53、何も縮まらない
村の探索を終えると既にあたりの日は落ちつつあり、オレらは宿へと向かっていた。
「食事美味しいといいなぁ……」
呟く凛に対してオレは苦言を呈する。
「まあ、田舎の宿屋だ。あまりサービスには期待しないほうがいいぞ」
期待値が大きければ大きいほど、現実との落差に対する絶望は大きくなる。
さすれば最初から何も期待しないのが一番の正解だ。
「もー、ゆーくんはまたそうやってう夢の無いことを言う……」
「リアリストなんだよ、オレは」
そう反論するオレに凛は仕方なさそうに肩をすくめた。
なんかこいつがそのモーションやってると腹立つな。
などと戯れにも等しい雑談を交わしていると、視界に大きな木造の建造物をとらえる。この小規模な村にはやや不釣合いなそれは、オレらが泊まる宿に相違ない。
「外観はきれいだな」
中はどうかは分からんが。
「なんかいい雰囲気だね」
確かに木造独特の落ち着きは、城下町のゴテゴテした宿とは違った趣をかもし出している。それはいい意味で鄙びている、と言えるかもしれない。
「まあ、外でつべこべ言ってても仕方ない。中に入るか」
「うん」
会話もそこそこにオレらは宿の玄関の扉を開けて中に入る。
「ほーう……」
「わぁ、中もいい雰囲気だね!」
お前、とりあえず雰囲気を褒めておけばいいとか思ってるんじゃないだろうな。
そんな考えを視線に乗せるも、彼女は本当に感心しているようでこちらには目も向けない。
まあ、そうは言ってもオレも内装を見て驚いた。
木張りの床や壁はログハウスのようなシックで自然的であるが、同時に壁に飾られたワンポイントの装飾などは、やや無骨とも言える視界の単調さを和らげている。天井は高く、廊下の幅も広い。上に上る階段もなだらかで、利用者のことをよく考えてある。ロビーは談話室のようになっており、そこから部屋や食堂などへ向かえるようだ。
正直、
「こんなど田舎にここまで立派な宿を作る必要あるのか……?」
そう疑問を独りごちるも、ロビーには冒険者や旅人など様々な格好の人がおり、なるほどこの規模も当然かもしれないとも思う。
「ああ、お二人さん、待ってました」
やたらと間延びした妙なイントネーションで話しかけてくる一人の男性。
先ほどまでオレらの乗っていた竜車を操っていた御者のおっさんだ。
「お二人の部屋は二階になるでさぁ。食堂で夕飯も食べれるのでお好きな時間にどうぞー」
訛りが強くスッと頭に入ってこないが、要点は掴んだ。
「ありがとう」
どうやら、宿の手配等も御者の仕事のようだ。
まあ、それもそうか。オレが支払った金は「レグザスまで」行くための代金だ。さすれば、そこに宿の手配等のサービスが含まれていてもおかしくない。やや高く感じたのは、宿代なども含まれているためだったのだろう。
「これが鍵でさぁ」
そう言いながら御者のおっさんはオレにちゃりんと、鍵を一つ手渡してくる。
……ん? 一つ?
