55、闇夜の邂逅、紫影と赤錆
「竜車の手配も終わったし、宿もとった……あとは……」
転移魔法陣の設置。
これが恐らく今日やらなくてはならない準備で一番厄介だろう。
人ごみに押しつぶされそうになりながらも何とか必要な準備を終え、後は転移魔法陣を設置するだけとなった。
太陽は既に傾き、クレーター内部は茜色に染まっている。
早くもクレーターの壁際は、太陽光が壁に遮られ影になってしまいっているようだ。
街の騒がしさもその質を変えつつあり、どこか喧騒から取り残されたようなもの寂しさが街を満たす。それでもなお人の数は多いのだから不思議な街だ。
「ゆーくん、その転移魔法陣? ってどこに書くの?」
そう、それはもっともな疑問であり、オレも未だに最適解を導き出せていないものだ。
うーむ……適当な地面に書くわけにも行かないし、だからといって何か家を借りてその床に書くのも馬鹿らしい。
実際、魔法陣を書けるような床の大きさがあり、人目につかず、雨ざらしでないような場所などそうそうあるわけがない。
いや、待てよ……?
「……無いなら作ればいいのか?」
現状で、転移魔法陣を設置するのに適した場所が存在しないのであれば、無いものを探すのではなく現状のほうを変えてしまえばいい。
つまり、魔法陣を設置できる環境を作ってしまえばいいのだ。
だが、どうする。
「地下室……作れるか?」
土魔法で街の外に地下室を作る案がすぐに浮かぶ。
それが本当に実現可能なのか。
出来ないことは無いか……?
どれだけ脳内でシミュレーションを重ねようとも中々答えは出てきてくれない。
「よし……」
腹をくくり、街の出口のほうへと足を向ける。
「ゆーくん、どこ行くの?」
「いや、街の外に出る。外周部に地下室を掘れないか試してみる」
「わ、分かった」
とててて、と後をついてくる凛の姿を端にとらえて、オレは地下室を作るために必要な要素を並べていく。
やはり、なんと言っても必要になってくるのがその強度だ。
天井や壁がもろく、肝心なときに崩れてしまっていては意味が無い。
土魔法で押し固めることができるとはいえ、やはり建築の素人に細かい調整や、建築的な調和を求めることは出来ないだろう。
加えて、人に見つかりにくい必要がある。
このあたりは、乾燥地域であるので、草木の丈が短く、何かを隠すには向いていない。さすれば、上手い位置に作らなければ、第三者に見つかってしまうのは必至だ。
そういった意味で、安定した地下室を作ることは多くの課題を抱えている。
「まあ、実際に作ってみるしかないか……」
そう呟いて、不安に呑まれそうになる自分の思考を振り払う。
それから約1時間ほど作業に勤しむ。
「で、出来た……」
顔についた汗を拭おうと額を手でこすると、どうやら土がついてしまったらしく凛がこちらを見て笑う。
そんな凛に形だけで不満の意を示しながらも、オレは薄暗い空間を見渡した。
いや、見渡すというと語弊があるほどの狭い空間だ。
1辺が2メートルほどの立方体のような空間。
その面は全て赤茶色の土であり、無骨というのも憚られるほど華やかさの欠片も無い。
だが、地下室だ。
オレの目の前には魔法陣を十分に設置できるほどの地下室が出来上がっていた。
「人間、やればできるもんだな……」
様々な苦労を思い返してオレは深い息を吐いた。
一つ目の地下室はあえなく崩落した。
天井を補強せずに掘り進めなかったのがダメだったらしく、掘削作業中にあえなく天井が崩落。オレは風魔法でなんなく土を吹き飛ばして傷一つなかったが、地上に残っていた凛は青ざめた表情で座り込んでいた。
その様子を笑うと、わりと本気の拳が飛んできたので怖かった。
また、二つ目は天井の補強をしながら掘り進めていたものの、場所が悪かったらしく水脈に当たってしまう。小さな水脈だが、床が水浸しになってしまったため泣く泣くそこも埋めた。
そして三つ目。今オレの目の前に広がる地下室こそがオレの仕上げた一品だ。床には既に魔法陣も書いてある。
壁や天井は念入りに補強したからそうそう崩落することは無いはずだ。多分。
これ、転移魔法陣の行き先が埋まってたりしたらどうなんだろう……*いしのなかにいる!*ってなるのかな、なにそれこわい。
まあ、恐らく発動しないだろうと思うが……
それに、もし発動したとしても、転移魔法陣が土で埋まっていたら、その土が転移で飛ばされてくるから気付くはずだ。だから、転移したら土の中にいて生き埋めしました!なんて状況には陥らないはずだ。陥らないよね?
