23、見慣れない場所【後編】
前回の続きです。
距離を概算するに、春樹のロッドは恐らくこの直下へ続く穴の内壁か、横穴に埋まっていると考えるべきだろう。
「ああ……これ、降りんのか……」
中央の穴には大量の水が流れ込んでおり、びしょ濡れになるのは必至だった。
「はぁ……やるしかねえか」
そうひとりごちつつ、土魔法でチェーンとその先のフックを作って行く。
絶対に切れないように頑丈に作るため時間がかかってしまう。
30分ほどして、長さ数メートルのチェーンとフックを計6本作りあげる。
「超重い……」
そう、頑丈に作るということはそれだけ密度もあがるわけで、他の五つは全て持ち物にしまってあるにも関わらず、一つもっただけで驚きの重量である。うそ、私の膂力パラメータ低すぎ……?
「よいっしっと……」
水で濡れていない地面にフックを埋め込み、土魔法で周囲の地面もろとも固定する。
ふはははは! こうすれば、周囲の地面ごと剥がれでもしない限り、落ちることはないぜっ! オレは死亡フラグを回避する男だ!
疲労から思考が微妙に空回りするのを感じながらも、オレは当たりを照らすべく魔法を発現する。
「『蛍火』」
自分の周囲に、火魔法で作った火の蛍を浮かし光源を確保する。
そのままチェーンを腰に巻きつけながら、ロッククライミングの要領で垂直ながけを降りていく。まあ、実際は降りているのでクライミングではないのだが。しかも、穴は下にいくほど内径が大きくなっており、降りにくいったらありゃしない。ねずみ返しみたいだな。
「うおぁあ!?」
足を滑らし、体が宙吊りになる。
あ、あぶねぇ……チェーンが無ければ即死だった……
紙一重だったことにゾッとしつつ、二つ、三つとフックを内壁に突き立て順調に壁をつたって降りていく。
……降りてから思ったけど、これ戻るのめんどくさそうだな……
降りきる前から既に上る心配をして、ため息をつく。
「よし、ここだ……」
10分以上かけてゆっくりと下降し、先ほどの広間から30mほど下の地点に到達した。思っていたよりも低い位置にあった。
「照らしてくれ」
そう呟きながら、周囲に飛び交う何十という『蛍火』を操作し、あたりを一斉に照らす。
大半は流れてくる水で消えてしまうので、実際に仕事をしているのはごく一部だが目的の場所を照らすには十分だ。
そうして、一面黒い岩しか見えないなか、何かに火の光が反射して煌く。
「……あった……」
嬉しさに声が震える。
オレの今いるところから少しだけ右にずれたところのくぼみに、ロッドが半分だけその体を突き出す形で埋め込まれていた。恐らく、落石と一緒にここまで落ちてきて、壁に埋め込まれたのだろう。
……ここから、勢いをつければいけるか?
そう思いながら左の方へ体を持っていく。
ダンッと壁を蹴り、チェーンにつかまりながら弧を描くようにしてロッドへと近づく。
しかし、一度目はロッドへの距離が足りず、あえなく違う部分に衝突してしまう。
「くっそ……もう一回……」
二度、三度と繰り返し徐々にその精度を上げていく。
そうして、挑戦すること五度目にして、ようやくロッドの目の前に近づく。
そして、最も近づいたタイミングに合わせてロッドを掴み、思いっきり引っ張った。
銀色の輝きをもったそのロッドは、思いのほか簡単にくぼみから抜け、オレの手の中に収まった。
「よっしゃあ!! やっと……! やっと――――」
ようやく手に入れた、春樹の形見。
オレの中の楔が、少しだけ抜けたような気がした。
けれど、そんなオレの歓声をさえぎるようにして、頭上から爆音が聞こえる。
「――――がっ!?」
次の瞬間、上を確認する間もなく背中に強い衝撃を感じ、ロッドを手放してしまう。
しまっ――――
そうして、ようやく上から大量の水が自分に流れ落ちてきたことを悟る。
まずい……とにかくこの場所から離れないと水圧で骨がやられる!
