63、二人目の弟子
はぁ、と男の重いため息が場に落ちる。
そこに混ざる感情は呆れと、そしてもどかしさから来る怒りだ。
「ゴルドラ! いい加減にしろ! 何度言えば分かるのだ! 人間は憎むべき敵であろう!」
猫のような耳と尻尾を生やした壮年の男性が吼える。だが、鋭い牙と爪からは彼がただの猫ではなく虎などの猛獣に類する獣人種族であることが窺える。
そしてその虎が吼える相手もまた壮年の男性。
その威圧感は一国の王たるに相応しい。
「しかしだなギルタール……ワタシはできれば人間とは手を取り合って生きていきたいと思っているのだ……むやみな争いは……」
「そんな弱腰だから人間どもに付けこまれ、先のような大戦になったのではないか!」
非難するようなギルタールの言葉にゴルドラは返事をすることができない。その意見に一理あると思ってしまう自分がいるのも事実だからだ。目の前の男の吐く憤慨がどれだけ私怨と偏見に塗れていようと、自分自身も同じ感情を腹の底に抱えているのはまた事実。その確執をどうにかするのは容易ではない。
はぁ、と今度はゴルドラがため息を吐いた。
それを見たギルタールは、ここぞとばかりに息巻いた。
「おれはこの国を思って言っているのだ。お前はラグランジェ要塞の頭にして、この首都国家の国王たるゴルドラ・ジモンなんだぞ。そんじゃそこらの名も無い獣人のゴルドラ・ジモンではない。この国に暮らす獣人たちを背負っているのだ。ジモンの名が泣くぞ」
国王相手によくもまあここまで啖呵を切ってくれる。友人でなければ打ち首ものだな。
そんなことを考えてゴルドラは溜飲を下げた。
南部に住む獣人たちの部族が同盟を結んだ組織、南部連合。その主席が、この男ギルタール・ゲッコーだ。
虎人族であるこの男はその種族柄か生来の性格からか、非常に攻撃的で獰猛だ。何かあれば人間に噛み付いている。無論、文字通り噛み付くなどしてしまえば、たちまち人間は肉片へと変わってしまうのではあるが。
「……第一、魔物の群れを撃退した人間の少年を招くなど、危険過ぎるだろう」
ギルタールが忌々しげに進言する。
ゴルドラもそれには頷きを返すが、だからといってそれが少年を招かない理由にはならない。
「少年は理由はどうあれ我が要塞を救ってくれた」
「あんな魔物の群れなど、我々獣人がいれば十分撃退できていた!」
「違う、そうではないのだ、ギルタール。もし、あそこで外に締め出されていた者たちが魔物に蹂躙されていれば、どうなっていたと思う?」
ギルタールは「それがどうした?」と言わんばかりに視線で続きを促す。
ゴルドラは彼の察しの悪さに再びため息を漏らしそうになるのをこらえて続けた。
「……そんなことをすれば、人間たちからの報復が待っている」
「そんなもの撃退すれば……!」
「もし人間の旅人たちをみすみす見殺しにしたとなれば大義は向こうにある。何のためらいもなくここを攻め落とそうとするだろう。そして、我が国の北部には既に人間が居住している。さすれば、この要塞が陥落するのも時間の問題だ」
つまり、締め出された者たちが魔物に殺されていれば、国が傾きうる事件になっていたのだ。それを未然に防ぐことが出来たという点で、魔物を撃退した少年を賞賛せずしてなんとするか。
そもそも、
「ギルタール。ワタシは元々、旅人たちを中に入れてから撃退をすると言ったはずだが」
「……現場の判断があったのだろう。上手くこちらの伝令が伝わらなかったようだ」
あくまで白を切るギルタールにゴルドラは何とも言えず落胆する。
この男は基本的に人間を憎み、疎み、忌み嫌っている。
名も知らぬ人間を見殺しにするぐらいどうということはないのだ。
だから、魔物の大群の襲来が報告されたとき、ワタシの指示をギルタールの伝令係に伝えさせる、とギルタールが提案したとき怪しいとは思ったのだ。この国の兵士ではなく、何故わざわざギルタールの部下に伝令を頼んだのかと。
彼は、部下が最も早く伝令を届けられると主張していたが、その実、ワタシの指示とは異なり、旅人たちを締め出すような指示を伝えさせたのだろう。
