51、呪い
「わたしに、任せてもらえませんか?」
黒ローブはその快活な声で軽々と言ってのけた。
中性的な声だ。いや、どちらかというと女の子の声に近いかもしれない。こうして立っている姿を見ると、オレよりも背が低く小柄な体躯をしている。
そんな彼、いや、彼女か? があのバイソンボアの群れを止めるだと?
オレが訝しげな視線を送っていると、その黒ローブは胸に手を当てて宣言した。
「大丈夫! 今度は、きっとわたしがなんとかするから!」
一体その自信はどこから来るんだ……
オレが黒ローブの底知れぬ自信に不安を抱いているとふと疑問が頭を過ぎる。
……って、ん? 「今度は」?
「じゃあ、行ってきますっ」
そう言い残すと黒ローブは竜車から躍り出て駆けていってしまう。
「あ、お、おい! アンタ! 無理だろ!!」
そんな声も既に届かない。
「って、足速いな、おい!」
ぐんぐんと距離を離されていく。
少女の駆け出した方向を見やれば、もうもうと土煙が立ち上がっている。無論、バイソンボアの引き起こした煙る壁だ。
「な、なあ。危険じゃないですかい」
従者の制止にオレは口の端をゆがめた。
「これぐらいは慣れっこなんで。残念なことに……」
いや、口の端が引きつっていただけかもしれない。
軽口を叩いてから、既に小さくなってしまった黒ローブの姿を追う。
「はぁっ、はぁ……」
途中からは『空踏』で空を跳ぶズルまでしたのに、結局黒ローブが立ち止まるまで追いつくことはできなかった。何だこいつ足速すぎる。いや、オレの足が遅すぎる。
そんな事実に密かな悲しみを覚えながらもオレは黒ローブに声をかける。
バイソンボアはすぐ目前まで迫っている。
目測100mも無い。恐らく、十数秒のうちにオレらのいる位置までいたり、そのまま背後に控える竜車を旅人もろとも踏み潰すだろう。
悠長に会話をしている余裕は無さそうだ。
「アンタ、何するつもりだ!? もし勝算が低いならオレにやらせてくれ。バイソンボアたちは無事じゃすまないだろうが、確実にあいつらを止められる!」
それだけ大規模な魔法となると地形も変化するためあまりやりたくはないのだが、致し方ないだろう。
そう割り切って脳内で最もリスクを減らせる方法を構築していると、
「大丈夫」
黒ローブはぽつりと漏らした。
だがその声音は確信に満ちている。
「おい、大丈夫って……」
「大丈夫だよ」
それだけ言うと黒ローブは再びバイソンボアのほうに目を向けてしまう。
おい……一体何を言ってるんだこいつは。
あれだけ勢いを持ったバイソンボアはその一頭一頭が全力で走る車にも匹敵しよう。それをこいつが止める? 勇者でもなければそんなことは不可能だ。
そうやってオレの思考は「不可能」の三文字を投げかける。残念なことに、オレの辞書には「不可能」も「無理」もしっかりと記録されている。どこかの偉人とは違ってな。
だが、こいつは自信を持って宣言している。
勝算があるのだと。
それに賭けるのか?
自問自答する。
こんな得体の知れないやつに?
無論、オレは死なない。『空踏』でいくらでも空中に逃げられるからだ。
だが、後ろに控える竜車に乗った御仁らは無事ではすまないだろう。
そんな紙一重の状況でコイツ賭けられるのか?
