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57、急転直下

ついに記念すべき50話!


 空は青く、憂いの欠片も見せない。

 街は昨日と変わらず、活気に満ち溢れている。右も左も人だらけ。人の海に溺れてしまいそうだ。


 だがそんな有象無象の中で、昨日よりもよく奴隷が目に付くのは気のせいではないだろう。

 その変化は外界によるものか、はたまたオレの内面によるものか。

 判別は今のオレには付きそうにない。


「何を難しいお顔で考えていらっしゃるんですか? 折角のかっこいいお顔が台無しでございますですよ!」


 オレの手を握りながらエルナが無邪気に笑う。


「生まれて初めて顔面を褒められたんだけど、なんか上手く乗せられてる気がして逆に怖い」


 こと容姿において人に褒められ慣れていない不肖なオレでは彼女の世辞を軽く受け流すことも出来ない。

 完全にお世辞だと割り切ってしまえば大したことではないのだが、いかんせん心のどこかでもしかしたら本気で言っているのでは? と思ってしまうからタチが悪い。


「それにしても、ゆーくん、怖い顔してるよ? ソフィアちゃんも怖がってる」


 そう言いながら凛が手を繋ぐソフィアに「ねー」と笑顔を浮べる。

 オレはエルナと、凛はソフィアと手を繋ぎ、はたから見れば微笑ましい兄妹や姉妹のように見えないこともない。

 ソフィアがようやく凛にだけ心を開き始めた今日このごろ。オレは相変わらず恐れられているのか、目を合わせるだけで目に涙を浮べられる始末。

 オレがイケメンならこうはならなかった。


 いつものように全ての原因を自分の容姿へと還元していると、エルナが大きな声を上げた。


「あっ! 見えましたですよ!」


 その声に牽引されるようにして、あたりの喧騒もより一層賑わい始める。

 目の前には人ごみ、そして屋台の数々。

 オレらは現在、レグザスの中心部にある祭りの屋台群に足を運んでいた。

 屋台を物色して遊びながら、出発日までの時間を潰すことが目的なのだが、無論それは主目的ではない。





「こちらから奴隷商に出向くことはしない」


 朝食後のまったりとした時間の中、オレはエルナとソフィアにそう告げた。


「で、でもそれじゃ……」


 凛が隣から苦言を呈そうとするが、目線だけでそれを制止する。


「分かってる。もちろん、こいつらを放置しようってわけじゃない。ただ、平等な交渉のテーブルに着きたいんだ」


「平等な交渉のテーブル……?」


 鸚鵡返しなエルナの反応にオレは頷く。


「もしオレらがこのまま奴隷商の下にこの二人を送り届けたらどうなると思う?」


 びくっ、とソフィアの肩が跳ねるが、「大丈夫だ」となだめる。


「それは……二人ともまた、奴隷として、その……売られちゃうよ」


 ためらいがちな凛の声に賛同を示す。


「そうだ。そこで、オレらが彼女たちを買い戻せれば御の字だが……」


 現在、件のロストドラゴンの討伐によりオレの資金は潤沢だ。

 大金貨が80枚弱。

 これは金貨400枚相当だ。

 そして奴隷の相場はどれだけ高くとも、1人金貨100枚を超えるようなことはない。しかも、100枚近い金貨が必要なのは、例えば転覆国家の王族の姫様だったり、過去に英雄としてまつわれた退役軍人だったりと、その付加価値が計り知れない奴隷ばかりだ。

 さすれば、金貨100枚もあればこの二人を買いつけることはそう難しくない。


 ただし、それはオレたちが奴隷を買うに値する人間とみなされればの話だ。


「オレらが奴隷商に二人を明け渡すってことは、オレらは少なくとも一晩は二人が奴隷だと分かったまま匿っていたことになる」


 そんな相手が奴隷を買いたいと言い出して、まともな交渉の席に着かせると思うか?

