54、都市レグザス
何事も無く朝はやってくる。
昨晩の記憶は朧げで、確かに覚えているはずなのにあまり強く思い出すことができない。
それが何度も続いた。
「ゆうべは、おたのしみでしたね」
竜車の中、いつの間にか隣で寝ていた凛が、ぽそりと呟く。
「そのセリフお前が吐くやつじゃないよな!?」
ったく……こいつ、一回ぐーで殴ってやろうか。
そう思って、オレの膂力と彼女の耐久力を考えてみると、有効なダメージを与えられる可能性はゼロに等しいので断念する。
自分の不甲斐なさに愕然としつつ、早々に顔を洗い、背を伸ばす。
旅に出てから幾夜もを過ごした。長旅で体は軋むし、魔物に襲われるなどの月並みなイベントもあったが、ここまで難なく来ることができた、と言えるだろう。
荒野には朝もやすら立たず、既に視界は晴れている。
だからこそ、遠くに、明瞭にその威容が見て取れる。
聳え立つ崖だ。
遠くに、高い崖が見える。
それは、荒野の中にぽつんとある台地のようにも見えるが、決してそうではない。
ガラガラと竜車がその足を速め、目的地に近づく。
そのまま、他愛ない会話で無聊を慰めていると、徐々にその崖の存在感は増して行く。
ふと、前触れ無く竜車が止まった。
慣性に引っ張られ、思わずよろけるオレに対して凛は飄々としている。
竜車から、あたりを見渡す。
否、下を見下ろす。
「これが……」
唾を嚥下する音が鼓膜をたたいた。
一陣の風が髪をすき、地の底に地鳴りのようなうめきを上げる。
「すごい……」
凛の呟きも風の喧騒の中に紛れて消える。
一週間。
首都リスチェリカを発ってからそれだけの時間が経った。
そして、ついに旅路の半分を終えたのだ。
「ここが――――」
感嘆に言葉が詰まる
「――――世界の中心……『クレーター都市レグザス』!!」
オレは、眼前に広がる街を見下ろして、叫びを上げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「すげえ活気だな」
右を見ても左を見ても人、人、人。
城下町のリスチェリカでもここまで人でごったがえしているようなことは無かった。
クレーター都市レグザス。
むかしむかし、神は人間の傲慢さに激怒し、その怒りが世界の中心にぽっかりと大きなくぼ地を穿った。人々は神の怒りを収めるために、そのくぼ地に塔を作り、神をあがめ奉った。
やがてその塔の周りに人々が暮らし始め、今となってはクレーター内部を埋め尽くすほど市街地が広がっているのである。
神の怒り、というのが何を指すかは不明だが、恐らく隕石か何かによるのだろうと思われる。隕石が地形を変え、大地を穿ち、その周囲に自然の要塞を形作った。
クレーターの半径は目測で数百キロだろうか。いや、もっとあるかもしれない。
馬鹿でかいくぼ地の内径はスロープ状になっており街に入るときは必ずその道を通らねばならない。
入口は六つ。
つまり、防衛上はその六つさえ死守できれば、街を守りきることができるというわけだ。
なるほどこれだけ栄えるのも頷ける。
それに、
「なんだか、人間じゃない人も多いね……」
凛が少しおっかなびっくりといった様子で耳打ちしてくる。
そう、この都市レグザスは亜人や獣人と人間の比率が概ね同じなのだ。
だから、すれ違う人々の中には、ネコミミをつけたものや、尻尾が生えたもの、また爬虫類のような見た目をしたトカゲ男も見受けられる。
その光景は、やはりここが異世界であることを改めて突きつけてくる。
「おら、休むな!!」
白昼堂々、罵声が響く。直後に、何かをムチで打つような音が喧騒に刺さる。
けれども、そんな音は日常茶飯事らしく、周囲の人々は気に留めることもしない。
ちらり、と音のほうを盗み見ると、獣人と思しき男が太った人間の男にむちで叩かれていた。その首にはくすんだ金属で出来た首輪が付いている。
「奴隷か……」
その情報は書物で認識していたつもりだ。
元の世界にも奴隷制度は存在していたし、こと中世程度の文化水準のこの世界であれば、人権といった概念が存在しないことも必然と言える。
だから、目の前で行われていることも、ただ文化の一部であり、感傷的に評価をする必要性は皆無のはずだ。
そんなこと、頭では理解している。
だが、
「ちょっといやだね……」
凛が痛ましげに呟く。
