21、解けない命題
「オレの配慮が足りなかった。すまん」
あの後オレはすぐに凛にそうして頭を下げた。
オレなりの誠意は見せたつもりだったし、それで許されるだろうという打算もあった。
「……違う、よ。……わたしこそ、ごめん」
しかし、その返事はオレが望んでいた芳しいものではなかった。
歯切れ悪く言った凛の表情は複雑な感情がせめぎあっており、簡単にその心をうかがい知ることはできそうにない。
そして、オレはあの日以来凛と会話らしい会話を交わしていない。
彼女との訓練は以前通り毎日やっているが、その中でも必要最低限の会話以外はしておらず、以前のように凛がこちらとかかわりと持とうとすることも無くなった。彼女がまだ怒っているのかとも思ったが、それもどうか分からない。
「なあ、凛。まだ怒ってるのか? 本当に悪かったって」
そうオレが言っても、返ってくる返事は、
「ううん……怒ってないよ。むしろ……これは、わたしの問題……だから」
いつの日かオレが彼女に言ったように、彼女もまた同じ言葉でオレを拒んだ。顔に薄い笑顔を貼り付けながら。
「そう、か……分かった。じゃあ、気にしない」
オレがそう宣言すると、凛がまた微妙な表情を浮べるのだから訳が分からない。
人の心情の機微というものはそれなりに理解していたつもりだったのだが。やはり、理屈や予測ではどうにもならない部分も大きいようだ。
そんな風に関係自体はギクシャクしているというのに、時計の針は素知らぬ顔でそのいつも通りのリズムを刻んでいく。
魔法の特訓をする凛をわき目にやりながら、ぼんやりと針を眺めつつ考えにふける。
……オレが望んでいた形じゃないのか?
オレは、決して友人を作らない。
そ知らぬ顔で新しい友達を作るなど、春樹に面目が立たない。
ただ、自分の心に相手を住まわせないようにするだけだ。それだけの簡単な話。
そして、凛は今オレの心の中から出て行こうとしている。
さすれば、何らオレが憂うことはないのではないか。
ああ、そうだ。何も、何もおかしなことはない。
そもそも、始まりがおかしかったんだ。
オレみたいなのが、こんなカーストトップの集団に属する人種と深い関わりを持つなどということ自体が。偶然という名の狂った歯車がなせるわざにすぎなかった。……ああ、そうだ。何も見ないって決めたじゃないか。だったら、彼女の異変にも目を瞑ってしかるべきだ。いや、そもそも気付いていないとするべきかもしれない。
そんな風に思考の渦にはまりかけていると、ふと再び時計が視界に入ってくる。いつの間にか、針はその位置を15度ほど違えていた。
凍りついたような世界でも、嫌みたいに時間は刻まれていく。
もし、遡ることなどあれば、やり直したいと願うのはオレの傲慢だ。
「……今日は、これぐらいにしておくか。お前もそんなに魔力残ってないだろ?」
「……うん、そうだね」
いつもより少し早い時間だが、凛も特に文句を言うことなく納得した。
出会ったときより、二人の距離は近くなっているはずなのに。
不思議と、二人の距離が離れているようだった。
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訓練を終えたオレは独りでブラブラと寮内を散策していた。
これが女の子とラブラブだったら良かったのだが、生憎我が人生にそんなときめきメモリアルは無い。多分、これからもそんな甘い生活とは無縁だろう。オレの青春は来ない。
「ねえ、十一君。ちょっと」
大して面白いものも無かったため、部屋に戻って一休みしようとしたところで声をかけられる。
凛とした鋭さを持った、清涼な声だ。
「ん? なんだ?」
その声の正体に気付いたのは、オレが返事を返した後だ。
龍ヶ城の片腕、十六夜穂香だ。
つり目がちなその目元から、きつい印象を受けるが、その中身は面倒見がよく、誠実だと評判だ。何故、オレが評判しか知らないかというと、ぼっちなオレは当然こいつとも絡みがないからだ。
一瞬あまりに絡みが無さ過ぎて、誰か判別できなかったのは内緒だ。いくら完全暗記能力があるからといって、顔と名前を一致させる作業はまた別である。
オレの返事にも、ただ黙って何かをためらうような素振りを見せる十六夜に業を煮やし、オレからさらに声をかける。
