか……!!」


 詠唱無しで魔法が使える者の厄介さを、敵になって初めて実感する。

 くそっ。これまで、魔法使いとの戦いなんて、相手の詠唱中に割り込めばよかった。だが、今回はオレも相手も無詠唱。相手の手は、魔法が発現されるまで分からない。魔法の性能もほぼ互角。相手の魔法に対して瞬時に有利な一手を打たなくてはならない。

 まるで、じゃんけんだ。


「今のは危なかった……! ああ、やはり君はいい!」


 男が興奮した様子でまくし立てる。


「今度はこちらの手番だ。『アリアルーパ』」


 男の魔力が具現化し、白い靄が男の前に現われる。それは水蒸気で出来た霧ではない。


 空気の線。

 それが繭のように編みこまれ、折り重なって、可視化している。どれだけの勢いで空気が流れているのかが一目で分かる。


 靄は徐々に明確な輪郭を得ていき、すぐにその姿を画定する。

 現われたのは、全身が白く逆巻く豪風で出来た狼。


 その数は八体。


 触れただけでも皮膚が割かれてしまうことは火を見るよりも明らか。いや、ここでは風を見るよりも明らかとでも言っておくべきか。


「おい、おいおい……」


 目の前の白狼に籠められた魔力に思わず声が震える。


「君……ユートなら分かるだろうが、忠告しておく。彼らはやや獰猛でね。触れるだけで、君の身体をズタズタに引き裂いてしまうだろう」


「分かってるよ、そんなことは!!」


 オレの叫びに、一瞬で狼たちが飛び掛かってくる。

 その一歩は大きく、そしてどこまでも速い。


「ここは、わたしの結界で……!」


「間に合わねぇ!! とりあえず、逃げるぞ!」


 凛とばらけて駆け出す。


「こっちだ犬っころども! 『風撃(ブロウショット)』!」


 狼たちを引き寄せるために挑発をする。放った『風撃』が何体かの進行を妨げ、こちらへ向き直させる。


「おい、待て! 何で、凛の方にも行ってんだ! ああ、くそっ!」


 八体ともオレを追ってくれればいいものを、二体だけ凛のほうにも行ってしまった。距離が開き、流石にちょっかいを出す余裕も無い。


 とりあえずは、空に逃げる!!


「『空踏(ストライド)』ォ!!」


 だんっ、と地を蹴りそのまま空を蹴った。空まで逃げりゃ流石に追って来ないだろ!


「ああ、言い忘れていた。彼らの本質は風なのでね」


「いっ!?」


 空を跳んで距離をとって安心しようとしたオレの後を、当然のように跳んで追って来る狼が視界に入る。何であいつらまで空走ってんだよ、聞いてないんだけど!!


「『風衝波(ブロウインパクト)』ッ!」


 風の衝撃で風狼共を蹴散らそうとする。

 風で出来ている獣なら、同じく風をぶつければ飛び散る。極めて合理的と思える結論だ。


 だが、合理性は魔法の法外性の前にくず折れた。


 オレの放った風魔法が狼共に食われる。


「は……?」


 待て、何が起こった? 何でオレの魔法が……


 その予想だにしない出来事に一瞬思考が止まりかけるも、死への恐怖がそれを引き止めた。


 あ、ありえねぇ……こいつら、オレの魔法を文字通り喰らいやがった……

 なんつう悪質な魔法だ! 風魔法全部効かないんじゃねぇか!?


「なら! 『蒼斬(アオギリ)』!!」


 追ってくる狼共の首を、『蒼斬』で全て切り落とす。

 流石に首を切り落としたらこいつらも止まるはずだ。


 だが、非情にも狼の足は止まらない。一瞬のうちに首が再生していく。ほつれた糸を編みなおすように、簡単に。

 そのまま一体が懐に飛び込んできた。


「このッ!!」


 重力に任せて無理な体勢に身体を捻り、辛うじて直撃を免れる。


「痛っつ……!」


 二体目の突進を避けきれず、左肩を奴らの爪が掠る。

 血しぶきが宙に雫となって浮かび、そのままオレの頬にかかった。

 三体目、四体目が迫るのを無理矢理な挙動で避ける。踏み込みに使った右足が軋んだ。


「これが風魔法の髄だ。不可視、不可触、そして誰も触れられぬがままに分解する――――」


 フォンズ・ヘルブロウが講師の如く説き始める。だが、それに耳を貸している余裕など無い。

 風もダメ、水もダメ、火は当然ダメ……


「だったら後一つ!」


 土属性なら……!


