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59、凍ていく、世界も自分も

今回一万文字あります。


 オレたちは悶々としながらも、一晩を宿で過ごした。


 恐らく、今頃はガルデムの下にオレの情報が伝わっているはずだ。

 そうすれば、オレの切り札はしっかりと切り札として仕事をする。

 くぁ、と欠伸を小さく噛み殺し顔を洗う。


 緊張。

 失敗は許されないということへの不安が、オレの顔から表情を奪っていく。

 これまでも何度もあった。

 それも命を失うかもしれないといった一度限りの勝負が何度も。

 でも、それで失われるのは自分の命だ。

 だから良かった。


 けれども今回は違う。

 ベットはオレの命ではなく、罪の無い二人の少女の命だ。

 年端も行かず、酸いも甘いも噛み分けることすらできず、奴隷に身をやつした少女たち。


 彼女らの人生がかかっている。


 その言葉はオレの肩に責任の二文字を重くのしかからせる。


「……くそっ」


 小さくぼやいただけなのに、耳ざとい凛に声が届いてしまった。


「大丈夫? ゆーくん」


 ……彼女に心配をかけさせるようではまだまだらしい。


「……いや、問題ない。凛は不測の事態に備えておいてくれ。特に近接戦闘はオレなんかよりお前の方が絶対に強いからな」


「うん。任せといて。わたし、交渉とか多分できないけど、ゆーくんのことは守れるようにするから」


 女子に守ってもらうのも何とも情けない話だが、彼女の『術法』の結界と近接戦闘はボディガードをすることに特化しているといっていいほど向いている能力なのだ。


 だからオレは交渉に集中する。


「よし、行こう」


 覚悟を決めるようにして、歩みを進める。

 奴隷商の下へ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「よくいらっしゃいましたね。さあ、どうぞ座ってください」


 いかつい男に促されるままにオレはソファに腰を鎮める。

 凛もすぐにオレの隣に座った。


 応接間と思しき場所だ。

 向かい合うソファの間にはテーブルが置いてある。

 テーブルに置かれた花瓶には花が差してあり、部屋も小奇麗にまとまっている。

 その外観の小奇麗さが、妙な不快感を煽る。

 置かれたテーブルの丈は高くは無いが、双方をしっかりと隔てている。


 片方はオレと凛。

 そしてオレらの向かい側であるもう片方には、いかつい男と、その後ろに二人の黒服の男が控えている。

 真正面に座る男の目つきは鋭く、口は笑っているが油断がならない。眉の辺りに切り傷を持ち、顔や手には火傷の痕が見える。

 身長はオレが見上げる程度に長身で、座ってもなおその威圧感は減ることが無い。

 岩のような手や顔つきは見る者を萎縮させるには十分な武器だ。


「さて、まずは自己紹介から行きましょうか……」


 目の前の男が口元に笑みを浮べながら話し始める。

 どうやら、オレに自己紹介をしろということらしい。


「……オレは十一優斗です。こっちはツレの織村凛です。基本的に、話はオレがすると思ってくれて構いません」


「お、織村凛です」


 オレの会釈に続いて凛が頭を下げる。

 それを見て、男はさらにその笑みを浮べた。


「……なるほど、昨日お手紙を頂いたご本人で間違いないようですね」


 じっくりと品定めするような視線をオレらに向けると、男はまたニコニコと笑い出した。


 食えない男だ。


「私はケリー・ガルデムと申します。奴隷の斡旋を生業にしております。……さて、お二人は何やら急に奴隷がご必要だとか……用途をお伝えいただければこちらでも様々な種類の奴隷を取り扱いしておりますので、必ずやご期待に沿えるかと。例えば、狼人族の男であったり――――」


