61、要塞都市への旅路
新キャラ登場。
ガラガラ、と車輪の回る音だけが周期的に鼓膜を揺らす。
ぼんやりと、既に遠ざかってしまったクレーターを視界の端にとらえる。
都市の姿はくぼみに落ち込み、無論外側から全貌を見ることはできない。今はそれがありがたかった。
あの街で、オレは二人の少女と邂逅した。
1人は明るく快活で甘え上手だ。
1人口下手だがしっかりとしており、とても強い子だ。
けれどもオレは1人の少女を取りこぼしてしまった。
また、救えなかったのだ。
自らの未熟さ、弱さ、至らなさを文字通り痛感する。
胸を強い痛みが貫き、こみ上げる吐き気をこらえる。
「……ん、大丈夫だ。悪いな、ソフィア」
不安げにこちらの様子を窺うソフィアの頭をためらいがちに撫でる。
最初は怯えていたソフィアも今はただ黙って撫でられている。
それが逃避でしかないことに、目を逸らしているだけだということに気付いておきながらも、オレは彼女の頭を撫で続ける。
このままではいけない、とは思う。
でも、それと同じぐらい忘れてはいけないとも思う。
せめぎあう二つの思いは、オレの顔から表情を奪っていく。
「……大丈夫、です」
ソフィアに励まされる現状に惨めさと悔しさを感じて、小さく息を吐いた。
考えていても、仕方が無い。
オレはオレのすべきことをするんだ。
「とりあえず、」
オレが漏らした言葉に凛とソフィアが顔をこちらに向ける。
「これから5日ほどかけて、ここの南にある『要塞都市ラグランジェ』に向かう」
「要塞都市?」
凛の問いに頷きを返す。
「昔、南部の亜人族――――まあ、主に獣人族たちだが――――と人間との間で大きな戦争があったんだ。そのときの南部を守るための砦が今は街になって残ってるってわけだ」
人間は主にこの世界の中央から東部にかけて生活圏を広げており、亜人族、とくに獣人族は南部に、魔人族は北部に生活している。
これは大雑把な区分に過ぎず実際はもっと複雑なのであるが、南部においてはまさにこの通りで、南に下れば下るほど獣人亜人の割合が増えていくのだ。
「んで、そのちょうど境目ぐらいにあたるのがオレらがこれから行くラグランジェ要塞ってわけだ」
「……私も、ここに来るまでに寄りました」
「そうなのか?」
「はい、ずっと鎖につながれていたので、見てまわることは、出来ませんでしたけど……」
嫌なことを思い出したのか震えるソフィアの頭をなでる。
震えは収まるが、体の強張りは消えない。
魔法道具のお陰で竜車の揺れは無いが、それでも大きな石でも轢いたのか、そのまま彼女の体が縦に跳ねた。
「ってわけで、これから向かうラグランジェ要塞でまた新しい竜車に乗り換える。それで、フローラ大森林に入れるはずだ」
この竜車の旅で何もなければそのまま到着できるはずだ。
もう、これ以上何も起きて欲しくないのではあるが。
「そういえば、さ」
オレの上げた声に凛とソフィアが首を傾げる。
「嫌なら答えなくてもいいんだが、その、何だ。……ソフィアのことをもう少し教えて欲しい」
歯切れの悪い聞き方になってしまう。だが、事実として彼女について、例えば奴隷となった経緯について、オレや凛はあまりに何も知らなさ過ぎる。
かつてエルナに聞いたときは「ソフィアは人さらいにさらわれた」とは言っていたが、まだ本人の口からは詳しく聞けていない。
彼女がもし親に売られた、などであれば村に帰りたいとも思わないはずだが。
そんなオレの推測を他所に、ソフィアはオレの意図するところを察して、沈うつな面持ちで語った。
「村のはずれで、いつもみたいに、薬草とかを集めていたんです。えっと、村っていうのは狐人族の集落で、フローラ大森林の『大樹』の近くにあって……」
思い出したくも無い記憶を掘り起こす彼女にいささかの罪悪感を感じながらも黙って聞き続ける。
「そしたら、後ろから急に襲われて、それで……」
そのまま誘拐され、奴隷にされた、と。
言葉にすれば単純で、欠片の意外性も無い話かもしれない。
だが、間違いなく胸糞の悪くなる話だ。
オレも凛も彼女の悲運に顔を歪ませるが、ソフィアはそれを見て慌てて手を振った。