本来であれば何かしらの裁きが下るべきだが、相手は南部連合の主席。すなわち、南部に住む獣人たちの元締めだ。うかつに対立することはできない。
「それに、もし魔物を撃退した少年が、何も褒賞が無いと知って機嫌を損なうようなことがあればどうする?」
「何を。小僧ひとりが機嫌を損ねて何の問題が……」
「優に百を超える魔物の軍勢を一瞬で葬るような魔道士だぞ?」
「ぐっ……それは……」
もし少年が機嫌を損ね、その魔法の脅威をこの国に向けるようなことがあれば甚大な被害は免れない。
それだけはなんとしても回避しなければならない。
自分もゴルドラもこのラグランジェを守ろうとしている姿勢だけは変わらないことに皮肉な笑いがこぼれる。
だが、ゴルドラはすぐに顔を引き締めた。
「もうすぐ件の少年が訪れるはずだ。……余計なことはするなよ、ギルタール」
そのゴルドラの物言いにギルタールはその虎模様の尻尾を不満げに揺らしたが、仏頂面で首肯した。
どうやら、体裁を保つだけの余裕はあるようだ。
要塞の主は、内憂外患で脆くなってしまった要塞の姿に哀愁を感じながら、外患の権化たる少年を待つのであった。
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「まずは、お主のはたらきを讃えよう。先の魔物退治、誠に見事であった」
「この身には余る賛辞、感謝の言葉もございません」
オレは召集されるがままに謁見の間に通され、この国の国王に会っていた。
名はゴルドラ・ジモン。ジモン家の家長であり、この要塞のトップにいる人間だ。
オレの後ろでは凛とソフィアが同じ体勢で膝をついてただ黙っている。ソフィアは怯えた表情で震え、凛は緊張のあまりあいつらしくない歪な笑顔を浮べている。かくいうオレも、緊張が無いといえば嘘になるだろう。
「お主は高位な魔法使いのようだが……」
「いえ、まだまだ魔法の精進に努めますこの身。決して高みに至ったなどと驕れる自信はございません」
ひたすらにへりくだって返すことで、表面上の会話に留まる。
この国王様からはあまり重圧や強い覇気を感じない。親しみやすい、といえばそうなのだが、どうにもそれが不気味だ。掴みどころの無い男、とそう評するのが一番かもしれない。
それに、この男がオレたちを門の外に締め出した張本人だ。警戒しないわけが無い。
「……して、お主は何故このラグランジェ要塞に訪れたのか」
「私は冒険者をしておりまして。フローラ大森林での依頼を達成するために一旦ここに立ち寄らせていただいた次第でございます」
嘘八百だが、相手も別にさしてオレの目的が知りたいわけじゃないだろう。
恐らくこの国王が知りたいのはオレの危険性の有無だ。
高位な魔法を使うというだけで危険視せざるを得ない。その危険になり得る存在が、ラグランジェを目的として来たのか、それともどこか別の場所の中継地点に過ぎないのか。その違いは絶大だ。後者であれば、ラグランジェがその魔法に脅かされる心配も無い。
まあ、そんな心配などされずとも、魔法をどこかの国に向けて使うなんてことしないんだけどな。
「……ふむ、左様か。ならばよい」
納得するように頷くと、国王は脇に控える宰相らしき男に目配せをした。
男は恭しく頭を下げると、脇の通路へと入っていき、そこから布の被った台車を運んできた。
「それがお主への褒賞だ。生憎、わが国では大量の金貨を用意できなかったのでな。代わりに金塊での賞与となるが構わぬか」
「これは……」
目の前の布が取り払われ、金塊が姿を現す。
目算で一つあたり、2kgほどだろうか。それが、20個。金貨換算でおおよそ600といったところだ。
……まさか、魔物の群れを撃退しただけでこんなに。
「……こんなに頂いてもよろしいのですか?」
オレの問いを予想していたかのように国王は頷いた。
「我が国を救ってくれた礼と、そしてお主の正義と良心を讃えてのことだ」
