52、気付けぬ邂逅
久方ぶりの一万字超え
「というわけで、改めてよろしくね、ゆーくん」
竜車の中でふすーと息をまく彼女にオレはげんなりとした表情を返した。
「オレとしてはよろしくしたくないんだが!」
そんなオレの苦し紛れの皮肉にも凛は全くその明朗さを損なわない。
「細かいことはいいんだよ!」
「何その一方通行なよろしく……」
唖然としながらも何だかんだで許してしまっている自分の詰めの甘さに辟易してしまう。釈然としないままため息を漏らすオレに、御者のおっさんが笑った。
「いやあ、それにしても黒ローブの御仁がこんなに可愛い子だったなんてなぁ」
御者のおっさんが「はっはっは」と笑う。
凛は持ち前の人様向け営業スマイルを浮べて愛想よく返事をした。
「ありがとうございますっ!」
何この笑顔胡散臭い。
オレが苦笑を漏らすのとは対照的に御者のおっさんは満面の笑顔を浮べている。
……世の中には知らないほうが幸せなこともあるんだな。
そんな当たり前のことに改めてため息を漏らすも、その悩みを共有できる相手は何処にもいない。どうやらここでもオレはぼっちらしい。
「にしても」
気分を切り替える意味でも、呟きを漏らしながら状況を整理する。
「バイソンボアは何から逃げていたんだ……?」
バイソンボアの性格は極めて温厚だ。だが命の危機に瀕したときだけ、群れで一丸となりあらゆるものを蹴散らしながら逃走する性質を持つ。ということは彼らが逃げ出してきた方向に、バイソンボアが群れで逃げなければならないほどの「危険」があったということだ。
それが何を意味するかは考えたくも無い。
だが……
「もう少しで村に着きますんで」
そう。オレらの向かっている村こそが、奇しくもバイソンボアの逃げてきた方向なのだ。
希望的観測として、バイソンボアが村の住人のあまりに危機意識に欠けたその和やかさに恐怖をなして逃げた、などという「饅頭怖い」もびっくりのオチが待っていない限りは、何かしらの危険は避けられないだろう。
この先の村に何かある。
その推論は、外れていて欲しいと願うには少々状況が整いすぎていた。
「……凛、気をつけろ」
「うぇ? 何を?」
警戒心の無い様子で首を傾げる。
「バイソンボアは群れが全滅するかもしれないような危険に遭遇したとき、さっきみたいに群れになって一心不乱に逃げ出す」
「へー、そうなんだ……え、じゃ、じゃあ、さっきあの子たちが逃げてたのって……」
皆まで言わずとも悟ったようだ。
察しだけは良くて助かる。
「や、やばくない……?」
先ほどまでの笑顔も吹き飛び、途端不安そうな顔になる。
だが、不安なのはオレも同じだ。
「ああ……警戒は怠らないようにしよう。一応、御者のおっさんにはもう言ってあるが……」
歯切れの悪いオレの調子にまた凛が首を傾げた。
「あまり真面目に聞き入れてはくれなかった。バイソンボアがあんな状態になるような危険なんてほとんど無いはずなんだ。オレも生物書で読んだ程度だ」
バイソンボアの生態はまず一般常識では無い。それなりに旅に熟練しているか、その道の研究者でもなければ知りえないはずだ。
だからそれをオレ一人が唱えたところで信用に足る情報になりえない。
その事実に歯噛みしつつも、オレは対策を練る。
「現状、このことに対応できる人間は、オレとお前ぐらいだ」
「ゆーくんと、わたしだけ……」
凛が確かめるように復唱する。
「そうだ。蛇が出るか鬼が出るかが分からないが……」
むしろ蛇や鬼が出る程度で済めばいいだろう。
もっと得体の知れない何かが待ち構えている可能性だってある。
そんな風に二人して旅の行き先を憂慮していると、無慈悲にも御者の声が響いた。
「お二人ともー」
やけに間延びした御者の声は、緊張したオレらの神経をやたらとかきむしる。
「――――村に着きましたでさぁ」
村に、到着した。
ここまで何も無かったということは、やはりココに何かある可能性が高い。
