28、勇者と魔族【前編】
筆頭勇者視点です。
「凛、大丈夫?」
「う、うん!わたしは大丈夫だよ! やだなーほのかちゃん! 元気120%だよ!」
心配そうな視線を向ける穂香ちゃんにわたしは満面の笑顔で応える。
ダンジョンを進む足取りは先へ先へとわたしを急かし、焦燥に額が汗ばむ。
わたしは今、ちゃんと笑えているのだろうか。
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「彼は一人でダンジョンに行ったのかもしれない」
そう言ったのはとある騎士だった。
何でも、優斗が数日前に土中の鉱石などを探索する魔法について聞いてきたというのだ。
しかも、それは友人の遺品を捜すために使うのだ、と。
その情報が出た後、街で聞き込みをしてみると、優斗と思しき人物が食料や日用品などを大量に購入していたことが判明した。珍しい黒髪だったので、よく覚えていたそうだ。
そこからの決断は早かった。
「きっと、彼はダンジョンの中で遭難してしまったんだ。僕たちで助けに行こう」
輝政君が神妙な面持ちで告げる。
筆頭勇者たちで、それに反対するものは誰一人いなかった。
皆、当然といった面持ちでことを運ぼうとしている。
わたしも反対は無かった。優斗のことだから、上手くやっているとは思うけど、万が一ということもある。もし遭難でもしていたのなら、わたしが助けに行かないと。
「ダメだ。危険すぎる」
そんなわたしたちを、ブラント団長は厳しい声音で止めた。
「何故ですか! 彼は、今もダンジョンでさまよい苦しんでいるかもしれないんですよ!?」
輝政君が理解できないといった表情でブラント団長に義憤をぶつける。
「分かっている。だが、君たちだって分かっているだろう。前回、モンスターハウスでどんな目にあったか……」
「それは……」
思わず輝政君が口ごもる。
誰しもがその話題には弱かった。
筆頭勇者たちと言えども、自分たちの弱さを実感したのだ。
「……でも、今度は大丈夫なんじゃないっすかね」
皆が黙る中、筆頭勇者の一人、狩野忍が提言する。
「何が、違うと?」
ブラント団長が先を促す。
「いや、今回は前回と違って油断しなければいいだけっすし、十一の目的は死んじゃった香川の遺品なんっしょ? んなら、あいつの行き先は10層のあの場所に限られるわけじゃないっすか」
そう言うと、狩野君はその茶髪をいじりながらいつものように軽い調子で言った。
「それなら、おれらはそこ目指して直行進軍してりゃ、必ず途中のどっかで十一の奴を拾えるわけじゃないっすか。あいつが余計な寄り道してなきゃっすけど」
「どうよ」と狩野君が指を鳴らす。
彼はこの筆頭勇者たちのムードメーカたる存在で、おちゃらけているように見えるけれども、これで中々頭が切れる。
優斗ほどではないけど、悪知恵がまわるというか、人を煙に巻くことに関しては肩を並べられるものはいないだろう。今回も、その彼の特技が火を噴いていた。
そんな彼の説得を受けたわけではないだろうけれども、筆頭勇者たちの決意の固さを見てとったブラント団長は深くため息をついた。
「……仕方が無い。私も同行したいが、あいにくその日は国の式典の警護にあたらなければならん。優秀な騎士たちを付ける。危険そうであれば、必ず途中で撤退するように。――――誰一人欠けずに戻って来い、いいな」
それだけ言うと、ブランド団長は全員の顔を見渡して去っていった。
「相変わらず、狩野君は人を煙に巻くの得意だよねぇ」
「ちょっ、愛梨ちゃん酷くない?」
ふふっ、とあどけない笑みを浮べるのは、茅場愛梨。筆頭勇者きっての癒し系だ。
実はこの癒し系という呼び名、もちろん彼女のほんわかした雰囲気からも来ているのだけれど、彼女の治癒魔法の卓越さにも端を発している。実際、筆頭勇者どころか、既にこの国においてトップレベルの治癒魔法の使い手であり、大抵の怪我は彼女のおかげで治っている。
たまに、素でえぐいことを言うのは愛嬌かもしれない。
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そうしてブラント団長の許可を得たわたしたちは筆頭勇者総勢9名に加え、10人近い騎士を連れて優斗を探すべく、ダンジョンを歩いていた。
「っにしても、十一のやついねーな。もしかしてもうくたばってたりして」
「ちょっと、狩野!」
「悪い悪い」
穂香ちゃんがたしなめるも、狩野君は何処吹く風といった様子でカラカラと笑う。
……もしかして、もう。
狩野君の冗談を軽く流せず、過ぎる不安を頭を振って追い払う。
そんなわけがない、彼に限って……優斗なら、きっと大丈夫だ。
そんな風に自分を励ましながらダンジョンを進んでいくも、出てくるのは低級のモンスターばかり。また一層、また一層と、最終目的地の10層に近づいていく。
このメンバーであればこのあたりのモンスターなど敵にすらならない。ほぼ一撃で屠るか、もしくは一撃与えた後に逃げ去っていくものがほとんどだ。だから、順調に探索は進む。
そう、順調に。
運動をしているわけでもないのにじっとりと嫌な汗がにじんでくる。思わず裾で額を拭うと、穂香ちゃんに声をかけられる。
「本当に大丈夫?」
「う、うん! 大丈夫だって!」
もし今自分の顔を鏡で見たら、酷い笑顔だと思うだろう。全く取り繕えていない。
でも、そんなことを考えている余裕など、わたしの内には残っていなかった。
まだ、まだ見つからないの……?
