43、ロストドラゴン
「おーい、エーミールやーい。来てやったぞー」
「その口調は何なんですか……」
「お前の需要を満たせるかな、と」
「僕にどんな趣味が!?」
開口一番エーミールを弄り倒すノルマも無事に達成し、オレは不動産屋の応接スペースのソファに腰掛けた。エーミールは立っているが、オレの向かいには既に一人の男性が座っている。ゴワゴワとしたひげを蓄えた、いかついおっさんだ。この人が修繕業者だろうか。
と思っていると、エーミールが咳払いをして話し始めた。
「えー、今回、トイチユウトさん宅の修繕について仲介を担当する、バーミリオン商会のエーミール・フォトンニアです。双方の利となるよう、この身を尽くして務めさせていただく所存ですので、何卒よろしくお願い申し上げます」
「ご紹介に与りました、十一優斗と申します。以後、お見知りおきを」
そうやって、向かいのおっさんに手を差し伸べる。
背丈はオレと変わらないぐらいだろうか?だが、筋骨隆々で二の腕はまるでボールでも入っているかのように膨らんでいるのが服の上からでも分かる。胸板も厚く、顔の彫りも深い。典型的な、外人マッチョといった風貌だ。
「ワシは、ゴラム・バートンだ。今回の家の修繕を担当する。お主が、家主か?随分と若いな」
そう言いながらも快く握手に応じてくれる。良好な関係が築けそうだ。
「ええ、まだ17の若輩者ですので、建築学には疎く。何卒、ご助言いただければ」
「驚いた。まさか、17の若造があれほどの家を買うとはな。金持ちのボンボン……というようにも見えんが」
どうやら家は既に視察済みらしい。
まあ、もしオレが御曹司などであれば、交渉の場にわざわざオレが出向くこともあるまい。
「出自は、なんてことは無い一般家庭です。マナー等にも明るくはありませんが、そこはご了承いただけると幸いです」
「がっはっは!構わん構わん!ワシも面倒事は嫌いだ!」
そう言うと彼は豪快に笑った。
見た目通りの笑い方だ。
お互いに一通りの自己紹介を終えたところで、エーミールが再び進行をとりもつ。
「さて、今回トイチさんのご自宅となる一軒家ですが、まず、改めて図面の確認をする、ということで構わないでしょうか?」
「ああ、問題ないわい」
オレも進行についてはエーミールに一任するつもりでいるので、黙って頷く。
それを見届けたエーミールは机上に図面を広げた。
「あの家は基礎構造は全く問題ない。むしろ丈夫すぎるぐらいだ」
ゴラム氏がひげを撫でながら話し始める。
「だが、どの部屋も酷い有様だ。それなりに大掛かりな修繕になるが構わんな?」
「ええ、もとよりそのつもりでお願いしていますから」
「うむ、そうか……では」
そう言いながらオレはゴラム氏とそれこを額をつき合わせるようにして話し合う。オレの要望と彼の建築家としての現実的な意見をすり合わせていくためだ。途中、エーミールにはオレの不足している知識や情報を補ってもらった。オレが聞かずとも、分からなかった点を説明してくれるのだから、やはりこいつは有能なのだろう。
そのまま小一時間ほど、リフォームの方向性や、細かい部屋割り、装飾などを話し合う。
オレとしては、別段凝った装飾を必要とするわけではないので、見栄えが悪くならない程度に機能性を追及してもらえるようにお願いした。例えば、無駄な壁を取り払ったり、絵画等を飾るアトリエを倉庫に変えてしまったり、といったように。
他にももろもろの要求は概ね通したはずだ。
「他に何か分からない点や、伝えておきたい点はありますか?」
最後にエーミールが確認をとる。
改めて脳内の情報を検索し、オレはゆるやかに首を振った。
「大丈夫だ。これだけ色々と言わせてもらって、まだあるわけもない」
「そうか。いや、だが本当にこれで良いのか?いささか、味気なさすぎる気もするが……」
ゴラム氏が少しだけ憂いを示す。
オレが機能性を追及した結果、様々な装飾や内装等は取り払われることになった。それを、味気ないと表現しているのだろう。
