39、屋敷の影
ここか……
そう呟いたはずのオレの声は、風にざわめく木々にかき消される。昼間だというのに異様な静けさだ。
街の中心部から15分ほど歩いた場所にその屋敷はあった。
屋敷と形容するのが相応しいほどの大きな家構え。背後には林が広がり、木造の豪邸の前にはところどころがひび割れた石畳の道が続いている。庭と思しき場所は、雑草がその存在をこれみよがしに主張し、地面の茶色が見えないほどの緑で埋め尽くされていた。
建物は劣化が激しいように見えるが、どこかが崩壊しているということもなく、在りし日の形を保っているようだ。エーミールの言うとおり、リフォームをすれば素晴らしい邸宅になるだろう。
玄関の扉は両開きだが、二枚ある扉板のうち片方が外れてしまっている。
人のいる形跡は全く見られない、廃墟だ。
「リア、いまさらだけどお前先帰ってていいぞ」
「ふん……バカにしないでくださいませ。わたくしも一緒に行くに決まっているじゃありませんの」
そう言いながら、腰にさした剣の柄を指ではじく。
オレは頭をかきながら小さく首肯だけを返し、改めてこれから踏み入れる廃墟に向き合う。
さぁて、本当に蛇か鬼が出るかね。
そうして、オレらは石畳に足音を響かせながら、仄暗く、淀んだ廃墟の奥へと体を進めていったのであった。
「暗い……」
中は、昼間だというのに埃などが立ち込めているせいで、日光がさえぎられ非常に暗い。ところどころ窓から差し込む日差しも、逆に黒い影を作り死角を増やす結果に終わってしまっている。
リアも完全に臨戦態勢に入り、オレの背中を守る形で後ろからついてくる。
後ろに人がいると安心感が比べ物にならないな。まあ、そいつがオレを刺す可能性もあるのでなんとも言いがたいのだが。
オレらは足元に転がる壷や石像の残骸に足をとられつつも、しっかりとした足取りで探索を進めて行く。割れたガラスなどがジャリジャリと心臓に良くない音を上げるが、それにも徐々に慣れ始めていた。
不可解な死を遂げた人々。一体その死因は何だったのか。エーミールの口ぶりでは、それすら不明だと言っていたが、ある程度の予想は出来ている。
この世界で、人が不可解に死ぬ原因など限られてくるからな。
「ケホッ!ケホッ!」
リアが埃を吸い込んでしまたたらしく、大きく肩で咳をする。
「大丈夫か?」
オレは風魔法であたりの埃を軽く飛ばしつつ、リアの背中をさする。
リアは、咳き込みながらも片手を上げて問題のない旨を伝えている。本当に埃っぽいな。別にオレらが走り回っているわけでもないというのに。
リアが落ち着くまで少し待ってから探索を再開する。
それにしても砂埃多すぎじゃ……日差しを覆い隠すほどの埃とか少し異常じゃないか?
窓なんかは割れているから換気がなされていてもおかしくないはずなのに、異常に息が詰まる。まるで喉に、肺に、空気か絡みつくような重さだ。リアも違和感を感じているのか、先ほどから警戒を強めている。
重苦しい空気を風魔法で飛ばしつつ、一階の探索を進める。
「あら」
閉じているドアのドアノブを回そうとすると、ドアノブがとれてしまった。仕方無しに、ドアを蹴りでこじ開けると、倒れたドアのせいでさらに砂埃が舞う。リアのほうにそれがいかないよう、風魔法で風流を操りながら部屋の中を見やる。
ここは……工房か?奥に明らかに鍛冶のための窯が見受けられる。こんなものまで備え付けてあるのか、この家。一体どんな人物が持っていたのだろう。
ふつふつと沸いてくる疑問と好奇心を脇に置き、問題の無いことを確認して部屋を後にする。
他の部屋も一つ、また一つと確認するが先ほどのように面白いものは特に見つからない。
そんなこんなで、家の設備に驚きながらも探索はつつがなく終わってしまう。
二階も同様にして、ただ埃っぽいだけで特に問題は見つからなかった。
ってことは……
「後は、地下室だけだな」
そう呟きながら、地下へと続く石造りの階段を睨みつける。
そこだけが木造ではないのが無機質な冷たさを感じさせ、背筋に冷や汗が垂れる。
リアと目線だけで意思を確認し、カツ、カツと一歩ずつ確かに足を階下へと滑り落としていく。手元には『持ち物』から取り出したランプを持ちつつ、慎重に歩みを進めていく。
やけに長く感じる石造りの階段を降りきると、目の前には一枚の扉が聳え立っていた。大して大きいわけでもないが、鉄製のその扉は不思議な存在感をもっている。
その無機質な存在感に圧倒されながらも、オレは深呼吸をした。
「開けるぞ……?」
リアに確認をしつつ、ドアノブに手をかける。
キィイ……と、錆びた鉄の扉が重々しく開く。その音は、かすれた笑い声のようにも聞こえる。
開ききったドアの中は一つの大部屋になっており、ランプであたりを照らすと部屋には雑多なものが散乱していた。
椅子や机の残骸、何かの写真や本の束など。加えて、一階で見かけた彫像に似たものもある。乱雑そのもの。乱れに乱れきったその部屋の中ではあらゆる秩序が欠落していた。
そしてその中に、当然のようにしていくつもの白骨死体が寝そべっていた。
「っ……」
リアもその存在に気付き、思わず口に手を当てる。
ここにも、死の臭いが充満していた。幾度と無く嗅いだ、絶望の香りが。
本物か――――?