そういうことか。
要するに、魔物の撃退をした御礼の分だけではなく、うちの国に敵対しないでね、っていう口止め料もとい魔法止め料が入っているわけだ。
そして恐らく後者のほうが多いまである。
「不満か」
不満か、と問われれば無論、満足だと答えるしかない。
ここにきて選択肢を無くしてきたか……
有無を言わさず、オレに金を受け取ってもらいたいらしい。
まあ、オレとしても問題はない。金がもらえるならそれに越したことは無い。デメリットも交換条件も無いしな。
「ええ、こちらとしても、今後とも貴国ラグランジェに快く出迎えて頂けるよう、全力を尽くすつもりです」
それを聞いて国王は安心したのか、ほっとため息を漏らした。
あまりに小さい吐息だが、注意深く観察していたオレが見逃すはずも無い。
王は話は終わりだとばかりに、宰相に合図を送った。
オレももっとこじれるかと思っていた謁見が早々に終わり、ほっと胸を撫で下ろした。
「では、これで謁見を終了する。客人をお送りしろ――――」
「お前かぁ!! 魔物を追い返した魔法使いってのはぁ!!」
だが、オレらが帰ろうと足を上げた瞬間、大きな声が謁見の間にとどろいた。
それは今まで話していた国王の渋い声でも無ければ、凛の底抜けに明るい声でも無い。ましてやソフィアがそんな大声を出すはずが無い。
まだ声変わりを経ていない少年のような声だ。
その声は場に広がる動揺を無視して響き続けた。
「俺と勝負しろ! 魔法使い!!」
いやな予感を感じつつも声の方を振り返ると、そこにはローブを羽織った一人の少年が立っていた。ローブに隠れずに見えている髪は濃い緑色だ。癖毛がちな前髪を上げることもせずに無造作にたらしたままで、仁王立ちをする少年。
どうすべきかと考えあぐねていると、最初に動いたのは国王だった。
「バ、バレッタ!? どうしてここにいる!?」
国王がらしからぬ狼狽した声を上げる。
バレッタ、そう呼ばれた緑髪の少年は自慢げにフスー、と鼻息を吐いた。
「ふん、この要塞の抜け道は知り尽くしているからな! これぐらいなんてことはない! 父さんはザル過ぎる!」
胸を張るその様子はやんちゃ盛りの少年そのものだ。顔はととのっており中性的だが、猫のような瞳や口元から覗く八重歯が野性味を引き立たせている。
よく見れば頭に緑色のネコミミがついている。ローブで見えないが、もしかしたら、尻尾もあるのかもしれない。
だが、オレは彼の特に異常性もない外見に奇妙な既視感を覚える。
とりとめもないデジャヴといってしまえばそこまでだ。だが、オレの脳が警鐘を上げるかのごとくその違和感を主張する。
何だ、これ……どういうことだ?
その意味も掴めずに、オレが首をかしげていると、凛が手を叩いた。
「……えーっと、もしかして、国王陛下のお子さん?」
「面目ない……」
手を額にあて、がっくりと肩を落とす国王を見やり、オレは思わず笑ってしまう。
なるほど、こんなやんちゃな王子が子供にいたらそりゃ肩も落としたくなるわ。
「魔法使いってのは、お前だな!」
だが父親の落胆と焦りを気にするでもなく、少年――バレッタ王子はそう言ってオレの方を指差す。
「いや、人違いじゃないですかね?」
「とぼけるな! 俺には分かるんだ! お前から強い魔力を感じる」
まさか、こいつスキル『魔力感知』持ちか……?
「……仮に、オレが魔法使いだとどうなるんですか?」
「俺と魔法の勝負をしろ」
「お断りします」
「お前が断るのを断る!」
「何そのトンデモ理論!?」
オレ、お断りをお断りされたの生まれて初めてだよ!!
「ええい、うるさい! 構えろ!」
「え、は、おい、ここでやるのか!?」
「おい、バレッタ、やめんか!!」
国王の制止も耳に入らないバレッタ王子が魔法の詠唱を始める。
「――――産声を上げよ、灼熱の業火よ」
「おいおい、マジで言ってんのかよ!」
下は絨毯、後方には凛とソフィア、そして国王陛下。
あたりの兵士はてんやわんやで動けそうに無い。
ああ、もう!!