「……オレに、何かあるのか?」
つい、つっけんどんな返答になってしまったことに若干の罪悪感を覚えるも、さして謝ることでもないだろうとそのまま会話を続ける。
そんなオレの態度にも気にした様子も無い十六夜が、小さく息を吸い「あのね」と続けた。
「凛と……その、……何かあったの?」
ためらいがちに十六夜が問うてくる。
声音はためらいを感じさせるが、その目はこちらの真意を見透かそうとするように、真っ直ぐとこちらを見据えていた。
心の奥底まで洗いざらい見透かしそうな視線に竦みながらも、相手から目をそらすことなく答える。
「…………わざわざ、気ぃ遣ってくれなくていいぞ。知ってるだろ? 市の日に色々あったこと」
あえて知らない風に装って聞いたのは優しさだろう。
だが、相手の優しさに甘える必要もあるまい。普段話しかけても来ないオレに話しかけてきたということは、きっと聞きたいことがあるからだ。なら、こちらからそこに歩み寄っていけばいい。回りくどいのは嫌いじゃないが、こいつと長い間会話をしていたいとも思わないしな。
「そうね、……なら単刀直入に言うわ。凛と仲直りして」
「こりゃまた随分と直球だな」
「だから、単刀直入に言うと言ったのよ」
相手に気遣う必要が無いと知ったら即座に方向を転換して核心に迫れる思い切りの良さ。これぐらい割り切りよくないと、龍ヶ城の片腕はやってられないのかもしれないな。
「別に、喧嘩してるわけじゃないんだけどな……」
「まさか……なら、どうしてあの子あんなに辛そうなのよ」
そんなこと言われてもなぁ……
――――『クズたらし』。それが、現在オレに新たに追加された蔑称だ。
春樹の威を借りていたロクデナシの次は、女を泣かせたクズ野郎になってしまったらしい。
別に、凛は泣いていないし、オレもさして悪いことはしていないはずなんだが。
だが人間の抱く歪んだ正義感というものは得てしてタチの悪いもので。この渾名、男子の恨みと女子の「アイツサイテー」という思いの結晶から生まれたわけだが、ここまで直球で人を貶める渾名も中々無いよなぁ。
そういうわけで、この前の市がオレの身分をさらなる低みへと押しやったのだ。すげぇ、ここまで最底辺だと逆にすがすがしいな。これ以上落ちないんじゃない? 極小値ってレベルじゃねーぞ。
などというようにオレが自らについてしまった不本意なあだ名に一定の評価を与えていたところ、十六夜が自分の腕を抱きながら言った。
「あの市の日以来、あの子ずっと何か考え込んでるみたいだし……」
そう言うと十六夜はその勝気そうな眉を八の字に下げる。
その様子を見てオレは頬をかいた。
……なんだよ、凛のやつ、ちゃんと友達いるじゃん。
場違いにもそんなことを考える。
あいつのことを心配してくれるやつがいるんだ。これを友達と呼ばずなんと呼ぶのか。
……まあ、あいつのほうが十六夜を友達だと思っているかはまた別だろうが。あいつも面倒な性格だな。自分から歩み寄れば、いくらでも親友なんて出来るだろうに。妙な壁を作って、でも独りは怖いと他人に近寄る。
内心で、凛のありかたの不可解さへの疑念が強まるのを感じるも、すぐにその考えを払い話を続ける。考えても無駄だ。
「でも、喧嘩をしていないのは本当だ。あいつももう怒ってないと言っていたし、オレもあれだけのことでそこまで思いつめるとも思わない。だから、オレとは無関係で何か悩みでもあるんじゃないか? オレなんかよりお前の方が仲いいだろ? 何か聞いてないのか?」
少し嫌な質問をぶつける。
もし十六夜があいつから何かを聞いていたらわざわざオレの元に尋ねに来るような真似はしないだろう。
そんなオレの考え通り、十六夜は自嘲げな顔を浮べた。
「そういえば、私あの子と全然仲良くなれてないかも……」
「そうか? オレの目にはたいそう親しげに見えるけど」
こいつ、こんな顔もするんだな……なんて、垣間見た人間らしさに身勝手な親しさを覚える。
「私もあの子のことは大好きなんだけど、あの子は私のことどう思ってるのか分からないのよ……」
「……嫌いなら、一緒にいないんじゃないか?」
あいつの本性を知っている手前、あまり適当なことは言えないが、流石のあいつも全く嫌いな相手と一緒にいたいとは思わないだろ。多分。