確認しようとして骸骨に近づいたその瞬間。
ただでさえ重かった空気がさらに重圧を増す。あたりがまるで水のように重く、息苦しい空間に豹変する。呼吸すらままならない空気に、オレは思わず拳を握り締める。
「なん……だ……」
先ほどまで真っ暗だったはずの世界に、輪郭のない「黒」が現れる。
今までの光に照らされてできた影などではない。むしろ光を飲み込まんとするほどの、圧倒的な漆黒。陰影の塊。
その不確かで漠然とした存在に鳥肌が立つのを感じ、隣のリアに警戒を促そうと彼女の方を振り向く。
「―――――わ」
リアが肩を震わせて剣を両手で握り締めている。
既に臨戦態勢に入っていたのかと感心しかけたオレを、彼女の姿がとどめた。
彼女が振るわんとしている剣先は敵のほうを向いていない。
その切っ先は、自らの首をしっかりと、狙い定めている。
「あぁ……死に、死に、シニ、あ、ああああぁァァァアアアア!」
「バカッ!おまっ!」
大粒の涙を流しながら、リアがその剣を自らの喉元へとつき立てようとする。彼女の腕が動いたとほぼ同時に、オレは魔法を発現した。
「『風撃』ォオオ!!」
ダンッ!という音とともに、リアが壁際まで吹き飛ばされ、ぞのまま動かなくなる。剣は衝撃で彼女の手からすっぽ抜けていった。カランと軽い音を立てて床に落ちたのが分かるが、そんなものを気にする余裕など無かった。
「お、お前!……いきなり何やってんだ!」
わけの分からない彼女の行動に罵声をぶつけるも、オレの思考はすぐにその原因に思い当たる。
「―――畜生!こいつか!」
同時に手の中に炎を顕現させながら、得体の知れない影を睨みつける。
オレが魔法を発動する直前に、影が一瞬だけ揺らいだ、と思った。
辛い嫌だ怖い痛い悲しいやめてくれ苦しい痛い死にたい怖い辛い痛い死にたい嫌だやめてお願い怖い苦しい辛い嫌だ怖い痛い悲しいやめてくれ苦しい痛い苦しい死にたい怖い辛い痛い死にたい嫌だやめてお願い怖い苦しい辛い嫌だ怖い痛い悲しいやめてくれ痛い死にたい苦しい痛い死にたい死にたい怖い死にたい辛い痛い死にたい嫌だ死にたいやめて死にたいお願い死にたい怖い死にたい苦しい死にたい死にたい死にたい死にたい――――
「ああああああっ!!!」
自分でも何を考えているのか分からなくなり、叫び声を上げながら手元の火を自分自身へと向ける。
瀑布のような負の感情。
全てを飲み込むような苦しみ、悲しみ、絶望、恐怖、怒りが、ぐちゃぐちゃに混ざった絵の具のようにオレの心を無遠慮に塗りたくる。すぐに心は黒く塗りつぶされ、気付けばその色すらもう分からない。
血のように真っ赤な炎が、オレの眼前まで迫っている。灼熱がチロチロとオレの頬を舌でなめるように撫でる。
抗いがたい自殺衝動。否、自殺衝動などという表現すらも生ぬるい。この世界から消え去ってしまいたいと、自己を無に消失させたいという渇望。心が乾き、渇き、カワいていく――
……ああ、このまま死ぬのか。
脳内を埋め尽くす、圧倒的な絶望、悪意、恐怖の塊に溺れつつもそんな文言が頭の片隅を無意味に過ぎ去っては消えた。
そのまま、オレは掌の中の炎を自分に向ける。
その意味は明白だ。
与えるのだ。自らに死を―――――
――――なんてな。アホか。
ピシッ、と何かが割れる音がした。
「ふざけんなてのッ!」
オレは顔面に持ってきた火の玉を全力でその影にぶつける。
影は炎が当たった瞬間、耳をつんざくような悲鳴を上げて苦しみ悶え始める。何かを引っかくような甲高い音の中に、虫の羽音のような雑音が混じり、この世でこれ以上不快な音は存在しないのではないかと思うほどの騒音へと変わる。その怨嗟の声は、悪意を恐怖を絶望をあたりへと伝播し、オレの脳を揺らしぐちゃぐちゃにしようとする。けれども、オレはそれを無視して思考を紡いだ。
もし仮にこの家を購入することができたらどうしようか。――――ァァァァァァ――――この地下室はやっぱり転移魔方陣用の部屋にするべきか。風呂は大きいのを作って、工房も鍛冶ができるようにしよう。――――ァァァァァァァア―――――今作りたいものが色々あるからな。蒸気機関や電気モーターは今後の技術基盤のためにも作っておきたい。一階に二階に部屋が多いのも困りモノだな。こんなに部屋があっても使い道ないぞ……ああ、人に貸し出して家賃でもとればいいのか。――――ァァァァァァ――――そうすれば副収入もできるし、家を空けている間に家の面倒を見てくれる人も確保できるな。うむ、我ながら良い案だ。後でエーミールあたりにも相談してみよう。――――ァァァァァ――――まあ、あくまで魔方陣が設置できれば構わないから、他の用途については後々考えれば――――ァァァァァァアア――――
