34、王女の理由
更新遅れて申し訳ないです・・・
ぼんやりと、無意識と無理解と無認識の世界から、現実へと引き戻される。意識が世界を認識し、やがてその存在と意味を確かなものとして理解していく感覚。この世に生を受けてから、何万回と繰り返してきた意識の覚醒だ。そこに感動などはありはしないし、新鮮な感嘆に息を漏らしさえしない。
ただ、何万回も繰り返してきたはずの覚醒は、ふといつもと違う感覚とともに訪れた。
鼻をかすかにくすぐる甘い香り。それも甘ったるいのではない、言うなれば素朴な甘さとでも言おうか。そして、オレの前髪を撫でる優しい指先。
くすぐったくも甘いそれらに、オレは再びまどろもうとして理性にそれを阻まれた。
「………何をしていらっしゃるので……織村凛さん」
「うわっ! 急に起きないでよ!」
「無茶言うなよ……」
自分が起きる前に起床宣言できるような人種がいればそれこそ見てみたいものだ。
寝そべるオレを上から覗き込んでいる凛に不服の意を込めた視線を送る。
「で、もう一度聞くぞ。何をしてる」
「……ん、寝顔見て楽しんでたんだよ」
「言い訳とか無いわけ!? お前、人の寝顔楽しむとか相当コアな趣味してんな!?」
そんなオレの苦言にも「たはは」と手ごたえのない笑みを浮べるばかりだ。そんな彼女の態度に何度目になるかも分からないため息をつくと、今度は彼女が言葉をつむいだ。
「体、大丈夫?」
心配そうにこちらを見つめる凛。
そんな彼女の思いに一瞬だけ楔が揺らぐも、すぐにそれを押さえ込んだ。
オレはわざと欠伸をしながら面倒そうに答えた。
「ああ、大丈夫だ。問題ない。知ってるだろ? オレ、治癒魔法の使い手でもあるんだぜ?」
「うん。それでも、大丈夫?」
あくまで心配する凛の言葉のイミを理解しないまま、オレはいつものように軽口を叩いた。
「ホント、あの王女様何してくれてんだよって話だけどな。おかげで死にかけたんだけど」
「うん……怖い人だったよね」
「そうそう。次会ったらオレ、悲鳴上げる覚悟あるな」
MPも切れ気味だし、今の疲労困憊状態で戦ったらまず間違いなく死ぬ。それに、もう手の内もバレてるしな。ハッタリ、陽動の類は効果も無い。
偏にオレが魔族の男や王女に勝てたのは、伏せていた切り札の枚数が多かったからだ。
だが、今のオレにこれ以上切れる札はほとんど無い。
そう言ってオレが笑うと、部屋の扉がノックされた。
ブラント団長か、騎士あたりが様子を見に来たのだろうか。そんな風に思いオレは声をかける。
「開いてるんで、入っていいいいですよ」
そんなオレの声にも扉の前にいるであろう主はすぐにはこたえない。
ややあってから、
「失礼、しますわ」
やたら澄んだ女性の声が聞こえ、開扉の音が耳に届くとほぼ同時に、
「きゃあああああ!!」
一人の青年の情けない叫び声が響き渡った。
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「ふざけんな、お前何しに来た! 決闘ならもう終わったぞ! それにもう二度とやるつもりもない! ふざけんなマジで怖いから帰ってくれ! ごめんなさい嘘です帰ってください!」
今はやばい! しかもこんな密室とかまず間違いなく殺られる!
目の前に現れた、リア王女から距離をとりつつ口早に言葉をつむぐ。
なんで? ほわい? 何故ここにいるの?