凛と無言で視線を交わし、頷きあう。
魔法の準備をする。警戒は怠らない。
凛もいつでも結界を張れるようにしている。
やがて、ガラガラと一定のリズムで鳴り響いていた音が止む。
それはすなわち竜車がその動きを止めたことを意味する。
静寂が竜車を満たした。
音の消えた世界で、やたらと自分の鼓動と息遣いが五月蝿く聞こえた。
「行くぞ……」
「うんっ!」
ダッ、と勢いよく飛び降りて村を確認する。
戦闘を覚悟し、あらゆる不測の事態に備える。判断は刹那、行動は即座に、だ。見敵必殺、先手必勝で迅速に処理をすればいい。
だが、
「なっ…………」
「えっ…………」
奇しくもオレと凛の驚く声は重なり、歪な和音となってお互いの鼓膜を揺らした。
そして、真剣な表情で構えているオレたちを見て、御者のおっさんが笑った。
「…………そりゃあ、何かの遊びですかい?」
オレらが睨みつける視線の先には、ごくごく平凡な村の光景が広がっていた。
眼前に広がる風景。
そこには何の異常も危険も見られない。何もかもが平常に執り行われているように見える。
先に到着していた竜車も無事で、そちらの御者が既に村人たちと滞在の話を進めていた。
「ゆ、ゆーくん……」
「な、なんだ……」
若干火照る頬を隠しながらお互いに微妙な視線を向け合う。
「何も、無いね……」
「あ、ああ……」
そうやってお互いに異常が無いことを確認しあうと、オレらは全く同時にため息をついた。
どういうことだ?
オレの思考はあらゆる不測を予測していたにも関わらず、この事態は予測できていなかった。
バイソンボアの逃げてきた方向と村の方向は一致するはずだ。
加えて、バイソンボアが逃亡を迫られるほどの危険に遭遇して、逃亡する方向をわざわざ途中で大きく変えるとは思えない。ならば、バイソンボアは少なくとも、先ほどの街道とこの村を結んでできた直線上のどこかの点から逃げてきたと考えるべきだ。
また、バイソンボアと遭遇した地点からここまで、何ら危険らしき危険と遭遇することはなかったし、もしこの村より奥からバイソンボアが逃げてきたのだとすると、この村がバイソンボアに蹂躙されているはずだ。
だが、この村にはバイソンボアが踏み荒らした形跡どころか、異常の欠片も見られない。
……おかしい。
村の手前にも奥にも危険が存在しないのであれば、村自体に危険が存在するはずだ。
だが、その村にも異常は無いと来た。
……危険たる存在が移動した? この短時間で? 何の爪あとも残さず?
無論、ドラゴンなどが一過的に現れて、バイソンボアたちを襲ったと考えられないこともない。だが、やはりその仮説もおかしい。ここに来るまで、凛と二人で草原を観察していたが、血痕もくぼ地も、戦闘のあとも見られなかった。加えて、獰猛な気性のドラゴンが人の住む村を無視するとは考えがたい。そもそもこのあたりにドラゴンは沸かない。
あまりに目に見える爪痕が無さ過ぎる。
元々危険なんて無かったのか?
だとしたら、バイソンボアたちは何故……
そんな堂々巡りに陥ってしまう思考を断ったのは、「たはは」と笑う凛だった。
「まー、何も無いならそれでいいじゃん!」
そう言いながらオレの髪をワシャワシャと無造作にすく。
鬱陶しさにその手を払いのけ、オレも無理矢理に口の端をゆがめた。
半分は恥ずかしさを紛らわすため、もう半分は無理矢理自分を納得させるためだ。
「ああ、まあ……何も無いなら、それで、いいか……」
どこか腑に落ちないところはあるが、考えすぎなのかもしれない。
ただ、バイソンボアたちが何かに驚いて逃げてきた。
そう、考えれば全て丸く収まる。
「じゃあ、危険も無いって分かったことだしっ! いっしょに村見て回ろーよ!」
「……そうだな、そうするか」
「え、嘘……ゆーくんなら絶対断ると思ってた……」
凛が驚愕に顔を彩る。
お前オレをなんだと思ってるの?
