46、ここから始める
ここまで色々やってましたが、ようやく本腰を入れます。
家が完成した。
エーミールから知らせが入ったのは退院してすぐだ。
どうやらオレが入院中だったことも知っていたらしく酷く心配していたが、からかい混じりに笑い飛ばすと肩をすくめて安堵の息を漏らした。
修繕業者であるゴラムさんも一度も現れないオレのことを心配していたらしい。これは会ったら改めてお礼と謝罪をしておいた方がいいだろう。
というわけで、エーミールに付き添われオレは自宅のお披露目会に来ていた。
無論、何かパーティが催されるわけではない。ゴラムさんの説明を受けつつ、家をめぐっていくだけだ。
だが、こちとら初めてのマイホームなわけで。
嫌が応にも期待は高まる。
「にしても……」
思わずため息が漏れる。
「思ったよりでかいな……」
廃墟となっていたころは気付かなかったが、こうして修繕してみると改めて自宅の大きさに驚く。そこらの一軒屋など比べ物にならない。貴族が住んでいると言われても違和感の無いサイズだ。
正直オレ一人には間違いなく手に余る。
掃除とか大変そう……
そう思ってしまうのはオレが庶民だからか。
薄い緑色に塗られた家壁はあたりの林の風景ともよくマッチしている。緑と白を基調とした家の色合いは明るく見えるが、だからといって周囲から浮きすぎてもいない。その塩梅の絶妙さはさすが匠の腕と言えるだろう。
窓も多くとりつけてあり、光をふんだんに取り込んでいるのが外からでも分かる。
「なんということでしょう……匠の手によって、廃墟同然だった家が光をふんだんに取り入れた開放感あふれる一軒家になったではありませんか」
あの、劇的なんちゃらのセリフはどうして開放感ばかりを押すのだろうか。
恐らくそれぐらいしか推すポイントが無いのだろう。
「そりゃあまあトイチさんのご要望でもありましたからね」
そう、オレは修繕を頼むにあたって、閉塞感のある家にならないようにということをお願いした。閉ざされたダンジョンから直帰するときに、また閉ざされた家に帰ってくるとなると精神的に参ってしまう可能性があるからだ。
やはり、精神衛生を健全に保っておくために出来ることはやっておくべきだ。
「気に入ってもらえたようで何よりだ。といっても、中身はまだこれから説明するのだがな」
ゴラムさんがオレの隣で豪快に笑う。
そんな彼にオレはお礼を言いながら、自宅の戸に手をかける。観音開きのようだ。
ダークブラウンの木を使った扉は、その見た目に反して軽く開いた。
「うお……すげぇ」
思わず感嘆が漏れる。
オレの驚きと感動はやはりそれ相応のものだった。
玄関は広く、大人数が一気に訪れようと渋滞することはない。広い廊下の奥には二階に上る階段と、地下へと続く石階段がある。左手側には、ダイニングスペースの大部屋があり、シックな机や椅子などの家具が既に運び込まれている。明らかに一人用の規模ではないが、流石に空き部屋というのも味気ないからな。少しばかり奮発してエーミールに用意してもらった。もちろん、別料金でだ。
そこから、廊下を進み階段の手前で右に曲がる。
厨房、客室、物置などが並び、水場もある。要するに、洗濯場だ。この世界にもちろん洗濯機などという高度なものは存在しないので、手洗いするしかない。オレは魔法で洗濯機じみたことも出来るのだが、それにしても洗濯のスペースは不可欠だ。
そして、水場の隣にはオレの望んだものがあった。
「坊主の要望どおり、数人が入れる大きさの風呂は作っておいたぞ」
扉を開けた先には脱衣所があり、その先の戸を開けると5、6人は入れるだろう大きさの風呂場があった。バスタブ自体も、一度に2、3人は入ることができるだろう。風呂場の作りはシャワーとバスタブが分かれているタイプだ。ユニットバスは好かないからな。
わぁい。大きいお風呂だぁ。
「魔法を動力に動くからな。定期的に魔法技師にメンテナンスしてもらえ。なんなら、この男に言えば紹介してくれるじゃろうて」
ゴラムさんがそう言いながらエーミールを指差した。
シャワーなどという現代技術の結晶が、こんな世界にあるのか。その疑問を解決してくれるのが魔法だ。この世界における、「機械」の原動力は魔法だ。バスタブにお湯を張ったり、そのお湯を熱するのも全部魔法。この世界の技術基盤にいかに魔法が浸透しているかが窺える。
「まあ、困ったら頼むわ。一応、オレも魔法技師の勉強はしてるから出来ないことも無いんだけどな」