「その紅き心で全ての邪を灼き尽くせ――――『ブレイズボール』ッ!!」
巨大な爆炎が眼前に迫る。
「『水盾』!」
とっさに出した水の盾で『ブレイズボール』を防ぐ。
あ、あぶねぇ……
じゅう、と心臓に悪い音を立てながら炎の球はその姿を失っていく。
以前であれば、『水壁』出なければ防げなかった『ブレイズボール』を、今では『水盾』で防げるようになった。恐らく魔力が上昇したからだろう。
その事実から来る喜びに浸る暇は無さそうだ。
「ちっ……やっぱり簡単にはいかないか! なら次は――――」
「国王陛下! 怪我しない程度の反撃はよろしいですか!?」
オレが問うと国王は驚いて目をうろつかせた。
「え、ああ、いやぁ……その、できれば穏便に済ませて欲しいというかなんというか……」
国王から感じた親しみやすさと妙なつかみどころの無さはこれかー!! 単純に根っこがヘタレだったんだ! 後、親バカ!
くそ、こんな形で疑問が氷解しても何も嬉しくねえぞ……
そんなことをやっている間に二つ目の魔法の詠唱が終わる。
「次々行くぞ! 『オーバーワインド』!!」
風魔法『ワインド』の上位互換である『オーバーワインド』。
疾風が塊となってオレを殴りつけようと迫る。
だが、それはオレの直前で霧散した。
「なっ……!」
驚愕に目を見開くバレッタ王子。だが、すぐに自分の魔法が打ち消された原因を睥睨する。
「ゆーくんにこれ以上手出しはさせないから」
「……うちの盾役は随分と頼もしいこって」
凛がオレを庇うようにして前に出る。
だが、その目の前には結界が張られており、いかな攻撃も通さないという意志が感じられた。
「な、なんだよ! ずるいぞ! 1対1の対決に他の奴が割り込むなんて!」
「そもそも! オレはお前と1対1どころか、対決するとも言ってないんだけど!?」
「じゃあ、今から始めるぞ!」
「もう既に始まってたよなぁ!?」
ぎゃーぎゃーと喚くオレらを止めたのは、一人の女性の声だった。
「バレッタ様。いい加減になさいませ」
事務的ともとれる声音で告げられた窘めに、バレッタ王子はギクリと動きを止めた。
彼が恐る恐る声の方を振り返ると、そこには1人の女性が立っていた。服装はメイド服。無論、日本のメイド喫茶にあるようなものではなく、もっとシックなものだ。王城で働いているメイドだろうか。
「ラ、ライン……いや、その、これは……」
バレッタ王子が罰の悪そうに目を逸らす。
その様子を見て、ラインと呼ばれたメイドの女性はため息を漏らす。
だがその表情は一切変わらず感情を読み取ることは出来ない。
「いくら国王様の御子とはいえ、お客人に突然襲い掛かるなど、失礼にもほどがございます」
抑揚の無い単調な声がバレッタ王子に諫言を告げる。
「で、でも……」
「でも、ではございません。バレッタ様」
ただ名前を淡々と呼ぶだけだが、それはバレッタ王子には絶大な効果をもたらしたらしい。
既に半泣きになりながら、バレッタ王子が肩を震わせる。
「お、覚えてろよぉ!」
バレッタ王子がオレに背を向けて逃亡を図る。
だが、それは叶わない。
「どちらへ向かれるというのですか、謝罪もせずに」
「は、放せよライン!」
「バレッタ様がお客人に謝罪されるまでは放せません」
「な、何で俺が!」
「国王様がお招きになったお客人をいきなり襲われたのです。それ相応の誠意は必要でしょう」
バレッタがじたばた暴れるも、ライン、と呼ばれたメイドは全く動じない。それこそ文字通りまるで動かないのだ。どれだけの筋肉量があるのか……
「こんな冴えない奴に謝りたくない!」
「たとえ相手が冴えない方であろうと、無礼を働いた相手には謝意を見せるのは当然です」
「さ、冴えない……」
バレッタ王子とラインさんの言葉に人知れず傷ついているオレを無視して二人の口論は続く。
意外にもそれに終止符を打ったのはゴルドラ国王だった。
「バレッタ!お前というやつは! いい加減に駄々をこねるんじゃない! 何の理由もなくケンカを売るなど……」
「うっさい! 父さんはいつもへたれてるだけじゃないか!」
「へ、へたれ……」
愛息子に糾弾され肩を落とすゴルドラ国王。
だが、それに威をそがれたバレッタ王子はふぅ、と小さく息を吐いて大人しくなった。
「ちっ……分かったよ。悪かったな、そこの冴えない魔法使い」
「お前、ホントに謝罪する気ある?」
明らかにこちらを煽っているとしか思えないその言葉からは謝意を感じることはできない。
「謝ったからいいだろ!」
そのトンデモな理論にオレが苦笑を、国王がため息を返す。
何というか、リアを思い出すな……
あいつも急に決闘を吹っかけてきたっけ。
まあ、この王子はそれ以上に礼儀もなっていないようだが。
「……なあ、お前、オレと魔法で勝負したい、って言ってたよな」
「ああ、そうだよ! 俺は、大賢者様みたいな偉大なる魔道士を目指してるんだ!」
大賢者様……伝承にでも伝わる人物か?
