72、絶体絶命
色々と感想頂きありがとうございます。皆さんの鋭いご指摘を色々と冷や冷やしながら読ませていただいています・・・
「ゆーくんッッ!!!」
自分の叫び声が、自分の耳を劈く。
喉が割れんばかりの声で叫んだ悲鳴は、けれども呼びかける相手に届かない。
遥か廊下の彼方まで飛ばされた大切な人を見送りながら、視界の端に捉えられる存在に唾を呑む。
「う、そだ……」
バレッタ王子の現実を否定するかのような声に、わたしは声も上げられない。
目の前で幽鬼のように立つ、虎毛の男。
ギルタール・ゲッコー……
この人は、満身創痍ながらも、射殺さんとする瞳で遠くに飛んでいった優斗を睨みつけていた。
「コロす。引き裂いてコロす。噛み砕いてコロす。切り刻んでコロす。貫いてコロす。コロす。コロす。コロす――――」
呪恨の言葉は、わたしたちの首にまとわりつくかのように、吐き出されていく。
この人が見ているのは、優斗だけだ。
彼のところにこの人を行かせたら、ダメだ――――
頭の中を直感的な思考がよぎる。
きっと生きているはずのゆーくんが、殺されちゃう!
優斗に駆け寄りたくなる思いをこらえ、彼を守るための壁を作る。
「行っちゃダメ!! 堅牢なる鎧よ! 『ディバインシールド』!」
優斗との特訓のお陰で詠唱をほとんどしなくても発動できるようになった結界魔法を唱え、ギルタールが優斗の元へ行くのを邪魔する。
「邪魔を、スルなァッ!!」
怒号交じりの拳が、結界にぶち当たり、その障害を割ろうとする。
けれども、結界が割れることも無ければ、ひびが入ることもない。
猛虎は明らかにその動きに精彩を欠いていた。
「ソフィアちゃん! ゆーくんをお願い!」
「分かりました!」
少女を一人だけ向かわせ、わたしは足止めに徹する。
「ゆーくんに、言われたから……」
――――お前は、もっと結界を鍛えたほうがいい。
そう、彼はわたしに告げた。
――――お前がその能力を持っているのにも、オレは意味があると思うけどな。
今なら、彼の言葉が分かる気がする。
「わたしの大切な人を、守るために……! 絶対に! ゆーくんの場所には行かせないから!!」
自分を鼓舞するために吐き出した威勢のいい言葉で、ギルタールの注意を引く。
でも、ここからどうすればいいんだろうか。
優斗のところへ向かうのを足止めしたところで、わたしたちにはこの人にダメージを与えられる手段が無い。魔力も少なくなってきているため、あまり結界も使えない。
「これだから、下賎なニンゲンはァ! どいつもこいつも! 我々より、卑俗で、弱小で、微貧だというのに!!」
ギルタールがわたしのほうに向かってくる。
その足取りはお世辞にも速いとはいえないが、それでも普通の人の全力疾走ぐらいはある。
「け、堅牢なる鎧よ! 『ディバインシールド』!」
もう一度結界を展開するも、
「くどい!!」
結界が展開されきる前に、距離を詰められてしまう。
「あっ……」
後ろは壁、逃げ場は無い。
「貴様はどう殺してくれようか…………」
舌なめずりをする獣の姿に、わたしはぞっとする。
「リンさんから、離れろ! 暴風よ、吹き荒れよ! その暴威を以って、仇為す敵を蹴散らせ! 『ブローショット』!!」
バレッタ君の風魔法がギルタールの顔面を横殴りにし、少しだけ彼をよろめかせる。
その隙を見て、危機を脱すると、ソフィアちゃんやバレッタ君のいる方へと転がり逃げる。
「ちぃっ!! 娼婦の娘如きが、忌々しい……!」
「娼婦……母さんの、ことを言ってるのか?」
震えた声でバレッタ君が返す。
「そうだ……混血の娼婦風情が……ゴルドラも血迷いおって……」
「母さんは、母さんは娼婦なんかじゃない!!」
「ふん……街の花屋など、似たようなものだろう」
「お前!!」
怒りに身を任せそうになるバレッタ君をラインさんが止める。
彼は優斗の「冷静になれ」という言葉を思い出したのか、口を尖らせたままラインさんの腕を振り払った。
「……母さんは、娼婦なんかじゃない。母さんは、優しくて、きれいで……!」
「だが、10年前、人間の奴隷商どもに誘拐された。そうだろう?」
その話はちょっと前にバレッタ君がしてくれたものだ。わたしも知っている。幼い日に、バレッタ君の母親はバレッタ君の目の前で人間に誘拐された。
けれども、バレッタ君の反応は違った。
「……待ってくれ」
バレッタ君の声が震えているのは決して恐怖のせいだけではないだろう。
「何で、……母さんを誘拐した人間が、奴隷商だって」
震えながら問う。
「――――知ってるんだ?」
疑念の篭った声。
その声は今まで聞いた彼の声の中でも一番に震えていた。
底に潜む感情は計り知れない。
「お、俺は……人間が奴隷商だなんて初めて聞いた! 親父だって人間の素性は分からなかったって!! なのに、何でお前が……」