一人そんな不安に駆られていると、凛が待ちきれない様子でオレの裾を引いた。
「ね、ねえ……これで、王都までワープできるんだよね?」
ワープ……まあ、ワープっちゃワープだが……
彼女の子供っぽい言い方に苦笑を漏らしながら、
「まあ、そうなるな。無事、機能すればだが」
口ではそう言いつつも、恐らく転移に問題は無いだろうという予感はあった。
改めて周囲の地上に人がいないことを確認して、魔法陣に魔力を注ぐ。
途端、床に書かれた無機質な紋様が光を放ち始める。
淡い光だが、光源の乏しい地下では旅人を照らす月のように確かな存在感を持っていた。
その光も地上までは漏れていない。
まず人には見つからないと見ていいだろう。
「よし、じゃあ、ちょっと確認してくる」
「う、うん……ゆーくんの次にわたしも入っていいかな?」
好奇心を抑えられない様子の凛に、オレは呆れながらも笑った。
「ああ、構わない」
「やった」と小さくガッツポーズする凛から視線を逸らして魔法陣に足を踏み入れる。
ふっ、と急に視界が暗くなる。
そして奇妙な浮遊感が体を包み込む。
いつしか感じた意識の断絶。
それを断絶と感じる間もなく、一瞬のうちに世界は再びオレにその姿を提示してくる。
「おっと」
浮遊感が消え、重力の世界に舞い戻ったことで体がバランスを崩す。
転ぶまでは行かず、そのまでたたらを踏んだ。
「……ここは……」
先ほどとは相も変わらず薄暗い空間だ。
だが、決定的にその広さが違う。先ほどとは比べようも無く広い空間だ。
床には規則的に点在する魔法陣の群れ。
幾度となく見てきた場所にほっと安堵の息が漏れる。
「……どうやら無事成功したみたいだな」
そこは自宅の地下室だ。
見紛うことも無い。すぐ後ろにはまだ光を失っていない魔法陣が、その存在を主張している。
「うし。特に移動に問題は無さそうだな」
そう思って、再び魔法陣に入ろうとすると、魔法陣が一際強く輝いた。
同時に、淡い人影が現われ、それは一瞬のうちにその輪郭を画定していく。
「ひゃあ!?」
情けない声を上げながらバランスを崩す凛の手を引き、転倒しそうな姿勢から救い出す。
「あ、ゆ、ゆーくん……」
バランスを崩したのが恥ずかしいのか、凛がやや気まずそうに視線をそらす。
そんな様子を見なかったことにしてオレは転移が成功した旨を伝える。
「そっか! じゃあ、これでいつでも戻ってこれるんだね!」
「ああ。今後、レグザスとの行き来は楽になるはずだ」
実際、移動にかかる時間がこの世界における旅のネックになっている。それが解消されるのは本当に大きい。
「じゃ、戻るか」
「うん! ……あ……」
凛が何かを思い出したように口を開ける。
「どうした?」
「あー、うん……えーっと……」
後ろめたいことを隠すようにもじもじとする様はなんとももどかしい。
「その、さ。みんなに黙って出てきちゃったから……」
「……そういうことか」
要するに、凛は彼女のお友達諸君を裏切るような形で飛び出して決まったことを後ろめたく感じているのだ。だからこそ、王都に戻ってきた現状で彼らに直接会って謝りに行くべきか否か迷っているのだろう。
行かなければならないという思いと、行くのが怖いという葛藤に苛まれながら。
それが彼女が微妙な表情を浮べた理由だ。
「行く必要ないだろ」
「え?」
「今行っても余計に混乱させるだけだ。旅が終わったら顔を見せればそれでいいはずだ」
