80、再会と到達
短めですが、区切りが良いということで。
デックポート集落を出て、三日が経った。
ギルドの受付嬢の言うように、オレたちは泥や根などに足をとられながらも歩みを進めた。
意外なことに、徒歩での移動で一番疲弊が少なかったのはソフィアだ。やはり獣人、根からのスタミナと悪路での歩行には自信があるらしい。
途中で魔物と出くわすこともなく、無事にその巨木の下にたどり着く。正確には巨木と思われるもの、だが。
目の前に建つのは天まで聳える木の壁。遠目に目印として歩いてきたが、近づいて見るとその巨大さには目を見張らざるを得ない。
「大きい……」
凛の思わず漏れたような吐息に、オレも頷きを返すばかりだ。
ラグランジェ要塞の壁が横に長かったのに対して、この王樹は縦に異様に長い。それこそ、当然の如く上のほうはもやに霞んでよく見えない。
仮に晴れていたとしても消失点まで伸びていそうだ。
この世界のモノの埒外な大きさに嘆息しつつ、オレは周囲をくまなく見渡す。
先ほどまで、踏み分けなければならないような鬱蒼とした森林を通ってきたにも関わらず、王樹の周辺だけはやけに開けている。だが、それも当然だろう。王樹の枝についた葉の天蓋のせいで、下にはまず日光が届かない。さすれば、そこで高木が育つことも難しい。
だからこそ、薄暗い中で、王樹の周辺だけが不自然に木が少ないのだ。
まさに、王が身辺に仕えるものを選別しているかの如く。
その存在感に圧倒され、王の名を冠された樹をひとしきり眺める。
「ん……?」
ふと視界の端に止まった切り株に目を向ける。
そう、切り株だ。
見れば、木々に紛れるようにして切り株が点在しているのが見える。
その意味は明白。
ここに人がいて、住んでいたということだ。
これだけ大量に樹木がある状況でわざわざこのあたりまで木を伐りに来る酔狂な輩はそういないはずだ。さすれば、このあたりに誰かが住んでいたと考えるべきだろう。
だが、
「……現状、感知できる範囲に集落は無いな……」
『空踏』で上空に上がりあたりを確認するが、集落らしきものは見当たらない。木々に隠れて見えないところも多々あるものの、少なくとも火の気配や人の姿は見つからなかった。
「参ったな……やっぱりソフィアの集落は既にいなくなった後か」
「……人の気配もしませんね」
ソフィアに凛も一緒になって首を振った。
どうやら、狐人族の集落は既に移動してしまったらしい。
王樹の周辺には確かに人の暮らしていたであろう痕跡が残っているが、それが一週間前の物なのか、それとも一ヶ月前のものなのかは判別できない。
「んー……困ったな……」
とりあえず王樹に来て、どこへ行ったか分かればよかったんだが、どうにも手がかりが無さそうだ。
食料は十分にあるが、この森の中を闇雲に探すのはややリスクが高い。
一旦、デックポートに戻るか……?
そんな風に今後の方針を勘案していると、
「誰っ!?」
凛の鋭い声が思考を断つ。
すぐに意識を外界へと戻し、凛の見据えるほうを見やると、そこに立つのは一人の男性。
ゆったりとした服装は和装の礼服にも似ているが、その機能性や通気性の高さは恐らく実用性を重視した略服だ。男は紫紺の狐耳を揺らし、ただそこに呆然と立っている。
狐人族……?
「嘘……だ……まさか、そんな……」
男の目に宿る色は驚愕。そして、様々な感情が現われては消え、百面相を呈す。
「まさか、こんなことが……!」
一人、男が感極まった声をあげ、手を振るわせた。
あ、何だ?