ゆーくん……
そうこうしている間にも、刻一刻と目的地に迫っていってしまう。これほど、目的地に着かないで欲しいと思ったことが過去にあっただろうか。
「あっ……」
思わず、声を漏らす。
目の前に広がるのはいつか見たあの大広間だ。
わたしたちは結局優斗と出会うことのないまま、あえなく10層に到達してしまった。
途中、軽く横道なども見てまわったものの優斗がいた形跡は一切無かった。
今は、騎士たちが例の横穴を見てきてくれている。
最後の望み。すがるような気持ちで、横穴をじっと見つめる。
しばらくして、中から騎士たちが出てくる。
「……ダメだ。岩で塞がれていて先には進めない。この奥にはいない」
ストン、と膝の力が抜けて地面に倒れかける。
視界がぐわんぐわんと揺らぎ、よく分からない虚しさに心が蝕まれていく。
「凛!?」
穂香ちゃんが、バランスを崩したわたしを支えてくれる。けど、そんなことも気にする余裕は無かった。
「そ、そんなわけない……もしかしたら、見落としてるのかも……もっとよく調べて!!」
今まで出したことがないような大声を出して、騎士たちに懇願する。
騎士たちは困ったような表情を浮べて、もう一度横穴に入っていく。
けれども、結果は同じ。
いくら探しても道は見つからず、そして、優斗は見つからない。
ガラガラと何かが崩れ去っていく音が聞こえたような気がした。
自分の気持ちを確かめられないうちに、ぽっかりと、心に穴が空いてしまったような。
結局、わたしは彼のことを、どう思っていたんだろう。
そんな問いかけも、もう――――
「誰だッ!?」
深い底へと沈みかけていたわたしの感傷を、輝政君の鋭い叫び声が切り裂いた。
「……おやおや、気付かれてしまいましたかぁ……」
ねっとりとした声が聞こえるとともに、先ほどまで何も無かったはずの空間がぐにゃりと歪み、人の姿が現れる。
「ひ……と?」
思わず口から音がこぼれる。
あまりに予想外すぎたその登場に、思考が追いついていなかった。
「ワタシを人間風情などと一緒にしてもらっては困りますねぇ……アナタ方のような低位な種族とは文字通り格が違うのですよ」
歌うようにして話すその男の肌は青白く、髪は鮮やかな群青色だった。
男が楽しそうに、愉しそうに、快しそうに、笑う。
あれって、もしかして――――
誰かの息を呑む気配を強く感じた。
「――――魔族ッ!!」
輝政君が叫ぶと同時に、その場にいた勇者と騎士全員が臨戦態勢に入る。
これが、わたしたち勇者と、その宿敵である魔族の初めての邂逅だった。
「大正解です。いやはや、流石筆頭勇者殿。ご明察といったところですかね……」
くっくっく、と喉を鳴らして男が笑う。
その粘着質な笑い方にその場の全員が不快感を隠さず顔をしかめるなか、輝政君は凛とした表情を崩さずに言った。
「何をしにここへ来た!」
「そうですねぇ……観光……といったら信じてくれますかぁ?」
そんな風に戯言を言う間も、わたしたちは訓練どおりに陣形を組み、既に魔法部隊が詠唱を始めていた。
まさか、こんなにも早く実戦が来るなんて……
全員の顔に困惑が見てとれる。唯一、目の前の魔族の男を除いては。
「ふむふむぅ……中々いい感じじゃないですか。臨戦態勢に入るのも迅速ですし、陣形もきれいに組めているのは評価に値します」
そう言うと男は面白そうに、パチパチパチとまばらな拍手を送る。明らかにこちらを挑発していた。
「気味が、悪いわね」
穂香ちゃんのその一言がこの場のわたしたちの気持ちを何よりも代弁していた。
わたしたちが座学で学んできた魔族の醜悪さ、卑劣さ、残酷さの数々。眉唾ものだと思っていたけれど、目の前の男の存在を知ってしまうと、それらが全て事実だと信じざるを得ないほどに、気味が悪い。
きっとコイツはわたしたちの敵なのだろう。
けれどもそのつかみどころのなさ過ぎる言動は、わたしたちに歪な違和感と不快感をもたらした。
「おおやぁ、折角褒めて差し上げているというのに、残念なお方だ……まあ、こちらとしては、あなた方勇者の力を見て来いとおおせつかっておりますので、戦うのは全く構わないのですが……ああ、そういえば。成り行きによっては殺してしまって構わないとのお言葉も頂きましたねぇ」