「二人部屋になっていますんでごゆっくり」
そう言うと御者のおっさんはハッハッハと笑いながらゆったりと去っていった。
状況を理解しようと頭を回していたオレを置き去りにして。
「……待て。待て……これはつまり、あれか……?」
ちらりと凛のほうを見やると、凛は頬を赤く染めて恥ずかしそうに睫毛を伏せている。その様は普段の彼女とは違い、しおらしく感じる。
凛は、チラチラと意味ありげにこちらに視線を送りながら囁くようにして言った。
「あ、あのね。ゆーくん……その、わたし、初めてだから優しく――――」
彼女が言い切る前にオレは彼女の手をそっと握り、その中に鍵を掴ませる。
「じゃあ、オレは別の部屋で寝るからお前この部屋一人で使っていいぞ」
「待ってゆーくん酷くない!?」
先ほどまでのしおらしさはどこへやら。元気さを取り戻して不満げに眉を吊り上げる。
その変わりようは信号機もかくありきかというほどだ。
「あのなぁ、よく考えても見ろ」
ぴっと、指を一本立てて説明する。
「年若い男女が一つの部屋の中で一晩を明かす。それが何を意味するか分かるか?」
そう。しかもその役者はオレと凛。さすれば結果は自明と言えよう。
「オレが寝ている間にお前に何かしらの嫌がらせを受けることは分かりきっている」
「ゆーくんの中でわたしって何!?」
「いや、嬉々としてオレの寝首をかきそうだと思っている」
「しょっく!?」
そんなわけの分からない単語を叫びながらくず折れる凛。周囲の視線が痛いのであまりそういったオーバーリアクションやめてね? オレが恥ずかしいから。
まあ、実際は異性と同じ部屋で寝るとか、オレが恥ずかしいからやりたくないだけなんだけど。だって、オレだって男の子だよ? 高校生だよ? いくら相手がこんなちんちくりんとは言え、一つの部屋に一晩押し込まれて緊張しないわけがない。無論、恋愛対象などではまるで無いが、だからといってそれが同室で寝ても問題の無い理由にはなりえない。
つまり、オレの安眠のためには違った部屋で寝るのがベターだ。
もし十分な睡眠をとれないゆえに翌日の活動に支障をきたすものなら目も当てられない。
だが、こいつに面と向かって「緊張するんでイヤです」というと、ただでさえ燃え盛ってるところに燃料を投げ入れるようなものなので死んでも言わない。
「ゆーくぅん……」
甘えるような声を上げる凛にオレは半眼で視線を送る。
「お前、その猫被りオレには通じないからな」
「ちぇっ」
こいつ……どこまでが建前か分からないから性質悪いな。
「……でも、ゆーくんと一緒の部屋がいいのは本当だよ」
唐突に今までのような無駄なテンションを捨て去り、淡々と話し出す。
彼女が素を出したのが分かった。
その落差は酷くずるいと、オレは感じた。
「いや、だからな……」
「……好きな人と一緒にいたいのって、そんなにいけないかな」
凛がオレから全く目を逸らさずに告げる。
その言葉は自然で、流れるように口から出てきた。だが、彼女の声はやや震えを隠しきれていない。目に見える緊張。そして、気恥ずかしさ。
「はぁ……随分と弟子に慕われてるみたいで、師匠ってのも大変だな」
正直、そこまで師匠として慕われるようなことをしてきたつもりは無いんだが。
「…………そうじゃないんだけどな」
ぼそりと漏らされた凛の不満を意識の外に追いやり、オレは深くため息をついた。
「分かったよ。一緒の部屋でいい」
「ホント!? やった――――」
「ただし、妙な真似はするなよ」
「大丈夫! わたしは正々堂々正面からやるから!」
「何を!?」
笑顔で決意を固める彼女に戦々恐々としながらも、オレはため息を漏らす。
「ほんとに奇妙なことしやがったら、迷いなく別の部屋に逃げるからな」
「そこでわたしを追い出そうとしないで自分から出て行くあたりが、やっぱり優しいよね」
「追い出して欲しいなら要望どおり追い出してやるが」
「やー!」と可愛らしい悲鳴を上げながら凛はたったったと駆け足で二階に上っていく。
そんな彼女の子供のような行動に、何度目になるか分からないため息を漏らしながら、オレはゆっくりと歩いて彼女の後に続いた。
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「はー、さっぱりしたー。まさか、お風呂があるなんて思わなかったね」
「ああ。まさかここまでサービスの充実した宿だとは思わなかった……もしかしたら冒険者たちの要望で国から資金が出ているのかもしれない」
オレたちは風呂上りで火照った体を夜風で冷ましながら雑談に興じていた。
時は既に遅く、空には大きな月がかかっている。
この世界にも月の満ち欠けは一応はある。
あるにはあるのだが、その満ち欠けに規則性を見出すのが難しい。
半月から急に満月になったり、満月から急に新月になったりと……その法則は一見でたらめなのだ。無論、天体運動である以上物理的な法則に伴って運動しているはずなのだが……
いかんせん観察量が不足しすぎており、定式化には至っていないようだ。
もし月の満ち欠けの法則が分かれば、旅路などで日付の確認などにも使えるのだが。
天文学の進みの遅さに、身勝手に歯噛みしつつも、オレは凛の言葉に適当に相槌を打つ。
それだけで彼女は嬉しそうなのだから、よく分からない。
オレなんぞと話してて何が楽しいのかね。
「そういや、お前、どうやってオレが旅に出るって知ったんだ?」
とてつもなく今更な気もするが、こいつが何故オレの出発の情報を知りえたのか聞き及んでいない。ピンポイントでオレの竜車に乗ってきたのだ。当て勘では説明できない。
「あー……えっと、ブラント団長にゆーくんが話してるの聞いちゃって……」
「……ああ、あのときか」
オレがブラント団長に旅に出る旨を報告したときのことだろう。
そのとき彼女は偶然オレのたびの出発を盗み聞いたということか。
でも、待てよ……?