「大変興味深いお話ですが、ガルデムさんも人が悪い」


 ベラベラと調子良く話すガルデムにオレは負けじと満面の笑みを返す。

 ぴくり、と彼の頬が引きつるのを見過ごし、オレは笑顔のまま続けた。


「もうお分かりでしょう? オレらの目的の奴隷。……猫人族と狐人族の少女がいるはずです。片方は赤茶色の癖毛、もう片方は紫色の髪を腰あたりまで伸ばしているはずです」


 オレの説明を聞いて、ガルデムは少しばかり表情を維持しきれなくなりそうになるが、それでもなおギリギリのところで笑顔を保つ。


「おお! どこでお耳に挟まれたのか、お目が高い! そうなのですよ! 実は、うちが秘密裏に手に入れた上玉な獣人族の少女の奴隷がおりまして……」


 密談でもするかのような白々しいガルデムの態度に凛が文句を言いそうになるのをオレは手だけで静止した。


「それは楽しみです。お見せいただいても?」


「少々お待ちください。……おい、連れて来い!」


 オレらに向けるのとは違う野太い声を扉の外へと飛ばす。

 ややあってから、ジャラジャラという音が聞こえ扉が開く。


「ユートさん……凛さん……!!」


「ソフィアちゃんにエルナちゃん!」


 凛が思わず立ち上がる。


 そこには、両手足と首を太い鎖でつながれたエルナとソフィアの姿があった。

 目元は泣き腫らしたのか真っ赤になっており、布で隠してはいるものの体のあちこちに痣が見られる。恐らく、逃亡したゆえの懲罰だろう。

 彼女らの痛ましい姿に怒りが腹の底からわきあがるも、オレは冷静さを失わないように息を吐いた。

 その様子をガルデムは見世物でも見るかのようにニヤニヤと見守っていた。

 ガルデムが男に指示を飛ばし、エルナとソフィアをテーブルの横に立たせる。


「……さて、ここからはお金の話になってしまうのですが……ご予算のほうをお伺いしても―――」


「構いません。二人あわせていくらですか」


 オレの直球な物言いに絶句するガルデム。

 だがさすがは商人。すぐに正気を取り戻してまるで今ここで勘定しているかのようにぶつぶつと唱え始めた。


「……獣人族の少女は大変珍しくてですね。ましてや狐人族など『フローラ大森林』の最奥部に生息する種族!希少価値は並みの奴隷とは比べ物になりません!」


 早く具体的な金額を示せと視線を送る。


「そうですね。二人合わせて金貨200枚……といったところでしょうか」


 当然のようにガルデムが吹っかけてくる。

 無論、ガルデムはこの金額をオレが支払えるとは思っていないだろう。

 まあ、実際には金貨400枚弱の貯蓄があるので払えないわけではないが、恐らく何だかんだと理由をつけて値上げされるか売るのを拒否される可能性が高い。


 元々、普通に買うのは諦めている。

 それに、恐らくこの問いはオレに交渉する気があるのか、そしてその力があるのかを問う意味合いも持っているはずだ。

 だから、慎重に答える必要がある。


「……それは少々、度が過ぎるというものではありませんか?」


「ほぉ……何故そのような?」


 迂遠だが無遠慮なオレの物言いに、ガルデムは面白そうに口元をゆがめる。


「折りあって奴隷職人の方にお話を聞く機会がありましてね……狐人族は高くとも金貨せいぜい40枚だと仰っていたんですよ。でしたら、仮にもう1人の猫人族も同じ値段だとしても金貨80枚がいいところだ。だというのに、あなたは僕らに200枚も払えと仰る」