ゾクリと背筋が寒くなる。
魔族の男の魔力が急激に膨らんでいくのを感じる。
男の口の端が醜悪に歪むとほぼ同時に、輝政君が叫んだ。
「魔法部隊! 撃ってくれ!」
既にほとんど詠唱を終えた、魔法部隊が最後の準備を始める。
「――――はるかなる大気の奔流よ。全てをなぎ払え『グランワインド』!」
「――――灼熱の豪華よ、その炎爛をもって全てを焼き払え『グランフレイム』!」
火魔法と風魔法の合わせ技。圧倒的な熱量は、魔族の男を焼き払おうとその体躯に迫る。横に立つわたしたちでさえその肌を焦がされそうだ。
「いい、いい、いいですよぉ! あっはぁ――――全てぇを鎮めよ! 青き潮よぉ! 『タイダルウェーブ』!!」
だが、魔族の男が放った水魔法で火は全てかき消されてしまう。
否、水と呼ぶのも憚られるほどの奔流、大瀑布、水の暴力。
そして、その暴威の水は勢いをとどめることなくわたしたちに迫った。
「くっ―――『ウラノス』ッ! 切り裂けッ!」
輝政君が聖なる剣を振るい、瀑布を絶つ。もし、あんな大量の水に飲まれていたかと思うとゾッとする。
そんなやりとりの間にも筆頭勇者の前衛班は、輝政君を中心に陣形を展開して敵との距離を詰めようとする。
既に数人が、魔族に肉薄していた。
「いいですよぉ! 勇者ぁ! そうでなくてはなぁ! くふ、くふふふふふ!」
男が矢継ぎ早に魔法を飛ばしてくる。その対応に追われる間に、わたしたちは後手後手に回ってしまう。
何故、こちらの方が人数が多いのに圧倒されるのか。
その疑問の答えはすぐに分かる。
あいつ、魔法の詠唱時間が短すぎる! こんなの間に合うわけがない!
そんな悲痛な叫びをかみ殺しながら、詠唱を繰り返して結界を展開し続ける。結界を構築しながらうちの魔法部隊を降り注ぐ魔法の雨から守る。
わたしの役割は盾。皆を守ることしかできない。
輝政君たち前衛が魔族の男に攻撃をしかけているが、ほぼノーインターバルで放たれる魔法に中々近づけずに苦戦している。やはり、それだけあの男の魔法を撃つ速さは異常なのだ。こんな相手との戦闘は想定していなかった。
「くっ……我々も!」
その状況を見かねた近衛騎士たちが、大きな声を上げながら魔族に駆け寄っていく。
刹那、わたしの背を、怖気が走った。
「……ぁあ? あぁ、あなた方はお呼びじゃないんですよねぇ……」
次の瞬間、男が何かを呟いたと思うと、
「目障りですよぉ」
走っていた騎士たちが、真っ二つに断ち切られた。
あたりに真っ赤な血しぶきが舞い、肉片が飛び跳ね、鈍い音が広間を反響する。
何が起きているのか理解できない。理解しようとしない。理解したくない。理解できるはずがない。理解するべきじゃない。理解理解リカイ――――
「い、いやぁ!!」
魔法部隊の子の一人が、悲鳴を上げてうずくまる。
その悲鳴に我に帰り、わたしは初めて場が地獄へと変わったことを悟った。
「ま、またあの時みたいに……」
血を見たことでモンスターハウスでのトラウマがよみがえってしまったのかもしれない。えぐられた傷跡は、いくら包帯を巻きつけようと、ジワリジワリと痛みを主張し、ふとした拍子に叫びを上げる。
わたしは、呆然としつつも、今やるべきことが何であるかだけを考えた。
優斗が教えてくれたように。
今できることを考える。
「――――立ってよ! 今は、あいつをどうにかしないとっ!」
わたしの呼び声にも、彼女は震えてうずくまるだけで立ち上がろうとしない。
完全に戦意が挫けてしまっていた。
それにつられて、他の魔法部隊の子たちにも恐怖と絶望が感染する。元々、魔法部隊にはあまり気の強くない子が多い。その弊害がここにきて出た。
「もうっ! もう!」
思わず毒づきたくなるのをぐっとこらえ、結界を作ってその子らを守る。先ほどとやっていることは何ら変わらないはずなのに、わたしの心は酷くぐちゃぐちゃとした感情に踏み荒らされていた。
自分だって血の臭いに吐き気をこらえているというのに。