「……知りたいか? はっ、……くっ、くふっ」
急にギルタールが笑い出す。
その笑顔は醜悪で、なのに心の底から愉快そうだった。
「それはなぁ。人間の奴隷商にお前の母親を拐かすように言ったのは、――――おれだからだよ」
恍惚そうにギルタールが笑う。
一人、ただ愉快そうに、笑い、哂い、嗤う。
ただ、ふと違和感がわたしの感情に差し込まれた。わたしにだけ分かる小さな違和感。ギルタールの笑みに潜む、違和感。
けれども、極限の状況でそれに気を止める余裕なんてなかった。
「お前の母親は、人間との混血にも関わらず、身分不相応に王族に名を連ねようとした! あぁ、これは許されざるべき大罪だ! さすれば、誰かが誅罰を加えねばならんなぁ、バレッタァ!」
バレッタ君が飛びかかろうとするよりも前に、人影が動いた。
「……何の真似だ。ライン」
「……ご無礼を御許しくださいギルタール様。しかし、ワタクシは到底貴方様の為されたことを許容出来ません。ですから、こうして刃をお付きたて申し上げているのです」
見れば、ギルタールの胸部にナイフが突き刺さっている。
けれども、浅い。
「ふん……おれの身体に、ナイフ如きが効くと思ったか!」
ガッ、と鈍い音とともにラインさんが殴り飛ばされる。
「ラインッ!!」
バレッタ王子がどうすればいいかも分からず、飛んでいったラインさんに懇願の眼差しを向ける。
「これで後はバレッタ王子……いや、バレッタ王女と人間。そして狐人族の小娘だけになった」
「バレッタ、王女……?」
ギルタールは、こちらを一瞥すると何かを思いついたのかニタァとその獰猛な口元をにやけさせた。
そのまま茫然自失としているバレッタ君に近づくとそのローブを切り裂く。
ふぁさ、と一房の編みこみが姿を現した。
バレッタ君は、長い緑の髪を後ろに編んで束ねていた。
そして、彼女の胸元からは健康的な肌色が覗いているが、目を疑ったのはその胸元。そのふくらみは明らかに少年のものじゃない。
「嘘……バレッタ、君……女の子だったの……?」
窮まった状況で明かされた事実に理解が追いつかない。
「髪型を母親に真似たかと思えば、自分の弱さを誤魔化すために男の振りをし続けるなど……まさに弱者に相応しい自己矛盾! 滑稽だな」
「っ……」
バレッタ君は自分の隠していた秘密まで曝され、苦痛に目を背ける。
彼は、いや、彼女は自分の弱さを隠すために、誤魔化すために男の振りをしていた。
その振る舞いに、親近感を覚える自分がいる。自分を正当化して、自分を守るために見栄と嘘を塗りたくる。
そうしてできた仮面を被り続けているのは、わたしも同じだ。
「だから、何?」
わたしの口から出た言葉に、バレッタ君が生気のない目でこちらを見た。
「別にいいじゃん! 何も悪いことじゃない!」
「自分を偽り、ごまかし、騙すことがか?」
理解できないと侮蔑するギルタールにそれでもわたしは抗論する。
「そうだよ! そうやって生きてて何が悪いの!? だって、そうしなきゃ辛い人だっているんだよ! 自分なりに考えて、どうすればいいのか考えて考えて! そうやってわたしたちは、その生き方を選んだの!」
「リンさん……」
わたしの声は当然ギルタールには届かない。
けれども、バレッタ君にはしっかりと届いていた。
「はっ……戯言を。死に行く弱者がほざきおって」
そう言うと、ギルタールはその爪牙に再び殺意を乗せてこちらににじり寄ってくる。
魔力も少なく、有効な攻撃手段も少ない。
隣で、バレッタ君が叫ぶ。
「ぼ、暴風よ、吹き荒れよ! その暴威を以って、仇為す敵を蹴散らせ! 『ブローショット』!!」
それは、優斗の魔法。
けれども、その魔法の名前は、微妙にわたしの知っているものと違う。
だから、魔法は有効な威力を持ち得ない。
「効かんわッ!!」
一歩、また一歩と、歩みを進めるギルタール。
ラインさんは倒れ伏し、遠くには傷ついた優斗もいる。逃亡は許されない。
「バレッタ君ッ! その魔法、名前間違ってる!」
彼は優斗の発する名前の表面だけをさらっている。
けれども、あの意外なところでかっこつけの優斗は、魔法名に意味を込めている。
だからその意味が分かるわたしが、バレッタ君の魔法を補えば。
優斗の魔法を再現できるはずだ。
「ど、どういうことだ!?」
「一緒に、詠唱しよう! わたしは、魔力がそんなに多くないから、バレッタ君のを貸して!」
そう言ってバレッタ君の手をとる。
できるかは分からない。
戸惑う彼、もとい彼女も、迫るギルタールを見て決意を固めた。
「いくよ!」
わたしの合図に彼女が頷く。
「――――暴風よ、吹き荒れよ!」
ギルタールの凶爪がゆっくりと、確実にこちらに伸びてくる。
ここでひるむわけにはいかない!!
