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86、最上層に這う者【後編】

お久しぶりです。


 天井が音を上げて崩れ落ちてくる。

 否、正確には天井の大量の水晶がとめどなく降り注ぐ。

 否、それを水晶の雨と呼ぶには語弊があるだろう。

 人の身体を優に超える大きさの塊がいくつも天井から身を投げては、飛び降り自殺さながらに自由落下してくる。そしてその自由落下に巻き込まれるのは他でもないオレたちだ。

 視界をうめつくすきらめきが迫ってくる様は、美的讃嘆を呼び起こすよりも先に、本能的恐怖を煽った。


「あのクソ蠍! このまま水晶でオレたちを生き埋めにする気だ!」


 壁に張り付き悠々とこちらを観察する蠍に悪態をつく。

 脳裏をちらつく悪夢から目を逸らすために、口先で虚勢を張る。

 その間にも天井からは数々の水晶が落下してきており、オレたちを潰すサイズのものが堕ちてくるのも時間の問題だ。


「ど、どうするのゆーくん!?」


「殺せるかどうかは分からんが、倒す方法は思いついた!」


「じゃあ、それやって!」


「やりたいのは山々だが、できるだけ蠍に接近したい!」


 距離が離れていて効果があるのか分からない。


「じゃあ、どうするの!?」


「空を飛んで近づく! サポート頼む!」


「気をつけてね!」


「後、オレが合図したら自分の周囲を結界で囲め!」


「え、何で?」


「そうしないとお前まで巻き添えになる可能性があるからだ!」


「わ、わかった!」


 凛に念押しをすると、オレは蠍に向かう。


「『空踏(ストライド)』! 『風衝波(ブロウインパクト)』!!」


 空を跳び、風の塊をぶつけて水晶を避ける。大きすぎる水晶については凛が結界で、位置と落ちるタイミングをずらしてくれている。

 蠍が向かってくるオレを見つけ、カチンカチンと鋏を鳴らした。

 口を開き、水晶を放とうとする。


「それを待ってたッ! 『瞬雷』!」


 空中で雷を纏い、一気に距離を縮める。急な接近に水晶蠍が慌てて結晶を口から吐き出した。

小回りはオレの方が利くんだっての!


 背中に回り、魔力を練る。

 敵は蠍だ。蠍は変温動物であり、外界の気温に体温や代謝能力が大きく左右される。もし極度の低音状態になれば活動できなくなり、最悪の場合心臓が止まる。魔物といえど、ここまで原生生物に類似した形状をしているんだ。同様の性質を持っていると見ていいはず。

 加えて奴の身体には大量の水晶。甲殻は金属並の硬度。水晶や金属の熱伝導率は非常に高く、温度が変わりやすい。


 つまり、極冷してやればこいつは動けなくなるはず!


 北風と太陽では、旅人の服を脱がせるために温度を上げたが、今度は逆のことをすればいい。


「火力が不足してるなら、さらに減らしてやれってな。凛、結界張れッ!」


 そしてそれにはとっておきの魔法がある。

 脳裏に浮かぶその魔法名を叫ぶ。


「永劫の氷牢に凍てつけ! ――――『白銀色ノ罪人棺(フローズン・グレイヴ)』!!」


 練られた魔力が放出され、瞬きのうちに白銀の世界が顕現する。

 そうして、蠍は熱を奪われ、その活動を停止する。


 そのはずだった。


「なっ……魔法が、出な――――ッ!!?」


 オレの叫びを遮るようにして衝撃が全身を襲った。

 一瞬で視界があらぬ方向へ飛び、宙に投げ出される感覚を得る。


「ゆーくんッ!!!」


 揺れる視界の中で、少女の叫び声が耳を劈いた。

 空中を舞いながら、蠍の鋏に叩き落とされたことを理解する。だが、その理解を最後にして徐々に視界が眩んでいく。


「まだ……終わってねぇ……」


 自らにそう言い聞かせて、飛びそうになる意識を何とかつなぎとめた。

 空中で姿勢を持ち直しながら、額を伝う血をぬぐう。着地をして深呼吸をした。

 思考が一瞬のうちにクリアになる。

 焦らずにステータスを確認。MPに問題はない。『白銀色ノ罪人棺(フローズン・グレイヴ)』のMP消費は10000程度。今のMP量であれば三回は使える計算だ。


「何で使えない……!」


 落ちてくる水晶を魔法でいなしながら、自分が使えるはずの魔法が「使えない」という初めての感覚に混乱する。勿論そんなことに困惑している時間など無い。すぐにでも次の手を考えるべきだ。だが、全幅の信頼を置いていた魔法に裏切られたという事実に、思考がトラップされる。


 何が原因なんだ……!