「……じゃあ、なんでお前はオレの乗る竜車が分かったんだ? 時間と便までピンポイントで狙うなんて、そうそうできるまねじゃない」
そう。オレはブラント団長には、どの日にどこに向かうかといった漠然としたことしか伝えていない。そこからオレの乗る竜車を特定するのは不可能だ。
しかも、竜車の乗車には前日までに手続きを終えなければならない。さすれば、当日の朝からずっと張り込んでオレを見つけたらとっさに乗り込む、などという芸当も不可能だ。
「えーっと……それは……」
気まずそうに凛が目を逸らす。
「……怒らないから言ってみろ」
「い、いや……その、そんなに悪いことしたわけじゃないよ? ただ、ちょこーっと……」
そう言って指で、ほんの少しだけと示す。
「ちょこーっと、何だ?」
「あはは……ゆーくんの後を、ね?」
上目遣いで見つめてくるが、そんなごまかしは効かん。
「オレの後を、何だ」
ややドスの利いた声で言うと渋々凛はげろった。
「……尾行してたと言いますか」
「いつからだ」
「ブ、ブラント団長の部屋を出たあたりから……」
「……いつまでだ」
「えーっと……」
「そこまで言ったなら最後まで吐け」
凛はためらいがちになりながらも言った。
「ゆーくんが出発する前日の夜まで……かな?」
言い終わって「えへへ」と満面の営業スマイルを浮べる凛に背を向けてオレは部屋の扉に手をかける。
「ちょっと待ってゆーくん! どこ行くの!?」
「こんなストーカーがいる部屋にいられるか! オレは部屋に戻るぞ!」
オレが出発する前日までって、大体丸二日は付けてたってことだろ!? そんな長期間、こいつはオレを尾けていたってことだ。
ま、全く気付かなかった……
前日にオレは契約確認のために一回、竜車の斡旋所に行っている。恐らくそこで竜車の情報を盗み聞いたのだ。
「大丈夫! わたし、ゆーくんに何かしようと思ってストーキングに及んだわけじゃないからっ!」
「全然だいじょばないんですけど!? ってか、ストーキングの自覚はあるのな!?」
「あ、いや、その……えへへ」
「笑って誤魔化すな、おい!」
にへらーとだらしなく笑う凛にオレは頬を引きつらせるばかりだ。
目の前に自分を尾行していた一人の少女。おっかないことこの上ないのは言うまでもない。
「じゃあ、オレは別の部屋で寝るから」
そう言いながらドアノブに手をかけてそのまま押す。
「なっ……」
ガチャガチャと、どれだけ扉を押そうとも、まるでコンクリートの壁に押し付けているかのようにびくともしない。ただただ木の扉が軋むばかりだ。
鍵は閉まっていない。
……ん? まるでコンクリートの壁に押し付けているかのようだ?
自らの思考からある仮定にいたる。
そしてちらりと凛の笑顔を見て確信する。
「凛……お前、ドアの向こうに結界張っただろ」
「うぇ!? な、何のこと……!?」
「とぼけんな。オレの『魔力感知』でも薄い魔力の存在を感知した。まず間違いなく扉の向こう側の結界が壁になって扉が開くのを邪魔している」
「し、知らないなー……」
ひゅひゅひゅー、とまるで息の漏れるような音を口から出す凛。
それが彼女なりの口笛だと気付くのにやや時間がかかってしまったが、そんなことはどうでもいい。
「どういうことだ、凛」
「だ、だって! このままじゃゆーくんどっか行っちゃうじゃん!!」
「当たり前だ! この状況で逃げないほどオレの危機管理意識は低くない!」
自分をストーキングしてきている相手と一つの部屋の中にいるなど、何が起こるか分からない。
そもそも、いくらオレを慕うからと言って行動が常軌を逸している。
普通、丸二日も尾行するか?
