206、雪下の再会
二日後。
オレたちは物陰に身を潜めていた。
ちら、と関門の方を覗きこむ。
先日の兵士の噂通り、どう見ても兵の数が少ない。それこそ、普段の3分の1ほどだ。本当に必要最低限の兵以外は配置されていなかった。
先ほど、ちらっと大広場の方にも寄ってきたが、警備兵たちがうじゃうじゃといたため踵を返してきた。
「これなら、行けるか…………?」
『領識』を張り巡らせて、兵の配置を確認する。
空に3人。壁の上に2人。関門に3人いて、壁に沿っての配置されている人数は2人……
これぐらいなら、全員の目を盗んで壁を超えられる。
だが、メフティスを担いで飛び越えるのはリスクが高い。
だから、
「メフティス、さっき描いた転移魔方陣の場所は覚えてるな?」
「は、はいっ。大丈夫です」
「よし。さっきも言ったが、まずオレが壁を超えて中に入る。そして中で転移魔方陣を描くから、それを使って中に入ってきてくれ」
先ほど街の外に転移魔方陣の片方を描いてきた。オレが中に入って、その対となる魔方陣を描けばメフティスも中に入って来られるという算段だ。
自宅に繋がる逃走用の転移魔方陣もついでに描いてきた。これでアルティを助け出したあとも迅速に逃亡できるはずだ。
……敵が街の外まで逃がしてくれれば、の話だが。
「もし1時間経っても転移魔方陣が光らなければ作戦は失敗。街に戻って待機してくれ。危なそうなら逃げろ」
「わ、分かりました」
「…………じゃあ、幸運を祈る」
オレの言葉に頷くと、メフティスはたったったと街の外に駆けて行った。
さてと、オレも行くか。
『領識』から拾える情報に集中する。チャンスは一度きり。もし失敗した場合には警備兵とのガチンコバトルになる。可及的速やかに制圧しようと、空兵によってすぐに城に伝令が届くはずだ。そうなればアルティの身も危ない。
ひりひり、と皮膚が焦れるような感覚を覚えるのは、決して寒さだけによるものではないのだろう。
兵士たちの動きを観察する。恐らくタイミングとして最適なのは、関門に誰かが来たとき。特に積み荷を確認する必要がある荷車が通るタイミングであれば、兵士の大半の注意がそちらに向く。
その隙に、『隠密』と白灰色のマントで体を隠しつつ、『瞬雷』で跳ぶ。
――――来た。
からから、と竜車が走る音が耳をたたく。
この時間に毎日積み荷を積んだ竜車が関門に来ることは調査済みだ。そして、その積み荷がどこから来るかも。今日はここ数日より荷車の台数が多いが、むしろ好都合だ。
だから、オレはその積み荷1つの中にそっとあるものを忍ばせた。
素知らぬ顔で積み荷とすれ違えば、誰からも怪しまれることはない。
その積み荷を見届けると、オレは関門の唯一通り抜けが可能な門から距離をとり、壁沿いに歩く。
『領識』の端で、からからと走っていた竜車が止まっているのが見える。そのまま御者が兵士に軽く会釈をして、いつも通りの検分が始まる。
そして、検分の最中、積み荷が黒い煙を上げ始める。それは本当に小さな煙だ。だが、異常事態であることに間違いはなかった。
その煙の正体は、オレが積み荷に放り込んだ小さな火種。湿り気を帯びた藁に火を燻ぶらせて、積み荷の中に放り込んだのだ。あの程度の火で火事になるようなことはないが、それなりに煙は出る。
周囲の兵士たちは何事かとそちらに注意を向けた。
今――――――――
たっ、と駆け出し、そのまま『空踏』で駆け上がる。空の兵士たちの目もこっちには向いていない。
「『瞬雷』ッ!!」
ばちち、と一瞬だけ雷光が弾け、オレは瞬きの間に壁を超える。
地面に片手を付けて何とか着地すると、オレはそのまま後ろも振り返らずに駆け出した。
走りながらに『領識』で見ても、兵士たちがオレに気付いた素振りはない。
降りしきる雪が、音を吸収してくれたのだろう。雷光を見咎められることも、雷鳴を聞き咎められることもなかった。
そのまま軽く雪の積もった道を『領識』で探索しながら駆ける。道の両脇は林に挟まれており、他にまともに歩けそうな道はない。見つかる可能性もあるが、深い雪の中を移動するのは骨が折れる。
それにどれだけ『領識』を張り巡らせようとも、人っ子一人見当たらない。どうやら、あの関門を超えさえすれば警備はザルなようだ。少なくとも、城までの道のりはという但し書きは付くが。
……ここから先は、『領識』を多用するのも控えた方がいいかもしれない。
オレのスキル『魔力感知』。城の魔族が同じものを持っていないとも限らない。不審な魔力を察知して警備を強められても厄介だ。
「はぁ、はぁ。ここらへんでいいか?」
5分ほど走り、物陰に隠れて少しだけ息を整える。
随分と城が近くなった。もう視界に収めるのも難しくなってきており、城と認識するためにはそれなりに首を酷使しなければならない。
「ひとまずは、メフティスを呼ばないとな」
林の中、木々が重なりあって雪があまり積もっていない場所の地面の雪をどかす。
火を使うと光が漏れる可能性があるため、温風で地面を乾かし、そこに魔方陣を記していく。少なくとも往復一回持てばいい急ごしらえの陣だ。そこまで保守に気を遣う必要はない。
魔方陣を描き上げ、魔力を注ぎ込む。すると、急ごしらえであるにも関わらず、転移魔方陣は期待に応えるようにして光り出した。
「よし。これでメフティスと合流できるはず――――」
だが、待てども待てどもメフティスが現れない。
まだ向こうの魔方陣に到着していないのかもしれないと思うが、彼女がどれだけ亀の歩みで歩いていようと、もう着いていなければおかしい時間だ。
もしや、向こうで何か――――
「…………確かめに、行くか?」
目の前の光り輝く魔方陣を見て、考える。
魔方陣が光っているということは、少なくとも向こう側の魔方陣は消えていないはず。そして、こちら側に魔力を注ぎ込んだ以上開通しているはずだ。それらの事実は、既に実験して確かめている。
……こちら側に転移できない理由ができた?