だが、その理由はすぐにオレの隣にいた少女から発せられた。
「お、父さん……?」
震える声で、ソフィアが確かめるように語りかける。
その声を聞き、男は唇を振るわせて叫んだ。
「ああ、そうだ!! ソフィアッ!! 良かった! 良かった、無事でッ!!」
そのやりとりを聞き得心が行く。
なるほど、彼がソフィアの父親らしい。
涙を流し思わずその場に膝を付くソフィアの頭にオレは手を置いた。
良かった。幸運が廻り、彼女の父親と森の中で遭遇できた。僥倖といわずしてなんと呼ぼうか。
だが、瞬間にして返って来たものは胸を衝く衝撃だった。
「かはっ!!」
突然の衝撃に肺の息を吐き出す。
視界がチカチカと明滅し、今しがた起きた状況の把握に脳が回転する。
「ゆーくん!?」
「娘から……ソフィアから離れろ、人間ッ!!」
凛と男の声が重なってオレの耳朶を叩く。
だが、オレが次の行動をとる前に、殺気が背筋を撫でた。
「くっ――――はっ――――っ――――」
オレの体が宙を浮く。
まるで見えない手に掴まれたかのような圧迫感を首に感じ、呼吸が阻害される。
1m近く持ち上げられ、空中で一人苦しみもがく。
地に足が着かない。
「っ――――っ――――」
「ま、待ってください!お父さん!」
なんだよこれっ!! くそっ、触れねぇッ!
確かに自分を掴むナニカを感じるのに、いくら首元のそれを払おうと、オレの手は虚しく宙を掻いた。
手足を空中で無様に振りながら暴れる。
見えない圧力が消えることは無い。
気道を占められ着実に体から酸素が抜けていく。
やばっ……意識が……
「はぁッ!!」
涙で霞む視界の中、凛が男に強烈な回し蹴りを放つ。
男は凛の攻撃が予想外だったのか、辛うじて片腕で防御をするとそのまま転がった。
「がはっ……っはぁはぁ! っはぁ、はぁ!!」
地上に無造作に放り出されたままに口で呼吸を繰り返す。
肺が、身体が酸素を欲していた。本能の赴くままに咳と荒い呼吸を繰り返し、地面に生えた草を土ごと握りしめた。
ぞっとする。後もう少し凛の助けが遅ければオレの意識は刈り取られていた。
口の端から垂れた涎を拭い、ふらつく足で立ち上がりながら男に掌を向ける。
男は地に伏せながらも殺気のこもった目でこちらをにらみつけた。
一触即発。きっかけがあれば戦いは免れない。
「待ってくださいッ!!」
その緊張状態を破ったのは、樹海の木々を揺らさんばかりのソフィアの叫びだった。
「お父さん! やめてください!!」
ソフィアがオレを庇うように両の腕を一杯に広げてオレの前に立った。
その光景を見て男が絶句する。
「ソ、ソフィア……一体、何を……」
「この人たちは私を助けてくれたんです! 私を攫っていった悪い人間たちとは違います!」
「まさか、そんな……」
「お願いします! この人たちにこれ以上迷惑かけたら、もう、どうやって返せばいいか分からない……!」
喉をからしながら叫ぶととソフィアは泣き出してしまう。
愛娘の悲痛な叫びを聞き、男……ソフィアの父親は気まずそうにその狐耳を下げた。
泣きじゃくるソフィアを見て、オレも凛もバツが悪くなりお互いに手を下げた。
ただ木漏れ日の中で、少女の泣き声だけが悲痛に響き渡っていた。
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「本当に申し訳ありませんでした」
目の前でジャパニーズ土下座を決め込む男性。
隣ではソフィアの母親が正座をして座っている。その膝の上で寝ているのはソフィアだ。
こちらの世界でも最大級の謝罪は土下座で示すものなんだな、と一人で勝手に納得していると、その態度を勘違いされたのか彼はさらに頭を地面にこすり付けた。
「娘を助け出してくれた恩人だとは知らず、無礼なことをしてしまいました」
切腹でもしそうな彼の態度にオレは空笑いを返すしかない。
「い、いや、そんな気にしないでください。まあ、オレも軽症で済んでますし、誘拐された娘が帰ってきたとなれば、気が動転してしまうのも無理ありません」
オレとしては、ソフィアを思う故の行動なので特に咎める気も無いのだが、先方としてはそうも行かないらしく、隣にいたソフィアの母親までもが頭を下げる。
「本当に旦那がご迷惑をおかけしました。うちのソフィアをこうして連れて帰ってくださったのに、この人ったら、本当に……」
ジトォ、っと冷めた視線を自分の夫に送る。
見るからに冷や汗が吹き出た様子の父親は、再び頭を地につけた。
「本当に、申し訳ないッ!!」
「だから、気にしてないんで! オレのことよりソフィアの方に気をかけてあげてください!」
オレの言葉を受けてソフィアの父親はもう一度頭を下げると正座のままこちらに向き直った。
見ればその額はすりむけて血がにじんでいる。
まあ、あんな音が出るような勢いで叩きつけてこすり付けてればそうなるわな。
痛々しい彼の額に憐憫の視線を向けながらも、オレはようやく目の前のお茶にありつく。いや、家に来たときすぐに出されたけど、目の前で大の男が土下座してるのに飲めないじゃん?