「まあ、このあたりの物価とか特産品、文化水準やら、調べたいことは山ほどあるしな」
「あ、うん……やっぱ、ゆーくんはそういう人だよね……」
驚愕の次は落胆を見せる凛。
なんか絶対失礼なこと考えられてる気がする。
全く……市井調査の重大性を理解できないとは……
そんな風にお小言を漏らしたくなるも、凛の呆れながらも楽しそうな苦笑を見ると、その気も失せてしまった。
……にしても、以前とは違った顔をするようになったな。
凛に表出する感情は歪さや人工さを失い、より自然なものになっているように思う。
「ほら、行くぞ。調査開始だ」
「お、おー……うーん?」
微妙に腑に落ちていない凛を引き連れてオレは村の中に繰り出した。
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「やっぱ、王都より物価は安いな……」
村の中にある唯一の商店を見ると、そのどれもが王都で売っているものよりも安い。
そもそも、商店の規模も小さく、雑貨から食材まで様々なものが売っているので、比較対象としてよいのか疑問は残るが。
「なんか駄菓子屋さんみたいだね!」
キョロキョロと小さな店内を見渡しながら凛が言う。
なるほど。その喩えは一理あるかもしれない。
「そうだな。まあ、この規模の小さな村となると、自給自足や物々交換が基本なんだろう。わざわざ通貨を利用して大規模な商業を行うメリットが無い」
そう、この村の規模は相当小さく、総人口は数百程度だろう。そんな状況下では、通貨の利便性は著しく下がる。
「にしても……」
「うん? どうしたの?」
オレが意図せず漏らした呟きに凛が返事を返す。
「いや、この村の規模にしてはやたらと宿が立派だと思ってな」
そう。小規模な村であれば宿すら無いこともままあるだろうに、この村には大きな宿が数件ある。あたりの景色にあまりそぐわないその大きな建造物の存在はやや異様だ。
そんなオレの疑問を聞きつけたのか、商店の店主がほがらかな声で答えた。
「この村は、冒険者や旅の方の中継地点になってるんですよ。ここから東に行くと王都、西にいけばレグザス、南にいけば魔法都市がありますから」
その説明を受けて脳内に地図を描く。
この世界の地図は軍事上の関係から大雑把なものしか無いが、なるほど、確かに位置関係的には間違いないようだ。
ってことは、宿場村になってるわけか。
現代日本でも、元々街道の宿場町だった場所が栄えて大きな街に発展した例も少なくない。
「なるほどな……だから、こんなに色々雑貨が売ってるのか……」
この商店、規模は小さいものの、品揃えに関しては王都の店に負けず劣らずのバライエティだ。明らかに日常生活で使い道が少ないものまで売っているのも、冒険者や旅人たちの補給品の意味合いもあるのだろう。
そんな風にして店主から色々と情報を聞き出す。
やはりオレの予想通りこの村は農業を基盤に据えた生活を送っているようだ。その中でコンスタントにやってくる旅人たちの落とす金で各種必要なものをそろえている。名物やらなんやらは残念ながら無いそうだ。
ふむ……どこにでもある普通の村だろう。
やはり危険なところは何も見受けられない。先ほどのバイソンボアたちは本当に何から逃げようとしていたんだ? そもそも逃げていたわけじゃなかったのか……?
