203、魔族の地へ
出発当日の朝。
『領識』を張るとリアたちに見つかる可能性があるため、彼女らの動向を探ろうにも探れない。バレていないように祈りつつ、オレは自分の部屋から半身を滑り出した。
『隠密』で気配を殺しながら朝の学園を歩き、メフティスの待つ病室へと向かう。フォルトナには、病室から直接転移魔法で魔族の地に向かうことを告げてある。
だが、病室までの道すがら、とんとん、と肩を叩かれる。
「あら、奇遇ですわね」
「…………人の背後から気配を消して近づいておいて、奇遇も何も無いだろ。リア」
目の前にはにこにこと笑顔を湛えるリア・アストレアの姿があった。
ちなみに、もう長い付き合いで分かるのだが、この笑顔は機嫌が悪いときの顔だ。
「いい朝だな」
「ええ、本当に。こんな日には、どこかに遠出したくなりますわ」
こいつ…………
どこまで知っているかは分からないが、流石にオレが北方大陸に行くことまでは知らないはずだ。だが、こいつの勘の鋭さはバカにならない。何かを嗅ぎつけてオレにかまをかけている可能性は高い。
「なら、昼過ぎにピクニックでも行きゃいいんじゃないか。凛とレイラも喜んでついてくだろ」
「あら、アナタは喜んでくれないのでしょうか?」
「……オレがピクニックで喜び浮かれる類の男に見えるか?」
「見えませんわね」
「なら聞くなよ……」
リアの辛辣だが妥当すぎる評価にため息をつく。
「用が無いならオレは行くぞ」
「どちらへ?」
「トイレだよ。そのあと顔洗ってフォルトナと予定がある」
嘘八百だが、本当かどうかを確かめるすべもないはずだ。
そして、フォルトナと二人で話すという予定も、何らおかしい部分はない。事実、オレはフォルトナと1対1で話す機会も多かったし、それはリアとて知っているはず。
「そのような覚悟を固めた顔でお手洗いに?」
思わず自分の頬に手を当ててしまう。
だからそれを取り繕うようにまくし立てた。
「腹痛との大激闘が想定されるからな。そりゃ、覚悟の1つや2つ必要だろうよ」
「…………」
じとぉ、というリアの目が痛い。
だが、既にオレの中で答えは出ている。
「じゃ、漏れる前にさっさと行くわ」
そう言って手を振りながら、歩き始める。
できるだけ自然な歩幅で。
できるだけ自然な口調で。
「…………まあ、構いませんけれど」
リアはようやく諦めたのか、はぁ、とため息をついた。
……ったく、勘が良すぎるなアイツは。
内心でため息を零しながら顔を洗う。
そのときに鏡に映った自分の口の端が少しだけ上がっていた理由は、分からなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
病室の扉をノックする。
「はい」
「入るぞ」
扉を開いて中に入ると、そこには見知った二つの顔。
一つはこの学園の長、フォルトナ。
もう一つはこの数日で特に話す機会の多かった魔族の少女、メフティス。
顔にそれぞれの表情を貼り付けて、オレを見ていた。
「準備は万端ですか?」
フォルトナの問いに頷く。
「……そう願いたいな。まあ、不測の事態が起きることは間違いない。準備に万端なんてことは無いだろうよ」
「それだけ豪語できるのであれば、恐らくはここでできることは全てなされたのでしょうね」
フォルトナの言葉にもう一度だけ頷くと、オレはメフティスに向き直る。
「行けるか、メフティス」
「は、はい。大丈夫です」
メフティスは身動きのとりやすい服装に着替えている。
その右腕は依然として欠けたままだが、上から羽織ったマントのおかげで外からは見えづらい。
オレもメフティスの助言を聞きながら、魔族の街にいても違和感のない格好に着替えた。上から厚手のローブをかぶり、肌が見えないようにもしている。魔族と人間では肌の色が違うため、覗き込まれれば即アウトだ。
まあ、だがそれも城下町を抜けるまでだ。
城に潜入してしまえば、人間も魔族も関係ない。見つかった時点で侵入者に変わりはないのだから、身を偽る必要も無い。
「フォルトナ。あとは任せたからな」
「ええ。確かに。少しばかり、気が重いですが」
そう言うとフォルトナは苦笑をこぼした。
彼女らしくない本音じみた物言いに少しだけ驚く。
だが、フォルトナはすぐに表情を引き締めるとにこりといつも通りの微笑を湛えた。
「じゃあ、転移のスクロールを――――」
言いかけたところで、こんこん、と病室の扉がノックされる。
オレが驚いてフォルトナを見ると、彼女も目を見開いていた。どうやら、この状況は彼女にとっても想定外。
「あのー、すみません。わたし、織村凛って言うんですけど……」
扉の外から聞こえたのは凛の声。
「こっちに、ゆーくん……あ、えっと、勇者の十一優斗が来たと思うんですけど、この部屋にいますか?」
まずい。入るところを見られたか?