「『瞬雷』!」


 雷を足に纏い、一瞬で狼たちと距離を開けて着地する。だが、その開いた距離は寸長に過ぎず、すぐに詰められてしまう。


「一瞬の余裕がありゃ十分だ! 閉塞せよ、『岩窟籠(テッラケルカ)』!!」


 敵が一斉に飛び込んできたところで、地面から岩の籠がせり出してくる。そのまま蓋が閉じ、六匹の白狼を閉じ込めた。大地を変形して作った即席の牢屋だ。虫一匹でることは出来ない。


「そのまま沈め! 『アースオペレーション』!」


 『岩窟籠(テッラケルカ)』に狼を閉じ込めたまま、地中深くに沈める。

 相手の正体は空気だ。いくら空気の分子といえど、地中深くに閉じ込められれば出てくることは難しいだろう。


「凛は……!」


 まだ、凛が残りの二体の狼と戦っているはずだ。手の中で魔力を練りながら、探す。


「うっ……」


 急いで視界を見渡すと数十メートルほど先に凛の姿を見つける。右腕にはつい先ほどダンジョンで得た青い短剣を持っている。だが、左腕の甲は真っ赤に染まり、今も地面に赤い染みを作り続けている。

 白狼の牙が、凛に再び迫る。


「凛ッ!! 『見得ざる御手(インヴィジブル・リアクタンス)』!!」


 数秒かけて魔力が直接不可視の手となり、狼の頭を握りつぶす。そのまま、握った拳で、もう一体の狼の胴体を吹き飛ばした。そのまま魔力の手の平で狼の残滓を振り払い続けると、狼はその身体を維持できなくなり消失した。

 一定以上まとまりがなくなると霧散するようだ。


「はぁ、はぁ……あ、ありがとう、ゆーくん……」


「お前、手を見せろ! 『ヒール』!」


 即座に凛の腕を治す。


「こ、これぐらい大丈夫だって! こんなことに魔力を使ってないで……」


「大丈夫なわけあるか!! いいから、黙って治されろ!」


 思わず荒げてしまった声に誰よりもオレが驚く。


「まさか、ほとんど無傷で切り抜けられるとは思わなかったな……自信のある魔法だったのだが」


 フォンズが本当に驚いた様子で声をかけた。そこには未だ緊迫感は見受けられない。ただ底をゆったりと這うような彼の声は場違いに過ぎる。


「……上等だ。アンタは、ここで全力で倒していく」


 目の前にいる男は、本当に殺意を持ってこちらに相対している。ならば、オレたちもこいつを殺す気で向かわなければならないだろう。


 だが、どうやってこいつを倒す?


 オレはまだ、こいつ相手に有効な一打を与えられていない。

 これまで、オレは小手先のあれこれで勝ってきた。だが目の前のこいつには、それらを全てくだらないと切り捨てられるほどの魔法の実力がある。

 火と風の魔法がほぼ無効化されてしまっているのが痛い。選択肢としては、水か土になるわけだが、どちらも奴の風魔法に有効な手立てとなるかと言われれば首を傾げざるを得ない。


 いや、待て。四属性に囚われすぎだ。確かにこれらの使い勝手の良さから、普段は大抵これで何とかなるが、選択肢はそれだけじゃないはずだ。オレが他にも使える魔法は、氷、雷、そして無属性の魔力操作。光と闇はあまり鍛えていないから陽動程度にしかならない。