そんな風にして再び疑問が再燃しようとしていたところで、凛に袖を引かれた。
「ん? なんだ?」
「なんだか外が騒がしいんだけど……」
「外……?」
思考に気取られて気付かなかったが、外から何やら人の騒ぐ声が聞こえる。
ここからじゃ遠すぎてその騒ぎが良いものなのか悪いものなのか判別できない。
「少し行ってみるか」
不安げな凛をつれて商店を後にする。
去り際に店主が、
「ああ、ここらへんは毒蛇がよく出るんで気をつけてください」
と、気の抜けた声で注意を呼びかけてきた。
「忠告ありがとうございます。気をつけます」
何も買わなかったことにいささかばかりの罪悪感を覚えながらも、オレたちは声のほうへと足を進めていった。
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「あそこか」
人だかりができている。
大半は村の住人だと見受けられるが、数人は明らかに冒険者のような風貌をしている。うち独りは帯剣していることからもまず村人ではないだろう。
「インチキしてんじゃねえよ!!」
「い、インチキじゃないってば! アタシは、この子たちと話せるの!」
「まだ言うのかこのガキ!」
数人の冒険者の男が、一人の少女に絡んでいるようだ。
少女は灰色のローブで体を隠しているが、特徴的なのはその髪の色だ。
紺色。紫に近いような紺色の髪が首のあたりで短く切りそろえられている。
この世界で初めて見る色だ。
いや……? 待てよ? 似たような髪色をどこかで見た気がするが……
そうやってオレが記憶の引き出しを片っ端からこじ開けていると、さらに怒号が飛んだ。
「ふざけんじゃねえ! この詐欺師が! 金返せよ!」
「ちょ、ちょっと待ってってば! 元はと言えばアンタたちがイチャモンつけてきたんでしょ!」
「んだと、この……!」
冒険者うちの1人が勢いのままに、少女に掴みかかろうとする。
「おい、アンタら……」
「――――ねえ、やめよーよっ!」
オレが止めようとするよりも前に甲高い声が彼らの愚行を咎める。
その声の主は、他でもない、織村凛だ。
凛が彼らを止めようと声を上げたことに唖然としていると、そのまま凛は冒険者たちに大またで近づいていく。
そしてそのまま紺髪の少女と冒険者たちの間に入りこんだ。
突然現れた少女に、冒険者たちは目を白黒させている。
「何があったか分かんないけど、そんな風に女の子に詰め寄るなんてダメだよっ!!」
毅然とした態度で彼らの行為を咎める凛に、冒険者たちはようやく我を取り戻して反論した。
「おれらはソイツに用があるんだ! 邪魔すんじゃねえ!」
凛を押しのけようとする冒険者が手を伸ばす。見境が無い。
この世界の冒険者って奴はホントにチンピラばっかだな……
「おい、凛!」
一歩も動こうとない凛に警戒を呼びかけるが何の返事も無い。
そしてそのまま冒険者がひ弱な一人のか弱い少女を押しのけようと凛の肩に手をかけた。
そして、そのまま力の赴くがままに、
冒険者の体は宙を舞った。
「いっ!?」
情けない声を上げながら地面に叩きつけられる冒険者。
「……は?」
気の抜けた声が口から漏れ、オレは目の前の光景に再び唖然とする。
背中を地面に預けている冒険者、そして彼を見下ろす凛の姿だ。
凛がその冒険者を投げ倒したのだと理解するのに、余計な時間を費やしてしまう。
だから、もう一人の冒険者が凛にその拳を放つのを止められなかった。
ベキッ、と重たい音がやたらと閑静な村に響く。
「がっ……」
かがんだ凛の掌底を喰らった冒険者がその場に屑折れた。
姿勢を低く保つことで冒険者の拳を避けながら、カウンターを打ち込んだのだ。
そして、凛の目の間には倒れ伏す大人の男が二人。
その光景は残った冒険者たちを萎縮させるには十分だった。
「お、おい! やべえ! 逃げるぞ!!」
「くっそ!! なんだよあのアマ!」
残った他の冒険者は慌てて二人を担いで逃げていく。脱兎の如くとはまさにこのこと。一目散に視界のはるか遠くへと消えていく冒険者たちを見守りながらオレはぞっと背筋が凍るのを感じた。
「……凛さん、マジぱねえっす……」
いつもだらしなく笑っている少女が、その実しっかりと勇者なのだということを改めて突きつけられた。
「大丈夫?」
満面の笑顔を向ける凛に、紺髪の少女もニコーと満面の笑みを浮べた。
「わぁ! ありがとうございます! お強いんですね!!」
先ほどまで冒険者にはタメ口だったのに、凛には敬語を使うあたりこの世界のヒエラルキーをよく理解している。
パチパチ、と村人たちから拍手が沸き起こり、「良かった」だの「安心した」だの「あの子可愛い」だのという声が聞こえ始めた。最後のやつなんか違くね?