 話にならない、とオレが肩をすくめると、


「これはこれは失礼いたしました。私としたことが勘定を間違っていたようです。商人としてお恥ずかしい」


 お互いに建前を建前で塗りたくり、話の核心に最大限遠回りして至るような会話。

 面倒だが、直球勝負では足下を見られる。

 舐められるのは構わないしむしろ望むところだが、足下を見られ掬われるのだけはいただけない。

 だから、ここは相手に合わせるしかない。


「ええ、確かにいくら狐人族といえど、相場は金貨50枚ほどでしょう。猫人族の方は……処女の少女ということを含めて、金貨20枚といったところでしょうか」


 まだ若干吹っかけているものの、あわせて金貨70枚。先ほどの半分だ。

 いかにこちらをバカにしきっているかが分かる。

 だが、それを突っ込めば交渉が無くなる可能性もある。


「もう少しお安くなりませんかね?」


 十分買える圏内だ。

 だが、まだダメだ。

 相手が交渉を断る可能性がある以上、まだこの交渉を終わらせるわけにはいかない。


「当方としても利益がありますから……そうですねぇ……お客さんはお若い。それに、今すぐに奴隷が欲しいといった熱意も感じられる。その点を買って、金貨65枚でどうでしょうか?」


 驚きの白々しさだ。

 漂白剤でも使ったんじゃないかってぐらい真っ白。

 会話の中身も柔軟剤使ったのってぐらいふわふわだしな。

 だが、これ以上はこのペースで交渉できそうに無いな。

 相手はニヤニヤとこちらの出方を窺っている。


 だから、オレは早々に札を切った。


「そうですか……あ、そういえば先日奴隷職人の方とお話したときにですね」


 唐突なオレの話題転換に隠そうともせず眉をひそめるガルデム。


「オレ、教えてもらっちゃったんですよ」


 とっておきの秘密をばらす子供のように、


「……奴隷紋の設置方法と解除方法」


 今度はオレがあたりの様子を見渡すようにして小さな声で告げる。

 最初ぽかんとしていたガルデムだったが、少しすると吹き出して大きな声で笑い出した。


「……ああ、いやいや失礼しました。お客さんも冗談が上手い――――」


「冗談じゃないですよ」


 ガルデムが言葉の真偽を推し量ろうとオレの目を覗き込むが、そこには欠片の動揺も見つけられなかったのか、再びソファに深くその身を沈めた。


「いや、まさか、そんなはずは……」


 未だ半笑いのガルデムが、テーブルの上にあるタバコに手を伸ばした。

 落ち着くためだろうが、葉巻を口に運び「失礼」というと部下に火を点けさせようとする。


 すかさずオレは、


「火よ灯れ『ファイア』」


 と指を鳴らして火魔法で彼の葉巻に火をつけた。

 その光景に、タバコをふかすガルデムが一番驚く。


「オレ、昔っから魔法が得意なんですよ。……だから、奴隷化のやり方も少し聞いただけで、簡単に分かりましてね」


 もちろんこんなものは嘘っぱちだ。


 奴隷化のやり方も奴隷紋の設置方法も解除方法もてんで分からん。

 だが、ガルデムには恐らくオレが奴隷職人の下で、奴隷になりすぐに奴隷をやめるという、不審な行動をとったことが伝わっているはずだ。


 そして今見せた正確な魔法の発現。

 それは彼にもしかしたら、と思わせるには十分なはずだ。


 これがオレの切れる札。か細いが、届けば相手に凄絶なダメージを与えられる一手だ。

 オレの言葉と魔法にただ目を白黒させるガルデム。


「い、いや……まさか、そんなことがありえるわけ……」


「なんならお見せしましょうか? 今、ここで。奴隷紋用のインクを用意して頂けるのであればすぐにでも」


 オレは畳み掛けるようにそう宣言し、エルナとソフィアを見やる。

 すると、何故だかエルナに微妙に目を背けられてしまう。


 だが、その理由を気にする間もなく、ガルデムが露骨にうろたえる。


「馬鹿な……そんなわけねぇだろ……いや、しかし……」


 口調が崩れぶつぶつと独り言を漏らす彼にさらに続けた。


「オレもこの取引は無事つつがなく終わらせたいと思っているんですよ。だから、たとえ奴隷紋を扱えるとしても、オレはその技術を悪用するつもりなんてさらさらありません」


 オレのこの言葉の意味は要するに脅迫だ。

 もしガルデムが取引を最後の最後でおじゃんにするようであればオレはためらいなくこの技術を悪用してお前に不利益をもたらすぞ、という。

 奴隷職人の稼ぎは、奴隷化の技術が秘匿されているからこそ成立する。だからもしオレがその技術を世間に吹聴するようなことがあれば、商売はあがったりになってしまう。

 奴隷化技術はその習得の機密性の高さ故に、漏れ出て悪用された場合の罰則がほぼ無い。奴隷職人が悪用した場合は業界内で秘密裏に処理されるので、自浄作用があるというわけだ。


