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210、『決着』

「っはぁ……っはぁ……」


 息が上がる。酸欠のせいか頭ががんがんとうるさく喚いている。


 立ち込める硝煙。赤熱する大量の鉄。そして、燻ぶる火種――――


 その火種の存在が、もう外が真空ではなくなったことを告げていた。


「っはぁ!! ひゅう……げほっ、げほっ!」


 『不可触の王城(アイソレスフォート)』を解除して大きく呼吸する。口の中に土ぼこりが入ってくることなど構いもせずにオレはむせかえるようにして空気を貪った。

 強引な呼吸に肺が痛む。酸欠上がりの頭はがんがんと痛み、視界も眩みつつある。

 だが、オレは膝をつくわけにはいかない。


 ――――目の前に倒れ伏す、魔族の男にとどめをさすまでは。


 目の前で倒れ伏す男。雷撃が直撃したはずだ。

 だが、それでもまだ生きているという確信があった。


 一歩、また一歩と。

 倒れそうになりながら何とか男に歩み寄る。どうして歩いているのか分からなくなりそうになる自分を、必死に焚きつけて。


 前へと。


 永劫にも等しい時間をかけて、オレはようやく男の側にたどり着く。

 距離にして二歩。もう二歩踏み出せば男の頭を踏み抜くだろう。


 うつぶせに倒れ、ぷすぷすと燻ぶっている男を見て、オレは何の言葉も出てこなかった。先ほどまで、あれほどに言葉を交わし合っていた相手だというのに。


 左手に直剣ハクアを取り出す。

 魔法で殺してもいいのだが、今はどうにも魔法を使う気になれなかった。


 いいや、違う。


 直接、自らの手で、殺すべきだと、そう直感したのだ。


 まるで初めて剣を持った子供のように両手で直剣の柄を握りしめる。逆手で持った直剣は重力に沿って男の胸の真上で静止している。


 先ほどから、かちゃかちゃ、と小さく剣の揺れる音だけが耳を叩いている。

 剣は静止などしていなかった。ただ、男の心の臓を目掛けるばかりで、震えていた。

 手に汗がにじむ。痛いほどに強く柄を握りしめているのに、それでも滑り落ちてしまいそうでオレは縋るようにその柄を握り続けた。

 穴が開くほど剣先を見つめ、その影で狙いを定めるようにして男の胸部の上を彷徨う。


「――――――――殺せ」


 どくん、と心臓が一音高く鳴った。

 その声は自らが意識を向けていた場所よりも少しずれて、うつぶせに倒れた男の口から発されていた。


「殺せ。勇者。私は貴様に負けた。全てを出し切り、全てを投げうち、そして、完膚なきまでに敗北した」


 だから、殺せ。


 そう、男は起伏も無く言った。


 その言葉にはこちらの裏をかこうとする意志も感じられない。わずかに分かるのは、疲労と諦観。それ以外の感情は読みとれなかった。


「その剣を突き刺せ。私はガリバルディのような屈強な肉体も持ち合わせていない。貴様のひ弱な細腕でも、表皮を貫くなど造作ないだろう」


 ただ、男だけが独りよがりに、喋り続ける。

 まるで無機質な機械音声のように、淡々と。


「勝者の、義務だ。勇者、トイチユウト」


 肺が痛い。


 頭が痛い。


 体中が軋む。


 眩暈がする。


 かたかた、と手が震えている。


 分かっている。


 分かっているさ。


 分かっているんだ。


 この剣を思いきり、重力に従って突き刺すだけ。

 貫くべき場所も明らかだ。

 ただその一点を目掛けて、突き刺せば、この戦いは終わる。


 揺らぎ、揺らいで、震えて、震える。


 手から零れそうになる剣を、祈るようにして両手で強く握りしめる。


 瞑目する。


 ただそれだけで、多くの記憶がよみがえってくる。


 目の前で倒れ伏す男の声が、表情が、仕草が、眼前の光景として立ち現れる。「違う、違う」とどれだけ呟いても、まるで走馬灯のように入れ替わり立ち替わり現れては、消えないままこびり付いてしまっている。


