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29、勇者と魔族【後編】


「く、くふふ……くははは……くははははははは!! 面白イ! 面白いですよォオオ!!」


 男が自分の血にその顔を汚しながら狂気の笑みを浮べる。

 狂気に口元を歪め、狂気に目をたぎらせ、狂気に肩を震わせ、狂気に拳を握り締め、狂気に言葉を紡いでいた。


 まだ何も終わっていない……!


 そして地獄はその苛烈さを増してなおも続く。


「全てを切り裂きなさァァァァイ! 『アトモスクーパー』ァアア!」


 男の狂声に応えるようにし、空気が振動する。

 大きな裁断音とともに、地面や壁にクレバスが出来ていく。

 まるで見えない刃で切られているかのような。


「みんな!! 避けろ!!」


 そんな英雄の声も虚しく、前衛の二人がその攻撃を食らってしまう。


「狩野! 氷魚!」


 輝政君の悲痛な叫び声にも応えることなく、二人は地面にくず折れていく。

 どうやら、鎧と武器で直撃はまぬかれたようだけれど、それでもなお腹部から大量に出血し、血溜まりを作っている。それを見て、うるさいほどに心臓が鳴る。


「くそっ! よくも……よくもみんなをッ!」


 輝政君が滅多にない怒りにその表情を歪ませ、男に切りかかる。


「いいです、いいですよォ! その表情! アァ、たまらなイ! もっとォ、もっとです!」


「ふざけるなぁああああ!!」


 輝政君の怒りに応えるようにして、聖剣がまばゆく光輝く。

 直視できないほどに輝いた聖剣は、輝政君の思いのままに振るわれる。


「はぁあああ!!」


 激しい剣撃の音があたりに響く。

 男の方は見えない刃を操り、目にも留まらぬほどの輝政君の猛襲をしのいでいる。

 輝政君は、いつもの冷静さを失い感情のままに剣を振るっている。

 だが、その剣閃の鋭さは衰えるどころか勢いを増していた。


「今のうちに、みんなの治療を!」


 わたしよりも先に我に帰った愛莉ちゃんの提案にうなずき、怪我をして倒れている仲間たちの元へと駆け寄る。


「――――彼の者を苦しめる一切合財の苦痛を癒し、安らぎを与えよ『グランヒール』」


『ヒール』の上位互換である治癒魔法で傷を癒していく。

 治療の最中、わたしは彼女の傍にいながら周囲に細心の注意を払う。


 彼女を守らなければ。


「……傷が」


 愛梨ちゃんが何かを呟く。


「傷が、酷いよぉ……」


 泣きそうな声だ。

 よく見ると傷口にかざしているその手は震えている。


 治癒魔法をかけているというのに、血が止まらない。傷が深すぎるのだ。

 あたりには大怪我で死に掛けている仲間たちが何人もいる。先日のモンスターハウスを越えるほどの絶望的な状況。突破口など見えそうにない。


 そんな中で私は、


「――――大丈夫、愛莉ちゃんなら治せる……大丈夫だから……」


 その励ましは誰に向けていったものだろうか。

 自分も恐怖に手が震えているというのに。

 無責任に彼女を励ます。顔に薄っぺらく、くだらない笑みを貼り付けて。


 わたしは……やっぱり、何も出来ないのか。

 こんな状況だというのに、わたしはみんなのために何もできない。


 辛い。


 何もできないことが――――いや、違う。



 何もできない自分を見るのが、辛い。



 足手まといは嫌だと、わたしはみんなにとって必要だと思われたいと、そう、胸の中に抱き続けていた。

 自分でもよく分からないぐちゃぐちゃとした感情が渦巻き、胸をつき、頭を揺らす。

 みんなの心配をするよりも前に、何もできない自分の居場所を心配してしまう自分の浅はかさに吐き気すら覚えていた。

 恐怖が感覚を奪い、絶望が動きを緩慢にし、自己嫌悪が意志を挫く。


 ……ゆーくんなら、どうするんだろう。

 今ここにいない青年にすがってしまう。

 彼なら、こんな絶望をすっかりひっくり返してくれるような妙案を考え付いてくれるのではないだろうか。そんな夢物語のような希望にすがりたくなってしまう。


 分かっている。これは現実だ。

 わたしの憧れていた漫画の世界とは何もかもが違いすぎている。

 そんな、漫画みたいな展開は起こらない。


 起こらないんだ…………


「がっ!!?」


 輝政君の詰まるような叫びが聞こえ、思わず振り返る。

 剣を足元に落とした輝政君が、男に首を掴まれてもがいていた。

 よく見ると、魔族の男は片腕を失っていた。輝政君が切り落としたのだろう。


「輝政君!!」


 愛莉ちゃんが危機に陥った彼に気付き、狼狽する。集中が途切れ、魔法が中断されてしまう。


「そ、そんな……どうすれば……」


 頼みの綱であった輝政君が……


 魔法部隊は……!?