今帰れば当然騒ぎになる。
特に、何故こんなにも短期間で戻ってこれたのか、という追及は避けられない。
そうなればオレの転移魔法陣が露見する可能性も増大する。
それはどうしても避けたい。
こんな軍事利用されそうなもん、上のやつらに渡していいはずが無い。
もしオレがこれを公開するとしたら、あらゆる国に無作為に撒き散らすだろう。一国が戦略兵器を持てばそれは一方的な蹂躙に繋がるが、各国が持てばそれはただの抑止力に成り下がる。
オレの思考をすかしたわけではないだろうが、凛はためらいがちに弱弱しく頷いた。
吹っ切れていないのが一目瞭然だ。
「ほら、さっさと戻れ」
「うわっ」
未だに悩む凛を無理矢理魔法陣に押し込む。
凛は少しばかり不満そうな表情を浮べたがすぐにその姿を消してしまう。
「……さてと、オレも戻りますかね」
シエルに一声かけようかとも思ったが、この地下室の清掃具合を見ればその必要も無さそうだ。
やはり彼女に任せて正解だった。
簡易なメモ書きに、一旦帰ってきた旨と感謝の念を綴って部屋のデスクに置いておく。
「そういや……」
ふと自分の発言を思い返して首をひねる。
凛をこのままここに置いていけばよかったんじゃないか?
そんな疑問が脳内にわきあがる。
何故さきほどのオレは、凛が旅を続けることを前提として話を進めてしまったのか。
ここにおいていけば万事問題は無かったのにも関わらずだ。
「まあ、いいか……」
盲点だった。
その一言で疑問を片付けてオレは転移魔法陣に足を踏み入れる。
意識が途切れると同時に、オレの疑問も思考の奥深くへと沈んでいった。
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転移魔法陣の設置が無事終了し、オレらがレグザスでなすべきことは全て終わった。
ただ、南部の『フローラ大森林』の入口にあたる『要塞都市ラグランジェ』行きの竜車が明後日まで無いのだ。
つまり、丸一日はこのレグザスに滞在している必要がある。
「観光……って気分じゃないしなぁ……」
既に日が落ち、星がきらめく夜空を見上げてぼやく。
クレーター内部のくぼ地にできた地形であるため、空がまるで円形に切り取られたかのような形をしている。無論、円の直径が大きすぎるため円全体を一度に視界にとらえることなどは到底不可能なのではあるが。
だが、やはり壁のなかから見上げる星空というのも中々趣があって面白い。
さしずめ、大自然の織り成す万華鏡といったところか。
オレがそんな風に風流に浸っている間も、あたりは騒がしくそのお祭り騒ぎを続けている。
昼間よりも騒がしく感じるのは、日の光が無くなったからだろうか。
街の外縁部は静まり返っているが、オレたちのいる中心街は未だに人足が途絶えない。
酒盛りに明け暮れるものや、道端の大道芸に興じるもの、はたまた晩餐を楽しむ家族連れなど。その層の幅広さには驚きを隠せない。そして、その中にちらほらと亜人が混じっているのもまたこの街が今までの街とは違う場所なのだと気付かされる。
「結構な賑わいだな」
分かりきっていることを改めて口にするのは、疲労ゆえ会話が少なくなってしまっているからだ。
凛もいつものように騒ぐことはせず、こくりと頷いて続けた。
「そうだねー。なんだか、こういうお祭りってわくわくするよねっ!」
ふすー、と息を吐く凛。
あれ? こいつ元気じゃね?