そして抗いがたい絶望が脳裏をちらつき、わたしの喉をカラカラに干からびさせる。
今の魔族と騎士のやりとりで分かってしまった。
恐らく、あの魔族はこちらを瞬殺できるほどの力量をもっている。
それをしないのは、こちらの力を測っているのか、それともただ単に遊んでいるのか。
少なくとも、現時点でわたしたちの勝率は低い。
……ここは逃げるべきだ。
けれども、そんなわたしの考えとは裏腹に輝政君たちは一切諦めていなかった。
いくつも体に傷をつくりながら、懸命に戦っている。
恐らく、彼らの頭の中には逃亡という選択肢は存在しないのだろう。
奮闘と勝利。
それだけが彼らが掴むべきもので、掴もうとしているものだ。
今この場でそんなことを考えているのは、臆病なわたしぐらいかもしれない。いや、後ろで震えているこの子たちもか。そう考えれば、わたしも彼女たちと同類か。
その事実に自己嫌悪を覚える自分自身に、さらに嫌悪感を抱く。
一度歪に崩れた世界は、簡単に立ち直ってはくれない。
「――――剛毅ッ!」
「ああ!! 任せとけ!」
輝政君が熊野君に声をかけ、二人で一直線上に並ぶ。
そのまま熊野君が床を蹴って一気に男に近づき、隙をついてインファイトをしかける。
その豪腕から繰り出される重い重い一撃は、風切り音を鳴らしながら男をすりつぶそうとする。
が、当然のように男は距離をとり、そのまま魔法をぶつけようとする。
ここまでは先ほどと同じだ。
けれども、
「――――こっちだッ!」
その瞬間、輝政君が熊野君の背を踏み台にし、上空から強襲をしかける。
完全な不意打ち。死角からの、鋭い奇襲。
一瞬だけ、男にどちらを狙うべきか迷いが生じた。
その迷いを、輝政君たちが見逃すわけがない。
「はああああああああ!!」
空中からの輝政君の袈裟斬りが入り、男がよろめく。
すると、輝政君はそのまま姿勢を低くした。
その上を熊野君が跳躍で飛び越え、よろめく男にさらに重い一撃を喰らわせる。
「ガハッ!!」
男が血を吐きながらボロ雑巾のように吹き飛んでいく。水きり石の如く跳ねては赤い血を撒き散らす男を見ながら、わたしは小さくガッツポーズをきめた。
「やったか!?」
輝政君が自らの口に溜まった血を吐き出しながら叫ぶ。先ほどの戦いの間で負傷したのだろうか。
硝煙が立ち込め、あたりに鉄の臭いが充満する。
先ほどまでの激戦が夢であったかのように、世界は音を失った。
やった、の……?
確かめるように言葉にしようとするも、それは音をなすことなく意識のみにとどまる。
……なんだ、やっぱりわたしの考えすぎだったんだ……
「そう、だよね……」
輝政君たちが負けるわけがない、よね……
自分に言い聞かせて歪な笑顔を浮べる。わたしってこんなにも笑うのが下手だったっけ。
勝利したはずなのに、何故だか背筋を走る怖気は消えてはくれなかった。
「や、やったわ……やっぱり、輝政はすご――――」
そう言って笑いかけた穂香ちゃんを、見えない何かが吹き飛ばした。
爆音とともに、穂香ちゃんが飛ぶ。
穂香ちゃんはそのまま壁際まで吹き飛ばされて、ずるずると崩れ落ちていく。
腕がありえない方向へと曲がってしまっていた。
「穂香ッ!!」
輝政君が焦って吹き飛ばされた穂香ちゃんへと駆け寄っていく。
それがうかつな行動だということは、本人を含め誰もが気付いた。
と同時に、わたしは結界の詠唱を始める。
「待て! 輝ま―――ぐっ!!かふっ……」
呼び止めた熊野君の腹部にまるで何かに刺されたみたいな穴が空き、そのまま大量の血を流して倒れこむ。
なんで……
「剛毅ッ! くっ――――」
「あ、あぶないっ!『ディバインシールド』!!」
間一髪、詠唱の間に合ったわたしは輝政君の前に結界を張る。
ほとんど無意識のうちに呟いていた詠唱は、それでも思いに答えて彼を守ってくれたようだ。
すると、結界が発現すると同時にガキィン! と何かをはじくような音が洞窟にこだました。
ドクン、と心臓がやけに五月蝿く脈を打つ。
それは、まだ何も終わっていないことを示す、合図だった。