「ええ、これで問題ないですよ。オレは、別にゴテゴテした家に住みたいわけじゃないんで」
そう言うと、ゴラム氏も強くは言わないのだろう。「そうか」とだけ言って進言を引っ込める。
今度はエーミールが頬をかいている。
「あのぉ、トイチさん?」
「どうしたエーミール。そんな甘えたような声を出してもお菓子はやらんぞ」
「別にそんな声出してませんよねぇ!?っていうか!そうじゃなくて!」
いつも通り面白いやつだ。
「……もしかして、気を遣われてます?」
「何が?」
「いえ、修繕費もこちらで負担することになるので、できるだけ修繕費用がかからないようにあえて装飾等を取り払っているのかと……」
ああ、そういうことか。
エーミールとの賭けにかったオレは、この修繕を実質無料で引き受けてもらっている。それはバーミリオン商会の負担になるはずだ。オレがそのことを気にして、わざと機能性のみを追及した質素な家にしようとしているのだと、こいつはそう考えているわけだ。
「じゃあ、逆に聞くが、オレがシャンデリアや絵画の並ぶ家の中で、ソファに座ってシャム猫を撫でているような男に見えるか?」
「しゃむ……なんですか?」
「つまりはだ、豪華絢爛この世の贅を尽くしたような部屋で高笑いをするような男に見えるか?このオレが」
「……いえ、全く」
「だろ?オレはお前の見たとおりの男だよ」
それだけ言うとオレは、話は終わりだという意思を示してパンッと手を叩いた。
エーミールは一瞬ためらったものの、すぐにそのためらいを飲み込み、ゴラム氏に向き直る。
「では、ゴラム・バートンさん。以上の要望を元に、修繕の方よろしくお願いいたします」
「おう分かった。ワシに任せておくといい。きっと、坊主の理想の家に仕上げてみせよう」
その顔には決して曇ることの無い自負が浮かんでいる。
あのときエーミールが浮べたものと同じ。自分の仕事に、生き方に誇りを持っている者の顔だ。
ドクン、とそれを見て心臓が高鳴った。
ズキズキ、とそれを見て傷口が疼いた。
だが、益体の無い思考がすぐにそれらを全て追いやった。
「んじゃ、オレも時折見に行くんでよろしくお願いします」
「そうやの。概ねの準備は済んでおるから、明後日から取り掛かるわい。それから十日ほどで仕上がるはずだ」
「随分と、速いですね」
オレの心配そうな視線に気付いたのかゴラム氏は豪快に笑った。
「がっはっは!心配せんでも、最高の家にしたるわい!」
釣られて思わず小さく笑ってしまった。
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ふぃー、と変なため息が漏れる。
今オレの手元にはほとんど金が残っていない。家の代金や、仲介料に支払ってしまったからだ。
残った銀貨は4枚。銅貨も十数枚ほどしか残っていない。
「こりゃ、少し稼がないとな……」
そう呟きながらまたもため息をついてしまう。
ため息をつくと幸せが逃げるって言うけど、それなら深呼吸したときなんか大量の幸せが逃げてるはずだから、アスリートはみんな不幸なんだよな。よし、オレは幸せになるためにも、スポーツ選手だけにはならないようにしよう。
大変失礼極まりないことを考えながら、オレはとある場所に来ていた。
あまり来たいとは思わないのだが仕方ない。
今後の足になるかもしれないのだから。
「へぇ……存外、色々な便があるのな」
そうやっていくつもある大きな掲示板に目を通していく。
『サヴォナローラ経由・アルフローラ行き』
『シャラント行き』
などなど……オレが地図などで一度拝見した地名がちらほらと。
そうしてみていると、どこからかキシャーという鳴き声が聞こえてくる。
……小竜の声だ。
小竜とは、まあ要約すると強いトカゲだ。
この世界は当然のように、舗装道路が都市から都市まで続いているなんてことはなく、街道すら途切れていることも稀ではない。そんなところで馬を使っていては長旅の移動すらままならない。