そこまで考えて、ようやく凛が静かだった原因が疲れたオレを気遣っていたためだと気付き、自分のふがいなさにため息を漏らす。
何だかんだで気が利くからな、こいつは……
それは彼女が自らの仮面を作りあげる上で必要不可欠な技能だったのだろう。
空気を読む。
その一言は単純なようで至極難しい。
存在しようがない曖昧な概念をさも当然のように押し付けあうこの社会では、空気の読めないものは村八分に遭う。
彼女も、そんな目に遭ってきたのだろうか。
「いや……」
考えすぎか。
その思いは言葉となることはない。
「ふむ……屋台もあるみたいだな」
「どれもおいしそうだよねー!」
キラキラと凛の目が輝く。
「食いたいか?」
「え? うーん……」
こちらの顔と屋台の品を見比べてためらいの表情を生む。
……はぁ。まあ、これぐらいならいいか。
「……少し見ていくか。オレもどんなものが売られているか興味がある」
「ホント!? やった!」
構ってもらえた子犬よろしくその尻尾のようなポニーテールを揺らす凛。
「じゃあ、あれ食べたいな!」
凛がオレの手を引き屋台へと近づいていく。
「あんまり引っ張るなって……」
オレは苦笑を漏らしながらも彼女に連れられていく。
欺瞞だと。
逃避だと。
裏切だと。
楔がそう訴えるのに、耳を塞ぎながら。
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「何だかんだで腹が膨れたな」
適当な屋台を見て回り、買い食いを繰り返していると次第に腹も膨れてくる。
他愛ないやりとりの数々を経て、オレらは喧騒を抜け宿へと向かっていた。
「うーん……食べ過ぎちゃった……太ったらどうしよ……」
そんな乙女チックな悩みを漏らす凛に苦笑を返すにとどめる。
「ってか、ゆーくん……さっき買ってたアレ、何に使うの?」
「アレ、じゃねえ。煙管だ」
「その、きせる? って何?」
こいつ、煙管を知らないのか……
「タバコを吸うためのパイプ……だな」
「え、ゆーくんタバコ吸うの!? 未成年なのに!?」
「アホか、吸わねえよ。あんな百害あって一利無しなもん」
「じゃあ、何で?」
その疑問は当然だろう。
煙草を吸うための道具を煙草を吸うのに使わなければ、どうして購入に至ったのか。
その理由を答えるのに、オレは珍しくやや詰まってしまった。
「……かっこよかったから」
「へ?」
「かっこよかったからって言ってるだろ。デザインがオレ好みだったの! 何か文句あるか!?」
屋台で色々と見てまわっていたら骨董市のようなものもあったのだ。
そこで色々と冷やかしていたら、とある煙管を見つけた。
金属製で、もち手のところだけは木製になっており、金属光沢のくすんだ輝きと、シンプルなデザインがオレの心を惹いた。
だから、衝動買いしてしまったのだ。
……だって、銀貨1枚だったし……
「へー、ゆーくんでもそういうことあるんだ痛い痛い何で!?」
恥ずかしさを紛らわすために凛にアイアンクローをお見舞いする。
既に周囲の人気は引きつつあり、見かける人影もまばらだ。
祭りのど真ん中特有の騒がしさは遠くへと去り、喧騒から取り除かれたかのような疎外感を感じるが、それをどこか心地よく感じる。
時刻は日をまたぐ直前。街の治安も悪くなるころあいだろう。さっさと宿に退散するに限る。
そんなオレの思考からか無意識に歩みは速くなる。
凛の歩幅は小さいものの一歩一歩が素早いため、難なくオレの後に続く。
特に何か言葉を交わすでもなく淡々と歩いているとふと凛が袖を引いた。
「ねえ、ゆーくん……」
「どうした?」
「なんか、聞こえない?」
不安げにあたりを見渡す凛。
「お前な……子供じゃないんだから幽霊だのなんだので騒ぐのは……」
呆れ混じりに苦言を呈そうとするオレの口に手を当てて塞ぐ。
「違うよっ! そうじゃなくて……ほら」
真剣な表情の凛に追い立てられるようにしてオレも耳を澄ます。
「―――――っち、行った!?」
かすかに聞こえる男の叫び声。
断続的過ぎて意味を成す言葉にならない。
だが、声の主は徐々に近づいてきているのか、言葉は鮮明になっていく。
「――――そっちだ! 逃がすなよッ!!」
「おい、待てクソガキども!!」
その叫びが怒号であることとともに、複数の男により発せられているのだと気付く。
また、面倒事か……?