「お前との魔法の勝負、受けてやってもいい」
「ほ、ホントか!?」
バレッタ王子が猫人族の耳をぴこぴこと揺らす。
対する国王は絶句。先ほどから表情の変わらないメイドのラインさんも心なしか表情が強張る。
「ああ、安心してください。別に、お互いに攻撃をし合おうなんて、考えてませんから。……そうですね、こういうのはどうでしょう」
そう言ってオレは指を一本立てる。
「バレッタ様に彼の使い得る最強の魔法を撃ちこんでいただき、オレがそれを魔法で防ぐ……もし防げたらオレの勝ち。防ぎきれなかったらバレッタ様の勝利ということで」
それであれば万が一にもバレッタ王子に被害が行くことは無いだろう。
ただ問題は、
「だ、ダメだよゆーくん! 危険過ぎるって!!」
「そう、です……! こんな一方的な……」
凛とソフィアが言うことはもっともだ。
だが、この方法はバレッタ王子のプライドや闘争心をへし折るには最良の手段だ。
彼の最高の魔法を余裕綽綽で防がれたとなれば、彼のオレへの闘争心はぽっきりと折れてしまうだろう。そうなれば、このように面倒な勝負を吹っかけられることもあるまい。
「で、どうする? やるのか?」
明らかな挑発にバレッタ王子が鼻を鳴らす。
「やるに決まってるだろ!」
「よし来た。ここじゃ場所がまずい。どこか広くて人気の無い場所でやろう」
「望むところだ!」とバレッタ王子が息巻いて大またで謁見場の間に背を向ける。
どうやら、ついて来いということらしい。
「……すまぬ、お客人よ」
既に威厳もひったくれもなくなってしまったゴルドラ国王が耳をしょんぼりとうなだれながら呟く。
「ご心配には及びません。何事も無く終わりますよ」
オレは、安心させるようにそう宣言した。
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「ここなら人もいないし十分に広い。問題ないだろ!」
バレッタ王子に連れられるがままに訪れたのは王城のそばにある広場のような場所だ。
恐らくは兵の訓練場だろう。だが、その広さはリスチェリカのそれと比にならず大きい。
この場には、オレ、バレッタ王子。そして見物人の凛とソフィア、そして付き人のラインさんがいる。ラインさんのそばには近衛兵と思しき兵が2人いるが、どうやらこの勝負をとめることはしないらしい。
できない、と言った方が正確か。
「さて、バレッタ王子。さっさと、撃ちこんで来てくださいな。どんな攻撃でも構いませんよ」
明らかな煽りにバレッタ王子は、ピクピクと眉を引きつらせた。
「じょ、上等じゃないか……じゃあ、見せてやるよ……俺の最大魔法を……!!」
『魔力感知』が魔力の高まりを感知する。
それは先ほどの比ではないほど高密度な魔力。
それが一編の魔法を紡ぐために練り上げられていく。
「灼熱の業火よ――――」
詠唱が始まる。
「その身は遍を焦がし――――」
流れるような詠唱とは裏腹に、その一文字一文字の持つ重みは計り知れない。
魔力が、形を持つ。
「その刃は総てを切り裂く――――」
小休止、魔力が爆発する。
来るッ――――!