ぴょこぴょこと、ソフィアの父母の耳が揺れている。
やはり二人とも狐人族のようだ。
「それに、お礼も申し上げなくては。……改めて、娘を助け出してくれて、ありがとうございます」
そう言うと、今度は二人そろって再び頭を下げた。
オレも凛もなんとも言いがたいむずがゆい感情を覚え、曖昧な笑顔を浮べるにとどまった。
この狐人族の集落は、王樹からそう遠くないところにあった。とは言っても、歩いて一時間ほどはかかったのであるが。
道中オレは泣きじゃくるソフィアを何とか宥め、ソフィアの父も申し訳なさそうに黙々と案内をするだけだったため、会話らしい会話は無かった。
集落に到着すると同時に安心したのか、ソフィアは緊張の糸が切れるようにして眠った。
「頭を上げてください」
頭を下げ続ける二人に言う。
「はい……あの、それでもし宜しければ、お名前を伺ってもよろしいですか……?」
ああ、そういえば。まだ名乗っていなかったか。
「あ、失礼しました。まずはこちらが名乗るのが先ですね。ワタシはカルカラ・ロックハート。こっちが妻のフェノです」
「フェノ・ロックハートです」
「ご丁寧にどうも。オレは十一優斗って言います。こっちは織村凛」
「こんにちは」
そんな今更の自己紹介を終え、口に茶を含む。喉を潤すと、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね。まずは、娘さんのことをお話します」
ソフィアが眠っているのを確認して、彼らの目を見る。
そして言葉を選びながら順序だてて話す。
彼女が卑劣な奴隷商に攫われたこと。
攫われた先で奴隷に身を落としていたこと。
そこで酷い目に会い、一度は声を失ったこと。
そして、大切な友人と出会い、永訣をしたこと。
その全てを出来るだけ客観的に、オレの知る限りで話した。
もしかしたらソフィアの口から述べられるかもしれない。
けれどもその前に彼らには親としてそれを知っておいて欲しかった。
そうすれば、彼女の言葉を受ける心構えも出来るはずだ。
「そう、ですか……」
ソフィアの父親、カルカラはそう呟きを漏らした。
ゆっくりとソフィアに目を向ける。
その目に宿るのは憐憫と慈愛。
帰って来た愛娘を思い、彼女の悲痛な体験に胸を痛める父親の横顔。
どれだけ心配しただろう。
どれだけ焦燥したのだろう。
どれだけの不安に苛まれたのだろう。
その胸中はとても筆舌に尽くしがたい。
そして母親たるフェノもそれに追随した。
眠るソフィアの髪をいとおしげに梳き、白い手で彼女の頬に触れた。
それは家族の営みだ。
血と心で繋がったもの同士だけが為せる特有の空間。
そこにはたとえどれだけ親しかろうと他人が入り込む余地など無い。
だからこそ安心できる場所なのだろう。
……そう。家族とは、家庭とは帰りたいと思える安寧の場なのだ。
そうである、はずなんだ。
脳裏を嫌な記憶がちらつき、力がこもり始める拳を声がとどめた。
「……保護者として、この子を守ることができなかった……自らの無力さを後悔し続ける日々でした……」
カルカラが絞るように声を上げた。
「娘を、ありがとうございます……」
オレは「いえ……」というだけで二の句は継げなかった。
そして、気付く。
少女の寝顔が、本当に幸せそうなことに。
ああ……
オレは、一人の少女を掬った。
掬えないものがたくさんあった。
取りこぼしてしまうものがたくさんあった。
どれも全てが贖いきれないオレの罪で、どうしようもないオレの責任だ。
でも、目の前の少女を一人掬えた。
その事実に、少しだけ救われた自分がいる。
オレの歩んでいる道は間違っていなかった。
自分に言い聞かせ続けていた文言は、確かに正しかった。
そう、目の前の少女が証明してくれたようで、オレは小さく吐息を漏らした。
また一歩進んでしまった。




