24、最下層での邂逅【前編】
またも長くなりそうだったんで前編と後編です。一応、一続きのものは前編後編に分けてます。
十一優斗が姿を消して、一夜が明けた。
騎士団の面々がまたも捜索をしたものの成果は得られず。ついぞ、優斗がどこへ消えたのか判明することは無かった。
彼の部屋には簡単な書置きで、
――――ちょっとコンビニ行って来る。
などというふざけたメッセージしか残されておらず、結局何かのヒントになることもなかった。
――――わたしの、せいだろうか。
そんな自責の念が頭の中を渦巻き、胸を締め付ける。
わたしが、あんなふうにここ数日、酷い態度をとっていたから……だから彼は……
「さすがに、うぬぼれすぎかな……」
思いがけない思考の泥沼にはまりそうになる頭を、独り言によってリセットする。
彼の中で、わたしがそこまでの地位を得ているとは到底思えない。
そんな風に自分にいつも通りの妥当な低評価をくだし、ぐちゃぐちゃとした自分の感情を整理しようと頭をかきむしる。
こんな姿、誰にも見せられないな……織村凛がとっていい行動じゃない。
ここ数日、わたしは悩んでいた。
十一優斗という存在が、思った以上にわたしの中に住み着いていたことに驚いていた。
自分自身では、彼との付き合いは一種の打算を基とするもので、大した深い関係でもないと思っていた。無論、師匠と弟子と言う重要な関係であることは否定できないけれど。
それだけだ。
少なくとも、わたしは頭ではそう考えていた。
でも、優斗が他の女の子と仲良くしてるのを見て、心がとてもざらついた。
ざらついてしまった。
わかっている。彼は別に、わたしに対して決して何か悪いことをしたわけでは無いし、あの女の子に対して特別な感情を抱いているわけでもないのだろう。
でも、それなのにわたしは、何か得体の知れない黒い感情を抱いてしまった。
嫉妬と呼べるほど、形をもった感情じゃない。
でも、確かに、その存在はわたしの中に消えないとげを残し続けていた。そして、そんな気持ちになってしまった自分自身に驚愕すると同時に戸惑っていた。
初めてだった。そんな気持ちになるのは。
だから、彼との距離を測りかねていた。そして、自分の気持ちも測りかねていた。
織村凛として、わたしはどうするべきなのか。現状を、わたしの壁を守るためにはどうすればいいのか。もし、このまま彼に近づいては、わたしは織村凛である資格を失い、皆から嘲笑われるような、そんな存在に成り果ててしまうのではないだろうか。
そんな、戸惑いと混乱と恐怖とがわたしを動けなくさせてしまった。
だから距離をとった。
自分自身が分からない。
織村凛が分からない。
……わたしが、わからない。
そうして自分のあり方をはかりかねているうちに、彼は、十一優斗はいなくなってしまった。
「どこに行ったの……ゆーくん……」
そうやって不安げに枕を抱く姿は、誰よりも雄弁に自分の気持ちを物語っていた。
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「うっ…………」
顔に水がかかる感覚で意識を覚醒させる。
寝起きだというのに、頭は重く、体もだるい。
手足は、感覚を失いかけている。
寝そべる床は固く無機質で、ただ水の滴り落ちる音だけが一定のリズムを刻んでいた。
まだ、眠い……
そうして再び眠りにつきそうになるオレを、理性が引き止める。
深いまどろみの中でぼんやりと現状を把握していく。
そうして、数秒ほどかけてようやく現状を完全に認識する。
「あ、あぁッ!! 何やってんだオレはッ!!」
飛び起きて周囲を見回し危険が差し迫っていないことを確認すると同時に、自らの体の無事を確かめる。
あ、あぶねぇ……どうやら、何も無かったみたいだ。
ダンジョンの中で眠りこけて隙を見せるなど、殺してくれと言っているようなものだ。今オレが生きているのは奇跡といっても過言じゃないだろう。
と同時に、足から力が抜け、ストンと膝から崩れ落ちる。
「ああ……良かった……生きてるのか、オレは……」
ここまで自分の生を実感して、思いに胸が震えたことはない。
はは……と力なく笑いながら、濡れている顔を裾で拭う。
けれど、その裾もびしょ濡れで結局余計顔が濡れてしまった。
「にしても……一体、どこまで落ちてきたんだ……?」
上を見やるも、そこには大きく口を開いた闇が広がるばかりで、答えを示してはくれない。
オレの立つところを中心として、半径数メートルの足場が点在している他は、ほとんど湖のような場所だった。もし、水に落ちていたらと考えるとゾッとする。
ここは、地底湖だろうか? 多分、地下水脈の合流地点か何かなのだろう。
上から流れ落ちてきたはずの水もいつの間にか止まっていた。
そうしてオレの意識と現状をすり合わせていきながら、あたりを見渡すと、先ほどまで気付かなかったあるものに気がついた。
オレの足場からいくつか円足場を超えていったところの壁に、ぽっかりと穴が空いていたのだ。
「……さてはて、あれは地上への出口か、はたまた地獄への入口か……」
そう呟きながらも、そこと天井の大穴以外に道が見当たらないため、消去法でそちらへと向かっていく。
そこで初めて自分の体が冷え切っていることに気付く。指先の感覚はもうほとんどない。
当然だ。水溜りで長時間寝ていたら体も冷える。凍傷になっていないだけまだマシだ。
酷かった頭痛が消えていることにも気付き、オレは火魔法と風魔法を合わせて温風で自らの体を温めながら円形の足場を跳んでわたって行く。
指先は既に冷えて感覚がなくなっている。壊死していないといいのだが……
あたりに注意を向けながら現状確認のためにパラメータをチェックする。
十一優斗 男17歳
HP161/220 MP11790/12020
膂力35 体力45 耐久30 敏捷70 魔力6600 賢性???