 そう思って後ろを振り返るも、彼女たちは既に怯えきっていて腰が抜けてしまっていた。


 ダメだ……役に立たない……

 自分もその役立たずの一員であることを棚に上げて、友人であるはずの彼女たちを酷評する。


「う……ぐっ……」


 輝政君が手足をばたつかせてあがくも、男は首から手を離さない。


「くは、はは、くっは……いやはや、楽しませてもらいましたよォ……でも、筆頭勇者といってもこの程度ですか……残念ですねぇ……」


 そんな風に男が笑いながら言う間にも、輝政君の動きが小さくなっていき、徐々に痙攣のような動きしか見せなくなる。


 そうして大きく動いたのを最後に、ついに糸の切れた人形のように動かなくなる。


 その様子をわたしも愛莉ちゃんも、呆然と見守っていた。

 否、見守ることしかできなかった。


「ふ、今殺してもいいですが……ふむ……」


 そう言ってこちらを見る。

 男が、舌なめずりをした。

 獲物を品定めするように、ねっとりと。


「ああ、あなた方の首を目覚めた彼の前に並べておくというのも面白いですかねぇ……」


 生理的嫌悪感と底知れない恐怖に鳥肌が立つ。

 男はそんな怖がるわたしたちを見て、輝政君を無造作にうち捨て、ゆっくりとした足取りで近寄ってくる。

 邪悪な笑みを浮かべ、一歩一歩、既に死にかけている獲物を狙う獣のように距離を詰める。


 その一歩一歩が、死へのカウントダウンそのものだった。

 絶望が、その黒い影を引いてやってくる。


「こ、来ないで!!――――蔓延る邪悪を打ち払い、わが身を絶対の安寧にゆだねたまえ。堅牢なる聖鎧をわ、我に授けよ、『ディバインシールド』!!」


 震える声で詠唱を終え、自分の周囲に結界を張る。

 愛梨ちゃんを後ろに庇うようにして、男のことを弱弱しい目で睨みつける。

 自分を保つための最後の見栄だった。


「ほぉ……術法師ですか……これまた珍しい……」


 だが男は余興を楽しむかのような反応を見せるだけで、変らない足取りで迫ってくる。


「こ、来ないでよぉ!」


「大丈夫、愛莉ちゃん! 結界で耐えてればきっと誰かが助けに来てくれるから!!」


 そんな私の言葉を聞いて、男はさらに顔を歪ませて笑った。


「あぁ、いいですねぇ……喜びが悲しみに、安堵が怒りに、希望が絶望に塗り替えられる瞬間は、何度見てもたまりませんよぉ! ―――あまねく希望を、全て切り裂きなさい『アトモスクーパー』ァァァアァアアハハハア」


 男の見えない刃で、わたしの結界はまるで紙のように切り裂かれてしまう。


 そん、な……


 文字通り最後の壁であった結界が破られ、絶望の更なる深みへと落とされる。

 堕ちていく。深い、底へと。

 もっと、優斗の言うように結界の修練を積んでいれば……

 そんな後悔もこの場ではなんの役にも立たない。後悔では、何も救えない。


「ひっ……」


 自分の足につまずき、尻餅をついて後ずさる。


 既に、戦意は失われていた。

 わたしの頭の中から、居場所がどうだとか、友達がどうだなんて考えは全て消え去っていた。


「さてさて、あぁ、素晴らしい……あなたは、どんなに美しく苦しみ、喘ぎ、叫んでくれるんでしょうねぇ……」


 男の白い腕が迫る。その腕は他の何ものよりも死を象徴する、死神の手だった。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 体が恐怖に震え、何も考えられない。


「いやぁ……来ないでよぉ……」


 大量の涙が流れ出ている。

 視界もぼやけ、何も正確に認識することができず、無様に泣きじゃくる。

 けれども、そんな醜態を気に留める余裕などはどこにも存在していない。


「さぁ、苦しんで、その最高の死に様をお見せなさいっ!」


 いやだ、いやだぁっ!!


「……た、すけて…………」


 現実から目を背けるようにして、目を瞑る。


「……ゆー、くん……」


 最期に頭を過ぎったのは、冗談を飛ばして笑う、一人の青年の姿だった。



 男の手が、私に、届く――――――












「――――『蒼斬(アオギリ)』ッ!!」



 ――――誰かの叫び声が聞こえた。




 ――いや、違う。



 わたしはこの声を知っている。


 わたしの心を揺さぶり続けてきた張本人。


 もういないと、思っていた。


 助けになど来るはずも無いと。


 そう、あきらめてしまっていた。


 なぜならここは現実だから。


 夢物語も何もない、ただただ不安と恐怖だらけの世界。


 でも、違った。




 彼は――――





 思い切って、絶望に閉じていた目を開ける。

 もう、ここには絶望しかないと思っていた。

 希望は全て失われたのだと。


 ……でも、違ったんだ。


 腰の抜けたわたしの前では、驚愕に目を見開いている魔族の男がいた。

 男は既にわたしを見ないで、広間の入口のほうに視線を向けていた。


「……真打は、遅れて登場って言うだろ?」


 固まってしまった筋肉で、なんとか首だけを動かしてその声の主を見やる。


 ………来て、くれた。


 彼は、漫画の登場人物みたいに颯爽と現れて、わたしを助けに来てくれた。

 全力で、わたしはその人の名前を叫ぶ。





「――――ゆーくんッッ!!!」


「おう、ま、ちょっとの遅刻は許してくれると助かる。……今度は、ちゃんとやるからさ」


 そんな軽口を飛ばしているのは、まさしくわたしが願った、十一優斗の姿だった。



作中で数少ない十一君の主人公シーン。

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