「焼き裂けッ!! ――――『レーヴァテイン』!!」
熱気が頬を焦がし、そして目の前に魔法が具現する。
「おいおい……」
其れは巨大な炎の剣。
触れるもの全てを切り裂き、近づくもの全てを焦がす、必殺の剣。
その切っ先が自分へ向けられていることに、本能的な恐怖と、理性的な焦燥がアラームを鳴らす。
まさか、ここまでの魔法を……!
十分に高位な魔法だ。一国の王子が覚えているには違和感を感じるほどの。
想定外に威力の高い魔法に冷や汗を垂らしながら、オレも魔法を構築し始める。
「喰らえッ!!」
バレッタ王子の叫びに答え、剣がオレの胸へと飛び込んでくる。
無論、人の身を優に超えるほどの大きさの剣など、受け止められるべくもない。
そもそも、近づけば人の身など灰に帰すだろうが。
「正直侮ってた。……だから、オレも、本気でその剣を砕かせてもらう」
敵が剣を振るうのであれば、オレはそれを突き壊す。
イメージは全てを穿つ水の槍。
炎の剣すら貫き通す、鋼をも超す硬度――――
「穿て、水の槍よ。――――『蒼斬《蒼穿槍》』」
右手から放たれた水の槍が、あたりに衝撃波を伝播する。
衝撃波が生じるほどの速度。すなわち、それは音速。
ありえない速度で放たれた水槍はそれだけで、全てを壊す破壊力を持つ。それが、『蒼斬』のように高周波振動をしていれば尚更だ。
勝負は瞬きをする間に決する。
金属同士が激しく打ち合わさったかのような甲高い音を最期に、炎の剣が消失する。
見れば遠くでは雲に大きな穴が空いている。彼方まで飛んだ『蒼斬《蒼穿槍ヴァッセント)》』が貫いたのだ。
音速の速さで炎の剣を砕き、そして天空彼方まで飛んでいった。その結果だけしか残らない。
刹那の攻防を認識できたのはオレと、そしてバレッタ王子だけだろう。
いとも簡単に勝敗はついた。
ふらり、とオレの足元が揺らぐ。
「お兄さんッ……!?」
ソフィアが一瞬でオレに距離を詰め、倒れるオレを小さな体で支えた。
「ああ、悪いな、ソフィア……魔力切れだ……流石に疲れた」
先ほどの魔物撃退時に多くの魔力を消費してあまり回復していなかったためだ。
たはは、と笑うオレの目の前でバレッタ王子が力なくくず折れる。向こうも魔力切れのようだ。
無論、くず折れた理由はそれだけではないだろうが。
「嘘、だ……」
言い聞かせるように呟きを漏らす。
だが、声は震えてしまう。
「嘘だ、こんなの……こんなわけがない……俺が……俺がこんな奴に……ッ!!」
悔しげに地面を叩く拳にも力を感じられない。
キッ、と恨みがましくこちらを睨む眼光にも一切の鋭さは無かった。
そんな様子の彼のそばに、ラインさんが近づく。
「バレッタ様の負けです」
「違う! ま、まだ終わってない!」
「もうよろしいでしょう。バレッタ様は、お客人に勝負を挑まれて、完膚なきまでに敗北されたのです」
ラインさんは明らかにバレッタ王子よりも身分が低いだろうにも関わらず、真っ直ぐに現実を突きつける。
「うぇ……ひっく……うわぁああああ!!」
ついに堪えきれなくなったバレッタ王子が泣き出してしまう。そのまま彼はラインさんの胸に顔をうずめる。
ラインさんは慣れた手つきで彼の頭を撫で、興奮が収まるのを待っている。
「はぁ……疲れた……」
ようやくMPが回復し始めたのか体のダルさが引いてくる。
だが、依然として全快には程遠い。
「ゆーくんも無茶するよね……」
「まあ、な。……適当にあしらったり、小手先でどうこうしてもダメだって気付いたからさ」
「え、どういうこと?」
首を傾げる凛にオレは笑った。
「障害は何が何であろうと積極的に排除する。それがたとえ直接的であろうと、何かを傷つけるリスクがあろうと。それが、オレが何も取りこぼさないためには必要なときもあるって、やっと気付いた」
レグザスで1人の少女を取りこぼして、ようやく気付いた。
ただ思考を繰り回しているだけでは、何も掬えない。手を汚そうが、武力行使だろうが、何かを傷つけようが構うな。
「だから、相手を真正面から叩き潰すのが最善なら、オレはためらわずに相手を潰す。穏便にとか、絡め手でとか考えない。……初めから、そうすべきだったんだ」
歯噛みするオレに凛は答えない。
いや、オレも答えなど求めていない。
そう、これでいいんだ。
これで。
そんな会話を経て、オレも凛もただ黙り込む。ソフィアも悲しげな顔を浮べるばかりだ。別に、彼女らにそんな顔をして欲しかったわけではないのだが。