オレが蛇に睨まれた蛙よろしくガクブルしていると、隣にいた凛がちょうどオレと王女の間に立つようにして両手を広げた。
「何のつもり、ですの?」
リア王女が凛の行動の真意を問う。
だが、凛が揺らぐことはない。
「――もういいでしょ。ゆーくんに、手を出さないで」
いつもの飾りつけられた声音じゃない。素朴で、否、機能のみに純化した冷たく、鋭く、無機質な声が明確な拒絶を示す。その背中にどこか頼もしさを感じながらも、オレも魔法の準備をして不測の事態に備える。
正直、怖いは怖いが、別に恐怖のあまり腰が抜けるほどではないし、既に焦りも消えている。最初こそ動揺したが、最悪でも凛を逃がすだけの余裕は残っている。
だが、ある意味事態は不測の方向へと傾いた。
「…………何の、つもりだ」
今度は、オレがリア王女の行為の真意を問うた。
目の前で頭を深く下げる彼女に。
「どうしたんだ、コンタクトでも落としたのか」
あくまで冗談めいた態度を崩さないオレに、リア王女は顔を上げて言った。
「……謝罪を」
――させてください、と彼女は真摯な表情でそう告げた。
それを見てオレは拍子抜けして頬をかく。
「……まあ、」
幾ばくかの逡巡と、「本当に良いのか」という疑問を残したままオレは返事を返す。
「そっちにやりあう気が無いって言うなら、話ぐらいは、聞こうか」
「ちょっと、ゆーくん!?」
「大丈夫だって。……話ぐらいなら聞ける。それに、よく見たらこいつ今帯剣してない」
そう言いながら目線だけで王女に先を促す。もちろん、警戒は怠らない。
懐に短剣でも仕込んでおいて「御免ッ!」とか言いながらぶっ刺してきたらたまらんしな。
「先ほどはアナタの同意も得ず、勝手に決闘を申し込んでしまい申し訳ありませんでした」
「…………へぇ、そこに関して無礼千万、非常識な行為だったって自覚はあんのか」
そうやって噛み付くオレにリア王女は目を伏せた。
「はい。礼を欠いた行動であったことは、謹んでお詫びいたしますわ。この通りです」
そう言うと再び深く頭を下げる。
彼女のしおらしい態度に、オレは鼻白みながらも頬をかいた。
王女がこうも簡単に頭を下げるのか……
「何故あんたがオレに決闘を申し込んだのか……いや、違うな。あんたは、オレや龍ヶ城との決闘を通して何を望んでいたのか、聞かせてくれるよな。許すか許さないかはそれを聞いて決める」
そんなオレの問いかけにたいして、彼女には頷く以外の選択肢は残されていなかった。
彼女の話に耳を傾けようとして、開口一番で飛び出してきた言葉は、
「わたくしは、強くあらねばありません」
という、簡素だが全くもって意味の分からないものだった。
オレも凛もその意味を考えあぐねていると、リアは少しだけためらうような素振りを見せて、口を開いた。
「わたくしの家系は代々数多くの偉大な騎士を輩出していますの。いわば騎士の家なのですわ」
そうして昔話のはじまりとして語られる言葉に、オレは違和感を覚えた。
「……王族が、騎士を出すのか?」
そう、こいつは王女だ。さすれば、こいつの指す家系とはこのリアヴェルト王国の王族らに他ならない。そんなカーストトップの面々からわざわざ騎士を?
「……いえ、わたくしの言う『家』とは、リアヴェルト王国のアストレア家を指しているわけではありませんわ」
アストレア、それがこの王国の王族の家名だ。
それとは違う家、ということは……
「……養子、か?」
「ええ」
彼女の肯定に得心がいき、顎を手でさする。その際ちらりと横を見ると、凛が「どういうことなの?」というハテナマークを顔に浮べているのが見て取れた。仕方なくリア王女に説明を促す。
「要するに、あんた、あー失礼。リア王女様は、元々ここの王家の人ではなく、幼少のみぎりにでも他所から連れられてきた、ってな感じでよろしいので?」
「ええ、わたくしがココに連れてこられたのは5歳の頃ですわ。それと、別にわざわざ敬語を付けてくださらなくて構いませんわよ。名前も呼び捨てで構いません」
いや、それはオレが構うんだけど。
そんなやりとりを経て、凛がようやく「ああーなるほどー」などと言いながらうんうん頷いているが、本当に分かってるんだろうなこいつ。
「……そして、そのような家で過ごしたわたくしは当然、騎士になるよう育てられましたわ。お父様にもお母様にも、厳しく、そして優しく」
そう言う彼女の顔には今まで見たことのないような慈しみの表情が窺える。
思わず垣間見えた彼女の人間らしい表情にオレが息を漏らすのにも気付かずに、王女は続けた。
「……ですから、わたくしは彼らの期待するような騎士であるために――――たとえ王女になろうとも、強くあらねばなりませんの」
……ええっと、何だ? つまりは、親の期待に応えられるよう強くならなければいけない、って話なのか?