「あ、えっと、でも、お二人に助けていただいて、故郷まで帰れるので、私は、すごく幸運だと思います」
前向きにそうオレらを気遣う姿はとても年端も行かぬ少女には見えない。
背など、オレの胸下までしか無いのに彼女の強さはオレを追い抜くほどだろう。
「……必ず、送り届けるからな」
小さく決意を固めるように呟く。
何気なく外の景色を見ると、緑が減ってきており徐々に土の色が目立ってきた。恐らく乾燥帯に入ってきたのだろう。
草の丈は短く、木々はほぼ見られない。
こうした乾燥地域では水の確保にも一苦労だろうが、生憎オレは『持ち物』に大量の備蓄がある。そうそう水や食料が不足するということは無いはずだ。
ただ、凛にソフィアと想定の三倍の人数で旅をしているため、あまり悠長なことも言っていられない。消費量が三倍とすれば、おおよそ十日ほどしか持つまい。もし大きく予定が変わるようなことがあれば、今一度物資の節約や補給を考え直さなければならない。
それから凛はソフィアと話し始め、あれこれと女子らしい雑談に花を咲かせている。
オレの居場所は既に無いので、黙って脳内に記憶した本を読み漁る。
何事もなく平坦な旅路は続く。レグザスでの波乱が夢であったかのように。ただただ、滞りなく。
それから景色は一日ごとに変わり続けた。
砂漠に程近いような乾燥地域を抜けた後には、徐々にまた緑が増え始めた。
そして、そのままリスチェリカ周辺に似たような草原が広がり、やがてちらほらと潅木も見受けられるようになった。やはりこの世界においてもケッペンの気候区分よろしく、気候はグラデーションを描いているようだ。
異世界においてもある程度の気候パターンが存在することに一人納得しながら、遠くに沈む夕日を見やる。これで竜車から眺める夕日は四回目だ。
今晩はまた野宿だ。明日の昼前には目的の場所、ラグランジェ要塞につくはずだ。既にリスチェリカを出発してから、二週間近くが経過している。日数だけを見れば順調だが、その中身は散々なものだ。
先ほどこしらえた簡単な料理を口に運びながらひとり思索にふける。
「お、美味しいですね……」
ソフィアが目を丸くしてオレの料理を褒める。
「う、うん……すごく美味しいね……」
凛の賛同を得てソフィアがしょんぼりと肩を落とす。
「すみません……これなら、ここ数日の食事も、私じゃなくて、お兄さんに作ってもらうべき、でしたね……」
ここ数日、ソフィアが「料理ぐらいは自分がやる」と言い出したので彼女に任せていたのだが、器具の扱いになれていないこともあり、出来上がった料理はあまり美味しいとは言えない代物だったのだ。
泣きそうなソフィアを凛が慌ててなだめかすのを見ながらオレは小さく笑った。
「まあ、昔から料理は家でよくやってたからな」
「へー、意外かも」
「そうしなきゃ、誰も飯を作ってくれなかったんだよ」
軽く言ったオレの言葉に凛が気まずそうに口に手を当ててしまう。
彼女の申し訳なさそうな顔を見てオレは笑った。
「ああ、別に気にすんな。家庭状況に何の問題も無かった、とは言わないが、オレ自身もう吹っ切れてるから」
そう。オレの中では既に家族に対する決着は付けている。
両親は死んだ。
それだけだ。
「ま、そんなことよりさ。そろそろラグランジェ要塞に着くわけだが。ソフィアの村ってどのあたりにあるんだ?」
彼女がフローラ大森林の狐人族の出自であることは知っているが、それ以上の情報はまだ手に入れていない。
「えーっと……それが、その……分からなくて」
「分からない?」
オレが気分を害したとでも思ったのか、ソフィアが竦み上がる。
慌てて笑いながら手を振るオレに、ソフィアが怯え怯え、続けた。
「はい……私たちの村は、定期的に移動しますので……」
「遊牧でもしてるのか?」
「いえ、そういうわけでは……昔からの慣習なんです。同じ場所にい続けると、よ、良くないことが起こるからって」
そうか……
一定期間ごとに居住区を変えるのは元の世界のモンゴルなどでもよく見られる。遊牧民というやつだ。
だが、ソフィアたちの村はまたそれとは違った理由で移動をしているらしい。
「それでソフィアがつかまっている間に移動した可能性が高いと?」