 交渉のコツは自信満々に強気で嘘を吐くこと。「まさか、そんなありえない」と思うようなことも、相手が自信に溢れて言ってきたらどうする?


 ありえないことだからこそ、逆に疑念が生じる。

 ありえないはずだ……いや、本当にありえないのか? と。


 一度疑念が生じてしまえば話は早い。こちらから矢継ぎ早にまくし立てれば相手は焦る。

 交渉の基本に則り、奴隷システムの穴をついたオレの切り札。効果はいかほどか。


「さて、話を続けましょうか」


 今度はオレが白々しく口上を垂れる出番だ。

 ガルデムが怒りと屈辱に口の端を震えさせるが、オレは未だに笑みを崩さない。


「金貨65枚……いささか薄給のオレにはまだ手が届きそうにない」


 その言葉にガルデムが肩を揺らす。

 もうその表情に笑みは残っていない。


「……でしたら、一体何枚でしたら?」


 まだ辛うじて敬語を保っているガルデムにオレは口の端をゆがめた。


「まあ、そちらにも利益が必要なのは存知あげています。ですから、金貨55枚ちょうどで手を打ちましょう」


 あくまで値引きのために奴隷化技術の切り札を切った体にする。

 だが、実際は交渉を最後の最後でやめさせないようにするための布石だ。


「……これで、どうでしょうか」


 オレの提案にガルデムは渋い顔を通り越して、怒りに青筋を浮べている。


 屈辱だろう。

 こんな小童に上手いように言いくるめられているのだ。

 特にプライドの高そうな男だ。憤死してもおかしくないほど憤りと恥に身を焦がしていることだろう。

 思う壺だ。怒りや悲しみ、憎しみに溺れる者ほど扱いやすいことは無い。


 ガルデムが熟考を経る。

 ただしその思考の中身は、この取引によってもたらされる損得の勘定ではないだろう。


 こちらをいかにして打倒し、辱めるか。


 ガルデムは恐らくそれだけを考えている。

 だが、やがて諦めたのだろうか、ガルデムは笑うようにして息を漏らした。

 彼のその態度に不審げな視線を送ると、彼は再び胡散臭い笑顔を浮べる。


「……その条件でお売りいたしましょう。何とも、双方の利になる素晴らしい交渉が出来ました」


 何が出るのかと待ち構えていたオレを拍子抜けさせる軽い口調。

 そしてその内容は全面的な賛同を示していた。


 意外な終幕にオレがまだ次の句をつむげないでいると、


「では、早速、代金のほうを……」


 ニコニコと笑顔を浮べながら急かすガルデム。


 ……何をたくらんでいるんだ?