「うるせぇ」
オレがイラついた調子で影に悪態をつくと、影はいつの間にか先ほどの半分ほどの大きさになっていた。
「アァァァアアア!シシシシクルルルルシメェェエエエシネェエエエ!!」
先ほどまで言葉にすらなっていなかった影の言葉が徐々に明確な悪意を持ち始める。だが、それに伴いそいつの存在感は薄れていっている。まるで、怨嗟とともに身を失っていっているかのようだ。その想いに身を焦がし続ける影をオレは鼻で笑った。
脳内では依然、この場にそぐわないくだらない思考を意図的にこねくり回しながら。
「あんな感情操作程度でオレを操れると思ったのか? だとしたら、ホントに愚の骨頂。何でか分かるか? 分からないよな、まあ、特別に教えてやるよ」
そう言ってオレはいつものように指を三本立てて得意げに説明する。
その説明は届かない。だが、自分の意識を負の感情の瀑布から引きずりあげるのには必要だった。
「一つ、オレは以前にも精神汚染を経験している。あれは、確か『曲宴のアゾット』とかいう呪いの剣だったかな?そのときに一回、精神汚染を経験したオレに同じ手が通用するとでも? これでもな、学習能力には自信があるんだよ」
さらにオレは届いていないであろう言葉をつむいだ。
「一つ、オレの思考能力を侮ってもらっちゃ困る。こちとら、いつもいつもくだらない思考をこねくり回しながら生活してんだ。自殺衝動を押さえ込んで他の考えまわすぐらい朝飯前だ」
一回飲み込まれかけた自分の弱さを棚に上げて不敵に笑うオレに返事は返って来ない。
「一つ、お前がオレに与えた負の感情なんてもんはな……あいつが死んだとき以来ずっとオレの心に刺さり続けてるんだよ」
あえてくだらない思考を回し続けることで精神への干渉を妨げる。
急場にしては中々いい対応だと褒めてやりたいぐらいだ。
まあ、実際はそんな余裕も無く、冷や汗と震える拳を抑えるのに必死なのだが。
一瞬でも気を抜いて思考をとめてしまえば、すぐにでも絶望に飲まれてしまいそうだ。
だから、オレは紡ぎ続ける。
くだらない、とりとめもない、価値の無い思考を。
オレの声なんぞ聞いていないのだろうその影は、怨嗟の叫び声を上げながら徐々に体を小さくしていく。どこに消えるでもなく、ただただその存在を失っていくばかりだ。完全に消え去るのも時間の問題だろう。
……あれ? そういや地下室で火ってやばいんじゃないか?
ふとそう思い立って、まだ敵はくたばりきっていないのにもお構い無しで風魔法で外と中の空気を換気する。影の存在は完全にオレの思考の蚊帳の外へと追い出されていた。
オレのとるにたりない不要な思考は、その圧倒的物量で脳内に渦巻く絶望を圧殺する。渦巻く黒い黒い感情を、同じくらいぐちゃぐちゃとした思考で希釈し、混ぜ返していく。
「ヒュ……ヒフフ……キケ……ミ……マ……」
そして影は酷く悲しげな声を上げたのを最後に、完全に霧散して、消えた。
先ほどまでのような空気の重苦しさや、何かの気配が夢のようにして消えたのを感じる。
オレは片手間で換気を続けながらも、壁際で気を失っているリアのほうへと近づいていく。
「おーい、大丈夫かー終わったぞー」
そう言いながらペチペチと頬を叩く。
数回ほど叩いていると、リアがうめき声を上げながらその重いまぶたを開けた。
ぼんやりとした表情で焦点の合っていない目をオレに向ける。目元には涙の伝った後が依然残っている。
「怪我、してないか?どこか痛かったら――――ぐはっ!?」
心配の声をかけるオレの話も聞かずに、リアが胸へとタックルをかまして来る。
完全なる不意打ちに肺の空気を吐き出してしまい、思わず咳き込んでしまう。
「げほっ!げほっ! い、いや! 吹っ飛ばしたのは悪かったけど! あれは不可抗力でそんな怒らなくても……」
てっきりオレが風魔法で吹き飛ばしたことを怒っているのかと思い、いそいそと必死の言い訳を言い募る。だが、肝心の彼女の返事はすすり泣く声と嗚咽だけだ。
……怒ってるんじゃないの?