最初に沈黙を破ったのは、バレッタ王子だった。
「……おい、お前」
泣き止んだばかりの腫らした目でこちらを睨みつける。
呼びかける声は虚勢に彩られているが、残念ながら震えは隠しきれていない。
「何だ」
「……名前は」
どうやらオレの名前を問うているらしい。
答えても構わないが、
「名前を聞くときはまず自分から、ってのがマナーだろ?」
オレの返しにさらに睨む眼光が強くなるが、オレは涼しい顔でそれをいなす。
勝者はオレで、敗者は相手だ。それを示しておく必要がある。
そうでなければ、いつまた面倒を吹っかけられるか分からないからな。
……次勝負をしかけられたら、無傷で済ませられるとは限らない。
「……俺は、バレッタ・ジモン。今年で15になる。残念なことに、あのゴルドラ・ジモンの……息子だ」
「バレッタ様」
諌めるようなラインさんの声にバレッタ王子は口を尖らせた。
「だって、舐められるだろ……」
恐らく、バレッタ王子が父親であり国王でもあるゴルドラ国王を蔑ろにしたためだろう。いくら息子とはいえ、現職の国王をあしざまに言うのはあまり褒められたことではない。
むしろ、息子だからこそかもしれない。
「オレは、十一優斗だ。旅をしている」
そして、そのままオレを支えている凛とソフィアの紹介をするが、バレッタ王子はどうでも良さそうに聞き流す。
どうやら、彼の興味の対象はオレだけのようだ。
「なあ、あんたに頼みがある」
バレッタ王子はやや口ごもりながらも、こちらを睨みつけて言った。
「悪いが、断る」
「は!? ま、まだ何も言ってないだろ!?」
「頼みがある、と前置きされた頼みごとで面倒事じゃなかったものはこれまで一つも無い。オレは面倒に巻き込まれるつもりはない。だから断る」
オレの物言いにバレッタ王子は口元を引きつらせるが、何とかそれを押さえ込んだようで、そのまま続けた。
「俺をあんたの弟子にしてくれ」
「……断る、って言ったよな?」
あまりに予想外の言葉に、一瞬だけ呆気にとられて返事が遅れる。
だが、どういうことだ?
自分を弟子にして欲しい?
その真意を探ろうと、訝しげな視線を送るとバレッタ王子は答えた。
「……俺は伝説の大賢者様みたいに強い魔道士になりたいんだ。これまで、俺は色々な魔道士と力を競い、そして打ち勝ってきた。……俺は、初めて負けた」
消え入りそうな声で、バレッタ王子は屈辱の恨み言を漏らす。
表情はやはり年相応というべきか、多感な時期に似つかわしく、複雑だ。
自分を打ち負かした相手に教えを請うことへのためらい、けれどもそうしなければ強くなれないという希求。その二つの葛藤に揺れる。
「……そうだとしても、オレがお前の師匠を断ることに変わりは無い」
「そうだよ! ゆーくんの弟子はわたしだけなんだよっ!」
「お前は黙ってろ」
凛の頭を掴みそのままグリグリと力を加える。奇矯な悲鳴を上げる凛を尻目に追いやり、オレはバレッタ王子に意思を変えるつもりは無いことを伝える。
だが、そうは簡単にいかないらしい。
「何だ、そいつはあんたの弟子だったのか。だったら、もう1人、俺をとってもいいんじゃないか?」
図々しくもそう主張するバレッタ王子に、今度はオレが頬を引きつらせる。
「仮に1人弟子がいるとしても、それがお前を弟子にする根拠にはなりえない。それに言っただろ? 俺らは旅をしている。ここにはせいぜい一週間も滞在しない」
「なら、雇う。流浪の冒険者か行商人だろ? 一生不自由ない暮らしを約束する」
国の権力と金にものを言わせた強引な交渉。
本来、大抵のものであればこんな条件を提示されれば一も二も無く飛びつくだろう。
だが、オレは平生の冒険者や行商人ではない。世界を厄災から救うために動いている。
……そして、仮にそうでなくとも、オレがそんな幸福で自堕落な生活に陥るなど、他でもないオレ自身が許さない。
「……悪いな。それも呑めない。ここで暮らすつもりは毛頭無いし、お前を弟子にする気も無い」
「これでもダメなのか……」
バレッタ王子が眉を下げ、悔しさに歯噛みする。
「……どうすれば、俺を弟子にしてくれるんだ?」
懇願にも近いその視線をこちらに向け、バレッタ王子が請う。
「言ったろ。オレは旅をしている。ここにとどまるつもりは無いって」
「じゃあ、あんたに付いて行く」
「…………は?」
オレの返事に迷い無く返された言葉は、逆にオレに混乱をもたらした。
何を、言っているんだこいつは?