 訝しげな視線を送るも、彼の態度は飄々としたものだ。

 警戒をしながらもオレは『持ち物』から金貨袋を取り出し、10枚ずつ積み上げて並べていく。

 オレが55枚も金貨を持っていたのが驚きだったのか、一瞬だけガルデムが頬を引きつらせたが、すぐに笑みを取り戻した。

 55枚の金貨を並べ終える頃には、オレの中の警戒と不審感も薄れ、ようやく交渉が無事終わった実感が沸いてきた。


 やはり切り札が利いたようだ。


 奴隷紋の技術の漏洩は、自らの商売に大打撃を与えうる。

 もし、奴隷化技術が出回れば奴隷商などという職業がそもそも成り立たなくなるからだ。

 目の前ではガルデム自身が金貨の質と量を慎重に確かめている。


 ややあって、ガルデムは鷹揚に頷く。


「確かに。さて、ではこの奴隷の少女二人を解放しましょう。……鎖を外せ」


 ガルデムが控える男に指示し、エルナとソフィアの鎖を外させる。

 その際、男が二人の耳元で何かを囁いていたようだが、オレには届かなかった。

 ねぎらいの言葉か、はたまた嫌味か。後者のほうに軍配が上がりそうだ。


 呆然とした表情のエルナと、怯えて首を振るばかりのソフィア。

 未だに実感が沸かないのかもしれないと思い、立ち上がって声をかける。


「二人とも、大丈夫だ。話はついた」


 そう言って近づいていく。

 最初に動いたのはエルナだった。


「ゆ、ユートさん……」


 目に涙を溜めながら懐に飛び込んでくる。


 彼女をしっかりと抱きとめて頭をなでた。


「ああ、エルナ。もう、心配は要らない。オレが、二人とも救ってやるから――――」


 もう、大丈夫だ。そう、言い聞かせる。





 ふと、腹部に冷たさを感じる。




 エルナの体温かとも思うが違う。


 それにしては冷たーーーー熱すぎる。


 何事かと左手を腹に当てた。

 コン、と指先が何か柄のようなものをつつく。


「…………は?」


 消え入りそうな声が口から漏れ、オレは左手を見て絶句する。




 赤――――


 幾度となく見た深紅の液体が、左手にべっとりと付いている。

 そこからの変化は劇的だった。


「あ、ぐっ……がぁああああ!!」


 苦悶の叫びが、体裁もままならず口から漏れる。


 痛い痛い痛い痛いッ!! なんだよこれッ! なんだよこれぇッ!?