げんなりしながらオレはどうやって逃げるか考えていると、
「ゆーくんっ! 危ないっ!」
「は?」
思考に気をとられていた自分の耳を凛の叫びが劈いた。
次の瞬間、身体に唐突な浮遊感を感じ、何かに衝突されて突き飛ばされたことを知る。
何が起こったのか分からないままに、側面からの奇襲に受身すらとれず、地面に体を打ち付ける。
背中から倒れ、肺の空気を吐き出した。
声にならない声を上げ、オレは頭蓋内にゴッという鈍い音が直接反響するのを聞く。
視界が反転し、真っ黒に塗りつぶされた空が視界に広がる。
「いってぇ……」
背中に感じるのは地面の冷たさよりも、痛みを伴う熱さだ。
急に視界が揺れたことにより焦点が合わなくなり、視界がぼやける。
「――――ちょっと、ソフィア!? 大丈夫!?」
甲高い声。
やや掠れているその声は必死さを隠すこともせず、震えていた。
土煙に小さく咳き込みながらも、ようやく視界がクリアになり、心配そうにこちらを見る凛と目が合う。
そして腹の上に感じる重み。
「……あ?」
情けない疑問符を声に出すオレを見つめる瞳が四つ。
二つは凛のものであるから構わない。
だが、後二つ。
オレの目の前に、ボロボロのフードを被った少女がいる。彼女が、オレをくすんだ瞳で見つめている。
そして、さらに驚くべきはオレの腹の上にのっかかっているもう一人の少女だ。だが、その少女はオレの腹に顔をうずめたまま起き上がろうとしない。
オレの上に倒れこんでいる少女と、その少女を抱き起こそうとしている少女。
意識の有る少女の方と視線が絡み合い、オレは状況を飲み込めずにただただ思考を空回りさせた。
「すみませんですっ! あたしたち急いでるんです!」
崩壊した敬語で謝罪を口にする赤茶色の髪の少女。
頭を下げると同時にフードが脱げてしまう。
無造作に切られたその癖毛からは、明らかに人間のものではない二つの獣耳がその顔を覗かせている。
彼女は、オレの上で倒れていた少女を抱き起こそうと悪戦苦闘するも、肝心のもう一人の少女が動こうとしないためどうにも苦労している。
「ゆーくん大丈夫!?」
我に返った凛の心配の声に手だけで返事を返す。
視線をオレの上に倒れ伏す少女に動かすと、彼女もまた人間には持ち得ないとがった獣耳をその紫紺の髪の隙間からのぞかせている。
そしてはたと気付く。
何故オレの上で倒れる少女が目を醒まさないのか。
「まさか……」
脈を確認するとしっかりと生きていることに安心する。だが、倒れこむ少女は赤茶髪の少女の呼びかけには一切反応しない。
「脳震盪か、これは……」
実際、かなりの勢いでオレに突っ込んできた。しかも頭からだ。
そうであれば、脳震盪を起こして気を失っても仕方があるまい。
「ねぇ、ソフィア! ソフィアってば!!」
少女が必死に気絶した少女――――ソフィアという名なのだろうか――――を揺り起こそうとするが、一向に目覚める気配は無い。
ゆすり続ける彼女の手を止める。
脳震盪を起こしたやつをゆするのはまずい。
「おい、待て」
オレが声をかけると、
「ひっ……すみません、すみません! すぐに、去ります! 本当にすみませんです! ごめんなさいです!!」
怯えた表情でひたすらに謝罪を口にする少女。
……オレの顔ってそんなに怖い?