「そうなんですか?それは初耳ですね」
「まあ言ってないからな」
それで話は終わりだと言わんばかりにオレが手を振ると、ゴラムさんが浴場から出て行く。
「ああ、そうだ。ゴラムさんありがとうございます。風呂場最高でした」
オレが笑いながらゴラムさんの背中に声をかけると、
「がっはっは! ワシは王都最高の建築家だからのう! 造作もないわい」
その彼の自負が少しだけうらやましく感じる。
だが、オレの視線にも特に気に留めることのないゴラムさんの後を続く。
そこには工房があった。
金属を溶かす窯や、金床など、金属の鍛錬を行うのに必要な設備が一通り揃っている。
「それにしてもトイチさん、鍛冶もなされるんですか?」
エーミールが感心半分、呆れ半分といった様子で聞いてくる。
「いや、まだ分からん。分からんが、多分出来る」
実際にまだ鍛冶をしたことはない。だが、本で知識は蓄えたし、一度、王国直属の鍛冶屋で仕事ぶりを一日見学させてもらったことがある。だから、自分にもできるという自信があった。筋肉の動き、込める力の強さ、金属の温度、炎の色、全てを鮮明に思い出せる。後はそれを想起して、再現するだけだ。
後は、単純に開発作業をここでやりたいと思っていたのだ。
特に、蒸気機関や電気モーターは作っておきたい。そうすれば、移動の際にバイクやそれに準ずる乗り物を扱うこともできるからな。
そんなオレの口ぶりをエーミールは話半分で聞いていた。
こいつ、信じてないな?
仕返しに散々エーミールをからかってやると、ゴラムさんが呆れた様子で工房から出て行ってしまう。その後をオレらは急いで追う羽目になった。
「おい、エーミール。いくら家が出来たからってはしゃぎすぎだぞ」
「僕が悪いんですかこれ!?」
不満を漏らすエーミールを無視し、階段を上る。
二階は、基本的に全て個室になっているようだ。しめて6部屋。一番奥の一部屋だけ大きめに作られており、そこには既にベッドやら本棚やらといった家具が運び込まれている。他の5つは空き部屋だけどな。オレが拠点として使う分には問題は無いはずだ。
「後は、地下を見てもらうことになるが……地下は整えただけで、特に何も手を加えておらんぞ?」
「大丈夫です。元々、物置ぐらいにしか使うつもりは無いので」
そういうオレにエーミールが不審げに首を傾げるが、詮索するようなことでもないと思ったのだろう。すぐに表情からかげりが消える。
無論、物置と言っても、置くのは転移魔方陣だが。
「そうか。ならば、今見せたのがワシの仕事のすべてだ。どうだ? 気に入ったか?」
ゴラムさんはそう聞くが、その目には一切の不安も見て取れない。
お前を最高に満足させる出来だといわんばかりだ。
そして、実際その通りなのだから恐ろしい。機能性を重視した家の動線、そして最低限の快適な生活環境、その両方を十分に、いや、十二分に備えている。
ダンジョンめぐりの拠点として、これほど充実したものもあるまい。
「ありがとうございます。思っていた以上の出来で驚いています」
「がっはっは! そうかそうか! それはよかったのう!」
バンバン、と音が出るほど強く背中を叩かれるが、それを避けることなくされるがままになる。
ひとしきり笑った後に、ゴラムさんは急にまじめな顔になった。
「この家はこれから坊主の家になる」
「……? ええ、そうですね。何しろ購入しましたし」
当然のことを改めて言う彼にハテナマークが頭上に浮かぶ。
何を言っている?
「違う、そうではない。本当の意味で、これから坊主の家になっていくのだ」
その言葉は、世間話でもするかのように軽く語られた。
だが、そこには彼の人生が乗っていると思われるほど、重みがあった。
真理を突いた言葉。ある種、極みに到達していないとその言の葉の持つ意味を十全に伝えきることは出来ないだろう。
「……はい。分かりました。本当にありがとうございます」
そう言ってオレは再び深く、頭を下げた。
その後、エーミールと最終的な支払い金額の話し合いをし、全額を一括で支払ったところで、お披露目会はお開きとなった。
ゴラムさんやエーミールも帰り、今はオレ一人で家の廊下に棒立ちになっている。
今更だが、
「……こんなにでかい家、要らねぇな!!」
絶対に人にはお聞かせできない暴言を吐く。
だって、二階の六部屋ってなんだよ!オレ一人しか住人いないからね!?