「はい……」
なるほどね。
「まあ、分かった。とりあえず、探す方法については何とか考えよう」
情報も無い現状で対応策を練ることは出来ない。
さすれば、今は保留しておき、実際にフローラ大森林に到着してから考えるべきだろう。
そんなオレの言葉にソフィアが目を丸くする。
「どうした?」
「あ、いえ……本当に、いいんですか?」
いいんですか、と問うその中身は何だろうか。
「私のためにそこまで……」
「いいんだよ。やり遂げるって宣言したんだ。男に二言は無い、って言葉知ってるか?」
ソフィアは首を振る。
どうやらそういった諺はこちらとあちらで違うらしい。
「男は一度言ったことを違えない、っていうオレの故郷の諺だ」
そう言うと、オレは彼女に歩み寄り頭をなでる。
もはや彼女の頭を撫でるという行為はルーティンと化していた。きっと、ソフィアのためだけではない。オレ自身、心のどこかでその行為に安寧を求めているのかもしれない。
「だから、あんま遠慮すんな」
そう、無理矢理に自分のエゴを貫き通す。
日がほとんど沈み、空が紺色に塗りつぶされていく。
何度日が沈もうとも、また日は昇る。
それはとてもありがたいことで、奇跡のようなことなのだと、今だから思う。
ソフィアの向けてくるか細い尊敬のまなざしから目を背けて、そんなことを、考えた。
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「んー、美味しかったぁ」
「すごく美味しかったです、ありがとうございました」
満腹げにぷはーと息を吐く凛と、慎ましく頭を下げるソフィア。
これが女子力の差って奴か……
「よし、じゃあオレは風呂作るわ」
「いつもながらに思うけど、その表現っておかしよね……」
凛の苦笑交じりの視線を受け、オレは首を傾げる。
はて、何がおかしいのか。
この竜車での移動において、体を清潔に保つことは中々難しい。
それは偏に水が手に入りにくいからであり、またシャワーや浴槽などというものを持ち歩くのは荷物がかさばりすぎるからだ。
だから、大抵の旅人は体を濡らした布で拭くか、近くに川か泉があればそこで水浴びをする程度で体の汚れを落としている。
だが、オレには魔法がある。
しかも無詠唱かつ自由度の高い魔法が扱えるのだ。
そうすれば、風呂桶やシャワーもどきの一つや二つ、簡単に作れるわけで。
土魔法でこしらえた簡単な五右衛門風呂に木の底敷きを落とし、いつもの要領でお湯を注いでいく。無論、そのお湯は水魔法と火魔法の混合により作られたものだ。
最後に、土魔法で五右衛門風呂の周りに簡単な壁を作り、その一箇所にシャワーのための穴を開ける。そこに木製のザルをとりつければ、あら不思議簡易シャワーの出来上がりってわけだ。
え、シャワーのお湯はどうやって出すのかって? そりゃ……
「ゆーくん! お湯出して!」
「お願いします……」
「はいよー」
無論、手動だよ!!
言われるがままに、シャワー用の穴に繋がる壁の水溝にお湯を注ぎ込む。
オレの役目はシャワーのお湯供給係及び、竜車一行のほかの旅人が覗きに来ないかの警備員役だ。
というか、まず覗きをする犯罪者予備軍としてはオレが疑われて然るべきなのだが、凛いわく、
「えー……ゆーくんが覗いてくれるなら、その、わたしはいいよ?」
などというわけの分からない供述を繰り返しており、警察では余罪の追及を……
「まあ、それにゆーくんは多分、覗いてって頼んでも覗かないしね」
という、信頼なのかよく分からないありがたいお言葉を頂き、今に至る。
凛は毎晩ソフィアと一緒に入っており、今も二人でキャッキャウフフと風呂場で騒いでいる。
まあ、騒いでいるのは主に凛のほうなのだが。
1人無聊を慰めながら夜空を眺めていると、再び声が飛んでくる。何だ今度はお湯の温度に不満があるのか? 一瞬そう思うも、それは凛のものではなかった。そしてソフィアの自身なさげなそれでもない。
「あのー……」
「ん? あ、はい。どうしました?」
額に傷のある、金髪の青年が話しかけてくる。見れば後ろには女が二人。
何だ、また厄介ごとか?