そこで登場するのが小竜だ。彼らは、悪路だろうとコンスタントな走りを見せ、馬よりも持久力があり、なおかつ大抵の魔物となら戦闘をしても勝ち越せるという、あれ馬要らないんじゃねレベルの能力を保有している。それゆえ、このような魔物が跋扈する世界では小竜は長距離の移動手段として必須なのだ。もちろん、直接乗るのではなく、馬車……もとい竜車を引かせるのではあるが。
そして、これからオレがダンジョンを求めて世界をめぐるにあたって、やはり移動の足となるのがこの小竜なのだ。いくら転移魔方があるからといって、一度は現地に行って魔方陣の設置をしなければならない。つまり、ル○ラを使うにしても一回はその町に徒歩で行かなければならないというわけだな。うわ、めんどくさい。
今いるオレの場所が、その小竜便を扱う駅、に当たるのだろうか。正確な表現は難しいが、予約なども出来るらしいから概ねみどりの窓口で差し支えないだろう。全然みどり色じゃないが。
手配所、がもっともしっくり来る表現だろう。
「んで、オレの目的地だが……あら、直行便は無いかな……」
となると、どこかを経由して乗り換えるしかない。
「すみません。フローラ大森林に行きたいんですけど、その場合ってどのルートがいいですかね」
ま、ここは大人しくプロの話を聞くとするかね。
受付の人は、少しだけ手元の資料に目を通した後に、
「フローラ大森林ですか……申し訳ありませんが、ただいま便は取り扱っていませんね……」
「そう、ですか……」
マジか……んじゃ、どうすっかなー……他の場所を……
そう考えていた矢先、
「ですが、道中の『レグザス』行きでしたらございますので、一旦『レグザス』に向かわれてから、南下してフローラ大森林に向かわれてはどうでしょうか?」
ふむ、そういうルートもありか。
フローラ大森林は、概ねの方向で言うと、このリスチェリカから南西方向にある巨大な森林だ。
そこにダンジョンがある。
そして都市レグザスはここから真西。
なるほど、悪くないルートだ。最悪、魔方陣だけ設置して帰ってくれば、いつでもそこから冒険を再開できる。わーい、セーブできるぞー。
「分かりました。今はまだ予定が分からないので、また後日伺います」
「ええ、レグザス行きでしたら定期的に便がございますのでまたご利用ください」
営業スマイルで頭を下げる受付に手を振り、オレはみどりの窓口を後にする。
出来れば、苦手な爬虫類から距離をおきたいというのもあった。
「さてはて、後はおうちの完成を待つだけなのかしらね」
あー、そうだ。お金も稼がないと……
ちょっと、冒険者ギルドを覗いてみるか。
そんな軽い気持ちで、オレは再び冒険者ギルドへと足を運んだ。
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「大変だーッ!ロストドラゴンが現れたぞーッ!」
冒険者ギルドで掲示板に貼られた依頼書に目を通していると、そんな叫び声が聞こえた。
この冒険者ギルドも例に漏れず、壁に依頼者が依頼を貼り、それを見た冒険者が依頼を達成するというシンプルなつくりになっている。依頼の達成状況等も逐一、ギルド員証に記録されるため、手違い等も少ないんだとか。やだ、便利な世の中。
そんなどうでもいいオレの感想もお構い無しに、髪を振り乱した男がものすごい形相を浮べてギルドの職員に声を飛ばす。
「ロストドラゴンだッ!!数は2体!!双方、無傷だった!至急、討伐隊を!!」
ろすとどらごん?そうか、ロストなのか。何が失われてんの?
「確かなんだな!?」
「ああ、この目で見たッ!あの巨大な体に、鋭い爪ッ!間違いないッ!」
男は話す勢いのあまりそのまま倒れそうになっている。
オレだけその場の勢いについていけず、なんだかいたたまれない。
ロストドラゴンってそんなにやばいの?