そんな中で凛は恥ずかしそうに頭を掻いて、にへらーと笑っている。
……あんなへらへらしてる少女にボコされた冒険者たちに敬礼。
内心で彼らのズタボロにされたプライドに適当な思いを馳せていると、凛がこちらに手招きをした。
「どう、ゆーくん。わたしだってやればできるでしょっ!」
褒めて褒めてと言わんばかりのそのフリにオレは呆れながらも適当に言葉を続けた。
「おーすごいぞー凛お前はやればできる子だー」
「ぜんっぜん嬉しくないのは何でだろう……」
急降下する凛のテンションに苦笑を漏らしながらも、オレは今度は彼女の目を見て言った。
「ま。あそこで出て行けるのは中々できることじゃないな」
本心から来る素直な感心を彼女に伝えると、
「ホント!? えへへ……」
喜びに身をよじる凛にオレは苦笑をそのまま引きつった笑みにシフト。犬かお前は。
……こんなだらしない奴だけど、多分本気でやったらオレ瞬殺されるんだよな……
先ほど冒険者たちを一発でのした光景を思い出してぞっとしていると、紺髪の少女がオレらを見て「むふふ」と奇妙な笑みを浮べた。
「お二人さんはもしやもしやカップルってやつですか?」
「カ、カップル……! ね、ねぇ、ゆーくん。どうしようわたしたち――――」
「違うな。一切合切そういった関係には無い」
「ゆーくぅううん!?」とテンションを乱高下させながら泣き喚く凛を放置して少女に向き直る。凛は構うと面倒臭いというのはオレの中で確定事項だ。
「で、君はなんで冒険者たちに絡まれてたの?」
こういうときは話をそらすに限る。
そんなオレの意図を読み取ったわけではあるまいが、
「あ、それがですねー、ちょっと長くなるんですけど……」
そう前置いて少女は話を始めた。
「アタシ、旅芸人であちこちを行ったり来たりしてるんですけど、その旅先でこの子たちと一緒に芸をやってるんですよ」
「うおっ」
そう言って、ローブの中から出て来たのは小鳥やリスなどの小動物たちだ。可愛らしい小動物たちが彼女の肩やら頭やら手やらに止まっている。
ローブのどこに入ってたんだそれ……
「アタシ、生まれつき動物と話せる力がありまして」
「そりゃあ……すごいな」
動物と話せる能力か。異世界となるとそうしたものもあるのだろう。
オレがただ相槌を返すだけで話の続きを促そうとすると、少女は得心がいかない様子で首をかしげた。
「……アレ? そんな簡単に信じちゃうんだ?」
「このタイミングで君が嘘をつくメリットもないし、仮に嘘だとしてそれを信じることに対するオレのデメリットも無いからな」
そうやってオレが理由を並べると、少女は少しだけ何かを考えるような素振りを見せる。
それが何を意味するかは分からないが、よくよく近くで見れば可愛らしい顔をしている。
八重歯が覗く口元はやや野生的なところも見られるが、顔全体はどちらかというと丸顔で鋭さはあまり無い。目も釣り目というわけでもなく、長い睫毛が特徴的だろうか。雰囲気だけでいえば凛と似ているかもしれない。
「ふーん……面白いね」
「ん? 何だ?」
少女の小さな呟きをよく聞き取れずに聞き返すと少女は「なんでもない」と首を振った。
「それで、この能力を生かして芸をしてるんですが……残念無念なことに、ああした言いがかりをつけられることも多く……」
ああ、読めた。
要するに、この世界でも「動物と話す能力」というものはそれこそ嘘なんじゃないかというほど珍しいのだ。もしかしたら、彼女一人しか存在していないのかもしれない。
だからこそ、その状況において、彼女の芸に対して、「その超能力には何かトリックがあるのだろう。このインチキ詐欺師め」と、文句を言うやからが一定数いるのだ。
そして先ほどの冒険者たちがその一定数の一員だと。
「なるほどね。にしても、インチキだと思うなら金払うなよ……」
あの冒険者たちアホか?