スキル
持ち物 賢者の加護 ??? 隠密2.9 魔法構築力4.5
魔力感知2.6 魔法構築効率3.2 MP回復速度2.2 多重展開3.0
魔法関係の能力値、スキル熟練度が軒並み上昇しているだけでなく、新しいスキル『MP回復速度』と『多重展開』まで習得していた。先ほどまでの苦境が、どれだけ厳しいものだったかが窺える。
どちらのスキルも名称から概ねの効果は予想できる。恐らく、前者はそのままMPの回復速度を高め、後者は複数の魔法を同時に使えるようになるのだろう。
だが、そう考えるとおかしな点がある。
オレはこの『多重展開』のスキルを取得する前から、既に複数の魔法を同時に扱えていた。なら、何故このタイミングで表示があらわれたのだろうか。
幾つか推論は建てられるが、恐らくそれについて思考を費やすのは後回しにした方がいいだろう。
そして、MPが全快に近い状態を鑑みるに、オレは半日近くは眠っていたことになる。いくら、回復速度が上がっているとはいえ、このMP量だ。それぐらいは時間がかかるだろう。
そうなると、捜索隊でも組まれていそうで非常に厄介だ……どう言い訳を募ろうか。
流石に、コンビニは無理あったかなぁ……コンビニでどれだけ立ち読みしてれば半日も費やせるんですかね。多分、その前に通報待ったなしだけど。
そんなことを考えているうちに穴の前にたどり着く。
途中で水棲の魔物に襲われる可能性も考えていたのだが杞憂に終わったらしい。
そのことに安堵のため息を漏らしつつ、オレはパンと顔を叩いた。
「さ、行きますか。……『蛍火』『風蕾』」
当然のように、『蛍火』と『風蕾』を同時に発現させて前方を照らしつつ進んでいく。
そこで違和感に気付く。否、むしろ違和感があまりにないことに気付く。
……なるほど、両方の操作が前よりも簡単に行えるな。これが『多重展開』の効果か。
以前までならば、四つの『風蕾』だけで精一杯だったが、今はそれに加えて10~20ほどの『蛍火』を同時に操作しても何ら差し支えなく操ることができる。それこそ、一つずつ別の作業を分けてやっているように。
恐らく、これまでも複数の魔法を発現はできていたが、その魔法の効果を十全に発揮できていなかったのだろう。それが、スキル『多重展開』によって、複数の魔法一つ一つに単一の魔法発動時と同じぐらいの集中を割けるようになった。
これは、魔法の応用が広がるな。
危機的状況だというのにも関わらず、自分の思わぬ収穫に少しだけワクワクした気持ちになる。
そんな間も、オレがヒタヒタと床を歩く音は一定の間隔で鳴り続ける。
『蛍火』で照らしているとはいえあたりは薄暗く、10メートルも先は暗闇だ。
そして何より気になるのがその静けさだ。
先ほどまでいたダンジョンの上層部では、何かしらの気配や音が常にしていたにも関わらず、ここにはそうした生命の存在を一切感じない。
流れや動きすらも止まっているかのような場所だ。
だからこそ不安は増す。
延々と代わり映えのしない洞窟。
黒い壁はどこまでも続く。
……本当にこの先に終わりがあるのだろうか。
早くもそんな疑心暗鬼に駆られるが、五分ほど歩いてからだろうか。急に足に感じる感触が変わった。
今まではゴツゴツとした整地のされていない岩肌を歩いていたのに、平らでまるで磨き上げられた大理石のような床質に変わったのだ。