警戒を隠すこともせずに三人を見やると、金髪の男が慌てて手を振った。
「ち、違います! 決して怪しい者ではなくてですね!」
「その言い方する人はまず間違いなく怪しい者なのでは……」
後ろに控える女の1人が男に半眼を浮べる。
いや、元々そういった目つきらしく、ジト目がちだ。背丈は凛と同じぐらいでローブを羽織っているが、水色の髪が夜でもよく見える少女だ。
対する、もう一方、長身の赤髪の女がはぁ、とため息をついた。
「アンタが言わないならアタシが言うけど」
「ま、待てって! そう急くなよ! ほら、物事には順序ってものがね……?」
金髪の男がタジタジになっているのを見て、オレは少しばかり警戒を解く。
どうやら、オレらに対して害意を持っている、というわけでは無さそうだ。
改めて金髪がこちらに向き直って言った。
「えーっと、僕は、この一行で別の竜車に乗っている、冒険者のエルヴィン・カーマインと言います」
「オレは十一優斗です。それで、うちにどんなご用件が? 一応、後ろの壁の中で女子が二人、湯浴み中なんで出来ればお引取り願いたいのですが」
親指で後ろの箱を指差しながらオレが言うと、金髪が申し訳なさそうに言った。
「そ、そのことなんです」
「そのこと?」
「はい……今回の旅は乾燥地域で、なかなか川や水場が無く、水浴びをすることが出来なくて。それで、もしよろしければ僕ら……というかうちの女性陣にもその浴用施設をお貸しいただけないかな、と……」
たはは、と力なく笑う様は誰かの面影と重なる。
オレはようやく警戒を解く。
「……別に施設なんて大層なもんじゃありません。オレが魔法で適当に作っただけです」
「やっぱり……魔法なのですね!」
水色の髪の少女が目をキラキラと輝かせる。
手に持っているロッドからも魔法使いであることが窺える。やはり、魔法に関する探究心は強いようだ。
「素晴らしい魔法使いの方だとお見受けします!」
「あ、いや……」
その食い気味の彼女の姿勢にオレが一歩後ずさると、金髪が少女をたしなめた。
「こら、ミレフィア。困っているじゃないか。僕らはお願いしている立場なんだぞ」
「えー……エルヴィンはけち臭いですね」
「けち臭い……」
「まあ、コイツがけち臭いのは今に始まったことじゃないじゃない」
「ちょっと、ガリシア? 君まで……」
女子諸君にタジタジになっている金髪君には妙な親近感を覚える。
後ろの水色髪の少女はミレフィア、もう一方の赤髪で長身の女性はガリシアというらしい。
「……まあ、使っていただいてもいいですけど、シャワーはオレの手動ですよ?」
「手動、と言いますと水を汲んで?」
「いえ、水魔法でお湯を流してます」
そう言いながらお湯を流すための溝を指差す。
オレの説明に三人ともぽかんと口を開けたままにして固まる。
「そ、そんな贅沢な使い方……すぐに魔力が切れるはず……」
「ゆーくん! もっかいシャワーお願い!」
「了解した」
百聞は一見にしかずとオレが無詠唱でお湯を供給すると、今度は驚きの声が上がった。
「……ま、というわけで、オレの労力やらなんやらがかかるわけで。お貸ししてもいいですけど、タダってわけには、ねぇ……」
意味深な目配せを送ると、金髪は萎縮して申し訳なさそうな顔を浮べた。
「お、おいくらでしょうか……あまりお金は持っていなくて……」
そんな風にためらいがちに対価を問う金髪、エルヴィンにオレは不敵な笑みを浮べ、
「金じゃないです。オレが欲しいのは、――――情報、ですかね」
そう言い放った。
こちらの女子二人が風呂から上がり、状況説明、エルヴィンの連れ二人が簡易風呂場に入ったところでようやく落ち着いた。
「改めて自己紹介を。僕はエルヴィン・カーマイン。今、お風呂を借りている二人は、水色の子がミレフィア・アルノルド、もう一方がガリシア・ニュリオ。僕らは、Bランクの冒険者なんです」
エルヴィンはそう話し始める。
裏では水の音が聞こえ、彼の連れである二人の女子が湯浴みをしている。
オレの横には火照る体を冷ましているソフィアと凛が座っている。
「そうですか。オレはDランクの冒険者です。先輩ですね」
そうオレが言うと、エルヴィンは手を振った。
「敬語はよしてください。むずがゆいです。それにあなたの魔法を見てるととてもDの冒険者には見えない」
そう言ってエルヴィンが苦笑する。
「じゃあ、お互いに敬語は無しってことで。まあ、登録したはいいけどクエスト受けて無いんだよ」
「なるほど……確かにそれならばDなのも納得、かな」
さもありなんと頷くエルヴィンに質問を続ける。
オレが彼らに浴用施設を貸し出す条件として、色々な情報を提供してもらうことになった。
やはり実地の冒険者たちの意見や情報というものは得ておいて損は無いはずだ。
「出身は?」