「――――その暴威を以って、仇為す敵を蹴散らせ!」
バレッタ王子の詠唱を継ぐ。そして、彼の魔法の本当の名前を叫ぶ。
魔法は名前を以ってしてその魔法たるり得る。
「「『風撃』!!」」
バレッタ君とともにその名を叫ぶ。
優斗の顔を思い浮かべ、彼に教わった全てを乗せて、魔法をつむぎ出す。
この一撃が、全てを決めることを直感して。
「お願いッ!」
叫びとともに放たれた、空気の塊がギルタールの胸を衝く。
優斗の威力には到底及ばない。下手をしたら半分以下だろう。
それでも、間違いなく彼の魔法であり、そして弟子であるわたしたちの魔法だ。本来であれば大した威力も持たないだろうわたしたちの魔法は、すぐに結果をもたらした。
「がッ!!」
苦しそうに血反吐を吐き、ギルタールが膝をつく。
魔法を撃ったはずのわたし自身が一番驚きながらも、ギルタールが胸元を押さえているのを見て理解する。
ラインさんがギルタールの胸につきたてたナイフ。
そこに直撃した『風撃』により、ナイフが彼の胸の奥深くまで突き刺さったからだ。
狙ってやったわけじゃない。
……運が良かったとしか言いようがない。
けれども、目の前で大男が倒れ伏し、粉塵が舞う。
その姿をわたしたちはただただ無言で見つめる。
震える足を押さえつけながら、ただ、凶虎が二度と立ち上がらないことを祈り続ける。
舞った粉塵も勢いを潜め、あたりに静寂が満ちるころ、バレッタ君が呟く。
「終わった、のか?」
震え、掠れた声からは覇気を感じない。
先ほどの魔法で全てを出し切ったんだろう。
「……うん。そうだと、思う」
へとへとになり、どちらとも付かず、その場に尻餅を付いてしまった。
お互いの様子を見て、まだ緊急は終わっていないことを思い出す。
「ゆーくん……そうだよ……ゆーくんッ!!」
ここはお願い、と一言言い残すと、わたしは全力で優斗が飛ばされていった方に駆け出す。
魔力の枯渇によりだるい体を引きずり、体重と慣性だけで走る。
勇者として与えられた身体能力をふんだんに駆使し、全てを賭して彼の元へ向かう。
「いたっ! ゆーくん! ゆーくんッ!!」
「リンさん!」
ソフィアちゃんが安堵半分、不安半分といった様子でこちらを見とめる。
見れば、既に泣き腫らしている様子だ。
「ゆ、ゆーくんは……?」
肩で息をしながら、血を吐いて倒れる優斗の容態を尋ねる。
その状況が芳しくないものであることは分かっておきながら、それでもたずねてしまう。
「い、意識が……戻らなくて……その、心臓も……」
――――動いてないんです。
苦しそうに告げるソフィアちゃんにわたしは最初、何も声を出すことができなかった。
その意味が理解できない。
ううん、分かる。分かるよ。
けど、分かりたくない。
「ゆーくんッッ!!!」
彼の体を急いで揺すり、叫び声を上げる。
恥も体面も――――被っていた仮面のことなど、全てを忘れ去り、彼の身を全力で抱きすくめる。
「リンさん! そんなに揺らしたら!」
ソフィアちゃんが何か言っている。
けれども、わたしの耳には届かない。
どうして、どうして、どうしてっ!