そうだ、日ごとに気分を変えて違う部屋で寝よう!
とかならないからね!?
いや、最初は最低限の機能しかつけるつもりは無かったんだ。それがゴラムさんと話す段階になってついアレもコレもと増えていき……
「くそ、何だかんだでエーミールのやつに上手くしてやられたな」
あのなよなよした商人の手管に舌を巻きながら、オレは地下室へと足を踏み入れた。
そこからさらに数時間ほどが経過した。オレは顔についてしまった染料を拭う。
「ふぅ……腰痛い……」
そうぼやきつつ睨み付ける先には、転移魔方陣が総計20個。もちろん、そのどれもが対応はしておらず、もう片方の魔方陣をどこかに書けばそこと繋がる半転移魔方陣だ。
この下準備さえしておけば、これから遠出してもすぐにこの拠点と行き来できる。
「ああ……にしても、本当に腰が痛い……」
治癒魔法をかけながら、長時間かがんで作業していた弊害を恨む。何でこんなに若いうちから既に腰痛に苦しまなければならないのか。それも妖怪のせいなのね、そうなのね!
どこかで自縛霊の猫が文句を言っているような気がしたが、そんなことはお構いなく、オレは階段を上って地上へと出る。
「あー、シャバの空気はうめぇ――――」
そう言いかけた瞬間、ガタンと何かがぶつかる物音が耳に入る。
外ではない、明らかに家の奥から聞こえてきた。
自然な風や小動物が起こしうるような物音ではない。
――――ゴーストが、まだ残っている?
早々に一つの結論にたどり着き、オレは魔法を展開する準備をする。一瞬で自らの警戒を最大限まで引き上げ、感覚を鋭く尖らせる。
そのまま、足音を殺しながら、一歩、また一歩と物音のした方へと近づいていった。
さてはて、幽霊かはたまた強盗か。どっちも嫌だな……
どちらにせよ、戦闘は避けられないだろう。話し合いが出来る相手とは思わない。
ダンッ、と踏み切り、廊下の奥、工房の戸を開ける。
「動くなッ! 動いたら撃つぞ!」
手を銃の形に構えてと突入する。無論この世界に銃などは無いが、何かを突きつけられ、動くなと言われれば自ずとその意味は理解される。それに実際、指先から魔法を出せば、モンスターぐらいは余裕で狩れる。
「ひゃあ!? す、すみません! う、動きません!」
そう言って小さくうずくまったまま固まる白い生物。ふるふると震えている。
だが、オレはその姿に酷く見覚えがあった。
はぁ、と小さくため息を漏らして警戒を解く。
「……何、やってんだ……シエル」
呆れた声が漏れるがその中には安堵も混じっていた。
物音を立てた正体。それは、ハーフエルフっ子のシエル・バーミリオンその人だった。
「え、あ……ユウトさん……その、すみません……」
そう言いながらも、全く体を動かすことは無い。
「……もう動いていいぞ。撃たないから」
「は、はい」
そこでようやく恐る恐る立ち上がるシエル。
何やってんだこんなところで。
そんなオレの思いが顔に現れていたのか、シエルは緊張した声で言った。
「えっと、その……ユウトさんが、お家をご購入されたと聞いたので、えっと、その……」
挙動不審なシエル。
よく見ると、その頬には痣が出来ており、服は汚れている。
「……シエル、それどうしたんだ?」
オレが聞くとシエルは気まずそうに一瞬だけ目を泳がせた。だが、すぐに乾いた笑みを貼り付けて言った。
「あ、す、すみません……その、ここに来るまでに転んでしまって……」
オレはすぐに彼女に治癒魔法をかける。
「あー、シエル、お茶でも淹れようか? それと工房じゃなくて広間のほうで話そう」
とりあえず話を聞くべきと思い、オレは彼女を広間に誘う。
「はい……」
俯くシエルを促してダイニングへと進んだ。お互いに無言だ。
その沈黙は決して心地のいいものではない。
だが、オレ一人が話していたところで、その行動の価値は薄く精精沈黙を慰める程度にしかならない。胸中にわだかまる、不穏な気配を振り払いながらオレは広間の戸を開いた。
シエルに着席を促し、オレも手元のティーカップを彼女に渡すと席に着いた。
現在は紅茶から立ち上る湯気の行き先を見守りながら、シエルの言葉を待っている状況だ。