「西の方だよ。ここから、そうだね……ざっと二週間ぐらいかな?」
というと、リスチェリカと距離はほぼ変わらないか。
方角は全くの反対だが。
「そういうそっちは……」
「オレはもっと東の方だ。この子は南部の出身だけどな」
そう言ってソフィアに視線をやると、ソフィアはエルヴィンが怖いのかオレの背中に隠れてしまった。
少し前まではオレすらも怯える対象だったのだから進歩したものだ。
1人感慨にふけっていると、エルヴィンが居住まいを直す。
「……それで、どんな情報を? 僕が知っていることもあまり多くないけれど」
「そうだな……まずはフローラ大森林について、知っていることがあれば何でも話して欲しい」
「フローラ大森林? ああ、一度だけ行ったことがあるよ」
どうやらエルヴィンらは西部から南部にかけてを転々と移動しながら稼いでいるらしく、前に一度訪れたことがあるようだ。
「あそこは大森林の名に恥じないぐらい本当に広大で深い森だ」
思い出しながら語る。
「太陽の光が遮られて昼間でも暗いし、少し先はつたや植物でまるで見えやしない。魔物も隠密性に長けた奴が多かったし、苦労したなぁ……」
心底嫌そうに言うが、その底には思い出を懐かしむような心情が窺えた。
「後は、不用意に獣人の集落に入って、攻撃されたこともあった」
「入っただけで攻撃されるのか?」
「ああ、フローラ大森林に暮らしている獣人たちは閉鎖的な生活をしているところが多くてね。特に、一昔前までは人間と戦争なんてやってたから、そのときの敵愾心やら恨みやらを抱えているところもザラなんだ」
フローラ大森林という地理的に隔絶された地域だからこそ、文化が生まれ変わることも、意識が刷新されることも無い。だから、未だに人間に対して悪感情を抱くものも多いということだ。
だがそれは人間と言えど同じだろう。
亜人や獣人に対する差別はリスチェリカやレグザスでも後を絶たなかったし、人間が彼らを見下す意識は消えるどころか、昔とほとんど変わっていないだろう。
だからこそ両者の間の亀裂は深く、埋めることは難しい。
「他には? フローラ大森林のダンジョンの話とか分かるか?」
「……ダンジョン、ね。あそこは一番やばかったな」
「行ったことがあるのか!?」
「いや、僕らと協力してたパーティがね」
エルヴィンの話によると、フローラ大森林での任務は他のパーティと共同で行っていたらしく、もう一つのパーティが任務の途中でダンジョンを様子見に行ったらしい。
そしてその結果は、
「……1人も帰って来なかったよ」
「そりゃ、まあ、……気の毒だとしか言い様が無いな」
言葉に詰まるオレにエルヴィンは力なく首を振った。
「……別に彼らが力不足だったわけじゃないんだ。彼らは僕ら以上に連携もとれていたし、強かった。でも、1人も、そう、たったの1人も帰って来れなかったんだよ。ただ、様子見に入っただけだったのに」
後悔が混じるその表情の裏にあるのは自戒。
どうして止められなかったのか、もしかしたら自分にも何か出来たのではないかという傲慢極まりない後悔。
だが、その思いは痛いほど理解できてしまう。
「……だから、君もダンジョンに挑む気ならやめておいたほうがいいと思うよ。決して、いいことにはならない」
「……ご助言、痛み入る。考えておく」
これ以上は何を言っても無駄だと思ったのかエルヴィンは「他に質問は無いか」と問うた。
「ああ、そうだ。これからオレらが向かう要塞都市ラグランジェだけど、何か気をつけることとか、近況で変わったこととかあるか?」
「変わったこと、か……僕らも詳しい情報を仕入れているわけじゃないから分からないけど、どうやら最近ラグランジェの獣人と人間の関係が悪化しているらしい」
ほう、そりゃあきなくさいな。
「もしかしたら、いさかいごとが増えているかもしれないから気をつけた方がいいよ」
「ありがとう。他には?」
「そうだな……ラグランジェが獣人と人間の住み分け都市だって知ってるかい?」
「ああ、知ってる」
ラグランジェは長い壁のような要塞を境に北側に人間の居住区、南側に獣人や亜人の居住区が広がるという、セグリゲーションが顕著な都市だ。
これは、本来要塞の南側に獣人たちが居を構えていたのに対して、人間との戦争が終結した後に、北側に人間の移民が居を構えたためだと言われている。
人口比はやや獣人や亜人が多いくらいだが、王政を敷いており、王は代々獣人がなる。
南北を隔てる要塞が、そのまま王城になっている。
「南部を通る際は、本当に注意した方がいい。今乗っている竜車だとフローラ大森林に入れないから、特別な竜車が必要になるんだ。それは南部で調達することになると思う。まあ、でも特別な奴は高いから、多分歩いていくことになるけど」
竜車で行けない……?