 膝から崩れ、痛みに喘ぐ。

 腹部が激痛を主張し、その原因が深く突き刺されたナイフであることをようやく理解する。


「うそ……ゆーくんッ!?」


 唖然とした凛が泣きそうな声で悲鳴を上げる。

 痛みに脳が揺らぎ、視界がぼやけ、耳鳴りが木霊する。


 その間もポタポタと、ナイフの柄を伝い自らの血が滴り落ちていく。


「っはぁ! っはぁ……」


 呼吸を整えようと喘ぐ度に痛みで冷静さをかき乱される。


 何故、誰が、何のために――――


 全ての疑問は圧倒的な激痛の前にその意味を失っていく。


「こ、これで……」


 誰かが震える声で呟く。

 それがエルナの声なのだと気付くのにやたらと時間がかかってしまう。


 ナイフを……ナイフを抜いて治癒魔法を……


 震える手で柄を握って引き抜こうとするも、奥深くまで突き刺さった凶刃はそうそう簡単に抜けてはくれない。


「これで、あたしは自由になれるんですよね!?」


 必死なエルナの叫び声。

 それに答えるは大きな笑い声だ。


「くっ、くっふふふ、あっははははは!!」


 嘲笑。そして心の底から愉快そうな邪悪な笑い声。


「……傑作だなぁ! どうした、ガキ。さっきまでの威勢のよさはどこだぁ? あぁ?」


 敬語も笑顔もかなぐり捨てたガルデムの愉快そうな笑み。


 それだけでオレは全てを悟る。


「お、お前がァ……エルナ、にッ……」


 一言一言、言葉を吐くだけで、痛みに意識が飛びそうになる。


「ぐ、あぁあああああ!!!」


 雄たけびを上げながらナイフを一気に引き抜く。

 鮮血がじゅうたんを濡らし、あたりを赤く染め上げる。


 大量の出血に唐突に訪れる喪失感。

 オレは自分の血の底知れぬ温かさを初めて知る。


 喪失感とともに意識が途切れそうになるのを無理矢理に繋ぎとめた。


「ほぉ、それを引き抜くか。いや、中々の根性だ」


 今までで最も楽しそうにガルデムが笑い声を漏らすが、それにオレを気にしている余裕は無い。


「ガルデムッ――――!!」


 怨嗟にも近いオレの叫びはだがしかし目の前の鬼畜には届かない。


 凛が泣きそうな顔でオレに肩を貸している。


 意識が飛びそうだ。

 何故自分が耐えていられるのか不思議なぐらいだ。

 そんな中でエルナはオレたちを眼中にも捉えずに叫び続けた。


「奴隷商さん! は、早くあたしを解放してください! そういう約束じゃないですか!!」


 幾ばくかの焦燥を感じる彼女の声音はどこまでも本気だ。

 エルナの必死な様子をガルデムはこらえきれずに笑う。


「くっふっふ……大事な大事なお友達を出し抜き、優しい優しいお兄さんお姉さんを裏切ってまで、自分の身を案じる……何とも美しい生き様じゃねぇか」


 エルナはそんな嫌味にすら動じずにガルデムに詰め寄る。

 ガルデムがエルナを唆し、オレを刺させた。対価は彼女の自由。


 くそがっ……虫唾が走る……


 思わず力んでしまい、腹の傷から血が吹き出る。

 治癒魔法をかけているにも関わらず治りが遅い。傷が深すぎるのだ。

 致命傷かどうかも分からない。

 腹部だけが熱く、徐々に体が薄ら寒くなってきたのを感じ、焦燥する。


 だが、エルナの焦燥はそれ以上のものだ。


「ほ、ほら……ちゃんとユートさんは刺しました! も、元々、こんな弱そうな人のこと信じてもいませんでした! ただ、もしかしたら何かの役に立つかもって取り入っただけです!! だから、早くあたしを――――」