と同時に『蛍火』の光が壁と天上を照らすのを止めた。
それが意味することは、すなわち今まで続いていた洞窟の終点。何かしらの広間に出たようだ。
それを認識したのとほぼ同時、暗かった広間と思しき空間に一気に光が灯る。
これまで散々目にしてきた水晶の光でも、はたまた魔方陣の光でも無い。もっと身近で、原始的な光だ。無論、それはオレの『蛍火』でもない。
「かがり火……?」
呟くと同時に左右から火の灯る音が連続して聞こえ、思わず警戒態勢をとる。
数秒のうちに、オレがいた場所は何十という飾台に灯された紫色のかがり火で照らされた。
「なんだ……ここは……」
目のくらむような明かりにチカチカとする視界を慣らしつつ、周囲を見回す。
オレがいた場所は、まるで祭壇のような場所だった。
真ん中に大きな円状の床が広がり、壁際は水路になっていて水が溜まっている。
先ほど、オレが目覚めた場所などとはまるで違う。
これは、明らかに人工物だ。床も、大理石のような素材でできているし、あたりに見える神殿風の装飾も間違いなく人の手によるものだった。
そして、オレが来ると同時に火がついたことから、まだ機構も生きている。
「なんで、こんなところに人の手が……とすると、ダンジョンは人が作ったのか……?」
沸いてくる疑問をひとりごちながら、足場の中心へと足を進めて行く。
ユラユラと妖艶にゆらめく紫炎が、オレのことを見ているようで気味が悪い。
さっさと抜けてしまおう。
そう思って早足に進む。
明るくなった空間を見渡すと、奥にはひときわ大きな扉がオレを誘うようにして聳え立っていた。扉には意味の分からない紋様が刻まれており、明らかにその奥に何かがあることを意味している。
そこに行けば、何か分かるのか……?
その問いの答えを得ようと、一歩足を踏み出した瞬間、
ゾクリと悪寒が走った。
「っ!」
直感に従い大きく後ろに跳ぶ。
ジュッという嫌な音が鼓膜を擦った。
オレのすぐ目の前を紫の光線が貫いていく。否、貫いていった。
光線の熱気が頬を撫で、余波が目を焼く。
オレが目を瞬かせる間に、『魔力感知』が再び魔力の爆発を捉える。
「二発目ッ!?」
今度はそれを右に転がりながら避け、祭壇の中央付近まで一気に駆け寄る。
そんなオレをめがけて逃がさないと言わんばかりに三発目の光線が放たれる。
「そこかッ!! 『蒼斬』!!」
辛うじて高熱の暴力を避けつつ、光線の元に魔法を放つ。
何も無いはずの空間が歪み、オレに攻撃をしていた何かの正体が露となる。
その正体にオレは思わず息を漏らした。
「……………おいおい……」
あんな魔物見たことも聞いたことも無いんだが!?
そう考えて思い直す。
いや、違うな。オレはあの魔物を知っている。
この世界の魔物ではない。元の世界にいた妖怪、と呼んだほうが精確だろう。
「九尾……」
それは、九つの尾を持つ白い毛並みの妖狐だった。
その毛並みは鮮やかな銀白色で、ところどころに薄紫色の線が入っている。体長は体だけで3mほどだろうか。尻尾も含めればさらに大きくなるだろう。当然のようにオレよりもはるかにでかい。
紫紺の瞳に鋭い輝きを帯びたまま、こちらに敵意をむき出しにしている。
くっそ……あんな魔物、本に一切載って無かったじゃねえか!
