208、第二ラウンド
フォンズがスキル『持ち物』を保持している。
その驚愕的かつ絶望的な事実が明らかになってから数分ほど。オレは、追い迫る風の猛撃から逃げ続けていた。
「『ワインド・ラッシュ』」
「さっきから数が多いんだよクソッ!!」
悪態をついて叫んでも攻撃の手が休まることはない。
既に半壊しつつある城内を逃げ回ること数分。現状、完全にオレは後手に回っていた。
奴の手数の多さもそうだが、それ以上にこちらの攻撃を通す手段がないことが喫緊の課題だ。唯一の勝ち筋であった雷魔法は、奴の『持ち物』に眠っているであろう大量の砂鉄に阻まれる。もちろんあれが奴のブラフであるという可能性も無くはないが、そこに賭けるほど楽観してもいられない。
「逃げてばかりか? 芸の無い」
「そりゃこっちのセリフだ。風魔法ばっかで、芸が無いのはそっちだろ!」
必死こいて逃げるオレを悠然と追いかけるフォンズという構図は、先ほどから少しも崩れない。だが、オレとてただ逃げているわけではない。オレの撃ちうる魔法を色々と試して突破口を開こうとはしているのだ。
現状、奴に通る可能性のある魔法は3つ。
1つは、『蒼斬《蒼穿槍》』。オレの使える魔法の中で、点としての火力では最大の水の矛。こいつは、フォンズの最大防御『ヴァクト・アイアス』との純粋な力比べになる。最強の矛と最強の盾の勝負なわけだ。
1つは、雷魔法。『天叢雲剣』。雷雲から雷を引っ張り出して剣に見立てて振るう、必殺の剣。あいつの風の防御すら貫通できる算段はあるのだが、大量の砂鉄で剣自体をいなされる可能性が高い。
そして、最後の一つが『冬幻郷』。ありとあらゆる粒子の活動すらを停止させる、絶対零度の世界を生み出す。だが、作り出せる領域はせいぜいが半径2m程度。自分の至近でなければならず、かつ魔法の発動にも時間がかかる。動き回るあいつを取り込むのは至難の業だ。
とどのつまり、可能性のあるどの攻撃も勝ちを決めるための王手にはなり得ない。
だが、このまま逃げ回っていても埒が明かないのも確かだ。
駆ける足を急に静止させ、そのまま踏ん張ると半身で振り返った。
長い直線の廊下。左右に通り抜ける場所も無い。ここなら、正面から受けるしかないはずだ。
「――――遍を貫け、『蒼斬《蒼穿槍》』」
掌に凝縮された水が、衝撃波を生みながら一直線に廊下を走った。目指すはただ一人、六将軍の痩躯の男。
オレがその衝撃波を受けて後ずさるよりも早く、廊下の果てで『蒼斬《蒼穿槍》』が弾け飛んだ。
――――弾け飛んだのだ。
「…………ちっ、やっぱり防ぎやがったか」
『領識』で注視していたから分かる。途中から、『蒼斬《蒼穿槍》』の勢いが殺されていた。
恐らくは『ホロウズ・エアト』で威力を減衰させ、さらに『ヴァクト・アイアス』でふせぎ切ったのだろう。
……矛盾対決は、矢の援護もあり盾の勝利と相成ったわけだ。
「盾と矛の戦いに水を差すってのは、いささか無粋が過ぎねぇか」
まあ、今回物理的には水を差したのはオレの方なのだが。
誰にも届かない皮肉を独り言ちて、オレは廊下の先を睨みつけた。大量の水蒸気が立ち込める空間、その先ではフォンズが曇った眼鏡を拭いていた。
「心底残念だよ、勇者。所詮はこの程度か?」
「よく言うぜ。お前だって手札切れじゃねぇのか? さっきから同じ魔法しか使ってないように見えるけどな」
お互いに安い挑発をぶつけ合う。
フォンズが優勢に立っているにも関わらず一気に勝負を畳みかけてこないのは、オレの伏せ札を警戒しているからだろう。
もし奴が勝負を急けば、そこには必ず隙が生まれる。こちらが付け入り、窮鼠が猫を噛むための間が発生する。
だが、フォンズ・ヘルブロウという用心深い男はそれを許さない。じっくりと、絶対に自分が痛恨の反撃を受けないレンジで、こちらが札を切ることなくばてるのを待っている。
戦いにくいことこの上ない相手だ。
「じゃ、オレはまた逃げさせてもらうよ」
そう言って、オレは廊下の角を曲がろうと駆け出す。
「冗談だろう? これ以上の退屈させないでく――――っ!?」