 焦るあまり本心をぶちまけるエルナに、ガルデムは笑いながら言い放った。


「ああ、いいぜ。……お前を解放してやる」


 その一言にエルナは驚きと歓喜の混じった声を上げる。


 対するソフィアの表情は困惑、そしてオレらが浮べる表情は驚愕だ。


「――――奴隷紋をもって命じる」


 だが、ガルデムの次の言葉は彼女の期待に沿うものではなかった。



「――――死ね。エルナ」


 淡々と告げられた宣告に、エルナが先ほどまでの表情を失い茫然自失に陥る。


 数秒の停滞。時間が静止し、音が消え、世界が動きを止める。


 刹那、彼女の胸元の奴隷紋が強い輝きを放つ。


 光は強まっていく。


 けれどもそれは希望の光などではない。


「あぁ、……ぁああ……」


 エルナの顔を絶望が染め上げる。


 奴隷紋をかきむしり、白目をむきながら苦悶に喘ぐ。

 首を絞められながら、金属を引き絞るようなうめき声を上げ苦しむエルナ。


「かはっ……っ――――っ――――」


 口の端から粟立つ涎が垂れ、かきむしられた胸元からは真っ赤な鮮血が零れ落ちる。

 彼女の爪には自らの皮膚がこびりつき、そのまま床にこすりつける。


「っ―――――ぁ――――ぉか――――」


 最期の言葉は、だがしかし紡がれることはない。


「おい、エルナッ!! ぐぅ……」


 オレの声も既に届かない。


 半狂乱になりながら泡を吹きのた打ち回るエルナは、数秒とたたないうちに痙攣を繰り返すだけのナニカに変わり、そしてそのまま動きをやめる。


 先ほどまでの騒がしさが嘘であるかのような静寂が場を満たし、対照的にオレの耳鳴りは強まった。


 鼓動の音。呼吸音。それだけが、確かに聞こえる。


「嘘……エルナ、ちゃん……」


 震える凛の声がオレに現実を突きつける。


 何で、まさか、ありえない。


 都合のいい否定は脳内を循環し、喉元まで出掛かっては引っ込んでいく。


 分かっているからだ。


 何が起こったのか。


 自分が、何をやったのか。


 唐突に沸きあがる吐き気に、思わずえづく。


「――――ルナ、ちゃん」


 初めて聞く声だった。


 唖然としたオレたちの耳朶を、少女のかすれた声が叩く。

 小さく、消えてしまいそうな声だ。


 それは、ソフィアの口から発せられていた。


「エルナ、ちゃん……エルナちゃんッ!!」


 ソフィアが控える男を突き飛ばして倒れ伏すエルナに駆け寄る。

 確かに、友人の名前を呼ぶ。

 凛もバランスを崩しながら動かなくなってしまった少女に駆け寄った。


 その光景を見て笑いを漏らす男が一人。


「ふっはっは !ああ、傑作だ!最高の見世物だった!! ……ガキが大人に楯突くとこうなるんだ。体で分かっただろ、クソガキども」


 傑作だと、奴は目の前の光景をそう称する。


「大体、あの猫人族のガキは普段から生意気だったんだ。他の奴隷のガキたちに妙な知恵やら希望やら与えやがって……まあ、お前もろとも処分できるんだから儲けもんだな。コレも最期ぐらいは役にたったってわけだ」


 そのままエルナの頭を足蹴にする。

 彼女が、最期に言おうとした言葉。


 決して紡がれることの無かった、彼女の願い。


 ――――もう一度会えるはずです。だから、生きて、どんな手を使っても、絶対にお母さんに会うんです!