愕然として肩を落としそうになるオレを怒号が引き止めた。
「こっちの大通りか!?」「ああ、確かにこっちに来たはずだッ!」
先ほどの男たちの声だ。
明らかにこちらに近づいている。
「あぁ……あぁ……!! やっぱり……やっぱり無理だったんです……」
恐怖、諦観、絶望……とても年端もいかぬ少女が浮べるとは思えぬ仄暗い表情に思わず息が詰まる。
なんとなくだが状況は察した。
さしあたっては……
「凛! こいつらを匿うぞ!」
「分かった!」
理由を問うでも、反論を述べるでもなくただ了解の旨を返す凛。
それが今はありがたい。
「方法は……これだ!」
『持ち物』から黒ローブを取り出して急いで羽織る。
「ほら、さっさとローブの中に隠れろッ!」
未だ狼狽しなきそうな少女に叫ぶ。
「で、ですが……」
「いいから入れよ!」
時間が無い……!
オレの悲痛ともとれる叫びに赤茶髪の少女は少しだけためらう素振りを見せ、紫紺髪の少女を見やる。
「凛! そいつをローブの中にしまってその場にしゃがめ!」
「え、それで大丈夫なの!?」
「ああ! 奴らが来ても何も喋るなよ!」
凛は言われるがままに紫紺髪の少女をローブの中に隠し自らもしゃがみこむ。
やや不恰好だが、太った人間と言えばそう見えないことも無い。
そしてそれを見届けながらも、オレは自分のローブの中に赤茶髪の少女を押し込む。
「静かにしてろよ……」
オレの背中にぴったりと張り付き、彼女は確かにコクリと頷いた。
「はぁはぁ……!! どこ行きやがったあいつら!!」
ついに男がその姿を闇夜に現す。
いかつい。
一見して得られる感想はそれだ。
だが、腰に帯びたナイフや、身なりから見てもまともな一般人、という期待は薄そうだ。
もう一人の男も合流し、あたりを見渡している。
「くそがっ! 獣の分際で手間かけさせやがって……!」
苛立ち混じりに落ちていた石を蹴飛ばす。
と、同時にこちらの存在を認めた。
「おい、アンタら」
男がドスの利いた声でこちらに呼びかけてくる。
明らかにこちらを怪しんでいる様子だ。
「……なんすか」
オレもできる限り低い声で返すが、さほど威圧の効果は無いようだ。
「ここらに獣人のガキが二人来なかったか?」
もし情報を隠せば殺す、そんな意図が透けてきそうなほど、敵意を持った質問。
「いや、知らないな……」
「本当か? もし嘘ついてるようならてめぇららの指の一本や二本……」
「知らん、知らん、知らんよ……くふっ……」
「んあ? 何笑ってんだてめぇ?」
「いや、何でも……いひ、あはあぁ……ひひひ……」
オレの狂ったような笑みに、男が額に青筋を浮かべる。
隣で凛が緊張と不可解に息を呑む気配を感じる。
「おい、テメェ、あんま舐めてると痛い目――――」
「やめとけ」
オレの胸倉を掴んだ男を、もう一人の男が止めた。
額に大きな切り傷のある男だ。
「あぁ!? とめてんじゃねえ、コイツが――――」
「ソイツの手、見てみろ」
「あ?」
男が未だに怒り心頭といった様子で、オレの手元を見る。
そこに握られているのは煙を上げる煙管。
「……ちっ。ヤク決めてやがんのかよ……」
「ああ、こんなのを相手にすんのは時間の無駄だ」
そう言いながら歪に笑うオレと、うずくまって一切動かない凛の姿を見やる。
「くそがっ」
男が苛立ち混じりに何かを蹴ろうとして、何も蹴るものが無いことに気付き、オレのすねを蹴り飛ばした。
バランスを崩しかけるも、倒れては後ろに隠れる少女の姿があらわになってしまう。
悲鳴を上げる体を押さえつけながら、狂人のごとく不快な笑い声を上げ続ける。
「ほら、行くぜ」
「あーあ……なんで俺がこんな……」
そのままぶつくさと文句を垂れながら、去っていく。
彼らの姿と声が闇夜に紛れたところで、オレは深くため息をついた。
「すね、痛った!?」
涙目になりながら、ぴょんぴょんとその場でもんどりうつのであった。
奴隷の少女を救うお話はテンプレですね。