 なら、氷と雷メイン……特に氷は風を封じ込められる。雷は――――


「あ……」


 一つ、あることに気付く。


「考え事は終わったか?」


「…………ああ、お前を倒す算段は、ついた」


 嘘だ。まだ、こいつを確実に倒すためのメソッドは思いつかない。

 だが、ここで確実に倒さなければオレたちが殺される。逃げる余裕など与えてはくれないだろう。だから、やるしかない。


「『水流弾(アクアシュート)・多段撃ち』」


 大量の水の弾丸を、フォンズに放つ。

 その一つ一つが地面を穿ち、木々に穴を開け得る威力を持っている。


「何かと思えば……『アトムズシールド』」


 だが、当然のようにフォンズの張った防御壁に攻撃が阻まれる。そのまま水の弾丸は、四方八方に散りあちこちに水溜りを作っていく。


「こんな魔法が通ると考えたのか?」


 口では落胆したように言いつつも、何かを警戒しているあたり、非常にやりにくい相手だ。


「ちょっと乾燥してると思ったんでね。『火兎(フレイムラビット)』」


 数十匹の火炎の兎が、水で濡れた地上を駆け回る。当然、大量の蒸気が立ち上り、すぐに視界は白く覆われた。あたりの草地に焔が残り、嫌な熱気が頬を舐めた。


「なるほど、目くらましか。だが、私には下策だな。『ウインドブラスト』」


 突風で一挙に霧が払われる。そうだ、それでいい。


「『沼鰐(フォールイーター)』」


 敵が魔法を発現した瞬間を狙い、彼の足下に沼を作る。


「……私の移動を制限したところで、君に何が出来る? 『エアバレット』」


「『水壁(セレンズウォール)』」


 マシンガンで撃たれているかのような風弾の乱射。オレは耐えるしかない。

 一つ一つ答えあわせでもするかのようなフォンズの言葉にオレは一瞬だけ違和感を覚えるも、そんなことを気に留める余裕も無くすぐに戦いの焦燥に飲まれて消えた。


 フォンズは心底落胆した様子で、オレを見た。


「これで、おしまいか? 君の出せるものは、コレで終わりなのか? そうであれば、期待はずれなのだが」


「残念ながらな。オレは発想力が乏しくてね。お前を確実に倒せるような小手先の技は見つけられなかった」


 オレの言葉にフォンズが目に見えて落胆する。


「……そうか。ああ、残念だよ」


 心底残念そうにフォンズは息を吐いた。


「だから、真正面から潰す。『青斬』」


 唸り声を立てて水のレーザーが疾走する。


「芸がない。『アトムズシールド』」


 フォンズは残念そうな表情を変えることもなく、風の盾でこちらの攻撃を防いだ。無論、オレもそれが通るとは思っていない。


「飛びつけ、『火兎(フレイムラビット)』」


 先ほど発現させた『火兎』の一部で生き残っていたものを、フォンズの『アトムズシールド』に飛び込ませる。一瞬のうちに風の盾が炎上し、火柱を上げた。

 やはり、あの風の盾は気流を高速で回転させている。炎を加えれば安易に爆炎を生じる。


「なるほど、面白い芸だ」


 パチパチと草木の焦げる音の中で、確かに男の声が聞こえた。


「おいおい、それで終わりな訳がないだろ? 『ウォーターボール』」


 掌に巨大な水球を生じさせ、目前の爆炎に投げつける。


「伏せろ、凛ッ!」


 叫んだ直後に、轟音と衝撃が身体を襲った。

 視界が一瞬真っ白になり、耳鳴りが脳を揺らす。

 現象そのものは至ってシンプル。高温の物体に大量の水を加えることで生じる水蒸気爆発だ。火山現象などの一因としても知られるその威力は絶大。一気に蒸発した水蒸気によって生じた膨張が、全てを消し飛ばす。


「流石に効いたろ、六将軍」


 この世界でどれだけ科学の理解が発達しているのかは分からないが、水蒸気爆発自体は不意打ちとして十分な効果を持ちえたはずだ。

 視界は水蒸気に覆われ、目の前の男の影は見えない。


 勝利を確信したオレの頬を、一凪の風が撫でた。

 一瞬のうちに水蒸気が空に吸い込まれていき、視界が晴れる。


「嘘、でしょ……」

 

