71、猛る凶虎
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「ギルタールッ!!!」
バレッタ王子の叫び声が王の間に響き渡る。
それは、彼の声にしては珍しく甲高く上ずっており、それほどに彼の感情の昂ぶりが感じられた。
目の前で玉座に悠然と座りこちらを見下す虎人族の男、ギルタール・ゲッコーにオレは舌打ちを漏らす。その意味は自明に忌々しさの表明だ。
2メートルあまりの巨躯。
鋭く研ぎ澄まされた相貌は獰猛に光り、口から覗く牙は見ただけで本能的恐怖に背筋が凍る。身体に生えた虎模様の毛も、小麦畑のように輝きを帯び、明らかに只者ではない威厳と風格を漂わせる。
昨日、民衆を煽動してオレらを襲っただけでは飽き足らず、まさか国ごと転覆を狙ってるとは思いもしなかった。
こんな奴に一杯食わされたことにオレは心底不快感を抱いている。
「……おぉ、おぉ……これは、これは……」
一人ひとり、オレらの価値を品定めするかのように舐り見る。
その視線は酷く不快で、粘着質だ。
「バレッタ王子……獣人の仲間を見つけられず、ついには下賎なニンゲン族に助けを請うとは……! なんと、嘆かわしい!」
芝居がかった演説にオレは反吐を吐く。
虎人特有の細く窄められた瞳に全てを見抜かれているかのような錯覚に陥り、不敵な笑みを浮べてギルタールを嘲笑った。
「はっ……一日天下の気分はどうだ? その椅子の座り心地を味わえるのは今だけだぜ? たっぷりと堪能してればいい」
オレのあからさまな挑発に、ギルタールは頬を引きつらせる。
そして瞳の色が変わり、ただでさえ細い猫の瞳がさらに鋭く鋭く絞られる。
怒れ。激昂しろ。
そうすれば冷静な判断を失う。
もっと、もっと昂ぶれ。
さっさと、手札を切れ。
既にオレはギルタールとの話し合いをする可能性は排他していた。
つまり、ここからはいかに奴との戦闘を上手く進めるかだ。
だから、周囲に十全の注意を払いながらも、奴に挑発を重ねていく。
「さっさと国王様とこの国を返してもらおうか。お前が掌に載せるには少々荷が重過ぎるんじゃないか?」
「低俗なニンゲン風情が……」
極めて冷静を努めようとしているが、努めようとしている時点で冷静ではないのが明らかだ。声は激情に震え始めている。
「父さんは……父さんはどこにいる!!」
敵が冷静さを欠きつつある状況で、バレッタ王子が声高に問う。
それはある意味正解だ。
冷静さを欠き、かつ奴はバレッタ王子を明らかに見下している。
そこに油断が生じる。
「ふん……腰抜けのゴルドラか……そんなに会いたければ、会わせてやろう」
だから、奴はわざわざ見せなくてもいい手札を見せてくる。
「父さんッ!!」
「国王様!」
ぐぅ、とうめき声を上げながら傷だらけのゴルドラ国王がギルタールの目の前に転がされる。
どうやら、オレの予想通り王の間に国王を幽閉していたようだ。
バレッタ王子とラインさんの悲鳴に近い声が上がると同時に、オレは魔法を発動する。
「――――迸れ、『雷走槍』!!」
鋭い、槍のように伸びる雷電が無防備なギルタールに伸びる。
バチチチ、と鳥が鳴くかのように足音を立てながら、雷が獣人の身体を焦がさんと光る。
同時に、凛が結界で国王を覆い、バレッタ王子とラインさんが左右に散る。
「……やったか……って言わずもがな、やってないわな……」
案の定、ギルタールはオレの攻撃を両の手で受け止めていた。
見れば腕の甲には鎧のようなものが付いており、『雷走槍』が焦がした跡が見える。
バキッ、と次の瞬間ギルタールの腕甲が砕けて王の間に転がった。オレの『雷走槍』に耐えられなかったのだろう。
だが、問題はそこではない。
奴は、雷の速度に反応し、防御した。
オレの初見殺しの手札の一枚が不発に終わったことに歯噛みながらも指示を飛ばす。
「凛! 結界増やせ!」
「わ、分かった!」
嫌な直感に基づいて凛に指示を出し、国王を守る結界の枚数を増やす。
だが、ギルタールは一切動かない。
奴の態度を警戒し、表情を覗き込んでゾッとする。
「笑って、やがる……」
多勢に無勢。装備を失い、手札の一枚である国王をこちらの手に渡しておきながらその不敵な笑み。
まさか、相手に気圧されることになるとは。
だが、オレもすぐに不敵な笑みを浮べる。
「……南部連合の長ってのも大したことないな」
相手がプライドの塊であることは今の一瞬のやりとりで分かった。後は、いかに相手の自尊心を傷つけ、ボロを出させるかだ。
口の端を歪めるオレの背後から、ガチャガチャと足音が響く。
「ギルタール様! ご報告が……な、何ですかこれ!?」
ギルタールの兵と思しき兵が数名王の間に現われ、目の前の状況に疑問の声を上げた。
だが、すぐに平静を取り戻し、彼らは戦う構えを取る。
ちっ……挟み撃ちになっちまった……!