揺らぐ視界に脳が危険信号を発し、オレは一瞬の判断で横に飛ぼうとする。
だが、
――――ロッドはどうする?
抜けかけていた楔が再びオレに突き刺さる。
この底なし穴に落ちてしまっては、ロッドはもう二度と手元に戻ってくることはないだろう。
――――それでいいのか……?
ロッドはまだ、オレの目の前にある……今チェーンをはずして飛び出せば掴み取れるはずだ。
――――なら、どうするべきだ?
ふざけんな……なんだよこの状況……
悪態を付こうと、軋む身体と落ちていく銀色の輝きは変わらない。
あの時、オレは手を差し伸べることができなかった。
大切なものを守る勇気が無く、自分の身可愛さに失ってしまった。
今回もそうだ。
贖うことすら許されず、弔うことすら許されず――――
――――また、失うのか?
―――――――また、取りこぼすのか。
―――――――――また……掬えないのか?
神はどこまでもオレに意地悪をするらしい。
「―――畜生っ! やるしかねぇだろ!!」
オレは体に巻きつけたチェーンを土魔法で一瞬で崩し、ロッドに飛びつく。
届け、届け、届け――――!
水圧に体が持っていかれそうになりながらも、必死に腕を伸ばす。
あの時伸ばせなかった腕を。届けられなかった思いを届けるようにして。
これが、オレの贖罪の、証だ!
時間が永延に引き延ばされるような感覚に、現実感を失いそうになる。
けれど、体に当たる水の痛みと、目の前のロッドのかすかな輝きがオレを現実につなぎとめていた。
「届けよッ!!」
そう叫ぶと同時にオレの右手が、確かにその手でロッドを掴む。
頬がほころび、自然と体に力が入る。
「っしゃぁ! うおぁああああ!?」
掴むと同時に圧倒的な水の物量に、体が押しやられ、穴の底へ底へと沈んでいく。
「くっそ……風魔法『空――――」
オレが魔法を発動しようとしたところで、さらに大きな轟音が耳を劈いた。
と、同時に視界が真っ暗になる。
流れてきた大量の水で、既に『蛍火』はきえてしまっているため状況が把握できない。
……何が、起こった……?
重力に引っ張られ落下しながらも、思考を回す。
何故、急に視界が暗くなる? 先ほどまで、オレの頭上で穴の中を照らしていたはずの広間の水晶たちはどうした?
そこまで考えて一つの仮説に至る。
おい、まさか……さっきの爆音って……
「くっ! 『ファイアボール・多段撃ち』っ!」
何十という『ファイアボール』を雨のように頭上に打つ。
本来ならば、広間まで届いていくはずの火の玉は、オレの目前数mほどで全て何かにぶつかってはじけて消える。
「……マジ、かよ……」
思わず漏らしてしまった呟きとともに嫌な汗が垂れた。
絶望的だ……
ファイアボールが写し出したその物体は、穴を埋めてしまわんほどの――――
大岩だった。
なんであんなサイズの大岩が落ちてきてるんだよ!!
そんな疑問が生じるも答えは明白だ。先ほどの爆音とともに洞窟の天井が剥がれ落ちてきたのだ。オレの無理な補強工事がたたったらしい。
ことごとくダンジョン運が無い。
「くそっ!! どうするッ!?」
大岩が今確認した通りのサイズだとすると横をすり抜けるのはナンセンスだ! 大岩の軌道がぶれる可能性がある以上、途中で壁との間に挟まれてペチャンコになる可能性が高い。だからといって、このままあの大岩と一緒に空の旅をエンジョイするわけにもいかない……明らかにあっちの方が収束速度が大きいから追いつかれるのも時間の問題だし、そうなったら地面に付いた瞬間つぶされる。風魔法であいつより加速するのもダメだ。穴の深さが分からない以上、地面に激突してお陀仏のリスクが高くなっちまう。
思考は循環し、堂々巡りに陥る。
おい……思った以上にこの状況やべぇぞ……
どうするどうするどうする……!