異常だ。
「ダメだよ……ゆーくんがどっか行っちゃうのは……」
今度はその顔を悲しみに染めて、いやいやと頭を振る。
駄々をこねる子供のようにも見える。だが、その感情の起伏は激しすぎて歪だ。
「どっかって、たかだか別の部屋に行くだけだっての」
「それでも! ゆーくんは、色々不運だから、何があるか分からないのっ! だから、いっしょにいないと……」
まるでそれが義務であるかのように語る凛にオレは頬をかく。
「あのな……お前はオレの保護者でもなんでもない。そして、師匠と弟子という関係以上の間柄には無い。……無論、オレのことを心配するな、とは言わないが、そこまで心配を押し付けられる覚えもない」
それは正論。
どうしようもない、事実だ。
オレが吐ける言葉はこんな理路整然とした論理的な文言しか残されていない。
悪意があるともとられかねない言葉に、凛は怒るでもなく、泣くでもなく、ただその手を強く握った。
「それでも、だよ」
「あ?」
「わたしはゆーくんが心配だし、ゆーくんと一緒にいたい」
こいつは何を……
「ゆーくんが余計なお世話だって思っても、わたしはゆーくんを心配するよ。ゆーくんがどれだけウザいって思ってもゆーくんの側にいる。ゆーくんに、嫌われるのは辛いけど……もし嫌われてもそれは変わらない。変わらないよ」
宣言。
それはオレに突きつけられた果たし状に近しい。
絶対にオレに屈しないと、彼女はそう告げているのだ。
オレは、何かを間違ったのだろうか。
彼女にここまで言わせしめる何かを、オレはやらかしてしまったのだろうか。
オレが彼女に魔法を教えるなどと言ってしまったから。
オレが彼女のノリに妙にあわせてしまったから。
オレが彼女を危機から救ってしまったから。
オレが、
彼女と出会ってしまったから。
分からない。分かりたくもない。分かろうとも思えない。
オレの困惑と自責、そしてよく分からない感情に圧倒されている間にも、彼女は先ほどまでの狼狽を隠し、凛とした表情でその言の葉を続けた。
「……そうじゃないと、ゆーくんは多分、すぐにいなくなっちゃうから」
そう寂しげに呟く彼女の姿は酷く儚げだ。むしろ、彼女の方が消え入ってしまいそうなほどに。
彼女の表情を彩るのは不安。
何がそこまで彼女を不安にさせるのか、オレには分からない。
「おいおい、オレは子供じゃないんだぞ? 面倒なんて見てもらわなくても迷子になんかならない」
「確かに、ゆーくんはすっごく大人だと思う。……でも、」
凛が何かを確かめるようにして一拍置いた。
「大人すぎるよ。ゆーくんは。だからさ、ゆーくんは迷子になったんだと思う。ううん、迷子になってるんだと思う」
「オレが、迷子だって……?」
大人なのに迷子。
その表現は酷く矛盾を孕んでいる。だというのにオレはその言葉を簡単に否定できない。
頭のどこかで、心のどこかで、疼くのだ。
楔が未だその悲鳴を上げ続ける中で、小さく小さく。
けれども、オレの視界に広がる霧は深い。
深くて、濃くて、先なんて見えない。
自分の手の中さえ見ることも出来ない。
「……オレは、迷ってない」
それでもオレは否定する。
「オレは、進むべき道を進んでいるはずだ」
そう。オレは何も間違っていない。
この道こそがオレの進むべき道だ。
オレの回答に、凛はやはり悲しそうな顔を浮べた。
だが、彼女はそれ以上深く追及してこようとはせず、ただ、
「……そう、だよね。ゆーくんは、きっとそう言うと思ってた。だから、わたしが、ゆーくんの分もゆーくんのことを大事にするんだよ」
とだけ言って、目じりの涙を拭った。
ぎりっ、と歯の奥がすり合わさる音がする。
それが自分の口から発せられたものだと気付いて彼女から目を逸らすと、窓の外に夜空が見えた。
真っ黒な空に、輝く白が点々と散っている。
空に浮かぶ白月は不気味なほどにその存在を主張しているのに、相も変わらずその姿から何も得ることは出来ない。
分からない――――
そう叫ぼうとした口は言葉を紡がない。
空にかかる欠けた月が、夜道を照らすには、まだかかりそうだった。
凛ちゃんと優斗君、メンタルがやばいのはどっちだ!