「ラインさん! 後ろの敵は何人ですか!」
「兵士が、四名! 恐らく中々の手錬れかと!」
オレの投げかけた質問に即座に返事が届く。
直接兵士の数を確認できないのには理由がある。
それは、目の前の獣人の男の存在だ。
不気味に笑う奴の姿から目を放してはいけないと、オレの直感が告げる。
だが、当の本人はオレらを嘲笑うかのように、声を発した。
「……報告を聞こう」
「ギルタール様!?」
「二度は言わないぞ」
「は、はっ! 報告します! 我々の活動に対して人間族たちがついに対抗をし始めました! 武装した人間の冒険者たちを中心に、北町および南町の城壁周辺で暴れております!」
暴れてるのはどっちだよ……
そんな言葉を飲み込みつつも、報告を聞き続ける。
「状況は?」
「わ、我々が優勢です! で、ですが何しろ人間は数が多く……この後、形勢がどうなるかは――――」
憂いを込めた諫言を飛ばそうとした兵士の声が、何かの潰れる音で遮られる。
「…………は?」
オレの口から情けない呟きが漏れ、脳が今しがた起きたことをようやく認識する。
背後から聞こえる三人の兵士たちの悲鳴。
「何故ワシの兵に『混血』が混じっている。はぁ、報告を続けよ。他の議員たちは?」
奴が、ギルタールが、投げた鎧の破片が、兵士の頭を、砕いた。
その事実を理解できず、オレはただ口を開け放つ。
そうしてようやく奴の笑いの意味を知る。
「ひっ――――」
答えに詰まった兵士にギルタールがわざとらしいため息をついた。
「まったく、兵を用意したのはアイツだったか? どうしてニンゲンの血が混じった兵などを……」
ぶつくさとギルタールが不満をこぼす。
奴の投げたものはサイズはオレの掌にすっぽりと収まるほどの小石だ。だが、獣人の豪腕により投げられた小石の速度は並大抵のものではない。人の頭を一つ砕くには十分な威力に昇華される。
オレは警戒をしつつも、奴の射線がこちらへ向かっていないことを確認する。
「答えよ」
「は、はっ! 他の南部連合の首長の方々は暴動を先導なさっており、すぐに人間族の鎮圧にも加勢されると思われます!」
「……報告ご苦労。引き続き任務を続行せよ」
満足げにギルタールが報告を聞き届ける。
暴虐の主人の言葉に生き残らされた二人の兵士は、返事もせずに慌てて王の間から駆け出して行った。
「これが、獣人の身体能力――――」
まざまざと見せ付けられ、絶望する。
目の前の男が見せた、獣人の驚異的で脅威的な身体能力。
投げた石で人の頭蓋を破砕する。
圧倒的な生物としての強者。
だからこそ、奴は笑っていたのだ。
膂力だけで謀略をあざ笑う。
弱者であるオレらを見下して。
相手の力を考えて、オレが為すべきこと――――
「お前ら、逃げろ!」
「は!? 師匠!? 何でだよ!?」
「お前も見ただろ! アイツには敵いっこない!」
「なっ……」
オレの完全な諦め宣言に味方全員が絶句する。
「な、何でだよ! 目の前に父さんがいるのに!」
「ギルタールの身体能力は、異常だ! 普通にやったって勝てない!」
そうだ。敵の異常なまでの身体能力を考えれば、真正面からやりあったって勝てるわけが無い。こんな開けた地形であいつと正面切って戦うなど正気ではない。
「くっ……」
オレはひざまずく。
「ど、どうしたんだ師匠!?」
「くそっ。腰が抜けた……お前らだけでも逃げろ!」
「そ、そんな……」
バレッタ王子が絶望に表情を彩る。
「な、なぁ。師匠はすごい魔法使いだろ……?」
「一応、魔法使いだが、すごいわけじゃない」
「う、嘘だ!」
「人より多少魔法が使える程度だ! あんな身体能力お化けに真正面から戦って勝てるわけ無いだろ!」
ギルタールはオレらの会話をニヤニヤと見守っている。
底意地の悪いやつだ。オレら弱者の繰り広げる会話を余興として楽しんでいるのだろう。
だが、――――それが今は助かる。
「…………分かった。ごめん、師匠。そうだよな。おれのために師匠が命を張る必要なんてない」
バレッタ王子は悲壮な覚悟を決める。
その肩を手を伸ばして止めたいが、オレの両手は地面に付いており彼を止めることは出来ない。
「落ち着け! 犬死するだけだぞ!?」
「でも、じゃあ、どうするんだよ!!!」
バレッタ王子の叫び声が再び王の間に木霊し、全員の耳朶を揺らす。
「……ああ、どうしようもない」
オレは彼に現実と絶望を突きつける。