かっ、とフォンズの足元が赤く光る。直後、ぼんっ、という派手な音とともに奴の足元が爆ぜた。
正確には、オレの転がしたグレネードが爆発したのだが。
これは魔法都市に滞在していた間に、魔道具科と協力して作り上げた代物だ。魔力が無くともある程度は戦えるように大量の武器を『持ち物』に仕込んでいる。隠しダネを懐に隠しているのは何もあいつだけじゃない。魔法都市の面子にかけて、ちったぁビビってくれないと困る。
今は時間を稼げ。活路を見出すための時間を。
必死に記憶を手繰り寄せて思考を回しながら、勝ち筋を探す。
ひゅうっ、と一筋の風が首筋を撫で、とっさに転がって回避する。
先ほどまで首があった場所の廊下が切り付けられた。そのままオレは開いていた扉の中に転がり込むと、ドアの外にスタングレネードを転がした。
扉を閉めた直後、閃光がドアの隙間から漏れ出る。位置関係的にもろにフォンズの目を焼いたはずだ。風魔法で光までは防げない。
そしてオレの仮説が正しければ、
「……密閉された室内の状況までは、風でしっかり確認できないだろ?」
伊達に逃げ続けていたわけじゃない。
状況に応じて奴がこちらの行動を認知する精度が違った。恐らく、空気を利用して位置情報などを割り出しているために、風の通りにくい場所の情報は得にくいようになっている。
オレは急いで右手に『持ち物』から取り出したハンドガンを構える。これも魔法都市で改造したおかげで、反動の衝撃を逃がせるようになった。
そのまま銃口を扉に当てる。扉を隔てた射線の先は顔に手を当てているフォンズ。姿は見えないが、フラッシュによって明滅する視界に苦労しているようだ。
――――帯電した銃弾は、どう防ぐ?
ばちばち、と右手を帯電させそのまま引き金を連続して引いた。マガジンが空になるまで撃ち続ける。
爆ぜるような音とともに帯電した銃弾が8発、フォンズに向かって放たれた。
うち4発はフォンズの身体を掠めて地面を穿ち、3発はフォンズの周囲を飛びまわる砂鉄と風の守りに弾かれる。
「うぐっ…………」
だが一発。
帯電した銃弾が、フォンズの肩を貫いた。
一矢報いたことを自慢げに誇る暇さえ与えられずに、フォンズがこちらに掌を向ける。
「うおっ!?」
そのまま扉ごと風圧で吹き飛ばされる。
『不可触の王城』を何とか間に合わせたが、それでも急激に揺らされた体へのダメージは0ではない。
吹き飛ばされてようやく気付いたが、オレが逃げ込んだのは恐らく食堂。大きなテーブルや椅子が規則的に置かれ、ステンドグラスのような大張の窓がずらりと並んでいる。
右肩を抑えたフォンズが幽鬼のようにこちらに歩み寄る。
そして、喉を鳴らして笑った。
「私の知らない武器ばかりだな」
フォンズは誰に言うでもなく、素朴な感想のようにそう零した。
「は、少しは肝を抜かせられたかよ?」
「……ああ。そうだな。そして、猛省したよ。少し、君を甘く見ていた」
瞬間、フォンズの魔力が爆発する。
まずい、と思った瞬間にはもう遅かった。
食堂内を旋風が駆け巡る。落ち着きのない子供のように、床を這い、壁を這い、天井を這う。
フォンズがにじり寄ってくる。
いや、違う、これは…………
「オレが引っ張られて――――」
ずるずると滑り落ちるように、食堂内の万物が宙を飛びまわりながら徐々にフォンズへと集っていく。
実体験はない。だが、オレはきっと今――――
「全ては巡り、全てを束ね、やがて解して放する――――『フォール・シュトルム』」
オレはきっと今、竜巻に呑まれている。
「クソッ、がぁ!!?」
何とか地面を隆起させてしがみつこうとするが、盛り上げた大地ごと剥がされる。そして、そのままの勢いでオレの両足はついに浮き上がり真っ逆さまに空へと落ちた。
揺れる、揺れる、揺れる。
回る、回る、回る。
既に視覚がもたらす情報は意味を為さず、三半規管は機能していなかった。
ありとあらゆる方向に揺らされ、ありとあらゆる方向に回される。
安全装置のついていない絶叫マシーンがあれば、こんな感じだろうか。
などと場違いなまでに呑気なことを考えてでもいないと、揺れる脳みそがそのままチーズにでもなってしまいそうだった。