 そう問うと三人は難しい顔をした。


「もちろん、奴隷商に届けたことでポジティブなイメージが付く可能性だってある。けど、多少なりとも警戒はされるだろう」


 こと交渉において、最初から相手に敵愾心と警戒心を抱かれている状態というのは非常に良くない。

 先入観が無い状態。

 いや、違うな。

 相手がこちらを舐めている状態のほうが交渉はし易い。


「つまり、オレたちはこの二人が奴隷だと知らないままに追われていた二人を匿っていた。と、そういう筋書きにしたいんだ」


「そうすると、どうなるの?」


「奴隷商は必ず商品である二人を探し出すはずだ。そして見つける。そこで、オレらが『まさか、二人が奴隷だったなんて! 知りませんでした! でも、愛着が沸いちゃったので是非買い取らせてください!』とね」


 芝居がかったオレの言い方にエルナと凛が微妙な表情を、ソフィアが非難に似た視線を送ってくる。

 気まずさを誤魔化すべく頬をかきながら、


「と、とにかくだ。オレたちはこれから堂々と街に出て向こうさんに二人を見つけてもらう。その状態で、奴隷商と接触して購入のための交渉をする。これが、オレが考えた最善策だ」


 と、宣言した。





 朝のやりとりを思い直して、改めて策の問題点が無いかを考える。


 大丈夫だ。相手は商人。金の臭いに敏感なはずだ。オレをむげに扱うことはしない、と信じたい。

 無論、無能な商人であればその限りではないが。

 そう考えながら緑髪のへっぽこ商人を思い出してほくそ笑む。


「とりあえず、今オレがやることは……」


 ちらりと、凛、エルナ、ソフィアの顔を見やる。

 程度の違いはあれ、皆、目の前の祭り景色に期待と好奇の眼差しを向けている。


 まあ、お祭りを楽しむことだ。


「ほら、金は気にすんな。好きなことして遊ぶぞ」


「え、で、でも……」


 本当にいいのか、と確認を籠めた視線をこちらに向けてくるエルナに頷きを返す。

 ぱぁ、とエルナの顔に明るさが戻る。


「ありがとうございますですっ! ユートさん!」


 ぎゅう、っと抱きついてくるエルナの頭をぽんぽんと叩きつつ、苦笑を漏らす。

 今、彼女たちはオレの持っていたローブを羽織っているが、その下は裸に程近いボロ切れしかまとっていないため、こう、女の子の柔らかい感触が直に……

 まだ幼いとはいえ、やはり女の子であることは変わりないようだ。

 などと、異常性癖に目覚めそうな自分自身の思考を振り払い、凛の横でビクビクとあたりを見渡しているソフィアに目を向ける、


「ソフィアも、遠慮しなくていいからな……って、オレが声かけるとダメだよな……」


 凛の後ろに隠れてしまったソフィアを見て、不甲斐ない自分自身に小さくため息を漏らす。


「ソフィア! ほら、色々ありますですよ! 行きましょう! あ、ユートさんもご一緒にっ!」


 エルナがその小さい体でオレとソフィアの手を引っ張り人ごみを進んでいく。


「凛! はぐれるなよ!」


 置いていかれそうになる凛に声を飛ばす。

 だが、何をぼーっとしているのか凛はこちらの言葉に気付かない。


「おい、凛!」


「……う、うん! だ、大丈夫!」


 本当にオレの言葉を聞いていたのかやや疑問が残る返事だが、まあこいつも子供じゃないんだ。迷っても宿に戻るぐらいはできるだろう。

 そんな風にタカをくくって、オレらも周囲の賑わいの中に踏み込んでいった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「これすごくおいしいですね!」