「なぁ、ロストドラゴンってそんなにやばいのか?」
隣にいた冒険者に話しかける。
少なくとも、オレは見たことも聞いたことも無いモンスターだ。あれだけ近隣のモンスターについては調べたつもりだったんだが……
「おまっ!ロストドラゴンを知らねぇのか!?」
「ああ、生憎な。教えてくれると助かる」
唖然とした表情を浮べている冒険者に続きを促す。この様子だと知ってて当然の知識らしい。
「ロストドラゴン……通称、迷子竜」
「迷子、竜?」
「ああ、その出所は定かじゃないが、本来、出現するはずのない場所に突然竜が現れることからこの名が付いた」
出るはずのない、場所?
…………そうか、竜ってのは本来魔力がバカみたいに濃い場所に生息していると文献で読んだことがある。というのにも関わらず、魔力が濃くないはずのリスチェリカ近郊で沸いた。だからこそ、いるべき場所を間違えている迷子の竜。そういうことか。
「でも、何がそんなにやばいんだ?狩ればいい話だろ?」
「バカか!!竜の討伐はベテランの冒険者パーティが四組以上組んで、初めて成功の確率がゼロじゃなくなるんだぞ!?しかも、それは一体の竜に対してだ!!今回は、二体……この状況は異常だ。街が滅んでもおかしくない……」
そんな、規模なのか?
いまいち状況が飲み込めず首を傾げるが、周囲のてんやわんやを見るにその表現も誇張ではないのだろう。
ロストドラゴン、災厄の象徴。……もしかして、地下のダンジョンで見た手紙の、世界を襲う災厄ってこれのことなのか――――
だが、そんなことを熟考することを許される暇はない。
すぐにドタバタと騒ぎが広がる。
ギルド職員は事実確認に動きまわり、各所への連絡に外へ飛び出す。
冒険者たちは、恐れる者、高ぶるもの、涙を流すもの、それぞれ十色の反応を示す。だが、ベテランと見られる冒険者たちはじっと座って流れを静観していた。
ロストドラゴンか……ふむ。
「なあ、ロストドラゴンって狩ったら賞金とか出る?」
オレの軽い口調に冒険者があんぐりと口を開ける。
「はぁ!?もちろん出るさ!それも、冒険者ギルドからじゃない!国から大量の褒賞が出る!ギルドメンバー全員で分けても十分なぐらいだ」
「じゃあさ、二体とも一人でやったりしたら、すごいお金が手に入ったりする?」
「そんなもん。家が何件も建てられるだろうな……って、おいお前まさか、あれ?」
冒険者は振り返るも、既にそこに人はいない。
名も無き冒険者は、忽然と消えた少年のことを一瞬だけ気にかけたが、次の瞬間には阿鼻叫喚の喧騒の中に意識を奪われていった。
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一狩り行こうぜ!
というわけで、これからリアルモンスター○ンターが始まるわけだが……閃光玉とか回復薬とかないけど大丈夫かしら。タル爆弾も無いな。
まあ、魔法をぶっ放せるという大きな強みがあるのでさして問題は無いだろう。
ドラゴンは二体。全力で魔法をぶつけるには申し分無い相手だ。
ただ、ドラゴンを殺した証拠をしっかり頭を剥ぎ取り……もといお持ち帰りしなければならないので、『嵐玉』はできるだけなしの方向で行こう。ほ、ほら……素材も使えるかもしれないし……
「出現したっていう場所はまだ先か……」
そう呟く間も、足元では景色がかなりの速度で後ろへと動いていく。
オレは今『空踏』で空を跳んでいた。わざわざ人の多い街中を通るのは面倒くさいので、最短距離でつっきるためだ。幸い、この魔法も訓練のかいあってか、ほとんどMPを消費しないで使えるようになった。これでぐんと戦いの幅も広がるわけだ。もちろん、逃亡の幅もな。
ドンドンと建造物はまばらになっていき、徐々に緑色の草原へと変わっていく。
ものの数分のうちに、小屋一軒すらも見当たらなくなり、ようやく街から離れたことが分かる。
そのまま草原を一直線に跳躍する。
――――ピリ、と空気が張り詰めるのを感じる。
オレは徐々に速度を緩め、地面へと着地する。体の周囲には『風蕾』をまとわせて警戒も怠らない。広い草原だ。だが、ちらほらと大岩があり、その一つの陰に生物の息遣いを感じる。
あの裏に、いる。
見えるわけでもない。だが、感じる。圧倒的な強者の放つ、殺意にも感じる存在感を。
すぅ、と小さく息を吸うと、オレは魔法を顕現させる。
確認は要らない。
初手で決めるッ――――
「遍のしがらみを断て、『蒼斬』!」
青く透明な線がオレと岩の間を真っ直ぐに駆け抜け、そのまま岩を貫く。肉をすりつぶすような音だけが聞こえ、次の瞬間どさりと何かが倒れた。岩の陰から、赤い赤い血が小川のように流れ出てくる。
「よし……まずは一体……」
反撃の無いことを絶命の証明とし、周囲に意識を向ける。
話では二体いるはずだ。ならば、もう一体は――――
ズッ、と何かを引きずる音が背後から聞こえると同時に、オレは前へと全力で跳んだ。
刹那、ショベルカーが地面をえぐるようにして大地が穿たれた。土ぼこりが舞い、小さな石ころが驚いたようにして跳ねる。
土と草の臭いにむせ返りそうになりながら、後ろを振り返る。
眼前では、大岩かと見紛うほどの大きなトカゲがこちらを見下していた。
その大きさに唖然とする。
こいつが!ロストドラゴン!