少なくとも、一定以上の信頼を置いてよい相手とは考えているはずだ。もちろん、オレなどとは比べようも無く。
何故あんなふうに振舞っているのかは彼女のみぞ知るところだろうが、概ね保身のためじゃないかとオレは考えている。
「そういうものかしら……」
「そういうもんだろ。実際、オレが独りなのもオレが皆に嫌われているからだ。そう考えるなら、その対偶である、好きだから一緒にいる、ってのも成立するだろ?」
自分で言ってて微妙に悲しさも覚えるが、事実だから仕方が無い。
本当にどうしてこうなってしまったんだろうな……最初は、いつか友達なんてできるだろーぐらいに思っていたが、今ではまともに会話をかわせる相手すらいない。辛うじて龍ヶ城グループの面々はオレにも声をかけてきているが、あれは例外だ。あいつらは、多分虫ケラ相手でも笑顔で対応できる。どうも、虫ケラ代表の十一優斗です。
そんな卑屈な独白を流しつつも、相手の反応を待つ。
「そうは思わないけど。あなたはただ単に勘違いされてるだけだじゃない?」
「ありがとよ、でも安易な慰めはいらねえよ。あいつらの言ってることはほとんど事実だしな」
口の端をゆがめて茶化すオレに、十六夜はなお真面目な顔で言った。
「でも、事実の表面しかさらってないわ」
「は……」
「どうしたの?」
「あ、いや……」
思わず驚きが口からもれ出てしまったのを慌てて誤魔化す。
それを訝しげに見つめる十六夜に手を振りつつ、オレは改めて考えをめぐらす。
……正直、龍ヶ城一行のことを舐めていた。
あいつら全員龍ヶ城と一緒で何も見えてない頭の中シャイニングな感じなのかと思っていた。
…………けれど、この十六夜穂香はオレの予想に反し、よく物事を見ていた。
オレの、道化的な振る舞いに気付いていた。周囲の大半の意見に流されず、状況を把握し、自分なりの意見を確立している。
実際として、オレはただ春樹と仲良くしていただけでその裏に打算や悪意は無いし、凛に関して何かしらの痴情のもつれがあったわけでもない。だが、事実は歪曲され、誇張され、受け手の聞きたいように改変される。その結果が現状のオレだ。
だが、そんな改変された現実にこいつは流されていない。
……もしかしたら、あんなんなのは龍ヶ城だけなのかもしれない。
龍ヶ城以外の奴らは、存外まともなんじゃないだろうか。そんな希望的観測を抱く。
「そんな状況におかれて少しだけ同情するわ」
「ま、同情されても何にもならんがな」
口をついて出た嫌味にも、十六夜は一切表情をゆがめない。
その様子に少しほっとする自分がいた。
何故だかは知らないが、あの龍ヶ城の人としての完成度を目の当たりにすると、その側にいるこいつが人間味あふれる存在と言うのはすごく安心するのだ。
自分の理解の範囲を超えない存在がちゃんといるのだ、と。
「でも……」
オレが内心でそんなことを考えていると、十六夜は表情を変えずに続けた。
「あなたも誤解だと周囲に伝えて、自分から皆に歩み寄るべきじゃないかしら。やっぱり、そういった努力を怠るのはよくないわ」
「………………は?」
続けて告げられた正論に、オレの思考はかき消された。
……今、なんつった。
「……それは、つまり、オレの努力が足りないせいでこうなっていると?」
「まあ、概ねそうじゃないかしら。あなたからはたらきかければいくらでも状況なんて変わったんじゃないの?」
その言葉に思考が中断し、目がくらむ。
…………どうやら、彼女の評価を見直すのは間違いだったようだ。
確かに物事はよく見ている。そして自分の意見も持ち、それなりの常識的な思考回路も持っている。そのことは確かだ。
けれど、見えていても、それを捉えられてはいない。
よく考えてもみろ。オレの評価は、皆との関係が始まった時点で既に底辺だった。まだ、初期状態で0から始まってそこからマイナスに落ちたのであれば、復活のしようもあるだろう。
だが、最初がマイナスだったら。そこから、ゼロに、ましてやプラスにすることはほぼ不可能に近い。それこそ、龍ヶ城なみのカリスマ性を持っているか、人心掌握レベルのコミュニケーション能力を持っていなければまず不可能と言っていいだろう。地道にいい人アピールをする? 冗談だろ?