そうだ。この開けた空間では、奴の直線的な動きが活き過ぎる。
地の利が奴にあり、かつ身体能力に優れたあいつに勝つのは難しい。
「――――このままならな」
なら、地の利をこちらに導けばいい。
「え……?」
バレッタ王子の拍子抜けした声を受け、オレは声を上げる。
「蠢け、『アースオペレーション』!!」
刹那、ぐにゃりと世界が歪む。
床、壁、天井が胎動する生き物のごとくうねる。
それは決して天変地異などではなく、オレの土魔法によって変幻自在に動かされているに過ぎない。
「ラインさん! 凛! 今のうちに国王確保!」
オレの意図を恐らく正しく汲み取ってくれた二人が、迅速に国王を確保し、こちらへ走ってくる。
蠢く床はギルタールだけを生き埋めにせんと這い、二人の動く速度を床ごと動かして倍加させる。そして、数秒の間にオレの周囲に全員が集う
完全に諦めたと思っていたオレが演技をしていただけだと気付いたギルタールがついにその理性を引きちぎった。
「ニンゲン風情がァッッッ!!!」
怒声が轟と鳴り、ギルタールを取り囲んでいた石の壁が一瞬で砕かれる。
だが、既に周囲は見通しも悪く、石柱にも似た障害物が多く存在する空間と化していた。
「父さん!」
「国王の様子は!」
ギルタールから注意を逸らさずに、問うと、ラインさんがほっと息を漏らす。
「大丈夫です。脈はしっかりとしておられます」
「なら良かった」
安堵に胸をなでおろすオレに、バレッタ王子が、問う。
「し、師匠……諦めたんじゃ……」
「アホか。あそこで諦めたって逃がしてくれる相手じゃないだろ」
もし、「ちょっと策を練りたいんで一旦帰っていいですか?」と訊いて、「どうぞどうぞ」と言ってくれるような相手であればこんなことにはなっていない。
だからこそ、相手の油断を誘った。
敵はオレの挑発で激昂していた。
オレに獣人の身体能力を見せつけ、恐怖させようとした。
取り乱すオレを見て奴は格の違いを見せ付けたと勘違いしたことだろう。
無論。そんなもの演技に過ぎない。
ただ床に手を付き、王の間を土魔法で掌握するための方策だ。
「っつうわけで、真正面からぶつかるのは諦めていたが、だからといって全てを諦めたわけじゃない」
そう言うとバレッタ王子は口を開いたままパクパクと動かした。
「お前なら簡単に気付いてくれると思ったんだが……親父さんが心配なのは分かるが、冷静になれって言っただろ?」
現にオレの言動に凛、ソフィア、ラインさんは何か策があるのだと気付いていた。
それが何かまで察するのは難しくとも、オレの奇襲に備えていてくれたのだから僥倖だ。
「そ、そうだったのか……ご、ごめん師匠……おれ、気付けなくて、ほんとに……」
「話はこれぐらいにするぞ。とりあえず、目の前の怒気赫々の虎を何とかしないとな」
『アースオペレーション』でギルタールの足止めをし続けているが奴の破壊力の前では、接近してくる時間を稼ぐしかできない。これ以上、作戦会議をしている時間は無い。
ホンモノの獣のように唸り声を上げるギルタールに本能的な恐怖と危機感を抱く。
「よし、今後の動きを説明する」
「ああ」
オレは全員に聞こえるように言った。
「今度こそ本当に逃げるぞッ!!!」
国王を奪還した今、ギルタールの生死は後でどうとでもなる。
今は、国王を治し、状況を確認するのが先決だ。
だが、当然、猛虎はそれを許さない。
背を向け全力で駆けるオレたちを逃すまいと岩石の迷宮を抜け、数回の跳躍で距離をつめる。
狙いは当然、殿のオレだ。
「……やっぱそうだよな! 『風撃』『疾風尖槍』『風撃』『疾風尖槍』『風撃』『疾風尖槍』!」
上体だけを後ろに向き、両の手から風魔法を乱舞する。
だが、その全てがかわされ、いなされ、受け止められていく。
ちっとも効いている様子は無い。
「くそっ! やっぱ効かないか!」
埒外な反射神経と力の前では、風の魔法など一瞬で解きほぐされてしまう。ましてや、時間をかけて集中して魔力を練れない状況だ。威力など高が知れているだろう。
ギルタールの進行を多少遅らせる程度の結果しか残せず、結局は後ろを向きながら走るオレとの距離を縮められてしまう。迎撃を諦め、完全に背を向いて逃げることにする。
それを待ってましたと言わんばかりに、ギルタールが大きく跳躍しその爪牙をオレへと届かせんとした。
迎撃を諦める?