初めて見るドラゴンの姿に本能的な恐怖と、ゾクゾクと背筋があわ立つ感覚を得る。
口の中に入る土を吐き出しながら、オレは再び『蒼斬』を放つ。
名乗りも、宣誓も必要ない。初手で、全てを決める。
先手必勝だ。
「『蒼斬・扇』!」
イメージはさしずめ断頭台。高さ5mほどの場所にある首をめがけて、オレは下からギロチンさながらの扇を放つ。
だが、ロストドラゴンはその巨躯に似合わない俊敏な動きでそれをかわすと、そのままオレに突進してきた。
くっそ!動きが速い!それに、あの巨体で押しつぶされんのはやばい!
初手を外した焦りを抑えつつ、逃げの一手を構築する。
「っ……!『空踏』ォ!」
斜め後ろに飛ぶようにして、相手との距離をとる。平面に移動するより、相手と離れやすいはずだ。立体的な移動を駆使してドラゴンから逃れようとする。
だが、相手はそんなオレの目論見を嘲笑うかのようにして、一気に距離をつめてくる。いつぞやのリアの戦い方を彷彿とさせる。
距離を開くことを許さない挙動。
その鋭利な爪は容易くオレの体を引き裂き、内臓と血をぶちまけ、草原を赤く染めるはずだ。
「だが、リアに比べりゃ全然鋭さが足りないッ!」
相手をバカにするようにして叫ぶが、その真の意味は恐怖に竦む自らの鼓舞だ。
無論、ドラゴンにその言葉の意味が伝わることなどない。
「喰らえッ!『疾風尖槍』!」
正確にドラゴンの首を狙い済ました風の槍は、だがしかしそのままドラゴンの爪に防がれてしまう。くっそ、やっぱり爪は硬ぇ。
「『疾風尖槍』『疾風尖槍』『疾風尖槍』ッ!!」
その全てが命を奪いうる風の猛襲。だが、ドラゴンは体に傷を負いながらも致命傷には至っていない。体からは鮮血が流れ出ているだけだ。
ドラゴンの方も自らの膂力に任せて、豪快に腕を振るう。その一薙ぎ、一薙ぎがオレを肉塊へとかえる威力を持っている。
簡単に大地を穿ち、岩を砕き、空気を断ち切る。
お互いの一撃一撃が人智を超えた攻撃。確実に相手の魂を刈り取ることができる。
全てが必殺の一撃という緊張感の中で、オレの頭脳はチェスの盤面を思い描くように戦術を構築していく。
あらゆる可能性を考慮し、最善手を打ち続ける。
だが、攻めきれない。
「ちっ……」
業を煮やしたオレが一気にしとめようとして隙を見せる。
ほんの一瞬、わずかな隙だ。
だが、この戦いにおいてそれは決定打となる。
――――この世界で、ドラゴンが何故強いのか。
その屈強な巨躯があるから?
鎧のように硬い鱗や、剣のように鋭い爪があるから?