 エルナが串焼き肉のようなものをほおばりながら叫ぶ。


「口の中にものいれたまま話すなよ……行儀悪いだろ……」


 オレの苦言を聞いて慌てて黙り込み咀嚼する。

 対するソフィアは相変わらず無言のまま黙々と串焼き肉を食している。

 彼女の顔を見るに、悪い表情は浮べていないので概ね彼女の口には合ったらしい。


 先ほどから様々なものを物色しながら、お祭りを楽しんでいる。

 それでいいのか? と疑問を持つ自分もいないわけではないが、向こうがこちらを見つけてくれるまでは待機するしかない。

 二人は顔も隠さず、尻尾も出したままにしてもらっている。

 街に奴隷以外で出歩く獣人の子供は珍しいし、目立つはずだ。

 実際、先ほどからすれ違う人々がちらちらとこちらに視線を向けている。

 いい傾向だ。注意が集まれば、それだけ向こうがこちらを見つける可能性も上がる。


「二人ともさっきから食べてばっかりだけど、大丈夫か?」


 エルナとソフィアに呼びかけると、エルナは焦ったような笑みを、ソフィアは頷きを返した。


「だ、大丈夫です! せ、成長期なので……太ったりはしないと……」


 後半は口ごもるようにして呟くのみだったので、オレの耳には届かない。


 まあ、よく食べることは悪いことじゃないしな。

 二人のやつれた顔や、ややこけた頬などを見るとあまりよい栄養状態ではなかったのは事実だ。恐らく、体は軽い飢餓状態に陥っていたのだろう。

 そんな彼女たちを喧騒の中に連れ出さなければならないことに少しばかりの罪悪感を覚えつつも、必要悪と割り切る。

 これが片付けば、彼女たちは自由の身になるのだ。

 後少しぐらい頑張ってもらわなければ。


 だが、そこでふと思い直してしまう。


「これが片付けば……か」


 これが片付けば彼女らは自由だ。

 奴隷としてこき使われることも、日々恐怖に身を震わせることも無い。


 だが、それからどうする。


 自由になった彼女らに行くアテがあるのか?