「……いや、待ってくれ。そもそもの話、なんでリア様が王女に? 親の期待に応えられるような強い騎士になりたい、ってのは分かったんですけど、ちょいと話が抜け落ちてないですかい?」
そうだ。仮に騎士の家庭に生まれたのであれば、そのまま騎士となるはずだ。一体どんな手違いがあって王女になると言うのか。
加えて、オレに無慈悲にも決闘を仕掛けた理由にもなっていない。
「……それは――」
「それは、私が話そう」
言いよどむリア王女の声を、重い声が遮った。
重い。何気ない言の葉の一文字一文字が確かな質量を持ってオレの耳を叩いた。
そんな言葉を発する正体を確かめようと扉の方へ目をやる。すると、そこには初老の男性が立っていた。髪は金髪にいくばくかの白髪が混じっているものの、目つきのするどさや、真っ直ぐと伸びた姿勢からもまだまだ壮健であることが窺える。
こやつは一体何者ぞ、と疑念に満ちたまなざしを送っているのはオレだけらしい。
「お、王様!?」
「お義父様!?」
奇しくも凛とリア王女の声がハモり、その男が誰であるかを瞬時にオレに分からせた。
フリードリヒ・アストレア――――リアヴェルト王国の最高権力者にして、この国の全てを牛耳っている、リア王女の義父だ。
そんな人物の唐突な登場に誰もが言葉を失う。
だが国王フリードリヒ・アストレアは構うことなく続けた。
「いかにも。そやつがどうにも話しづらそうだったのでな。私が代わりに話すが、構わないな」
この場で、王の意見に逆らえる者などいないだろう。
「どうぞ、オレとしては理由が聞ければどちらでも」
「ちょ、ちょっとゆーくん! この人国王様だよ!? そんな言い方したら!」
「おっと、これは失礼。あいにく、偉い人に対する卑屈な振舞い方は親に教わらなかったんで」
若干の棘を交えて国王の器を測ろうとする愚行に、凛が大いに慌てる。だが、当事者の国王陛下は何処吹く風と話を続けた。
「構わん。元々、こちらが勝手に出向いている身だ。その程度で癇癪を起こしはせんよ」
「さすが国王陛下。その寛大なお計らいに、ワタクシ十一優斗は感涙の涙に堪えません」
オレの明らかな挑発にも国王は一切乗ってこない。
ふむ、さてはてこの国の王は賢王か愚王か……
龍ヶ城たち筆頭勇者は式典で何度かあっているようだが、オレは見たことすらない。第一、年端も行かない子供を勇者という戦争道具として駆り出すような人物が、まともなはずはないのだが。
「……はて。私は君個人と面識は無かったはずなのであるがな。まあ、構うまい。地位ある者とはそれだけで人の恨みを集めるものよ。して、話の続きだが――――」
何事も無かったかのように話を再会するオレと国王様に凛だけでなくリアも唖然とした表情を浮べているが、そんなもんは無視無視。
オレは若干面白くない展開に、内心で口を尖らせつつも彼の声に耳を傾けた。
「元々、この王家には女子が生まれなくての。跡継ぎの男子は4人も生まれたのだが、あいにく女子はからっきしだったのだ。だが王家である以上、王女を同盟国に嫁がせたり、有力な貴族と籍を入れさせる必要があってな。どうしても、それなりに数が必要だったのだ」
要するに、政略結婚の道具として王女が必要だったってわけだ。
胸糞の悪い話に、思わず眉根を寄せる。
そんなオレの態度を王は鼻で笑い、
「庶民には分からぬだろうがな。それが王家として当然のありかたなのだよ」
「さいで。ま、この際オレの個人的感情はどうでもいいんでさっさと進めてください」
若干の苛立ちを込めて、話の進行を促す。
「そうして白羽の矢が立ったのが、我がアストレア家の遠縁に当たるそやつの家だったのだよ。ちょうど、いい年頃の女子がいたのでな。双方の家の利益のために、養子として迎え入れたのだ」
「双方の家の利益ねぇ……」
胡散臭い響きにオレが思わず失笑を漏らす。
そこにリア王女の意思などは当然反映されていないだろう。
家の方針だから。王が決めたから。そんなくだらなくも絶対的な理由で彼女は、家との決別を強いられた。当時はまだ幼なかった彼女の心境は推して測るべきだろう。
こんな風に、歪んだ強さへの熱望も、実家への思いの現われなのかもしれない。
「……いや、待ってください。その話だと、リア王女はいっちばん最初にこの王家に来た王女なんですよね?だったら第一王女じゃなきゃおかしくないですか?なんで第四王女?」
明らかに時系列を逸している。
「なに、簡単なことだ」
そう言うと王は大仰に手を振った。