 凛の顔に絶望が浮かぶ。

 凛に「大丈夫だ」と告げる、オレの顔も決してそんな言葉を吐けるものではなかっただろう。

 ただ、目の前の男を睥睨する。


「面白い。流石に今のは少し効いた」


「嘘付け、ほとんど無傷じゃねぇか」

 

 目の前に佇む痩躯の男。その身体は無傷だ。


「他にも見せておきたいものはあるか?」


 フォンズは心底興味深そうにこちらを窺っている。

 だが、今の一手を無傷で過ごされたオレに次の手は思い浮かばない。


「……悪いが、観衆を沸かせる持ちネタが多くある人種じゃないんでね」


「そうか……なら、残念だが、君たちには眠ってもらおう」


 それで会話は終わりだと言わんばかりに、フォンズは再び魔力を溜めた。

 まずいな、まだかかりそうだってのに。


「凛。後、何枚張れる?」


「……多分、2つが限界」


 オレも凛も、ダンジョン最上層での戦いから完全に回復しないまま戦闘に突入している。そうそう魔力的な余裕は無い。


「なら、十分だ。結界一枚分の魔力は残しておけ。だから、後一枚で頑張って耐えてくれ」


「勝てるの?」


「分からない。正直、賭けだ。オレの魔力も心もとないしな」


 すでにMPは10000を切っている。そして、今も減り続けている。


「せめてもの礼儀だ。君たちに、風魔法の真髄を見せよう。――――解けて、溶けよ」


 詠唱が始まる。


「『水壁(セレンズウォール)三重織(トリオーレ)』」


 水の壁を前に出現させる。無いよりはマシなはずだ。

 そして、待ち続ける。欲しいものが来ることを。


「空は風に満ちている。見ることはできない。その本質は空――――」


 世界から音が消える。


 鼓動の音がうるさいほどに鳴り、脳の中を警鐘音が埋め尽くす。

 スキル『魔力感知』など必要が無いほどの絶大な魔力。それが自らへ向けられている恐怖。

 足が竦む。手が震える。頬が強張る。呼吸が荒くなる。


「空虚なる世界を恨み、届かぬ果てに焦がれる」


 ぽた、と額にしずくが落ちた。


 来た――――


「だが、それでも虚構を貫こう――――」


 詠唱が終わり、世界から音が消えた。


「――――『ホロウズ・エアト』」


 突風が吹きぬける。強い風に足下が揺らぐ。

 だが、それは魔法の余波に過ぎない。


 一筋の風。風に過ぎないそれは、だがしかし実体を持ち、真っ直ぐとオレたちに向かって突き刺さる。


 一瞬で三枚の『水壁』が分解される。風に優しく解きほぐされ、そのまま消えていく。

 すべてを解きほぐす風。それこそが風魔法の本質、極地。


 ぽた、ぽた、と強風の中で徐々に身体に雫が降り注ぐ。


 ようやく、待ち望んでいたものが来たッ!


「くぅ……」


 凛の結界さえも徐々に分解されていく。


「凛! 何とか耐えてくれ!」


 そう言っている間も、徐々に空から降り注ぐ雫の量は増え、突風と相まって降りしだく。


「もう、無理ッ……!!」


 視界は、風と天上からの雫に覆われ、すぐ先の男の存在がぼやける。

 凛の結界は見るからに色が薄まり、確実に分解され、消えて行っていることが分かる。恐らく二枚分の魔力をもう使い切っているだろう。


 まさか、ここまでの威力を持った魔法を放つとは予想だにしなかった。


「凛。大丈夫だ」


 篠つく雨の中、オレは彼女の肩に手を置く。


 よく、耐えてくれた。


 瞬間、視界が白く染まり、直後に耳を轟音が劈いた。


「反撃開始だ」


 暴風雨の黒雲の下で、オレは一人口の端を歪めた。

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