81、救われたもの
お久しぶりです。
「気が済むまでゆっくりして行ってくださいね」
「あ、ありがとうございます」
ソフィアの母親、フェノの言葉を受けて恐縮する。
なんやかんやで狐人族の集落にたどり着いてから一段落。既に日は暮れ、パチパチと暖かい火が頬を照らす。
先ほど食べた豪華な晩餐が尾を引いている。なんとも腹の辺りが重い。
ソフィアの帰還は両親だけでなく村中で喜ばれた。その喜びはとても小さいものではなく、ソフィアの家に大量の祝い品が届くほどだ。無論、その大半は食べ物で本日の晩餐になったわけだが。
総人口が1000もいないような小さな集落だ。なるほど住人間の結びつきは否が応でも強くなる。そ中の誘拐されたと思われていた少女が帰って来たのだ。集落の盛り上がりは推し量るべきだろう。
そして当然というか何というか、その娘を助け出したのが人間だというのだから野次馬はさらに沸くわけで。
「ねぇねぇ、人間のお兄ちゃん! 普段は何してるの?」
「旅のお話とかしてくれません!?」
「あ、あの……ソ、ソフィアちゃんと、どういう関係なんですか?」
めんどくせぇ……
子供や大人の狐人族数人がオレに群がるようにして質問を飛ばしてくる。
凛を囮に……もとい凛に助けを求めようとするも、彼女も同じように質問攻めにあっておりダメだこいつ使えない。
普段から娯楽や事件に乏しい閉鎖的な集落において、珍しい人間族が身内を悪者の手から救い出してやってきたとなれば、そりゃ誰もが食いつく。
ちょっとした英雄譚に心を躍らせる、と言ったところか。
生憎、オレは英雄なんてものとは程遠く、そこらへんで「武器は装備しないと使えないぞ」とかのたまうことを生業にしている方が性にあっているのだが。
「お兄さんが困ってるじゃないですか! 質問は順々にお願いします!」
オレが困り果てていると、奥からようやくソフィアが助け舟を出してくれる。いいぞソフィア。そのまま整理券でも配布してこいつらを上手く捌いてくれ。
どうやら家事の手伝いがひと段落付いたらしいソフィアは今度は忙しく村人を捌く。
こんなときまで働かなくてもと提案したが、本人曰く「いつも通りのほうが落ち着きますから」とのこと。何か作業をしていたほうが気が休まるのかもしれない。確かに、急に腫れ物のように扱われても複雑だろう。
「ソフィア、パス」
オレが雑に振るとソフィアは苦笑を漏らした。
「ねぇねぇ、人間のお兄ちゃん! ソフィアちゃんの何処が好きなのー!?」
「……へ!?」
狐人族の少女が漏らした質問に、ソフィアが素っ頓狂な声を上げる。
こいつこんな声も出すんだな。
「えー、だって。物語とかだと、女の子が主人公の男の子に助けてもらって、二人は恋に落ちるものでしょー? 違うの?」
「ち、違います! そんなんじゃありません!」
ソフィアが赤面しながら、童女の発した無邪気な質問を全力で否定する。
え、そこまで全力だと流石にお兄さん傷つくんだけど。
まあ、逆にしなを作られても困るわけだが。
オレに幼女趣味のきらいはねぇ。
「つまんなーい」
「面白くなくていいんです! だ、大体、私なんかじゃお兄さんに釣り合いませんし……」
自分で言ってしょぼくれるソフィア。
その感情豊かな様子を見てこれが彼女の本来の姿なのだと思う。自分の居場所に帰ってきて、ようやく本来の自分を出すことができているのだろう。
「そんなことないぞ。ソフィアは可愛いし頭だってよく回る。それに家事も出来るし気遣いが出来るんだから、引く手数多だろうに」
むしろオレがもし仮にこいつと恋仲になったら各方面に大ブーイングを喰らうまである。
お前なんかにはもったいない、と。
「え、あ、その……ありがとう、ございます……」
急に声が小さくなったソフィアはそのまま顔を逸らしてしまう。
いや、そんなに照れなくても。オレとしちゃ事実を述べたまでなのだが。
「なになにー! ゆーくんの恋バナ!?」
「どうしてそうなった!」
凛がいつの間にやらオレの隣に座り、茶々を入れてくる。
「いやー、ゆーくんは鈍感朴念仁だからね。陥落させるのは大変だよー?」
などと、ソフィアを含めた狐人族の少女たちにご高説を垂れる凛に心を込めてアイアンクローを贈呈する。
「まー、わたしはそんなゆーくんがいいんだけどねー」
さらっと漏らした凛の言葉に周囲が沸き立つ。なお、アイアンクローを喰らった状態で発した言葉のため何とも説得力に欠ける。
またこいつは面倒になりそうな言葉を吐きやがって……
こいつはあっけらかんとそういった言葉を吐き出すため、なかなか心穏やかではいられない。
きゃーきゃーと色めき立つ観衆をソフィアが何とかいなしている。
ここに来ても苦労しているようだ。
そう思って小さく笑う。
だが、その苦労はこれまでのそれとは全く違う。
きっとそれは、この数ヶ月間、彼女がどれだけ望んでも得られなかった苦労だろう。
その後も、オレと凛は注目の的になり続け、質問責めにあった。
その間苦笑が交じりながらも、ソフィアはずっと笑っていた。
笑えていた。
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「あー……疲れた……」
喉から出る言葉は濁りを含んでいる。
あれから二時間近くも狐人族の人たちにもみくちゃにされ続けた。流石に堪える。
見れば凛は布団にも入らずに床で眠りこけている。
女子力……
そんな単語が頭を過ぎり、オレは思わず笑いを零した。
「お兄さん?」
「……ん、ソフィアか。ご両親は?」