時折、他の物体にぶつかって不規則に軌道を変える。だが、どちらの方向へ変わったのかすら定かではない。
『領識』でかろうじてフォンズと自分の位置関係を捉えているが、文字通りに目まぐるしく変わる世界の中でその意味を捉え続けるのにも限界があった。
何とかして態勢を立て直せ。さっさと抜け出さないと追撃が来る。
それにこの状況では『不可触の王城』を1ミリ秒たりとも切ることができない。先ほどからじわじわと削れていく防壁とMPは、タイムリミットがそう残されていないことをオレに教えていた。
だが、並大抵の魔法ではここを抜け出せない。『瞬雷』などの高速な移動手段で無理矢理に渦中から抜け出せればいいだろうが、常に変わる自分の身体の向きがそれを妨げる。
刹那の思考の末に、方向など関係も無く、この状態をぶち壊せる方法を見つけてしまう。
…………ああ、クソ、やりたくねぇな。
リスクもある。だが、やるしかない。
話せば舌を噛む。魔法名は割愛だ。
燃え上がれ、『蛍火』!!
ぽぽぽぽぽ、と大量の火の球を吐き出していく。
それ自体はすぐに竜巻に呑まれ、どこかへと行ってしまう。
いや、いいや、それでいい。
直後、ごう、と視界が赤白く塗り替えられた。
『不可触の王城』越しでも分かる熱気が全身を炙る。
くそ、耐えろ。恐らくは数秒で――――
ぱりん、と食堂のステンドグラスが割れた。同時に、オレは強烈な力を受けて窓の支柱へと叩きつけられ、柱をへし折るとそのまま外へと放り出される。
雪上を何度も跳ね、4度目にしてようやく止まるとぐらぐらと揺れる視界の中で何とか先ほど自分が飛び出してきた場所をねめつけた。
オレが竜巻から逃げ出すために使ったのは気圧差による急激な空気の膨張。竜巻に炎を混ぜることで食堂内の気温は急上昇し、温度差に耐え切れなくなった窓ガラスが割れる。そうすれば雪の降りしきる外気との急激な気暑さが生じて食堂内の大気は急速に膨張。爆発するような勢いで室内の大気ごと外に吐き出されるという算段だ。
上手くいって良かったが、ひりひりと表皮が熱い。『不可触の王城』でも高熱を長時間耐えることは難しいのだ。恐らく軽いやけどだろう。
「――――本当に、貴様には驚かされるばかりだ」
ぶわ、と雪が舞う。
燃え上がる城壁をバックにして、フォンズがこちらを感情の無い目で見た。外の冷気よりも遥かに冷えてしまったその目から、何も情報を読み取ることはできない。この白銀の世界のように、無感情がすべてを覆い隠してしまっている。
「なら、もう少し見て分かるように驚いて欲しいんだけどな」
さっきの魔法はかなり危なかった。もしあと数手こちらの判断が遅れていればあのままフォンズの追撃が飛んできていたはずだ。
「ふん。敵の前で表情を移ろわせるような性分ではないのでね、私は」
「……その割には、オレに隷属していた頃は随分とまあ表情豊かだったじゃねぇか。……あれは全部、演技だったのかよ」
オレの問いに、フォンズは少しだけ押し黙る。
だが、ずれた眼鏡を直すと、「ああ」とだけ呟く。
「…………そうだ。全て、全てまやかしだった。仮初の、虚構の、吹けば飛ぶ茶番でしかなかった。君だって、そう思っているのだろう?」
「オレは…………」
何かを言おうとして、何が言いたいのか分からなくなって閉口する。
フォンズに言わなければならない言葉がある気がする。確かにあった気がするのだ。
だが、それが何かが分からない。分かっていたはずなのに、目を逸らし続けてきたから、分からなくなってしまった。
ぱちぱち、とフォンズの後ろで火炎が弾けている。どれだけ気勢良く燃え上がろうと、あたりの雪を全て溶かすには至らない。決して白い世界を塗り替えることなどできはしない。
フォンズは沈黙を続けるオレを見て、もう一度だけ、眼鏡の位置を正した。
相も変わらず、奴の周囲には砂鉄が舞っている。先ほどよりもはっきりと見えるのは、雪のある白い世界に飛び出してきたからか、それとも先ほどの炎熱に煽られて砂鉄が寄り集まったからか――――――――
炎熱…………?