「そやつが来た直後に立て続けに私の本妻が無事女子を産んでの。――――それが、あわせて三人。上から、バラーノ、ルシャトリエ、カサンドラだ。そうして、養子のリアは当然、地位の低い第四王女へと追いやられた」
「…………なんだよ、それ」
オレの底冷えするような声にも、王は揺れない。
ただ、厳然としてそこに立ち、冷静な声音で事実を淡々と告げる。その言葉には一切の悪意は込められていないはずなのに、不思議と何よりもリア王女を蔑ろにしていた。
こいつのやっていることは最低だ。自分の意思で無理矢理引き取った養子を蔑ろにし、実子ばかりを重んじる。仮にも父親とは思えない。
「あんた、自分が何を言っているのか、何をやっているのか、分かってるのか?」
ついに敬語すら忘れ、否、意図的になけなしの敬意を捨て去り、その代わりに敵意をこめる。だが、フリードリヒ・アストレアはそんなオレの変化を意にも介せずに無機質に言葉をつむいだ。
「無論。……正直なところ、そやつにはほとほと困っていた。騎士たちにすぐに喧嘩を仕掛けては相手を打ち負かし、さりとてこちらが与える煌びやかな装束や嗜好品の類には目もくれない。非常に扱いづらかったのだよ」
「名前ですら、呼んでやらないのか……」
呆れを通り越していくばくかの悲しみすら感じる。
王はリア王女のことを「そやつ」と言うだけで、一度も名前で呼ばない。自分の目の前に入る、娘にも限らずだ。
王の隣にいる――――いや、王から1m以上距離を開けて立っている彼女が、王の隣にいると表現するのは語弊があるだろう――――王女は、何も言わずに軽く俯いている。その姿だけを見れば、平気そうに見える。
だが、その拳は強く強く握られていた。
……オレは、まだ至って冷静だった。
王たるものであれば、そうした養子に絡むあれこれなどは瑣末なことなのかもしれない。
実子を大切にし養子を蔑ろにしてしまうのは人の性なのかもしれない。
リア王女を第四王女に押しやったのだって、周りの圧力や体裁もあったのかもしれない。
今だって、出来る限り感情を殺して話しているだけかもしれない。
幾度と無く抱いて、打ち砕かれてきた楽観的希望。
それに、もう一度すがる。
だから、オレの言葉に彼が少しでも後ろめたさを感じてくれれば、それだけで、良かった。
王は、そして言った。
「――――それが、どうした?」
ギリッ、と何かがすり合わさる音が聞こえた。
それが、リア王女の歯軋りだと悟ったのとほぼ同時に、
オレは魔法で国王をぶっ飛ばしていた。
王がうめき声を上げてドアの外へと大きく吹き飛ぶ様を、オレは口元をゆがめながら見送る。
一瞬、オレ以外の全員が何が起こっていたのか理解できていなかった。
無言で口を開き、固まっている。あのリア王女ですらだ。
はっ、全員の鼻をあかしてやった! ざまあみやがれ!
一番最初に動いたのは国王だった。
「き、貴様! ……お、王である私に、このような不敬を働き、許されると思っているのか!」
王が咳き込みながらもこちらを威圧する。
ようやく人間らしいところ見せやがったなクソ親父。あんたみたいな父親がいるから子供が苦しむんだよ!
脳裏にちらつくのは醜悪な一人の人間の姿。忌々しい、思い出したくも無い人間だ。
そいつを頭の中から追い出すと、ふん、と鼻を鳴らした。
それを聞き、凛があうあうと慌てふためくのを片手で宥めかしつつ、オレはやれやれと肩をすくめた。
「何をおっしゃっているのか分かりかねますね……」
「なんだと!?」
「いえ、国王陛下が急に後ろにお倒れになられましたので……持病か何かですか? それはいけない。早くお医者さんに見てもらって、さっさと医療ミスにでも見舞われたほうがいいですよ」
精一杯の笑顔を浮べて、オレは啖呵を切った。
「ちなみにお帰りはあちらとなっております」
そう言いながらドアのほうへと人差し指を向けて退出を促す。
だが、王は既にそのドアの外へいるから、オレの指は王様に向けられていることになる。
「っと、既に部屋の外におられましたね、これは失敬。流石に、そのまま廊下でお眠りになられますとお風邪を引かれますから、早めに温かいベッドでお眠りになられることを強く推奨いたします。では、ご機嫌よう」
そう言ってオレはそのまま部屋の扉を閉めようとする。
「おのれ……このままで終わると……!!」
バタン、と扉が閉められる。
後ろでわめく一人の少女の声と、沈黙を貫く一人の女性の空気の重みが、どこか心地よくて思わず笑ってしまう。
そのときに、フッと誰かの笑う息が耳元に届いたのは、オレの気のせいだったのだろうか。
あれ?何かまた十一君が主人公っぽいことやってる・・・?おかしいな。