「いやぁ、それがですね。あの人たちが、どうやらどうしてもアタシがインチキしてると思っているらしくて、『いいぜ、お前がインチキしてることに銀貨賭けてやるよ』とか言い出して……」
あの冒険者たちやっぱりアホだった。
いるよねー、そうやって何でも自分が信じられないものは否定したがるやつ。
自分の信じているものしか見ない、否、見たくない人間というのは一定数存在する。それだけならいいが、得てしてそういった奴らは自分の見たくない光景に遭遇すると認知的不協和を解消するために強引な手段にでたがる。
「それであいつらの要望に色々と応えて、動物たちと会話できていることを証明し続けていたら、最終的には逆ギレに等しいイチャモンをつけられた、と」
「はい……」
しょんぼりと落ち込んだ少女の肩に凛が手を置いて慰めている。
なんだかこうして凛が人の面倒を見ているのを見ると新鮮だ。いつもオレがこいつの保護者みたいになってたからな……凛も成長するんだなぁ。
などとひたすらに失礼なことを考えていると、がばっ、と突然少女が両腕を上げた。
オレと凛が驚きに目を剥いていると、
「まあでもアタシは気にしない! 大いなる野望のために! 頑張るぞい!」
そんな風に勝手に決意を固める少女にオレも凛もぽかんとするだけで言葉を返せない。
「あ、そうだ。アタシの名前まだ言ってなかった」
そう呟くと少女は紺色の髪をかきあげて告げた。
「アタシは……ええっと……うん。――――アルティ。アルティでいいです」
そう自己紹介をした瞬間、オレのスキル『魔力感知』が微量な魔力を感じ取った。
あ? なんだ? 何で魔力が……
不可解な現象にオレが頭を悩ませる間もなく凛が返す。
「わたしは織村凛。凛でいいよ。あ、この仏頂面の人はね……痛い痛いゆーくん痛い!!」
凛にアイアンクローを決めながら笑顔を浮べる。
「オレは十一優斗だ。呼び方は何でも構わない」
そんな様子に紺色の髪の少女、アルティは笑いながら、
「リンにユートか……」
そうオレらの名前を咀嚼するように呟く。
結局、自己紹介に流されるがままに、先ほどまでの疑問は思考の渦波に消えてしまう。
「よし! じゃあ、アタシはもう行くね! ありがと、二人とも! またね!」
そう言うとタタタターと走り去っていくアルティ。
オレはそんな彼女の様子を見送りながら思った。
「…………最後だけ敬語忘れてたな……」
そんな、しょうもないことを。
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「ふーん。あれが、トイチユートにオリムラリン……なるほどねー。女の方は強そうだったけど、男の方は見るからに軟弱そうだったなぁ……」
先ほどまで一緒に騒いでいた二人を思い出して小さく笑いを口に含む。
「そかそか。召還された勇者ってあんなものなんだ」
偵察に送り出した兵士が、両腕を失って帰ってきたときにはびっくりしたけれど、あの二人を見る限りではそこまで脅威じゃなさそうだ。
そんなことを一人考える。
「うーん、トイチユートが怜悧な性格で危険だって報告にはあったけど……」
けれど、実際に彼を見た感じでは、
「そんなでもないかなぁ……」
ブラブラと、柵に腰掛けて足を揺らす様は年相応の少女そのものに見える。
他愛の無い独り言を漏らしているようにしか見えない無邪気な少女。思い人にその恋慕を馳せているのか、はたまたまだ見ぬ自分の将来に希望を託しているのか。いずれにせよ、とても二人の人間の「強さ」を勘案しているようには見えなかった。