「だから、あんたがここにとどまれないなら、俺があんたに付いて行きながら教えを請えばいい」
「いけません、バレッタ様。ジモン家の――――」
「いいだろ、別に。誰も俺に期待なんてしちゃいない。王位は兄さんたちの誰かが継承するだろうし。他所の貴族に俺みたいなの送り込んでも、すぐに突き返されるのがオチさ」
バレッタ王子はその猫の尻尾を揺らすと、頭に生えた自分の猫耳をなでた。
その仕草は妙にあでやかで、けれども儚げだ。
先ほどまでの威勢の良さや、体面の強さが剥がれ落ちてしまったかのようだ。顔は笑っているのに、とても悲しそうに見える。その表情は、どこか、春樹のそれに重なった。
だからこそ、オレに逡巡が生じてしまった。
「……師匠って、具体的には何をして欲しいんだ」
オレの問いにバレッタ王子が面食らったように目を見開く。
凛も隣で驚きに声を上げた。
「も、もしかして弟子にしてくれるのか!?」
ピコピコと嬉しそうに耳を揺らすバレッタ王子に、手だけで待ったをかける。
「内容を聞いてみて吟味する」
「あ、ああ! 師匠ってのはな、魔法の師匠をして欲しいんだよ!」
やっぱりそういうことだよな。
自分の予想と全く違わない回答に得心する。
「俺はまだまだ弱い。……悔しいけど、あんたの魔法はすごいよ。ああ、感動した。思わず腰が抜けちゃったぐらいだ」
先ほどへたれこんだのはMP切れだけではなく、感動ゆえ力が抜けたようだ。
そこまで感激されると、どうにも面映いが、それをおくびにも出すことは無い。
「だから、強い魔道士になれるように鍛えて欲しいんだ」
「……バレッタ……様は、十分にお強いと思いますが」
「でも、あんたには及ばない。ああ、それと様はつけなくて良いから。あんたにそう呼ばれると、何か、こう、気持ち悪い」
き、きも……
気持ち悪いと正面をきって言われたことにオレの心が折れかかっていると、バレッタ王子はまくしたてるように言った。
「頼む。このラグランジェに滞在している間だけでもいいんだ! 俺に魔法を教えてくれ!」
そのままバレッタ王子は勢いよく頭を下げた。
最敬礼だ。
それにはさすがのラインさんも動揺を隠せなかったらしく、その能面のような表情に焦りを浮べていた。
彼は強さを望んでいる。
そして、形は違えど、オレはもう1人、かたくなに強さに固執する人を知っている。
だからこそ、オレは問う。
「一つ、聞いていいか?」
「な、何だ?」
「お前が、強さを求める理由は何だ?」
息を呑む音が聞こえる。
それはバレッタ王子のものではなく、隣にいるラインさんのものだ。
「――――守るため。もう何も、失わないため」
迷い無く宣言したバレッタ王子を見てため息を漏らす。
オレは、彼に魔法を教えることにした。
主人公が一番ちょろい説
 