その理由を考えて、一つの答えに行き当たる。
「そうか……車輪が草を噛むのか」
「それに車輪が空回りしやすいんだよ。下が沼だったり濡れた草だったりするとね。道らしい道も整理されていないし」
どうやらフローラ大森林は相当な未開地らしい。
本当にこの面々で移動しきれるのか……?
凛は身体能力も高くスタミナもある。まず問題はあるまい。だが、オレとソフィアはほぼ並の身体能力しかない。あまり無茶な行軍は出来ないだろう。
ましてや行軍場所は魔物の跋扈するうっそうとした森林地帯。気が抜けないはずだ。
「参ったな……」
ひとりごちるオレに、エルヴィンは大丈夫だと笑った。
「獣人のガイドをとればそうそう迷うことは無いし、無事に奥地までいけるから安心するといいよ」
「それならいいんだが……」
ひとまずはエルヴィンの言葉を信じるしかない。
そんな風に質問の応酬をしていると、後ろの水音がやみ、二人の女が出てくる。ミレフィアという少女と、ガリシアという女性だ。既に衣類を着ている。
「……今度はこちらから質問してもいいですか?」
上がってきてそうそう、ミレフィアが質問をぶつけてくる。
目に宿るのは好奇心と尊敬の眼差しだ。まずは濡れた髪を乾かして欲しい。
「ま、まぁ、可能な範囲なら……」
若干引き気味にオレが答えると、彼女はさらにその目の輝きを増した。
「あなたの使っている魔法は一体何ですか!? こんなに複雑な魔法を一瞬で発現するなんて、今まで見たことがありません! それに、あなた詠唱していました? もし詠唱無しで魔法を使えるのであればこれはもう神の申し子と呼んでいいほどの魔法使いですよ! 是非、どうやっているのかご教授を……」
早口でまくしたてるミレフィアの頭をエルヴィンが軽く小突いた。
「こらこら……あまり矢継ぎ早に言うものではないよ」
「……エルヴィンはけち臭いですね」
「今回は僕悪くないよね!?」
やれやれ、と呆れた視線を向けられることに憤慨するエルヴィンを一瞬のうちに視界から外すミレフィア。
うーん……なんか完全に尻にしかれてるなぁ。
苦笑を漏らすオレに、質問の答えを、といわんばかりに熱い視線を向けてくる。
「……まあ、人並みに魔法を使える、とだけは言っておくが、どうやっているのかとかはノーコメントで」
「のーこめんと……?」
「要するに、秘密ってこと」
「ええー……」
がっくりと肩を落とすミレフィアを隣のガリシアが慰めている。
「……すまないね。答えにくい質問をしてしまったみたいで」
代わりに謝罪をするエルヴィンにオレは肩をすくめた。
「いや、構わない。オレも知識には貪欲だからな。不可解なことを知りたいと思う気持ちは分からなくもない」
ただ、その言葉にはこれ以上何も答えるつもりは無いというニュアンスがこめられている。
どうやら向こうにもそれは伝わったらしく、徐々にとりとめもない話題にシフトしていく。
パチパチ、とあたりを照らす火が弱まり始める。
どうやら相当長い間話し込んでいたらしい。
「じゃあ、長い間お邪魔して悪かったね。……またどこかで縁があれば」
拳を突き出すエルヴィンに、オレは逡巡しつつもぶっきらぼうに拳をつき合わせた。
「…………ああ、またどこかで」
あたりは暗くオレの表情までは相手に見えなかっただろうが、苦虫を潰したような顔はとてもエルヴィンに見せられるものではなかった。
そしてその会話を最後に夜会はお開きとなる。
火は立ち消え、空に上る星星だけが自分を照らす。
何故だか、その淡い光だけが存在する暗さに、安堵の息を漏らした。
エルヴィン君はこれからもちょいちょい絡むかも。