「ゆーくん! 避けて!」


「っ!?」


 思考にリソースを割きすぎたせいで、蠍の攻撃に気付かなかった。

 間一髪のところで凛の結界が間に合い、オレはノックダウンを免れる。


 あ、危ねぇ……凛がいなきゃ今頃――――


「おい、凛ッ!」


「――――え」


 凛が途切れたような声を上げると同時に一際大きな轟音が部屋を反響した。


 輝く硝煙の中、凛が立っていたはずの場所に、巨大な水晶が突き刺さっている。


 その事実に思考が、止まる。


 止めてはいけないと分かっていてもなお、緩やかに、だがしかし確実に思考が死んでいく。


「凛ッ!!!」


 返事は、ない。


 平衡感覚が失われていく。


 嘘だ。


 その言葉だけが脳内を反響していく。


「お、い……凛! 返事しろよッ!!」


 水晶の破砕音にかき消されながらも、喉を裂くようにして声を引き絞る。

 指先の感覚がない。


「おい、嘘だろ? いや、そんなわけ無い。は? 待ってくれ……おかしいだろ!!」


 停止した思考は理解を拒む。

 元気な声は、返ってこない。


 世界から音が消えた。


「何で……」


 頭上に迫る水晶を魔法で払いのける。

 ほぼ無意識の行動だった。


 世界から色が消えた。


「は、はは……」


 あたりを埋め尽くす水晶の群れにオレは笑いを零す。


「ははははっ!! 何も変わってない!」


 目の前の光景も、自分自身も。


「あの時からッ! 春樹が死んでから何もッ!!」


 春樹を見殺しにし、エルナを救いきれず、今、目の前で自分のせいでまた一人の少女があっけなく死んだ。


「結局、」


 腹の底からわきあがるドス黒い感情。

 名前を付けるための機能はすでに失われてしまっていた。


「結局、何も掬えない……全て、取りこぼす……!!」


 オレは結局何も変わっていないじゃないか。

 誰かを救えたと、何かを守れたと、そう驕りたかぶって。

 その本質は何も変わらない。

 自分の抱え込んだものを、守れてやしない。


 オレを見た蠍が口から『水晶化線』を吐き出す。


「『ファイアレイ』」


 熱線でかき消す。

 口から、呪詛がこぼれる。


「永遠の氷牢の中でもがき続けろ。夢現もろとも、凍てつけ。それがお前の罪で、お前の受ける罰だ――――」


 吐く息が白く濁った。


「『白銀色ノ罪人棺(フローズン・グレイヴ)』」


 願っても出てこなかったはずの魔法が、一瞬で世界に顕現した。


 きらめきを放っていたはずの世界が、一瞬で白銀色の棺桶に変貌した。


 凍てつき、銀色に染まった地面に足をつける。

 先ほどまで精力的にこちらを殺さんとしていた蠍は、白く染まり、壁に貼り付けられたままピクリともしない。氷の中で生きているのか死んでいるのかすら分からない。


 だが、それら全てがどうでもよかった。


 終わった。そんな実感も沸いて来ない。虚無という言葉がしっくりくる。

 呼吸のために吐いた息が、白く染まる。


 この世界には、音も、色も無い。


「どうすりゃ、いいんだよ……」


 罪を贖うために、罪を雪ぐために、オレは旅をしていたはずだ。

 だが、歩みを進めれば進めるほど、取りこぼすものは増えていく。

 罪を贖うどころか、罪が増えていく。


「……どうすれば、正解なんだよ……」


 声は白い息に溶け、何も無くなった世界に混じっていく。


 元気な声は、もう、返ってこない。


「……」


 凍りついた水晶は鏡面のようにオレの顔を映し出した。

 その仄暗い表情に、何の感情も沸いて来ない。


 結局、独りだ。


 オレはどうしたって、どうあがいたって、この白一色の単調な世界でただ独りなのだ。

 ぼんやりと、ただ自分の顔を見つめ続ける。

 けれども何の答えも浮かんでは来なかった。


「……このまま、続けるのか」


 オレの贖罪。この道を進んだ先に、本当にオレの求めるものはあるのだろうか。


「オレの、求めるもの……?」


 ふと沸いた思考に訳のわからない単語が混じった。

 それが何かを考えようとするとノイズが思考をかき乱す。


 救えたと思った。

 バレッタを、ソフィアを、そして彼女らにまつわる人々を。少しでも、一握りでも、救えたと、そう驕っていた。

 違った。

 彼女らを救えたのではない。取りこぼした数多くの中で、たまたま彼女たちが手の中に残っていたに過ぎないのだ。


「もう、やめるか……」


 それが、正解なのかもしれない。これ以上罪を重ねて、誰かの命を借りとり続けて、一体オレの生に何の意味があるのだろう。


 足下に転がった尖った水晶を手に取る。

 首元に、水晶を当てる。

 ひやりと、冷たい感触がした。


「これを突き立てれば、それで終わり、か」


 呆気ない。