敵に捕まったのか、それとも――――
この魔方陣に足を踏み入れれば、向こうに転移した瞬間敵に取り囲まれていましたなんてことにもなりかねない。
「少なくとも、即殺されるなんてことはないはずだ」
むしろ、オレが転移して人間と通じていることが明らかになる方がまずいはず。メフティスは抜けている部分はあるが、バカではない。その場で、最善の行動はとれるはず。
だから、ここは、ひとまず――――
「オレがアルティを助けて合流すべきだな」
そう結論付けて、オレは転移魔方陣に魔力を注ぐのをやめる。
少しして魔方陣は光を失うと、ただの幾何模様になった。
少々心もとないと言えば心もとないが、仕方あるまい。
ざく、という音を立てて沈む足を何とかして引っ張り上げると、オレは雪の中を再び城に向けて走り出した。
それから数分ののち、眼前には巨大な城が屹立していた。
この白い世界にあって、異質なまでに黒いその城はまるですべてを飲み込むブラックホールかのようにぽっかりと口を開いている。この世界に空いた大穴のようだ。
要塞のような城のつくりは、どこからでも侵入可能なザル建造物にはなっておらず、少なくともここから見える入り口は正面の巨大な大門だけだ。
だが、オレはその城を見て少しだけ違和感を覚えた。
「警備の兵がいない…………?」
うかつに『領識』を使えない以上、目視による偵察を行う必要がある。先ほどから目を凝らしてあたりを見回しているが、警備兵のたった一人も見当たらない。
空中も警戒しているものの、いかんせんオレの視力にも限界があり、兵の姿を見つけることはできなかった。
「どういうことだ……? 関門に絶対の信頼を置いてるっつうことなのか……?」
まともな感覚の持ち主なら、城の近辺や内部にも一定以上の警備兵を置いておくはずだ。
……まあ、あのシリウスとかいう意味の分からない魔王が、まともな感覚を持ち合わせているとも思えないが。
そして、改めてぽっかりと口を開けている城の入り口を見つめる。
まるで獲物が来るのを待ち構えているかのように見える静かな城は、オレにはひどく不気味に見えた。
だが、すぐにがらがらと奥から音が鳴り響く。
慌てて物陰に身を隠すと、中から先ほど関門を通過した竜車が中から走り出してきた。先ほどは観察している余裕もなかったが、改めて見るとそれなりに豪奢な作りだ。単純に荷を積むものではなく、恐らくは人を乗せるためのもの。
客人や国の大臣なんかを乗せているのかもしれない。そう思って横目に見送る。
だが、その竜車を見送る兵士たちもいないことから、いよいよ正面玄関は無人であるという確信を得つつあった。
「…………話が上手すぎる気もするが」
だが、あれこれと入り口を探すよりも、手間は省ける。下手をしたら、入り口を探している最中に見つかる可能性もあるわけだ。
「――――やるしかねぇか。覚悟を決めろ、十一優斗」
そう自分を鼓舞して、ふ、と白い息を吐く。
『隠密』で身を潜めながら、可能な限り迅速に白の中に滑り込む。即座にごく狭い領域に『領識』を展開して、すぐ近くに伏兵がいないことを確認すると柱の陰に身を隠した。
入ってすぐの空間は自分が建物の中にいることを失念する程度には広大で、屋根が遠い。大木のような巨大な柱が規則的に立ち並んでいる。恐らくは廊下……なのだろうが、それにしてはスケールが大きい。
きょろきょろとあたりを見回しても下りの階段は見つからない。前方には恐らく上階に登れる上りの階段。そして左右には太い廊下が続いている。
さてと、どちらへ進むべきか。
思考を回しながら、オレが一歩を踏み出した、そのときだった。
ひゅう、と一筋の風が頬を撫でた。
それは自然に吹き抜ける冷たい風ではなく、どこか懐かしささえ覚える一束の風。
『魔力感知』が、強い魔力を認識する。
上りの階段。
その踊り場に、いつの間にかその魔族の男は立っていた。
「――――何をしに来た」
その魔族の男は平坦な声で告げた。
オレの知る、けれどもオレの知らない冷たい声だった。
「もう一度問おう。魔族の牙城に、何をしにきた。トイチユウト」
「……お前こそ、こんなところで何やってんだよ。――――フォンズ」
その魔族の男はフォンズ・ヘルブロウ。
オレが隷属させている、六将軍の一人であった。
再会