「ああ……」
オレらの呟きは周囲の活気にかき消される。
奴隷制度に対する感情的な嫌悪感がいくら理性で押さえ込もうとも、ふと頭をついて出てくる。それは、温室たる現代で育ったオレらが抱く甘い意識だ。
だが、オレらにはそのことをどうすることもできないし、何かをするべきでもない。
ただ目の前にそういった制度があるのだと受け入れるしかない。
そのことに歯噛みするのはいささか傲慢が過ぎる。
「行くぞ、凛」
「うん……」
後ろ髪引かれた様子で何度か振り返る凛の手を引き、人ごみを進んでいく。
いくら喧騒を進もうともそこかしこで奴隷の姿が目に付き、結局逃げることは出来ない。
「あんま気にすんな」
凛にそう呼びかけるも、その言葉はあまりに頼りない。ほとんど自分に向けてるようなものだ。
「分かってる……分かってるんだけどね……」
あはは、と笑う凛の表情を見てオレも気難しい表情になる。
目の前で理不尽にさらされあれだけ蹂躙されている人を見て、良心が痛むのは何ともしがたい。惻隠の心と言うやつだろうか。
「とりあえず、冒険者ギルドに寄る。その後、宿屋をとって、竜車の手配だな」
レグザスはあくまで中継地点に過ぎない。
ここから南下して、フローラ大森林に向かわなければならないのだ。
それに、転移魔法陣も設置しなければならない。
やるべきことは山積みだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はぁ……ようやく着いた……」
人ごみに揉まれてようやく目的の冒険者ギルドにたどり着く。
大まかな場所は御者のおっさんに聞いていたので迷うことはなかったが、いかんせん人が多すぎた。祭りでもあるのかってぐらい大わらわだったからな。
ややげっそりとした表情のまま凛と冒険者ギルドに入る。
ちなみに凛には黒ローブを着用してもらっている。オレの経験から、そのまま入ると面倒なことになる可能性が高いと踏んだから――――
「おうおうおう、毛も生え揃ってねぇガキが何のようだ?」
「ぎゃははは!! 言ってやるなよ!」
ここでもそれやんのかよッ!?
全力で突っ込みたくなるのをぐっとこらえるオレえらい。
どこかでやったようなやりとりの焼き増し。なんなの? 冒険者ギルドにはそうやって弱そうなやつをいびる役職みたいなのがあるの? 返り討ちされてもギルドから保険手当てが出ますみたいな。
限りなくめんどくさい……
だが、オレの社交性があの日のままだと思うなよ! オレだって成長している。今度こそこいつらにそれを見せ付けてやるッ!
「ですよねー! じゃあ僕はこれで失礼します!!」
「え、ちょ、ゆーくん!?」
隣で凛が異議を申し立てているが、彼女の手を無理矢理にとって冒険者ギルドを後にする。
即逃亡。
これこそがオレがこの異世界生活で身に着けた基本的にどこにでも援用できる最適解だ。
とりあえず逃げておけば万事丸く収まるってばっちゃが言ってた。
じっちゃんの名にかけてオレは逃走を決意したのさ!
「……ゆーくん……」
そんなオレの説明を受けて黒ローブの中から半眼の視線を送ってくる凛。
い、いや、だって……めんどくさいじゃん……面倒事は避けられるなら避けてこうよ……
「でも、冒険者ギルドどうするの?」
「安心しろ。オレは勘違いをしていたんだ」
「勘違い?」
「そうだ。凛さえ黒ローブで姿隠してれば問題ないだろうと思ってたけど違ったんだ」
そう。その勘違いにこそオレたちの敗因はある。
勝手に凛まで一緒に負けたこにしてることとか、そもそも何と戦って負けたのかとかは置いておこう。
「…………オレもローブで姿隠せばよかったんじゃね?」
その結論に、凛は「あー……」と微妙な賛同の声を漏らしたのだった。
というわけで。
「今、ここらへんって割のいい仕事あります?」
「そうですね……特に魔物が活性化してるわけでもないので……あ、強いて言うのであれば、祭典が近いので素材等の買取はいつもより割良くしてくれると思いますよ」
冒険者ギルドの受付さんに色々なレグザスの情報を聞き出す。
オレも黒いローブで全身を隠し、『隠密』で気配まで消すことでようやく冒険者ギルドの受付嬢の下へとたどり着いたのだ。
ああ、絡まれないって最高。