もちろん、オレが春樹が嘲笑されていたときに、名乗りを上げなかったらもっと上手い立ち回りも出来ただろう。それが彼女の言う「努力」だというのであれば、オレは彼女の発言を一笑に付せざるを得ない。なぜならばそんな仮定は意味を成さないし、オレは何度あの場面を繰り返そうとも、同じように名乗りを上げて、春樹と友達になっただろう。そして、その後の自分の魔法の才の発現、シエルと凛とのいざこざも全て不可抗力の偶然の産物だ。そこに、オレの努力や意思が介在する余地は無い。
その現状でオレの努力が足りない?
世の中、努力じゃどうしようもないものなんて腐るほど、そう、それこそ腐るほどあるんだ。そもそも、この世界は努力する暇さえ与えてくれないし、一回の間違いすら許してくれない。そんな状況でトライしろアンドエラーなど馬鹿馬鹿しい。
……いや、違う。
こいつはトライアンドサクセスしか考えてないんだ。
恐らく彼女はこれまでも自らの才覚と努力によって、あらゆる逆境を乗り越えてきたのだろう。そして、その自負と自信を持っている。
彼女はあらゆる逆境を、壁を、乗り越えてきてしまったはずだ。
だからこそ、他人にもそれを求める。
他人の輝きを、あるべき姿を、苦心し乗り越える強き意志を望むのだ。
龍ヶ城の傍にいて、誰よりも彼を支え得る逸材じゃないか。
「……ご忠告、痛み入るね。涙が出そうだ」
「別に大したことじゃないわ。これで、少しでもあなたの助けになるならね」
十六夜は、一人の少年の道を正したことに満足げな表情を浮べている。
――――ああ、気味が悪い。
何故、オレの皮肉をこんなにもすがすがしい顔で受け取れるのか。
先ほどまで、皮肉を受け取っても表情を崩さない彼女の器量に安堵する自分がいたが、そんな自分は殴り飛ばしてやりたい。
そもそも彼女は皮肉だとも思っていないのだろう。自らの純然たる善意には必ず純然たる善意が返ってくると信じて疑わない歪んだ純真さ。
凛は、本当にこんな奴らと一緒にいたいと思っているのだろうか。
ともにいて、苦しくないのだろうか。
……いや、そんなことはオレが考えることじゃないな。あいつが自分で決めることだ。
オレには、関係ない。
まるで言い聞かせるようにして自分に納得をさせる。
「引き止めて悪かったわね」
「いや、構わない」
凛のこと、よろしくな――――
そう言おうとして口を噤む。
オレにそんなことを言う資格はあるのだろうか。というか、そんなセリフを吐くなどオレは一体何様のつもりなのだろう。あいつの保護者か?
そんな風に思考をめぐらしているオレを気にかけるでもなく、十六夜は軽く手を振って去っていった。
ああ、馬鹿げている。
全てが、全てがだ。
何も見ないと、全てを掬うと決めたのに、オレの心はこうして不可解な鎖に囚われている。
師弟関係でしかない凛を心配し、彼女との不和に頭を悩ませ、そして他の人間の歪さに戸惑い、そして、自分自身の曖昧さを嘆く。相手を否定し、自分を肯定し、全てを否定する。
くだらないと吐き捨てたはずの思考もいつも以上に巡り、廻り、回り、オレに余計なことを気付かせる。
――――忘れよう。
そうだ、これは考えるべきことじゃない。
目を背けて、耳を塞いで、背中を向けろ。
関わりを持たなければ。失敗することも無い。そうだ、所詮赤の他人じゃないか。
そんな甘美な誘惑に誘われるがままに、オレは全てを保留する。
「オレは、何のために今ここにいるのか。何をするべきなのか、それだけを考えればいい……」
そんな悲しい理論武装で身を固める。
気付かないうちに、取り残されたオレは強く拳を握り締めていた。
優斗君ほど主人公主人公してる主人公も他にいませんね(適当)