まさか、そんなわけが無いだろ。
「『ファイアレイ』!」
オレの背中から一本の紅い熱線が発射され、宙に浮いたギルタールの腹を灼熱に貫く。
肉の焼ける嫌な音すら立たず、一瞬で奴の肉が蒸発したことが分かる。
「ガァッ!!!」
獣の悲鳴をあげ、ギルタールが勢いのままに地面に転がった。
「はっ! 魔法が手からしか出ないと思ったか!? 別に、口からだろうが背中からだろうがオレの近くからならどこからでも出せるんだよ!」
無論、精度は下がるが、この至近距離でぶっ放すのであればそんなのは瑣末な問題だ。
これを狙っていた。
敵を散々に挑発して冷静な思考を奪い、『アースオペレーション』で敵の動きを制限し、そして一直線にこちらをしとめに来た敵に窮鼠の一撃を喰らわせる。
出来れば胸を焼き焦がしてチェックメイトにしたかったが、背中に目が付いていないため狙いなどつけてはいられない。胴体に当たっただけ運が良いとしておこう。
そうしているうちに異常に長く感じた十数メートルが終わり、王の間の入口までたどり着く。
既に凛たちは王の間の外でこちらを見ていた。
「逃がすかァアッ!!」
怒号にも似た叫び声を上げ、ギルタールが地を蹴るが、先ほどのオレの魔法でもろくなった床を上手く踏みしめることが出来ない。
「さらに、追い討ち!! 『雷走』!」
稲光が、ギルタールを四方から襲い、痺れにより自由を奪う。
「アーンド! 崩落!」
土魔法でもろくしていた天井に衝撃を加え、そのまま崩落させる。
多くの土石が王の間を埋め尽くし、土ぼこりを大量に舞わせる。崩壊の音がうるさいくらいに鼓膜をたたき、その振動は直接脳髄を震わせる。
崩落音がひとしきり鳴り止んだ後でようやくオレは一息をつく。
「……まさか、王の間をぶち壊すなんて……」
バレッタ王子の引きつった笑みにオレは、口の端を歪ませる。
「いいか。ハッタリや戦術ってのは、相手が『こんなこと絶対にしない』ってことをやり、『絶対にこうする』ってことをやらないのが基本なんだ」
だから、オレは散々相手の冷静さを奪い、裏をかき、こちらの力を弱く見せる。そして、拍子抜けしているところをこっそりと襲う。卑怯かもしれないが、この戦法は膂力に長けていないオレには非常に有効なのだ。
「よし、とりあえず、ギルタールは死んだか、満身創痍で動けないはずだ。国王の回復を――――」
そう言ったところで、オレは背筋に強い寒気を感じた。
幾度と無く経験したことのある、嫌な感覚。
ああ、まただ。
そう、納得してしまう自分がいる。
死神が、気安い友人のようにオレの肩に腕を回す。
その白く冷たい手をオレの頬に載せ、指を這わせる。
「ッ―――――」
刹那、オレは『瞬雷』で背後に飛び、前方に『風撃』を放った。
それが一瞬のうちにオレが導き出せた最適解。
「はっ―――――」
だが、現実は非情にもオレの答えに不正解を叩きつける。
オレは、飛んできた拳に肺の空気を全て吐き出し、そのまま宙に舞う。
ブツリ、と嫌な音が脳内を反響した。
宙に浮いた感覚が残響する中で、オレの記憶は途切れた。
ゆーくん一発KO