縦横無尽に空を跳ぶ翼があるから?
否、そうではない。
彼らは、誰よりも生に執着し、相手を食い殺し、切り殺し、踏み殺し、焼き殺し、殺し、殺し、殺す。
そうすることで自らの生を維持する。
その中で、自分が生きるために、決して相手の隙を見逃さない。必ず、天敵をズタズタに引き裂く。
だからこそ、一瞬の隙は致命的だった。ああ、文字通り致命的だ。
ドラゴンの爪が一人の男の心臓へと迫り、そのまま貫こうとする。
確実に命を奪い、そして今まで自らにつけた傷を贖わせ、自らの生への誇りを本能で実感する。
そうなる未来が、ドラゴンには見えているはずだった。
だから、ニヤリと、男が不敵に笑った意味を――――ドラゴンは理解できなかっただろう。
ただ、ドラゴンの中には本能的な恐怖が生じた。だが、恐れることはない。もののコンマ数秒のうちに、自らの爪は目の前の敵の内臓をぐちゃぐちゃにかき回し、勝利を収めることが出来るはずだ。
そう、思った。
「――――『瞬雷』」
ふっ、とドラゴンの前から敵の姿が消える。
自らが貫き、吹き飛ばしてしまったのか?
そんな疑問は、すぐに全身に走る衝撃によって解消されることとなった。
「こっちだデカブツ!!『雷走』ッ!!」
バチチ、不快な音が耳を劈くと同時に体中に激痛が走り、そのまま倒れこむ。
薄れ行く意識の中で、ただただ静かに、自らが死ぬのだということを悟ったドラゴンに、目の前の敵は、息も絶え絶えに、
「……何とか二体とも狩れたか?」
と呟く。
目の前にはプスプスと体をくすぶらせているドラゴンの姿。そしていつの間にか後ろにあった大岩の裏には、首から大量の血を流して死んでいるもう一体のドラゴンの姿があった。
どうやら、オレの初撃は首を貫通して即死だったらしい。運がよかったのだろう。
『疾風尖槍』が当たらなかったときは正直ビビったが、その後に倒す方法が見つかってよかった。
オレが二体目のロストドラゴンを倒した方法は簡単だ。あいつの体に電流を流したに過ぎない。だが、普通に流したのであれば、恐らく絶縁体の体であるドラゴンには効きようもない。だからこそ、『疾風尖槍』で傷口を増やして血を流させた。
血の電気伝導性は十分に高い。傷口に電流を流し込めば、内部に電流が流れ内側から上手に焼けましたーってなわけだ。えぐい技だが、苦しまずに一瞬で逝けただろう。神経も焼ききれているだろうしな。
新雷魔法『瞬雷』も成功したみたいで良かった。あれは、単純に足に雷をまとわせて跳ぶというだけの魔法だが、その実、ありえない速度での移動を実現できる。ただ、問題は速度や移動位置の調整が難しいのと、体にかかる負荷が尋常ではないため多用は出来ないということだ。
奴に見せた一瞬の隙は、攻撃を誘発するための意図的なものでもあったが、同時に『瞬雷』のための予備動作でもあったのだ。もし、もう少し敵の攻撃が早ければ八つ裂きにされていたかもしれない。
薄氷の勝利を誇ることは出来ないだろう。
……よし。とりあえずこいつをしまっちまおう。
恐怖を振り払い、6m近くはある巨体を『持ち物』にしまう。大きいため入るかどうか不安だったが問題なく入ったようだ。いや、それにしても目の前にあった巨大物体が急に消えるとこれはこれで怖いな。相変わらず、『持ち物』のキャパシティには驚かされる。
目の前のミステリーサークルのように踏み倒されている草原を見て苦笑する。
「これ見たやつ、一体何があったのかとびびるんじゃないか?」
あたりには血が撒き散らされており、何か想像もできないような大事件があったようにも見える。
その実は、一人の少年がドラゴン相手に奮闘しただけなのだが。
しかし、ドラゴン相手にも戦えることが判明したのは収穫だ。オレの戦闘能力が比較的マシになってきているのが窺える。
無論、一撃喰らったらゲームオーバーなのに変わりは無いが。