「……あの」
「おう」
「か、勝手に入ってしまって、すみませんでした……」
どうやら勝手に家に入ったことを悪く思っているらしい。
その表情には恐怖まで窺えるほどだ。オレへの恐怖だろうか。それとも、オレに嫌われることへの恐怖だろうか。
だが、別にオレはそこについてはどうでもいい。
「別に構わない。鍵を開けっ放しだったオレが無用心なんだ」
「いえ、そんなことは……」
ついに痺れを切らしたオレが聞き出す。
「……シエルはこんなところに何をしにきたんだ?」
深入りするのにためらいが無かった、と言えば嘘になる。彼女の悩みや心情に深く立ち入ることは、オレの意には反していたとまで言ってもいいかもしれない。
だが、心のどこかで自責と彼女を放っておけないという念が沸いた。そしてオレを駆り立てた。
彼女に無責任な言葉を吐き続けた、その負債がここにきてオレに戻ってきたのだろうと。
シエルが息を呑んだのが分かった。
それからしばしの沈黙。ただただ二人分の紅茶から立ち上る湯気だけが、決して交わることなく空気に溶け込んでいく。
「ユウトさんが、お家をご購入されたと聞いて……」
「おう」
バーミリオン商会の系列不動産で購入したんだ。その情報が彼女の耳に入ってもおかしくない。それに、そのことはさっき聞いた。
「さ、最初のうちは、お引越しとか、い、色々とお困りかと思いまして……」
そこまで言うとシエルは俯きがちに言った。
「お、お手伝いを、できたら……なぁと……すみません」
…………それだけ、か。
「それだけか?」
「は、はい」
「そうか……ありがとうシエル」
「い、いえ……ユウトさんのご都合もお聞きせず、すみません……」
「何で謝るんだよ」
オレが苦笑すると、シエルは諦めたように乾いた笑いを浮べた。
その表情に何故か心が苦しめられる。
アイツの、春樹の笑みと酷く似ている。困ったように、諦めたように笑うその表情。どうしようもないことに直面したときに、仕方ない、と言いつつ笑うのだ。
彼女はその表情を浮べることに慣れすぎている気がした。
「なぁ、シエル」
シエルが小首をかしげる。
だからこそオレはこんなことを言ったのかもしれない。
「何か困ったことがあったら、オレを頼ってくれ。何ができるかは分からない。何も出来ないかもしれない。……でも、何かはすると思う」
正直、たった一人の友人すら救えなかったオレが何をほざくのかと思う。そんなことを言う自負も、自身も、矜持も、今のオレには残されていない。
オレに残されたものはただただ罪と罰。贖い、雪ぎ、掬うことこそがオレの生き方だ。
だけど、目の前で泣きそうな自分の気持ちに蓋をして、笑った顔を浮べている女の子を助けないままで。何が「全てを掬う」なんて言えようか。
すべて――――
それは曖昧模糊な表現だ。
ただ、それでも。目の前の少女がその中に含まれていることだけは、オレの全霊を以って同意することができた。
「な、何を……」
「顔の傷と汚れ。転んだだけじゃないだろ?」
「……」
沈黙。それこそが何よりも肯定を意味していた。
「シエル。オレは英雄でも無ければ、世間の皆が思っているような偉大な勇者でもない」
とつとつと語るオレの目を、それでもシエルは見ようとしない。
龍ヶ城輝政のように真っ直ぐ誠実に、英雄たることなどできはしないし、人々にあがめたてられることもできない。というか、なりたくもない。
「でもな」
そこで息を、吸う。
「知り合いぐらいは、助けられるような奴でありたい。いや、そうでなければならないんだ」
あの時救えなかったから。たった一人の友人さえ取りこぼしてしまったから。
だから、ここからだ。
「ユウ、トさん……」
シエルが肩を震わせる。
差し込む夕日に、彼女の目元から落ちる雫がきらりと光った。
そして、紅茶に波紋を生み、そのまま立ち上る湯気がオレのカップの湯気と混じりあう。
ようやくだ。
ようやくオレの罪を償う機会を得られた。
今このとき。
そう、今この瞬間から。
ここから、全てを掬うオレの長い長い旅を始めよう。
優斗君がようやくなすべきことをし始める。