どこかに引っかかりを覚えて、オレは思わず思考に耽る。
熱で砂鉄を溶かそうが、またすぐに次の砂鉄を取り出してくる。そもそも、砂鉄を取り除くための炎は風の防御で通らず、風の防御に穴を空けるための雷電は砂鉄の防御に逸らされる。二枚重ねの盾に、こちらの矛はなすすべがない。
…………二枚、重ね?
「そうか、いや、そうだ。確か、鉄の導電性は温度が上がれば…………」
ぶつぶつと思考を呟く。
宙ぶらりんだった全ての点が、一本の線に繋がった音がした。
まだ通るかは分からない。
だが、通れば確実に王手をかけられる一手。
そちらが、盾を重ねるというのであれば。
こちらも、矛を重ねればいい。
「――――フォンズ。『ファイアボルト』って魔法知ってるか」
「? 何をいきなり。知っているとも。『ファイアーボール』などに並ぶ、初歩中の初歩の火魔法だろう」
「ああ、そうだな。大正解だ」
本来の、『ファイアボルト』という魔法はそれで合っている。雷のように鋭い炎の矢を放つ魔法。それが『ファイアボルト』。
「見せてやるよ、本物の『ファイアボルト』」
「?」
だが、オレがこれから撃つ『ファイアボルト』は――――――――
本物の雷電を帯びた、火炎。
「灼き穿て。紫電まとう、炎の一矢――――『雷炎杭』!!」
雷鳴と炎音が同時に轟いた。
それはある種のオーケストラのように重奏的に響き、音を呑む白い世界でなお木霊する。
「ッ――――!」
フォンズがオレの魔法をすんでのところで回避する。
そう。回避したのだ。
これまで一度もオレの魔法を避けずに、全て受け続けてきたあのフォンズが。
『雷炎杭』は単純明快。『雷走槍』と『ファイアレイ』を重ねて放つ魔法だ。雷と炎両方の性質を併せ持つ二重の矛。
鉄は温度が上がると導電性が下がり、電流がほとんど流れなくなる。それゆえ、炎で加熱された状態であれば、避雷針にはなりえない。その状態であれば、奴の砂鉄の防御など意味はない。ただの絶縁体など、高熱で貫き通せる。
その矛は、砂鉄を焦がし、風を解体する。
「――――第二ラウンド。最強の盾と最強の矛の戦いは、お前の勝ちだったよ、フォンズ」
オレの『蒼斬《蒼穿槍》』は、あいつの『ヴァクト・アイアス』を貫けなかった。
だが、今、オレは新たな矛を得た。今度は火と雷を重ねて鍛えた特注品。
フォンズが顔を歪ませる。
「さあ、第三ラウンドと行こうぜ、六将軍。錆びた盾で、防ぎきってみろ」
先ほどから、オレは自らの複雑な胸中に目を向けないようにしていた。
震える手は、死の恐怖から。
歪む口の端は、自らを鼓舞する虚勢から。
そして、高鳴る鼓動は緊張感から来るものだと。
だが、オレはここに来て自覚した。
高揚感。
今、オレが感じているのは、高揚感なのだ。
ぎりぎりの戦いの中で、お互いの札を切り合い、一手ごとに戦況が覆る。
フォンズ・ヘルブロウという男とそんな戦いができることに、オレは楽しさを覚えていた。
ふざけるな。戦いが楽しいわけない。楽しんでいいものなわけがない。
そう罵倒する理性も確かにある。
だが、それでも。
オレは、魔法の好敵手であると認めたこの男と、凌ぎを削れることが楽しかった。
フォンズはオレの啖呵に、ぎり、と奥歯を噛むとそのまま最大限に口の端を吊り上げた。
「く、くく…………」
そうして、奴の笑いの意味をようやくオレは理解した。
楽しんでいるのだ。あの男も、この戦いを。
「いいだろう。まだだ。まだ終わらない。終わらせないぞ、この戦いをッ!!」
フォンズが浮遊をやめて雪を踏みしめる。
ようやく、オレとフォンズは同じ大地に並び立ったのだった。
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