感動にむせび泣きそうになるオレに受付嬢は訝しげな視線を送っていたが、普段から変人奇人には慣れているのかすぐに営業スマイルに戻って対応を続けた。誰が変人奇人だ、おい。
「祭典……ってーと、何のですか?」
「ああ、旅の冒険者の方ですか。ええっとですね……レグザスにまつわる御伽噺はご存知ですか?」
それは知っている。
昔、神の怒りを買った愚かな人間のせいでこのクレーターが出来たって話のはずだ。
「元々、この街の中央に建っている塔で、神の怒りを鎮めているらしいんですけど、」
伝聞系なのはこの受付嬢はあまり宗教的なものを信じていないからだろうか。
「半年に一回、お祭りを開いて改めて神様への信仰だの、愚かな人間であることへの自戒だのを思い出そう、ってことなんです」
「なるほどね……」
つまりは、宗教がらみのお祭りってわけだ。
ハロウィンやクリスマスなんかに近いのか。
通りで街が活気付いてるのな。
「ええ。お陰で流れの冒険者も増えていて……」
眉をひそめながら、チラリと先ほどオレに絡んできた冒険者たちに目をやった。
なるほど、あいつらも祭りに乗じてやってきた冒険者たちなわけか。
「……ここに常駐している冒険者さんたちはいい人も多いんですけどね」
苦笑を漏らす受付嬢に、オレも苦笑を返した。
「ま、この貧相な風貌なんで、絡まれるのは慣れてますよ」
そう言って笑うと、受付嬢も営業スマイルではない笑顔を見せてくれた。
「何とも難儀な……ああ、そうだ。何かお仕事をお探しですか? ランクを教えていただければ、オススメのものをいくつか見繕えますが……」
そう言いながら手元の資料に目を通そうとする彼女を、手だけで制止した。
「いや、今は大丈夫です。とりあえず、レグザスの現状とか聞いておきたかっただけなんで」
「そうですか。では、また何か機会がありましたら」
「これで、失礼します」
軽く会釈をして冒険者ギルドの無骨な玄関をくぐって外に出る。
やや日が傾いてきたのか、空が薄いオレンジ色になりつつあった。
建物の影が陰影を作り、この街に不透明さをもたらす。
ギルドの外は中と同様に騒がしいようで、やはりその騒がしさの質の違いを確かに感じた。
「さてと、」
次は竜車の手配だな。
茜色の日差しから手で目元を隠しつつ、次にどこに行くべきかを見渡す。
これは御者のおっさんに紹介状をたしなめてもらっているから、そうそう手間はかからんだろう。
そう思って先ほどから黙りこくっている凛に振り返る。
「……なんでお前、口尖らせてんの?」
「……べっつにぃー……」
わたしは不満たらたらです! と言わんばかりのその態度。
はてさて一体何がそんなに気に障ったのか。
またも推察のために思考を繰ろうとすると凛がぽそっと呟いた。
「ゆーくんが女の人と話してデレデレしてた……」
「は?」
「……わたしへの対応は酷いのに、他の女の人には優しいもんね、ゆーくん」
ぷすー、と頬を膨らませる凛にオレの頬は引きつる。
何言ってんだこいつ。
「いや、むしろお前への対応がオレの普通だ。他の奴への対応は外面用だからな」
「え、そうなの?」
きょとんとする凛にため息を返す。
「ったり前だろ」
「じゃ、じゃあ、ゆーくんはわたしだけは信頼して、素を見せてくれ――――」
「お前意外にこんな態度で接してたら、『何だこいつ』って思われるだろ」
オレの当然かのような物言いに凛の動きがぴたりと止まる。
「え、う、うん? え?」
「オレも、まあ凛ならいいか、って思ってるからこの態度をとってるんだ。分かるか?」
「……うーん? 分かるような分からないような分かりたくないような……」
「オレも相手は選んで話してるってだけだ。まあ、確かにそういった意味じゃお前は特別かもな。またリアやら龍ヶ城やらへの対応の仕方とも違うし……」
オレの知ってる奴だと、龍ヶ城たち筆頭勇者とリアを一つのくくりとして態度を決めているかもしれない。後は、エーミールと凛は割りと同じ対応してるな。
うわ、エーミールと一緒とか凛が可愛そうかもしれない。「僕は可愛そうじゃないんですかねぇ!?」という緑髪のへっぽこ商人の叫びが聞こえてきそうだが無視無視。
「というわけで、竜車の手配だ。ほらほら急ぐぞ」
「う、うーん?」
未だ納得のいっていない様子の凛の背中を押して、オレらは再び喧騒の中へと混じっていった。
今回短めです(5000文字)