 オレが面倒を見る? まさか、無理だ。これから旅を続けていく上で彼女たちのお守りまでしている余裕なんて一切無い。

 ただでさえうちには大きな子供がいるというのに。


 ちらりと、大きな子供――凛のほうに目を向けると凛は未だに難しい顔をしていた。

 エルナが楽しそうに話しかけるも、適当な相槌を打つにとどまっている。


「……なあ、凛」


「え、あ、わ、わたし?」


 素っ頓狂な声を上げる凛にオレはまたため息を漏らした。


「さっきから心ここにあらずって感じだが、大丈夫か?」


 流石に不安だ。

 彼女のこんな様子は今まで見たことがない。


 異常。


 その一言に尽きた。

 オレの不審げな視線に凛はパタパタと顔の前で手を振った。


「う、ううん! 何でもないよ! ちょっと、考えごとしてただけだからっ!」


 だが、そういうだけで考えごとの内容までは話さない。


「それなら、いいが……」


 オレもその中身を問うような真似はしない。

 彼女と言えど考える1人の人間だ。

 思索にふけることもあるだろう。

 自分の考えすぎだと決め付け、オレは気分を切り替えた。


「お、あれは……射的か?」


 少し前に見える屋台で遊ぶ人間の子供たちを見やる。


「射的、ですか?」


 エルナが首を傾げる。

 どうやら射的で伝わったようだ。

 だが、撃つものはおもちゃの銃弾ではなく、ハリボテの矢だ。

 流石に銃の射的はこの世界にはないわな。


「いっちょやってみるか」


 子供たちが遊び終わるのを待ち、幾ばくかの間に自分の番が回ってくる。

 屋台のおっちゃんに銅貨を支払い、弓と数本の矢を借りる。

 屋台の中には景品が並べられており、その上に小さな的が置かれている。恐らくあれを射抜けばその下の景品がもらえるのだろう。

 エルナと凛はやる気が無いらしく、早々に退散し後ろで見守っている。

 当然、ソフィアもその隣でいつも通り黙っている。

 観衆がいるというのも何とも緊張するな。


 軽い気持ちで一本目を撃つ。

 だが、矢はあえなく軌道を逸らし、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。


 むう、難しいな。


 二本、三本、と矢を撃っていくも、せいぜい的にかする程度で直撃には程遠い。


 ……弓とか使ったこと無いしな。


 龍ヶ城輝政の右腕こと十六夜某であれば、この程度全弾必中ぐらいやってのけるんだろうが、いかんせんオレには無理だ。

 諦めて最後の一本を打とうとしたとき、ソフィアの行動がオレを驚かせた。


「――――」


 無言と、意思のこもった視線。

 だが、怯えながらも彼女はこちらの裾を引く。

 その様子にエルナも驚いているようだ。


「やりたい、のか?」


 逡巡と恥じらい。

 だが、少女らしく、小さくこくりと頷いた。


「そうか。……ほら」


 弓と矢を貸す。


「一本しかないけど大丈夫か?」


 ソフィアはまた頷くと、今度は弓を構えて的に向き合った。


 弓を張り、矢を番え、ためらいなく弓を引く。


 一瞬の停滞。それは狙いを定めているのろう。

 ソフィアの目つきが鋭くなり、気付けば風切音がオレの鼓膜を叩いた。


 パァン、という小気味の良い音とともに矢が的に命中する。


 洗練された動きだ。

 何度も何度も弓を引いてきたようなそんな動き。

 まるで手足を動かすかのように、構え、引き、そして放った。

 これまでのソフィアのイメージとはくらべものにならないほどに凛々しい。


「おお、お見事。ほらよお嬢ちゃん」


 屋台のおっちゃんがソフィアに的の下の景品を手渡す。

 小さなペンダントだ。

 遠目に見ても安物であるようだが、どうやらロケットになっているらしく中に何かを入れられるようだ。

 だが、ソフィアはそんなことはお構いなしにさっそくそれを首にかける。

 少しだけ、彼女の頬が緩んでいるような気がするのはオレの見間違いではないだろう。


「ほら、エルナに見せてやれ」


 オレの言葉にソフィアは目を丸くした後、ぎこちなくお辞儀をしてたったったとエルナたちの下へ駆け寄っていく。

 エルナは大喜びでソフィアを褒め称えているし、凛も笑顔で頭をなでている。


「ったく、ホントに姉妹みたいだな……あいつら」


 仲むつまじい姿に思わず笑みがこぼれる。


「ユートさん!」


 エルナがオレの手を引っ張る。


「分かった、分かった。そんなに急かすな……」


 子持ちのパパってこんな気分なのかね。

 そんな思いで、苦笑を漏らしながらエルナに付き合う。

 祭りの喧騒は、現状のオレたちの不安を吹き飛ばしてしまうほどに明るかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おー、これ美味しいですねー!」


「まさかこっちの世界にも焼きそばがあるとはな……」


 エルナがこげ茶色の麺をほおばる姿を見て、驚きに吐息を漏らす。

 あの後、2、3時間ほど祭りを楽しんでいたものの、向こう側からのアクションは全く無し。ただ単に祭りを楽しんでいるだけで時間が過ぎてしまった。

 オレも凛も周囲には警戒していたものの、怪しい動きも無くただただ漫然と、午前を費やしてしまった。


「そういや、エルナ。」


「はい、なんでございましょう?」


「いや、その……答えたくないのならいいんだが」


 歯切れの悪いオレの言葉に、エルナが可愛らしく首を傾げる。


「お前ら二人は、……何で奴隷になったんだ?」


 なお躊躇しながら二人に問う。


「ゆーくん!」


「……悪い、無神経すぎた。忘れてくれ」


 彼女らに問うたことを凛に咎められ素直に謝る。

 オレの興味本位から聞いていい内容ではないのは重々承知だ。

 だが、その上でオレは何故彼女たちが奴隷に身を落とすことになってしまったのか知りたいと思った。


「……いえ、お二人には、助けていただきましたし……お話しします」


 エルナが薄く笑う。


「ソフィアも、だいじょうぶでございますね?」


 エルナの問いにソフィアは少々の間を空けてコクリと頷いた。

 それを見届けると、エルナは何から話すべきか勘案しつつ、ぽつぽつと語り始めた。


「そうでございますね、まず……ソフィアは、半年ほど前に、人攫いに誘拐されて奴隷になりましたんでございます」


「人攫い……」


 ゾッとしない単語に眉をひそめる。


「はい、そうして、各地を転々と運ばれて、つい一月ほどまえにこのレグザスにやってきましたんです」


 誘拐され、奴隷としての烙印を押され、こんなにもいたいけな少女がモノとして扱われているという事実。

 それはオレの心をささくれ立たせるには十分だった。


「ソフィアは、気が強い子でして」


「ソフィアちゃんが?」


 今の彼女の怯える様子からは想像できない彼女の気質に凛が驚きの声を漏らす。

 だが、それにはオレも同感だ。

 彼女の何事にも怯えた、絶望と恐怖の眼からは気の強い性質は感じられない。


「……色々と、ありましたから」


 小声で、オレたちだけに聞こえるようにエルナが呟いたのは、ソフィアへの配慮だろう。

 これは想像でしかないが、ソフィアは奴隷商たちに無理矢理性格を矯正されたのだろう。反抗的であったり気が強い奴隷は売れない。だからあらゆる手段を用いて奴隷の心をへし折り、従順Sな「奴隷」へと調教する。