脳がオーバーヒートしそうなほど思考が白熱する。
過去の経験や、現在持ち合わせている駒をフルに検索し、オレが打てるであろう最善手を考える。
「考えろ考えろ考えろ!! それだけがお前の取柄だろッ!!?」
その間にも圧倒的質量はオレに迫り、顔に当たる水しぶきはオレを急かす。
これが代償だ。
オレが贖うべき罪だ。
そんな声が頭蓋を反響し、オレの思考にノイズを生む。
「黙れ黙れ黙れッ!!」
今はそんなこと考えてる場合じゃねえだろ!!
あれをどうにかしなきゃ、オレは死ぬ!
「あ……」
――――オレは死にたくないのか?
「っ……」
待てダメだ良くないこれはダメだ……
よく分からない自戒に駆られ、疼く楔にうめき声を漏らす。
余計なことを考えてる暇は無いんだよ!!
脳内からあらゆる余分な情報を締め出そうとするも、それを嘲笑うかのように思考は空回りしていく。
意味の無い自戒と、役にも立たない罪悪感。
そんな思いが脳内をかき回していく。
そうして、荒れ狂う思考と感情の渦並みの中に、一つ。ただ一つ、この絶望的状況を回避し得る策を思いつく。
逆に、今まで何故思いつかなかったのかと思った。
そう思えるほどに、その発想はシンプルだった。
――――あの大岩を破壊すればいい。
いたってシンプルかつ、現状とれる手段はそれしか無かった。
だが、問題は……
「……可能、なのか?」
岩を最も軌道のズレや壁への衝突が無くなる様に器用に細断し、かつその後細かくした岩の速度をこれまた器用に風魔法で上下にずらし、最後に当然のように器用にそのずらした岩の間を風魔法を使ってスルスルとかいくぐっていく。
そう、考え自体は死ぬほどシンプルなのだが、それを実行するには死への覚悟と、神がかり的な器用さが必要になってくるのだ。
恐らく、このミッションインポッシブルぶりがオレがこの策を思いつかなかった理由だろう。
しかも、練習無しの一回勝負。失敗は一度たりとも許されない。底の深さが分からない以上、時間も無い。
また、エラーは許されない。しかも今回はトライしないと即ゲームオーバーというおまけつき。
……これしか、無いんだよな。
その疑問に答えるようにして、オレの脳は他の選択肢の存在を否定している。
でも、やらなきゃどっちみち死ぬしかない。
手元のロッドを強く握りながら決意する。
ほんの一瞬だけ全ての力を抜き、頭を空にする。
それがプロトコルだった。
「――――いくぜ……『蛍火』『蒼斬』!!」
火で視界を確保しつつ、水圧カッターで大岩を切断していく。
繊細なガラス細工を触るように、慎重に、そして丁寧に岩を切る。
キリキリと、並大抵ではない集中の要る作業に頭が悲鳴を上げる。けれど、そんな叫びを無視しつつ、淡々と岩を切断する。
いや、淡々と振舞おうと努めているに過ぎない。今すぐにでも、痛みに喘ぎ、悲鳴を上げてしまいそうな自分を押し込める。
早く終われッ……
そう願うも、中々大岩は小さくならない。
その間にもオレの頭は悲鳴を叫び続け、危険信号を発する。
分かってる! これが終わったら休ませてやるから、少しだけ仕事しろ……!