 それほどにオレの価値はくだらないものなのだ。

 逆に今までどうして生きようと思えたのだろう。醜く、惨めな、オレのような奴が、どうして。


「…………」


 無言のまま、首に水晶をつきたてようと腕に力を込める。


 震えている。


 それが自分の手の震えだと気付く。

 理由はきっと、寒さではないのだろう。

 それが何故だか無性におかしかった。


 目を瞑り、腕に力を込める。




 カァン、という乾いた打撃音がオレの鼓膜を叩いた。


 誰もいないはずの世界で唐突に鳴らされた音に驚き、手の中の水晶を落としてしまう。


 再び同じ音が鳴る。

 規則的に、乾いた音が鳴り続ける。


 失われたはずの世界に、音が灯る。


「あの蠍か……?」


 いっそあの化け物が無事であれば、オレを殺してくれればいい。手間が省ける。

 生きているのかと上を見上げるも、相変わらず壁に張り付いたままでびくともしていない。


 音源は……


 全てを諦めたつもりだったのに、それでもなおオレの思考は理由と答えを求め続けていた。


 見つけた。

 一際大きな水晶の刺さっている場所だ。


 そして、そこは先ほどまで凛がいた場所に他ならない。


「まさ、か……」


 急いで駆け寄り、水晶に張った氷の膜を解く。

 パキッ、と乾いた音とともに大きな水晶が割れて崩れ落ちる。


 氷晶と水晶の混じる粉塵の中で、人影が揺らめいた。


「…………いやー、水晶が中々かたくて大変だったー!」


 元気な声が白い世界に反響した。


「って、うわ! なんかすごいことになってる!」


 能天気な声を上げるポニーテールの少女。


「……」


「あれ、ゆーくん? どしたの?」


「り、ん……」


「うん? たしかにわたしは凛だけど……」


 その行動はほぼ衝動的に起きた現象だった。


「――――って、え、えぇえ!? ちょ、ちょっと!?」


 気付けばオレは凛を抱きしめていた。


「良かった……良かった、無事で……!」


「ちょっと待ってゆーくんそんないきなり大胆……え?」


「本当に、良かった……」


 手が震えている。凍てつき無色となった世界で、唯一少女の色だけが存在している。

 気付けば、失われた世界はオレの下に戻ってきていた。


「……お前まで取りこぼしたら、オレは……!」


 その先の言葉は紡がない。紡げない。なぜなら恐ろしいから。

 今、自分が選ぼうとしていた選択が、恐ろしい。


「……だいじょうぶだよ。ゆーくん……優斗」


 凛がオレの背中を優しく叩く。


「言ったでしょ? わたしがゆーくんの分もゆーくんを大事にするって」


「言ってたな、そんなことも……」


 ぼんやりとした思考の中、記憶を手繰った。


「そ! だから、頼まれてもゆーくんから離れたりしないよ!」


 そう宣言すると凛はオレを強く抱きしめた。


 ……なんで、こいつは、ここまで……


 どうして……


「……いや、流石に、頼んだら離してくれ……」


「何でそこで引くの!?」


 軽口を叩ける程度には冷静さを取り戻す。

 彼女の明るさ、たとえそれが偽りのものだったとしても、それによってオレは救われてきたのかもしれない。救われる価値など無いはずのオレが。


 何も救えない、オレが。


「行こう、凛。急に抱きついて悪かった」


 彼女から身体を離し、そう声をかける。


「わたしとしてはもうちょっとこのままでも良かったんだけどねー」


 にへら、と凛がだらしなく笑う。


「………………寝言は寝て言え。こんな寒いところでいつまでもいられるか」


「割と本気だったんだけどなー」


 頬を赤くしながら、そうのたまう凛にオレはいつものように肩を竦めようとして、そのまま仕方なく苦笑を返す。


 彼女の頬が赤いのも、寒い場所にいるせいだろう。

 そうやって、いつものように理由付けをして目を瞑る。


 分かっている。

 こんな、脆弱で、浅薄で、愚昧な鎧が保つわけが無いと。もう、とっくのとうに亀裂が入っていることなど分かりきっている。

 まぶたを閉じていても、なお目を焼く光に心が動かされていることも。

 耳を塞いでいても、なお耳朶をくすぐることを已めない声に意思が揺らいでいることも。


 でも、仕方が無いだろうが。

 オレがどれだけ揺らごうと、オレの意思がどれだけ脆弱であろうと、突き刺さった楔だけは厳然として抜けてくれはしない。むしろ、まるでうめくようにして怨嗟の声を上げ続ける。


 だから、これまで通りだ。

 これからも、オレは盲目に歩み続けるしかない。

 抱えたものを、全て掬いきるために。


 それがオレの歩むべき道だと信じて。


ゆーくんのメンタルが心配ですね。

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