泣いている彼女に戸惑い、脳内を疑問符が駆け巡る。
あれ、もしかして今のってオレにタックルしてきたんじゃなくて、オレの胸に飛び込んできたって解釈のほうが正しかったりする?
そんな自らの認識の齟齬を確認する手段さえ無く、仕方無しにとりあえずは胸の中で泣いている一人の少女の頭を撫でることに専念する。よく見れば肩が震えている。
彼女の涙の理由は、自分を掠め取ろうとした死への恐怖だろうか。
それとも、影の及ぼした悪意に当てられたのだろうか。
いずれにせよ、自らの感情を直接握られ、揺さぶられ、塗りつぶされた経験は、気丈に振舞う彼女の皮を剥がすには十分だったのかもしれない。
……話を聞くのはもう少し後になりそうだ。
そんなことを考えながら、オレはおっかなびっくり彼女の頭を撫で続けたのであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「落ち着いたか?」
オレの隣で正座をしているリアがコクリとうなずく。その頬と目元は服と同じぐらい真っ赤に染まっている。流石に、人の胸の中で号泣したのが堪えたのだろう。珍しく大人しくなっている。
「みっともないところを……その……」
リアが何かを言いかけるも、そのままもごもごと口元を噤んでしまう。
「いやー、大号泣してたけど、オレの脳内に永久保存だなーあれ」
そう言いながら軽く笑うと、静かだったリアの気配に殺気が混じる。
「や、やだ、ちょっとしたジョークじゃないですかぁ……ははは」
そんなオレの空虚しい笑い声にため息だけを返すと、リアは暗がりの中でこちらに目を向けた。
「…………ありがとう、ございました」
そう言いながら深く頭を下げるリア。
そんな彼女のしおらしい様子に鼻白みつつも、オレは軽い調子で続けた。
「つっても、オレがやったことって女の子を全力で吹き飛ばしたぐらいだぜ?」
「それでも、アナタがいなければわたくしは……」
リアはそこまで言いかけて再び俯いてしまう。恐らく、彼女の中で先ほどの恐怖が再び蘇ってきているのだろう。
いくら彼女と言えども死は怖いのか。
そんな当たり前のことに驚きを隠せない。自らの足を切るような彼女ほどの豪胆な性格であれば、死など全く恐れていないのでは無いかと思っていたが。どうやらそれは勘違いだったらしい。
彼女も、死を恐れる一人の少女に過ぎない。
彼女のそんな人間くささに、オレは複雑な気持ちになる。
何故こんな気持ちになるのかは分からない。嬉しいような、少しさびしいような漠然とした感情だ。
まあ、例の影に当てられて気持ちがナイーブになっているだけだろう。さして気にすることでもあるまい。
そう早々に結論を付けつつ、オレはすぐ目の前に転がっている骸骨を直視する。
いち、にぃ、さん……数えただけで、合計6つの頭蓋骨が転がっている。これが件の調査に来た面々ということだろうか。もしかしたら、中にはこの家の家主も混じっているのかもしれない。
……今となってはどうでもいいことだが。
オレは立ち上がって、服についた埃を払いつつリアに手を差し伸べた。
彼女はためらいがちにその手をとると、何かに思い切りをつけるようにして勢いよく立ち上がった。
「さてと、原因も退治したことだし、とりあえずエーミールのところに戻るか」
「……ええ、そうですわね」
リアがワンテンポ遅れて返事を返してくる。
「大丈夫か?」
オレがそう問うと、リアは首を横に振った。
「なんでもありませんわ。……思い過ごしだと思います」
何が? とオレが問う間もなくリアはずんずんと部屋の入口のほうへと歩いていく。そんな彼女の態度にオレは不可解な思いを抱きつつも、小走りに彼女の後を追った。
サブタイを「屋敷の影」にするか「くだらない思考の価値」にするか迷って前者にしました。
精神汚染は耐性が無いとやばいですね。