 彼女の悲しげな笑顔が蘇る。


 お母さん――――


 エルナは、最期にそう呟こうとした。


 命を賭して、全てを裏切ってまで、自分の願いに手を届かせようとした。


 だが、目の前の男は、その願いを口にすることすら許さず、嘲笑し、罵倒する。

 凛とソフィアが彼女を慌てて遺体を抱きかかえるのを見届けて、




 オレの中で、何かが切れた。




「――――ざけるな」


「あ?」


 震えるオレの声に未だガルデムは愉快そうな顔だ。


「お前みたいなひ弱なガキに何ができるんだ? 腹に穴が空いて息も絶え絶え。魔法も詠唱が無きゃ使えねぇ。お前にそんな暇与えると思うかぁ?」


 勝者の余裕故かペラペラと与太話をつむぐガルデムの言葉は既に耳には届いていなかった。


「凛」


「ひっく……うぐ……な、何?」


 泣いている凛に静かに呼びかける。


「エルナと、ソフィア……それと、お前自身を結界で守れ」


「え……?」


「二度は言わない。どんな攻撃受けてもびくともしないような結界張れ」


 凛は涙を流しながらも詠唱を始め、周囲に結界を張る。

 ガルデムはそれを見送った。

 少女一人ぐらい、あとでどうとでもなると思っているのだろう。


 だから、彼はオレだけを刺させたのだ。

 あまりに狡猾。

 虫唾が走る。


 ――――怒りのあまり、我を失いそうだ。


「結界か。こりゃ珍しい。まあ、だが後でじっくり殺すか、奴隷にすればいい。まずはお前だ」


 そう言って周りの男たちにオレを取り囲ませる。

 そのまま有無を言わさずオレの体を無遠慮に押さえつける。

 詠唱を防ぐため、そのまま口を封じられる。

 だが、オレは動じない。


 数は4人。


 ……たった、4人だ。


「今頭を床にこすり付けて謝るなら、命は助けてやる。まあ、奴隷にはするけどなぁ!」


 ゲラゲラと醜悪に笑うガルデムにオレも、口元をゆがめた。

 けれどもその笑みに明るさや喜びといった感情は全く存在しない。

 もっと怜悧で残酷な笑みだと、オレを含め誰もが理解した。


 口元に当てられた手を頭ごと振り払いオレは宣告する。


「そうか。……オレはたとえお前らが頭を床にこすりつけて謝罪しようと、



――――許すつもりはない」


「は?」


 疑問に揺れる微妙な表情が、彼が自発的に浮べられた最後の表情だった。



 脳内をとある魔法が過ぎる。

 流れるように魔法の名前が口から漏れ出た。


「――――『白銀色ノ罪人棺(フローズングレイヴ)』」


 体内で練られた魔力が爆発する。


 訪れるべき結果は、一瞬でその姿を現した。


 男たちの介入すら許さない、一コマの間に全ては終了する。


 先ほどまでとは違う完全なる静寂が場を満たす。


 存在するのは、術者であるオレの呼吸音だけ。

 吐く息は白く、足踏みをすると床がパキパキと悲鳴を上げた。

 世界は真白色に染まり、一抹ほどの色彩も許されない。

 床の血も、花瓶に入った花も白化粧をしている。


 一瞬にして、世界は時間の流れを失った。

 凍りついた世界の顕現。

 一切が停滞し、オレ以外の生命は息を吐いてすらいないように思える。

 オレの周囲にはキレイに人の形を象った四つの氷像。

 そして眼前にも一つ、大男の氷像だ。


 顔の部分だけ魔法を解除し、男の顔を拝む。


「…………ひっ、はぁ! あああ! 冷てぇ! 痛ぇ!」


 先ほどまでの余裕の表情を失い、苦痛に情けない声を上げる男にこの空間よりもさらに冷たい視線を向ける。


「この氷は、オレ以外の手では絶対に溶けないし壊れることもない」


 オレはただ淡々と彼に状況を説明する。


 氷魔法『白銀色ノ罪人棺(フローズングレイヴ)』。


 これは、そういう魔法だ。

 ただ直感と記憶でそう悟る。

 別に彼らが凍りつく魔法ではない。

 ただ、遍く全ての物質の表面に決して融けない凍える氷膜が張られるだけだ。


 永劫の氷牢。

 それこそが、彼が眠るべき墓になる。


「な、なぁ!?」


 男が驚愕と絶望に顔を染める。


「そして、この氷の牢獄の中でお前は死を迎えるまで永延と意識を保ち続ける」


「は――――」


 ガチガチと震える歯は、既に言葉を紡げない。


「寒いからってそうそう凍死することは無いから安心すればいい。耐え切れないなら、舌でも噛み切るか、他の誰かに殺してもらうんだな」


 淡々と宣告する。

 治癒魔法で既に腹の血は止まっていた。


「せいぜい寒さの中で凍えて、絶望しろ。徐々に失われていく体温に、感覚に恐怖しろ」


 ゆっくりと、子供に読み聞かせるかの如く語る。


「それが奪い続けてきたお前の末路だ」


 そう言い残すと、オレは男のすぐ横にある氷の球体をコンコンと叩いた。

 球体が割れ、中からは温かい空気と、白く染まっていない少女たちが目に入る。


「これ、ゆーくんが……?」


 絶句する茶髪の少女の声を受け、オレは軽く頷くだけにとどまる。

 猫人族の幼い少女の体を抱え上げ、もう1人の狐人族の少女に呼びかける。


「お前がここにいたいならそれでも構わない。だが、もし行くアテも無いのなら一緒に来い」


 それだけ言うと背を向けて部屋を後にする。

 凍りついたドアを蹴飛ばして廊下に出る。


「ま、待ってくれ! 俺が悪かった! 何でもする! だ、だから、だから行かないでくれぇ!」


 情けなく声を上げる男にオレは振り返りもせず吐き棄てる。


「言っただろ、許すつもりはない、って」


 最後に彼の口を凍りつかせると、完全に彼から意識を外す。

 カツカツと氷を踏む足音だけが廊下に反響し、やがて男のくぐもった叫び声は遠去っていく。


 何ともいえない後悔と、割り切れない憤怒がオレの胸をかき乱す。


 白く吐き出される息とともに、オレの中の大事な何かが漏れ出て行く気がする。




 腕の中に抱いた少女の軽さに肩を震わせながら、オレは氷の牢獄を後にした。


次回、レグザス編が終わります

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