そう悪態を付いても響くような頭痛は消えてはくれない。
それこそが現状オレがどれだけ集中しているかを明示していた。
明滅する視界、やまない耳鳴り。
そんな中で冷静に魔法を使う自分に恐怖さえ感じる。
激痛の中、危なげなく大岩の切断に成功する。脳には相変わらず激痛が走っているが、切断された大岩はその軌道を大きく逸らすことなく、真っ直ぐと落ちてきている。
休んでいる暇は無い。次の作業に移らなければ、いつ予想外のアクシデントが起こるか分からない。
「『ワインド』ォ!!」
オリジナルで無い魔法を使う。オレの開発した魔法は威力が高すぎるものが多いので、こうした精密な作業にはあまり向いていないからだ。
風圧で、細かく切断された岩の位置を上下にずらしていく。
ずらし、ずらし、ずらし、ずらす。
単調とも思える作業に、ありったけの集中を込め、軌道が逸れないように気遣う。
そんな尋常でない集中力のなせる業か、
「空いた……!」
人がようやく一人通れるような小さな隙間が開く。小さくなった岩は徐々にその軌道をずらし始める。
今しかない。
一瞬だけ、短く息を吐くとオレはためらうことなく風魔法で自分の落下速度を遅くする。同時に位置も調整し、ちょうど隙間をすり抜けられるような体制をとる。
岩が眼前に迫る。圧倒的質量と速度でオレをすりつぶそうとする。
スルスルと器用にその間を抜けていく。
ザッ! と、頬を岩がかすった。
「いっ……」
一瞬だった。
ほんの数秒の間に、岩は周りを通り過ぎて行き、オレを置いて底へと落ちていく。
自分の下を落ちる岩の群れを見て、いまさらながらに冷や汗が吹き出ていたのに気付く。もう体中びしょ濡れなので、汗か水かも分からないが。
「やった、のか……?」
重力に身を任せ、呆然となりながらも、現実感を取り戻していく。
あまりに余裕が無さ過ぎてこんなフラグを立ててしまうぐらいにはオレも切羽詰っていたらしい。「やったか!?」はやってないフラグなんだよなぁ……
そんなくだらない思考が、オレが冷静でいられた最期だった。
「ぐっ……ああぁああ!!」
今まで無視してきた頭痛が、その存在を声高に主張する。
締め付ける、などという表現も生易しい。頭が割れそうだ。
痛みによって体勢が崩れ、大きく回りながら落下していく。
「がぁあ……!! 『蛍火』!」
だが、そんな頭にさらに鞭をうち、魔法を発現させる。
この穴の底にたどり着くまでは、気を抜くわけにはいかない……!
自分の下の方を照らしながら、自由落下に身を任せる。そのまま意識も闇の底へと落ちて生きそうだが、無理矢理現実に縛り付ける。
「かはっ!!」
体勢を崩したせいで壁に激突し、肺の空気を吐き出してしまう。刹那、意識が飛びそうになるが、自分の腹を思い切り殴りつけ、意識をつなぎとめた。
もうほとんど、自分が何をしているのかも分からない。
何で、落ちているんだっけ。
何で、こんな目に遭っているんだっけ。
何で、眠ったらいけないんだっけ。
理由を見失い、上下を見失い、明暗も見失い、自分も見失いつつあった。
下のほうに飛ばしていた『蛍火』が弾け消え、他の『蛍火』も次々とその体を散らしていく。そして、ぼんやりと、何も見えなかった暗がりにほのかな光の存在を見つける。
それこそが、底に辿り着いた印だった。
「くっ……落下、制御ッ!!」
既に半分ほど飛びかけている中で、風魔法を駆使し落下速度を緩めていく。
急激な減速に体が過負荷のGを受けてきしむが、そんなこともお構い無しに速度を0へと収束させていく。
一瞬の停滞――――浮遊感が体を包むと同時に、オレは数分ぶりに地へと足をつける。いや、胴体ごと落ちたのだから、足をつけたというのは語弊があるだろう。
そのまま地に倒れ付すと、頬がピチャと音を立てた。
地面が水で濡れているのだ。どうやら水溜りに落ちたらしい。
息は、出来そうだな……
周囲は件の広間とは違い、緑色の水晶が淡い光を放ち視界を確保している。
そこまでだった。
ブツッという何かが切断されるような音が頭蓋を反響すると同時に、オレの視界は闇に染まり、そのまま――――意識を手放した。
ダンジョンでようやく休憩できたね。