 虫唾の走る話だが、そんな文化がこの世界には根付いているのだ。


「ソフィアの話は、そんな感じです。あたしは……」


 そこで一瞬の間を空けるエルナ。


 意味が分からず目線だけで疑問を投げかけると、エルナはすぐにいつもの無垢な笑みを浮べて言った。


「あたしは、……元々、奴隷の生まれなんでございます」


「……元々、奴隷?」


 言葉の意味を捉えきれずに鸚鵡返しに聞き返す。


「あたしは、奴隷の子として生まれたんです。お父さんは誰か分かりませんけど、お母さんがそう言ってましたから」


 懐かしむような表情には、だがしかし濃い陰影が刻まれている。


 奴隷の子……生まれながらにして奴隷……


 彼女の歩んできた人生がいかに絶望に塗れたものだったのか。

 想像するのは易くない。

 生まれながらにしてあらゆる権利を奪われ、自由を踏みにじられ、苦痛と恐怖の中に喘ぎ続けてきた。何故そんな彼女がこうも元気にいられるのか。


「あたしのお母さんは、あたしを大事に育ててくれたんです。色んなお話を聞かせてくれましたし……あ、そういえばあたしのお母さんは一国の女王様だって、言ってました。まあ、よく冗談を言う人だったので、誰も信じていませんでございましたけど」


 そう言って懐かしむ表情は今まで彼女が浮べた表情の中で最も温かい。


「……この口調も、お母さんに教えてもらったものなんでございます。本当に、お金持ちみたいな口調でございますよね」


 やや崩れた敬語なのは、幼少期にやつれた環境の中にいたためだろう。


「……本当に、大好きなお母さんでございました」


 温かみのあった表情が崩れ、悲壮に彩られる。


「でも、お母さんは、いなくなっちゃったんでございます。5年前に……朝起きたら、いなくなっていたんでございます」


 今まで頼り切っていた母親の急な喪失。その喪失感はいかほどか。


「お母さんは、売り払われたんでございます……その人は、子供は要らないって言ったらしくて……だから、あたしだけ取り残されちゃいましたんです」


 エルナはなおも笑顔を浮べる。

 悲壮で、既に擦り切れてしまった笑顔を浮べる。


 そうしてオレはようやく悟る。


 彼女が何故ここまで明るい人格なのか。

 生来の気質、などでは語りきれない。

 答えは明白だ。


 彼女は、既に壊れている。


 生まれたときから恐怖と絶望の充満する空間にいて、心が壊れないわけがない。

 擦り切れて、擦り切れて、擦り切れて、……唯一のよりどころも無くした彼女の心は、その形を保つことが出来ずに壊れた。

 だからこそ今、彼女はこんなにも明るく元気な子供でいられるのだ。


 その笑顔は、誰が浮べる笑顔よりも残酷だ。


 残酷すぎる。


「そう、か……」


 曖昧な返事を返すことができない。

 軽々しく分かってやれるなどと、辛かったねなどと、声をかけられるような話ではない。


「あたしは、もう一度お母さんに会いたいと思っているんでございます」


「もう一度母親に?」


「はい、奴隷として売り払われたんであれば、もう一度会えるはずです。だから、生きて、どんな手を使っても、絶対にお母さんに会うんです!」


 彼女が固めた決意は揺ぎ無い。

 それは誰にも揺るがすことは出来ない。


「……叶うといいな、その願い」


「……はい!」


 一瞬きょとんとした顔をしたエルナが強く頷き、笑みを返す。

 彼女ならば、恐らく成し遂げられるだろう。


 直感がそう告げる。

 そんな風に彼女の思いの強さに、思いを馳せていると後ろから肩を叩かれる。


「ん?」



 振り向くと同時に、頭蓋に重い衝撃を感じる。


「はっ――――」



 肺から息を吐き出し、なす術も無く地面に崩れ落ちる。

 90度回転してしまった世界を眺めつつ、頬を大地にこすりつける。


 揺らぐ視界、土の味、届かない少女の叫び声――――


 それらを全て置き去りにして、オレの意識は失われた。


記念すべき50話の内容がこれなのはこの作品らしい気がします

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