人が去り静かになった居間で、寝巻き姿のソフィアに声をかけられる。
「奥で後片付けをしてます」
「そか。お前は行かなくていいのか?」
「私がいると二人の仕事が無くなってしまうらしくて。頼むから休んでてくれといわれました」
冗談めかした彼女の言葉に思わず笑うと、彼女もそれに追随した。
これもまた新しいソフィアの顔だ。
「それが、本当のソフィアなんだな」
「え? なんですか?」
「いや、笑顔が増えたな、って」
首を傾げていたソフィアの耳が動いた。
尻尾が左右にゆったりとゆれ、言葉を選ぶようにして話す。
「お兄さんが、いてくれたからです」
「そうか? 案外、オレなしでも上手くやってのけたかもしれないぞ?」
「いいえ。……レグザスで、私は死んでましたから」
ゾッとしない文言にオレは眉をひそめた。
「奴隷に落とされて、どうしようもないくらいに辛くて。恐くて、痛くて、悲しくて、絶望していました」
ソフィアが、奴隷だったときのことを面と向かって話すのは初めてかもしれない。
今ここが彼女にとって本当に安心できる場所だからこそ、その心中を吐露する気になったのだろうか。
「そうして、絶望した私は一度死にました……でも、そのときエルナちゃんが私に命をくれました」
その言葉は厳密には事実ではないだろう。
ソフィアは死んでいないし、エルナに死者を救う力は無い。
けれど、奴隷になり、彼女の中で一度「ソフィア」という少女は死んだのかもしれない。そして、その後も死に続けるはずだったのかもしれない。
哲学者のキェルケゴールは、絶望を死に至る病と呼んだ。まさに彼女は絶望して、「死」に至った。それを心の死、と呼ぶのはやや安直だ。
だが、その絶望の淵から救い出してくれたのが、エルナだ。
「結局、私はエルナちゃんから命をもらうだけもらって、あの子に何もしてあげられませんでしたけどね」
自嘲と悲壮。
振り切ろうとした過去に追いつかれて、苦悩する。
そんなことはない。
そう、言いたい。
けれども、オレにそれを言うことはできない。
オレにだけは、決して。
だから、
「エルナは、間違いなくお前のことを親友だと思っていたはずだ」
ソフィアはオレの言葉に目を丸くする。
オレが吐く言葉がそんなに意外だったのだろうか。
彼女は悲しげに笑った。
「知ってます。誰よりも」
鈴を転がすような声が、ただ淡々と「彼女」の思いを告げる。ソフィアは、エルナの思いを知っている。エルナがどれだけソフィアを大事に思っていたかも、そして、どれだけ母親を焦がれていたかも。
それら全部を、ソフィアは知っていると断言したのだ。
そこに横たわるのは決して途切れることの無い友情だ。
「ああ……そう、だな」
数瞬の静寂。
先に沈黙を破ったのはソフィアだった。
「そして、本当であれば私はまた死ぬはずでした」
彼女はなおも彼女の物語を語る。それを語ることが自分の義務であるかのように。
「でも、また救われました。他でもない、お兄さんとリンさんに」
救われた。掬われた。
彼女は、そう言った。
「そう、か」
いつもの軽口は鳴りを潜めた。
いやいや、オレなんて何もしてないぜ? 気弱に逃げ惑ってただけだっての。
とは、言えなかった。
ソフィアの表情は、オレのそんな言葉を許さなかった。
上気した頬は彼女の白い肌を紅く彩る。
世界から音が消え、視線が交差する。
ソフィアは、また、笑った。
夢の世界に迷いこんだかのようにその笑顔は幻想的で、思わずオレは目を閉じてしまう。その眩しさに目が焼かれてしまいそうだった。
パチ、と焚き火の鳴く音がオレを現実に引き戻す。
「ああ、そういえば」
「ん?」
声の調子を変え、ソフィアが手を叩いた。
すでにソフィアもオレも幻想の世界から舞い戻ってきている。
「何で私がお兄さんのことを名前で呼ばないか、って気付いてますか?」
ぴこぴこ、と動く耳からは悪戯心を感じるようだ。
「……そういや、凛は名前で呼んでるのに、オレのことは名前で呼ばないな……」
確かに、ユウトさんともトイチさんともクソニートとも呼ばれたことが無い。
「まだ、私がそこにいないからですよ」
「……はい?」
意味の分からない文言にオレは阿呆のように首を傾げるばかりだ。
「……待っててください、とは言いません。私が、追いついてみせます」
「いや、ちょっと待て。何を言ってるか、オレにも分かりやすく説明してくれ」
「リンさんも、うかうかしてないでくださいね。リンさんには感謝していますけど、これとそれとは話が別なので」
ソフィアの言葉を受け、眠っていた……はずの凛がびくっと肩を跳ねさせた。
いや、起きてんのかい!
「だから。そのときまでは、お兄さんはお兄さんです」
「ん? お、おう。まあ、何だ。結論が出たならもういいや」
考えても無駄そうな事案と考え、オレは早々に思考を放棄する。
ま、考えても得られる結論なんて高々知れている。
いや、知らないけどな。
「というわけで、お兄さん。一緒にお風呂に入りませんか?」
「えっ!?」
オレより先に凛の悲鳴が上がる。
反応早すぎ。
勇者の反射神経を無駄に活かした反応に思わず苦笑を漏らす。
「ちょ、ちょっと待ってソフィアちゃん! 今の話から何でそういうことに!?」
「誰も今からアピールしないとは言ってませんよ」
「だ、ダメだって! あ、わたしも同伴させるならいいけど!」
「オレは全然よくないんですけど」
そんなバカ騒ぎをしている最中も、焚き火は暢気にその声を上げていた。
ぱちぱち、と。