そしてそんな少女に、忍び寄る影があった。
ほとんど音を立てないで地面を這うその影は、幾度と村人を苦しめた毒蛇に相違ない。
とりとめもない何処にでもいる毒蛇といえばそこまでだが、その毒牙は華奢な少女をの命を奪うには十分すぎる凶器だ。
スルスル、と蛇が地面を擦る小さな音が、不気味なほどに静かに響く。
彼女は、誰からもこの村に毒蛇が出るという情報を聞いていない。
さすればこの閑散とした村では、その無警戒も当然と言えた。
毒蛇は茂みに潜みそのまま少女に狙いを定める。
このまま。
このまま飛び出して噛み付けば、少女はその毒牙に倒れ、自らの食料となるだろう。
そんな確信が、毒蛇の思考とも呼べない意思を占めた。
自分こそが捕食者であり、目の前の少女はエサに過ぎない弱者なのだと。
少女に死刑を告げる執行人のように、蛇は自らの牙を剥く。
だが、
「……もう、ダメだってば」
誰に言うでもなく少女が独りごちた。
否、その声は明らかに誰かに向けられている。
それが自分に向けられたものだと毒蛇は気付かない。
「―――――アタシをエサにしようなんて、100万年早いから」
少女が八重歯を見せながらこちらに向かって笑いかけてくる。
その笑顔は凍りつくように美しく、そして――――――獰猛だ。
一瞬で本能的な恐怖が毒蛇の脳内を占め、一目散に逃亡を決意した。
殺される。
強者であるはずの毒蛇がそんなわけのわからない恐怖に駆られ地を這いまどう。
理解できない。
何故自分があのような弱者から逃げ惑わねばならない? 何故自分は逃亡を選択した?
だが、そんな疑問は恐怖に駆り立てられる本能によって阻まれる。
そして、毒蛇の移動速度であれば少女から逃げ切るなど造作もないことのように思えた。
「待って」
ビクン、と蛇の体が硬直する。
だが、動かない。動けない。
筋肉の欠片すらも動かないのだ。
まるでその場に縫いとめられたかのように、自分の意思に反して体が動いてくれない。
奇妙な錯覚だった。
その蛇にとっては生まれて初めて自分の体が言うことを聞かない感覚。
だが、それは同時に彼の経験する、最期の感覚でもあった。
「ごめんね。アタシを狙うのが良くなかったよ。もっと、エモノは見極めないと――――」
そう呟いて少女は蛇の体に触れた。
まるで愛撫するかのように慈しみ、愛し、そして哀れむ。
弱者であることを。
そして無謀にも自分に挑んでしまったことを。
毒蛇は恐怖にその身を竦ませることすら許されない。
ただただ、死を近くに感じた。
「――死んで」
そして、そのまま毒蛇はピクリとも動かなくなる。
少女の漏らしたたった一言が、一つの生命を終わりに導いたのだ。
圧倒的強者の存在。
それに気付けなかった毒蛇が死ぬのは弱肉強食の世界では必然だった。
……その強者の存在に気付いたバイソンボアたちは、生物として優秀だったのだろう。
だが、そんな優劣も既に失われてしまった命の前では意味が無い。
少女は悲しそうに眉をひそめる。
すぅ、と彼女の羽織るローブにかかっている魔法が解除され、彼女の肌が薄い青色へと変わっていく。
それは人間の肌ではなかった。
「ごめんね。ホントに――――」
少女――――――『魔族』の『六将軍』が一人、アルティ・フレンは、そう懺悔を零した。
ようやく六将軍を出せて嬉しい