何で、ゆーくんがこんな目に遭わなきゃいけないの!?
目の前で血まみれになりながら寝ている一人の青年を見つめながら、ただただ理由を問う。
何故、どうして……
頬を伝う熱いしずくは、彼の胸元に染みを作り、血の跡をにじませていく。
どうすれば、いいの?
「リンさん……」
急に言葉を失い静かになってしまったわたしをソフィアちゃんが心配げに見つめている。
どうすれば……
眠っている優斗の顔と、彼の胸元にできた涙の染みを交互に見る。
もし、ゆーくんならどうしてるだろう。
ゆーくんなら、こんなとき、どうする?
……きっと、諦めない。
彼は、決して諦めないで、救う方法を探すはずだ。
「待って……もしかして、まだ助かるかも……」
ぶつぶつと小さく、呟きを漏らす。
授業でやったことがある。
心肺蘇生法。
どうせ使うことなんて無いと、適当に受けていたけれど、大体のやり方ぐらいは覚えてる。もし、心臓が止まっていても、戻るかもしれない。
「……絶対、死なせないからね。ゆーくん」
決意を固め、彼の胸元に手を当てる。
確か、両手を指を絡ませるように組んで……
見よう見まねで胸を一定間隔で押し始める。
「り、リンさん? 何を……」
「ごめん、ソフィアちゃん。ゆーくんの顔色見てて。もし何か反応あったら教えて」
「は、はい。分かりました!」
何も聞かず指示に従って来る、ソフィアちゃんがありがたい。
一定間隔で胸を押し、次にやるのは……
「人工、呼吸…………」
自分で呟いて、ドクンと胸が鳴るのを感じた。
分かっている。
これはあくまで、医療行為であって、そんな疚しい思いを抱くほうが間違い。ゆーくんが死にかけているのに、そんなことを考えるなんて不謹慎にもほどがある。
それでも、その行為はわたしの中でキスに他ならない。
自分自身の下賎さに嫌気が差し、どんどん自嘲的になる思考を振り払う。
「……ごめんね、ゆーくん。後で、いくらでも怒っていいから……」
そう言いわけをして、わたしは目を瞑る。
彼の口に、自分の唇を重ねる。
ソフィアちゃんが声にならない悲鳴を上げるのが聞こえるも、それを無視して、彼の口の中に息を吹き込む。
確か、鼻もつまむんだっけ……?
うろ覚えの中で、彼の中にわたしの思いを、生きる力を注ぎ込んでいく。
お願い……ゆーくん! 起きて……!
何度も繰り返し、繰り返し、繰り返す。
彼がきっと目を醒ますことを、きっとまた笑ってくれることを信じて。
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ここは、どこだろう。
そんな問いを、いつだったかも思い浮かべた気がする。
そのときも確か、意味は無かった。
もちろん、今も意味なんてない。
彼我の境界すら消えた中で、泡沫のように沸いた疑問は、淡く淡く霧散していく。
光が、近づいてくる。
記憶だ。それは、記憶。
曖昧だが、鮮烈な記憶。
必死の形相でこちらに跳躍する虎。
彼奴の拳が、誰かの腹をとらえ、そのまま吹き飛ばす。
衝撃、のち、浮遊感。
そこで、映像は途切れた。
以前にも、こんな経験をしたことがある。
あれは、いつだっただろう。
はて、誰が経験したんだったんだろうか。
私、僕、おれ、ワタシ、あっし、ワシ、ぼく、俺、オレ――――
分からない。
一体、どの記憶だったっけ。
まあ、どうでもいい。
そう、どうでもいいんだ。
そのまま、遠くの鋭い光を目指す。
その光はこの安寧の暗闇において酷く温かく、酷く魅惑的だ。
だから、それに向かって蠢く。
手も足も無いこの場所で。
進む、進む、進む。
――――そっちは、違うよ。
ふと、誰かの朴訥な声が響き、立ち止まった。
鋭い光に向かっていたはずなのに、気付けば逆の方に進んでいた。
目の前には暗い昏い晦い闇しか無い。
唐突な虚脱感と絶望に襲われる。
――――こっちで、待ってる。
声は、そう告げるとその気配を消した。
今度は、間違えない。
そう決意して、オレは進む。
真っ暗な世界を、ただ一つの光を頼りに。
きゃー!凛ちゃんと優斗君のキスシーンよー!