オレの迷いを置き去りにしながらバイソンボアがもうもうと土煙を立ち上げながら迫ってくる。もう既に彼らの茶色い体躯が視認できる。
迷っている暇など無い。
……ああ、いつものことだ。
「勝算は、あるんだな」
最後の確認。
これで少しでも迷う素振りがあればオレはこいつを無視して魔法をぶっ放す。
だが、オレの期待を裏切るようにして黒ローブはすぐさま頷いた。
無言。だが、確かな肯定。
「……はぁ」
オレはため息を漏らして心中のわだかまりを吐き出した。
そうでもしないと振り切れそうになかったからだ。
「仕方ない。……アンタに任せた。一体も取りこぼすなよ」
今度は返事は返って来ない。
その理由を考えようとしてすぐに変化に気付く。
スキル『魔力感知』が魔力の膨張を感じ取った。それは、今オレの横に立つ黒ローブの発するものだ。
莫大な魔力だ。
小さな体躯のどこにこれほどの魔力が眠っているのかは分からない。だが、確実にオレの知り得る魔導士の中では群を抜いている。
その魔力に信頼を預けつつ、オレも保険として魔力を練る。
隣で発される研ぎ澄まされた魔力に、背筋を寒気が走った。
と、同時に黒ローブが詠唱を始める。
「蔓延る邪悪を打ち払い、我が身と我が友を安寧に導け――――」
それはどこか懐かしいようなフレーズで、けれども一度も聞いたことの無いものだ。
微妙な既聴感に苛まれながらも自分の魔力を練る事に集中を切らさない。
「堅牢なる壁は全てを拒絶し、遍く百鬼を退けん――――――」
この詠唱を聞いたことは無い。
ただ、どのような魔法かは直感的に理解した。
この魔法は―――
黒ローブが息を吸う。
「――――結界魔法『ディバインウォール』ッ!!!」
刹那、爆発的なまでに魔力が解放され、その魔法が具現化する。
「結、界……」
目前には、消失点まで消えてしまうほど長い横幅を持った結界が発現していた。
巨大。否、広大とも呼ぶべき壁だ。全てを拒み、全てを跳ね返し、圧倒的な存在感のもとにあらゆる害意を遮断する。
「それもこんな広範囲な……」
光を乱反射して結界特有のきらめきを放っている広域結界。これほど高位な結界術を使える『術法師』などそうそうお目見えできるものではない。
そんな人間が偶々オレと同じ竜車に相乗りしていた? 偶然にも程がある。
より一層の訝しさを黒ローブに抱いていると、黒ローブは震えながら声を絞り出して叫んだ。
「……これがっ……わたしの……! 力だからっ……!」
そう言うや否や、黒ローブはその場にへたりこんでしまう。
と同時に、結界にバイソンボアの群れが衝突する。土煙と轟音が草原に次々と生まれ、彼らの悲痛な叫びが木霊する。だが、なお結界は破れることを知らない。
「お、おい! 大丈夫か」
慌てて肩を貸すと、黒ローブが腕に抱きついてくる。
そのとき、ふわりとほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
急に黒ローブに距離を縮められたことに対する混乱よりも、その香りに感じた違和感のほうに思考がとられた。
……どこかで、このにおいを知っている。
そんな馬鹿げた思考が脳内を過ぎり、それを否定する間もなく次々と記憶が掘り起こされていく。
あるはずがないという理性と、知っているはずだという経験的な記憶。
その両方の葛藤の中で答えにたどり着こうと思考する。
だが、答えはオレの脳の中からではなく、眼前の黒ローブによってもたらされた。
「……もう」
呆れるような声音。
聴いたことのある声だ。
何故、気付かなかったのだろう。
「……まだ、気付かないんだ」
黒ローブがフードを脱ぐ。
いや、違う。気付こうとしなかっただけだ。
まず健康的な色の肌が目に入る。
そして、まるでようやく自由になれた犬が尻尾を振るかのようにして、茶色いポニーテールが揺れた。
口を尖らせて眉を仕方無さそうに下げる器用な様は、幾度となく見たその表情だ。
「何で……何で、ここにいるんだ……!」
いるはずがない人物の登場にオレは頭を振った。
ありえない。ありえるはずが無い。ありえてはならない。
その文言が脳内を占める。
けれども目の前の光景は変わることはなく、徐々に頭痛がその存在を主張し始める。
何で……
何でここにいるんだよ……!
「……凛!?」
「……えへへ。付いて来ちゃった」
そこにはいつも通りだらしない笑みを浮べる少女、織村凛がいた。
ヒロイン登場これで勝つる!