そんなオレの悪態も我関せずといった様相で、九尾はその口の前に紫色の火球を形成する。
そのまま火球はオレを焼き尽くさんとする熱光線へと変わった。先ほどまでオレを焼き尽くさんとしていた熱の暴力の正体だ。
「『蒼斬』!!」
体を射線からはずしながらも、『蒼斬』をぶつけて相殺を試みる。
ボンッという爆発音とともに、水蒸気が立ち込めた。
……威力的にはほぼ互角か。
だが、水蒸気爆発が起こるほどの高温。かすることはいさ知らず、近くを通過されるだけで即死だろう。
相手の能力を分析しつつ、再び左手に『蒼斬』を準備する。
『魔力感知』が再び魔力の爆発を感知し、次の瞬間にはもやが割れて紫の線が飛んでくる。
「それしかできねぇのか! 芸が無いやつだな!」
先ほどと同じように『蒼斬』をぶつけて相殺し、相手と一定の距離を保ちながら横滑りに走る。
「『蒼斬』『蒼斬』『蒼斬』ッ!」
連続して『蒼斬』を放ち相手をけん制しながら、祭壇を駆け巡っていく。
そんなオレの行動に痺れを切らしたのか、九尾がその九つの尾全ての先に火の玉を灯らせる。
「え……ちょ、まさか、九連装砲とか言わないよな……?」
オレが垂らした冷や汗が滴り落ちるとほぼ同時に、その九つの火球から先ほどと同じ紫の光線が一斉に放たれる。
「やべぇ!? 危なっ!」
一斉に放たれる光線を水の壁や『蒼斬』で相殺しながら、あたりを駆け回る。
対する九尾の方は、尻尾を操るだけで涼しげな顔だ。
そうして逃げ回っているうちに、光線の一本が背のすぐ後ろを通った。
「あづっ!」
ジュウ、と肉が焦げつく臭いが鼻を突く。
治癒魔法でそれを処理しながら、蒼斬で相手の隙を狙う。
けれど、相手は九つの砲台を持つのに対して、こちらがもつのは一本のライフル。
こんな状況でどうしろというのだろうか。
もつれる足にムチを打ちながらもなおも駆け回る。
駆け回りながらけん制を行うが、全て九尾の熱線に遮られてしまう。
「『水壁』!!」
水の壁に、一挙に九つの光線がぶつかる。轟音を立てながら、水が蒸発していく。
「くそっ、水の生成が間に合わねぇ!」
先ほどとは比にならないほどの蒸気があたりを満たし、その高温の蒸気はオレの肌をあぶっていく。
「水、追加ぁっ!」
部屋の端の水路から水を引き、自らの防御に利用する。
そのお陰もあって、何とか光線を防ぎきることに成功する。
けれども、向こうは篠突くような火の雨を止めようとするそぶりは微塵も見せない。
一見、拮抗しているように見えるこの状況。しかし、明らかに不利なのはこちらの方であった。
この熱気の中にいて疲弊するのはオレ一人だ。もし、このままの状態が続けばまず間違いなくスタミナ切れでギブアップだろう。
立ち込める高温の蒸気に、全身から汗が吹き出る。
それだけなら、サウナのようだと笑うことも出来たが、現実はさらに過酷だ。
「はぁ、はぁ……」
熱気が肺と器官を焦がしている。
呼吸が苦しくなり、胸をかきむしりたくなる。
だが、そんなことをしている余裕などない。
一瞬の隙を見せればオレの体は灰も残らず、溶けるだろう。
絶望的だ。この状況で、オレは必死に攻撃を防ぐ以外の行動をとることはできない。
隙を見せればすなわち死だ。それは免れない。
「くっそ、がぁ!! 喰らいやがれッ! 『蒼斬』ィッ!!」
水蒸気で遮られた視界の中、『水壁』の裏から放った『蒼斬』に九尾は反応できるべくもない。
だが、
「悲鳴が、聞こえない……?」
声帯を持たない生物なのか?
いや、それはおかしい。哺乳類に近しい見た目をしているのであれば、その特性も似通うはずだ。いくら魔物と言えどそんな意味の分からない生態はしていないはず……
その疑問を確かめるべく、『水壁』の裏から転がり出て先ほどまで九尾がいた場所を見やる。
「い、ない…………?」
そこには何もいなかった。
慌てて周囲を見回すが、先ほど見た銀白色の姿を見つけることは出来ない。
あいつは、どこに――――
その疑問は、圧倒的な熱量をもって答えられる。
ヒュン、と何かが飛ぶ音がした。
「がっ……」
反射的に前に飛び出すとすぐ後ろを熱線が飛んでいったのが分かった。
「そういうことか!! 透明化しやがった……!」
奴と邂逅したときあいつは姿を消していた。ならば戦闘中もそれができない道理は無い。
くっそ、油断じゃ済まないぞ……!
完全に見失ってしまった。
『魔力感知』で感知できるのはやつの攻撃の発現のみ。ならば、狙うは奴が攻撃をする瞬間しかない。
だが、それが許されるのか?
あいつが透明化したということは、本気でオレを殺しにかかっているということだ。
しかも、オレの『蒼斬』を防ぐ必要もなくただ淡々と、姿を隠してオレを狙えばいい。
外すわけがない。
「何でこうなるんだ、くそっ……」
蒸気のせいで暑いはずなのに、手が震える。
これは、恐怖のせいか…………
そして、ふと背中に当たった右手を見る。
「…………………え?」
そこには、べっとりと赤い血が付いていた。