 完全記憶能力なんてもんを得たせいで。


 何もかもを忘れられない。


 だから、少しも前に進めない。


 だから、


「早く、剣を――――――――」


「――――だろ……」


 ようやく、オレの口から言葉が零れた。


 フォンズが、小さく蠢く。


 震える手は、もうまともにフォンズに剣を向けていることもできなかった。


「できるわけ、ないだろ……!」


「ッ!? ……ふ、ふざけるな、貴様は――――」


 分からない。


 この男を、どうしてオレは殺せないのか。


 魔族の男だぞ。オレを裏切り、オレを殺そうとして、先ほどまで殺し合っていた敵。

 所詮分かり合えなかった相手だ。殺して何が悪い。この男が回復する前にさっさと殺せ。


 殺せ。


 殺せ、殺せ、殺せ――――――――


 だが、オレの剣には殺意が乗らない。


 どれだけ祈っても、オレは目の前の瀕死の男一人殺すことができない。

 別に今さら人を殺すことに抵抗があるわけじゃない。

 殺す方法が分からないわけでもない。


 ならどうして。


 そうやって、理由を1つ1つ取り除いていった先に、オレが求めていた――――いや、求めていなかった理由が残ってしまう。


「オレは――――」


 胸の奥の楔が嫌な軋み方をした。


 だが、歯を食いしばる。


 黙れよ。


 楔がオレをせせら笑う。


 向き合うんだろ。


 凛に、約束をした。

 リアに、叱咤された。

 レイラに、啖呵を切った。


 オレは、今、そのすべてを自分の物として、本当の意味で、自分の物にしなければならない。いいや、自分の物にしたい。


 胸に刺さった楔をオレは片手で無造作に握りしめる。とても冷たいのに、掌から伝わる熱量に怖気が走る。


 一歩、前へ踏み出す。



 楔を、勢いよく引き抜く。




「――――を」


 まだだ。


 まだ、足りない。



 もう一歩、前に、踏み出した。



「――――友達を、殺せるわけないだろうがッ!!!」


 オレの言葉に初めて魔族の男――――フォンズが息を吹き返したように見えた。


「友、だと……?」


「ああ、そうだ!」


「私と、貴様が……?」


「ああ、そうだよ!! そりゃきっかけは殺し合って隷属化なんてきな臭いもんだった! でも!! その後お前と交わしたやりとりも! お前が厄災に共に立ち向かおうって言ってくれたことも!! 魔法の話で盛り上がってたことも!!! 全部、演技なんかじゃなくて、本物だっただろうがッ!!!」


 オレの叫びに、フォンズは辛うじて顔だけを上げると、こちらを睨みつけて叫んだ。


「君はッ……! 他でもない君が、それを否定したんだろう!! 僕たちの関係は、あくまで奴隷首輪による、契約のものでしかないとッ……! だから僕は――――」


「そうだ、そうだよ、ああ、その通りだ!! オレが悪かったッ!! 主従関係なんて言葉に甘えてねぇと、お前との関係を維持し続けることすらできないと逃げてた!! また失いたくないから、見ないように、触れないように、体のいい在り方で自己満に浸ってた!!」


 もう大切なものを失いたくない。

 ただそれだけの浅ましい自分の感情を直視できないで、ここまで来てしまった。


 友達というものを失う怖さから、逃げてきた。


「……でも、友達なんだよ。一緒に無駄みたいな時間を過ごして、一緒に笑い合えるなら……お前がどう思ってるかは知らないけど、オレは少なくともお前のことを友達だと思ってる」


 オレの言葉にフォンズは目を丸くした。

 そしてそれきり顔を伏せる。


 …………フォンズは、別にオレのことなどどうとも思ってないのだろう。ただ、戦いに負けて嫌々隷属させられていただけ。そんなことは分かっている。これはオレの一方通行の、願いにも似た何かだ。


 だが、それでも。


 オレは、オレが友達だと思った相手を、殺すことはできない。


 絶対に。


「…………くっ」


 フォンズの口から何かの音が漏れ出た。


「くはははは!! あっはっはっは!! そうか、友達! 友達か!!! ユウト、君は……! 僕と!! 君が!! 友達だと!! あっはっはっは!! げほっげほ!!」


 今まで見たことのないような大笑に唖然とする。

 というか満身創痍なんだからそんなに笑ったらむせて当たり前だろうが。


「あんまり笑ってると本当に剣でぶち殺すぞ」


「……ああ、いや、すまない。本当に、可笑しくてね。何というか、君もそうだが、僕も僕だった」


 言葉の意図が読み取れず首を傾げる。


「……君の、逃げているという言葉。それは、僕も同じだったみたいだ。……僕とて君に対して友誼を感じていたさ。だが、君の拒絶を言葉通りに受け取り、そしてこんな風に君との対決の道を選んでしまった。何ともまあ自らの不器用さに笑いがこみ上げてくる……くくくっ……」


 フォンズは、彼自身もまたオレとの関係から逃げていたとそう言っている。

 オレからすれば青天の霹靂な事実に目を丸くするしかない。


「…………だから、お互い様だ」


 フォンズはようやく笑うのをやめる。


「これで、手打ちにしよう」


 フォンズは何とか身体を起こすと、そのままこちらに手を差し伸べた。


 今度は、その意味を間違えたりはしない。


「……ああ、そうだな。フォンズ」


 そう言ってオレは彼に一歩近づく。そして、手を差し伸べ、フォンズの手を掴む。


 それはすれ違って遠のいて、ようやく届いた握手。ここまで来るのに、どれだけ遠回りしただろうか。


 胸に刺さった楔に囚われて、そこから一歩も動けずにいた。


 数多くの人間に叱咤され、気付かされ、ようやく前を向けた。


 そして、ようやく一歩を踏み出すことが出来たんだ。


 その事実を、そして掌の感触を確かめながら、オレは何かが零れ落ちてしまわないように天を仰ぎ見たのだった。


『決着』

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― 新着の感想 ―
[一言] 友になれないなら敵としていっそのこと殺し合う方がマシって拗らせてたのかいww 優斗もそうだけど不器用すぎだろw
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