そのまま大岩の裏に回り、もう一方の死体も回収しようとしたところで、強い風がオレの背中を押した。
「……なんだ?」
あまりの強風に振り向こうとしたオレは、それを許されることなく――――
――――――宙を舞った。
「がっ――――!?」
草原をボールのように跳ね、そのたびに骨が砕け、筋肉が裂けていく。
思考が過熱し、わけの分からない現象を理解しようと勤しむ。
上下の感覚が失われ、左右の感覚が失われ、そうして徐々に自分の位置が不確かになっていく。地面に付いているのか、空を浮いているのかすら分からない。
その過程はオレの体験であるにも関わらず、オレ自身が経験の枠から締め出されている。
ようやく止まったと思ったときには、オレは指先一つ動かせなくなっていた。視界が狭く、暗くなっていく。
ドク、ドクと自らの心臓の音だけが高い耳鳴りの中に響き、体が温かいのか冷たいのかすら分からない。
痛みは無い。ただ、ただ、眠い。
その状況にオレの脳は危険信号を鳴らしている。
だが、そんな状況に抗えないほどの眠気がオレを襲った。
「ぅ…………ぁ…………」
眠い。
逆らいがたい睡眠欲。何がオレをそうさせるのかは分からない。だが、ひたすらに眠ることだけを全神経が考えていた。
眠いんだ。
もう、寝かせてくれ……
懇願。今すぐにでも寝てしまいたいのに、誰かがそれを許さない。
どこかで、自分の声が、寝てはいけないと叫びを上げる。
――――お前は、何をするためにここにいるんだ?
いやだ、眠いんだよ。
――――お前の進むべき道はなんだ?
だから、眠いんだって。
――――全てを掬うのだろう?
もう、寝かせてくれ……
――――――――――春樹を忘れるのか?
はる、き……
その一言で、オレは一気に覚醒する。
ダメだ……
それだけは……ダメだ……
そうだ、……オレの、オレだけが贖うべき罪。
と同時に急激に耳鳴りが強くなり、サイレンを耳元で鳴らされているような感覚に陥る。脳は揺れ、痛みを痛みと認識することすらできない。
近くが遠くに、遠くが近くに見え、呼吸すらままならない。
ありとあらゆる感覚器官がダメになってしまっている。
ただ思考だけが存在し、異常を告げている。
だが、それでも法外の存在たる魔法は行使できるはずだ。
「……ち……ぅ……う……」
言葉にすらなっていない言葉で意識をつなぎとめつつ、MPを全て使い切る勢いで自分の体に治癒魔法をかける。圧倒的な魔力による物量。どれだけ稚拙で効率が悪かろうとも、圧倒的物量で押し切ってしまえばいい。もちろん、そんなことをすれば体に大きな負荷はかかるだろう。だが、そんなものはどうでもいい。
死ぬよりはマシだ。
全神経を集中させて、心臓、脳、肺、重要な部分から治療していく。治療とともに、痛みと呼ぶのも憚られるほどの激痛がオレを襲った。
「ぐ、ぐがぁあああああ!!!あああああっぁあ!!!」
もう、どこが痛いのかすら分からない。
治せば治すほど感覚が戻り、痛みを認識するという苦行。
目の前が真っ赤になり、口の中に血の味が広がる。
「げほっ!げほっ!」
大量の血を吐きながらも、治療の手は休めない。いや、逆方向にねじれている手を動かすことはまだ出来ないので、手を休めないというには語弊がありそうだ。
メキメキときしみながら骨が治っていき、筋肉がありえないような音を上げながら治癒していく。
ドシン、ドシンと……非情にもナニカが近づいてくる振動が地面越しに伝わる。
本能的な恐怖が腹の底からわきあがり脳を支配する。
苦しみながら、喘ぎながら、さらに魔力を投資して体の治癒に当てる。臓器や骨の治療は概ね終わった。さすがは魔法、と言いたいところだがいかんせん今動いたらまた折れるし裂ける。数日は治癒魔法をかけながら絶対安静だろう。
――――キュオ、オオオオオオオ!!
すぐ間近でナニカが咆哮を上げる。
そうしてようやくその正体に気付く。
「ロスト、ドラゴンッ……もう一体、いたのかッ……!」
明らかに先ほどとは違う種類のドラゴンの風貌に絶望する。
そうだ。あの冒険者は二体と言っていたが、実際に二体しかいないとは限らなかった。
三体目のロストドラゴンがいても誰もそれをとがめることはできない。
だが、自らのうかつさを呪っている余裕も暇もこの場には存在しない。
油断していた。それを油断と呼ばずして何と呼ぼうか。
連戦連勝による油断。魔族、王女、そして幽霊屋敷とオレは勝利を重ね続け、どこかで慢心をしていた。
今目の前にあるのは、生と死。そして、死神の手が今まさにオレの頬をいとおしげに撫でている。
オレは肩を震わせながら、片手を上げる。
もう片方の腕はまだ治療が終わっていない。完全に折れてしまっている。否、つぶれてしまっていると言ったほうがいいか。
それを見たドラゴンが警戒の色を強める。
「ふふっ……あ、はは……あははは……」
オレは気付けば笑い出していた。
別に精神がイカれたわけでもないし、色々タガが外れたわけでもない。いたって正常で、まともで、冷静なはずだ。
だが、何故か知らないがオレは目に涙を浮べるほど、笑っていた。
オレの心は折れそうなのに、何故か全く折れなかった。
「謝るのも馬鹿らしい。……ああ、そうだな。この世界は当然のように弱者は食われ、強者だろうと油断に狩られる。そういう……そういう、世界だ」
それで終わりと見たのだろうか、ドラゴンが最後の一振りをオレに向ける。その爪は今まで見た何よりも鋭く、そして冷淡にオレを殺そうと迫っていた。
ああ、終わりだ。これでな。
「灼き貫け――――『贖罪ノ緋槍』」
血を吐きながら魔法を唱える。
とたん、ジュッと何かが蒸発したような音を上げる。
それがドラゴンの爪が溶解した音だと互いが気付くとほぼ同時に、真紅の槍が竜の首を貫く。
真っ赤な、真っ赤な、煉獄の業火が竜の身を焦がした。
それを、炎、と呼ぶのすらおこがましい。
言わば呪い。決して消えることのない、地獄の火、灯、緋――――
いかなる手段であろうと、その炎を消し去ることは出来ないだろう。
もし仮にそれを消し去る方法があるとしたらそれはただ一つだけ。
それは、炎を宿すその身が完全に果てたときだ。
炎は彼の者を地獄まで連れて行く。そこには妥協も同情も優しさも存在しない。
この魔法は、そういうものだ。
既にドラゴンは骨だけになり、その体はバラバラと崩れ去っていっている。にも関わらず、煉獄の焔は灰すら残さないと言わんばかりに、文字通り熱心に彼の身を焦がす。まるで恋人が愛撫をするように、優しげに、そして激しく――――
ゴウゴウと音を立てていた炎は、やがてパチパチとそのなりを潜め、小さく燻り始める。
やがて真っ赤な炎は恋人を見失い、悲しげに消えていく。
先ほどまで視界を埋め尽くしていた紅い光は、ついに空の青に塗りつぶされた。
その様を静かに見届けると、オレは再び入念に体に治癒魔法をかける。
痛む体を引きずりながら、先ほど倒したはずのロストドラゴンの側に進む。既に意識はもうろうとしているが、何も無い草原でぶっ倒れるのはやばい。少なくとも、ドラゴンの近くにいることで魔物の危険を回避しなければ。いくら死骸とはいえ、このあたりの魔物であれば簡単にはよってこない。そのうちに討伐隊が、オレごとドラゴンを回収してくれるだろう。
ズル、ズル、と自らの足の軌跡に血の跡が続く。
その跡を見て、急に体を寒気が襲った。
ああ……こりゃ、輸血しないとやばいな……ははっ……死ぬ、かも……
そのままオレはドラゴンの死骸に倒れかかるようにして、深い深い暗闇へと落ちていった。
今回の反省点
・てんこもりすぎ