オレの目配せにフォルトナが頷く。
「――――あとは頼んだ」
小声でフォルトナに告げ、メフティスに近づく。
「あ、あの」
「メフティス。跳ぶぞ。早く、スクロールを」
「わ、分かりましたっ」
メフティスが転移のスクロールを取り出し、詠唱を始める。
フォルトナがかつかつと扉に向かっていく。
「オリムラ様。どうかなさいましたか?」
「え……? その声、フォルトナさん……? あ、えっと、中に、ゆーくんいます?」
「トイチ様……ですか? いえ、この中には……」
フォルトナの演技はどこまでも自然に見える。声は平坦で少しの動揺の色も映ってはいない。
だが、人の顔を窺い続けてきた凛にとって、それは僅かな違和感を思い起こさせたのだろう。
「…………開けて、いいですか」
どくん、と心臓が跳ねる。
扉の外で、凛が取っ手に手をかけた気配がする。
そのまま、がらがらと扉が開き始める。
「――――メフティス」
「え、詠唱終わりましたっ」
スクロールが光る。
「行くぞ。北方大陸へッ!!」
ふ、と浮遊感を感じる。
と同時に視界が暗闇に閉じていく。
最後に、凛の顔が少しだけ見えた気がしたけれど、もしかしたらそれは、気のせいだったのかもしれない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
意識を急激に引き戻される。
とん、と石畳の床を両足が叩き、そのままバランスを崩しそうになってたたらを踏んだ。
最初に得た感覚は、肌を刺す冷気であった。
がやがや、という人ごみの音。
白い地面に反射する朝日。
鼻に薫る炭焼きの匂い。
「ここが、魔族の――――」
「トイチさん、こっちへ」
オレの感慨もそこそこにメフティスに手を引かれる。
「っと……」
小走りに駆ける彼女を追いかけて、オレもたったったと走った。
そのまま数十秒ほど街中をかけて、路地裏に二人で息を潜めた。
道ですれ違う人々は、背格好こそ人間に似ているものの、その肌色は青白く人間とは違う種族であることが一目に分かった。
そう、魔族だ。
オレの知っている魔族は最前線に来るような兵士しかいなかったため、ただただ日常生活を送っている魔族がいるという事実に、少しだけ驚愕する。もちろんその事実は当たり前で、少しばかり想像を巡らせれば分かることだ。だが、実際にそれを目にするまで、その事実の現実感を自分のものとして咀嚼できなかった。
「ひとまず、城下町イデアには来られたようですね……」
路地裏でようやく、ほっと一息つく。
その吐く息は白く、この地の気温が低いことを実感する。
降り積もる雪は決して深くは無いが、それでも乾いており、日がな気温が低いのであろうことは容易に推測できる。
「ここからイデアール城に行くんだろ? どうやって…………って、見えるな。ここから」
流石は城下町と言うだけある。
路地裏の隙間のずっと先の先。
そこに雪に覆われた巨大な城が鎮座していた。
三方向を峻厳な山脈に囲まれており、城下町のあるこちら側からしか入り込め無さそうに見える。
「ひとまず、街の北に向かいましょう。城にたどり着く前に関門があるはずです。そこを突破する術を探さないと……」
「分かった。できれば向かうまでにアルティの安否も確認しておきたい」
国の将の処刑があるとなれば、国民にもその事実が周知されていておかしくない。
「そう、ですね」
メフティスはその事実を聞くのが少し怖いのか眉根を下げた。しかし、すぐにぶんぶんと頭を振るとこくりと頷いた。
それから、オレたちは簡単に情報収集をしながら街の北外れへと向かった。
街の中心と思しき大広場も通ったが、何か木組みの台のようなものが建築されていた。もしかしたら祭事でもあるのかもしれない。もしそうであれば好都合だ。人の目がそちらに向けば潜入もしやすくなる。
街の作りに寒冷地特有の特徴はあれど、そんなに人間文化と違っている箇所はなかった。むしろ、人の街とのあまりの変わらなさに、一瞬自分が魔族の地にいることを忘れてしまいそうだった。
「……アルティの処刑は、まだ執行されてないみたいだな」
街の人たちに聞いたところ、アルティが処刑されたという話は聞かなかった。
彼女が捕縛されたという事実は公然のものとなっていたが、処刑は執行されていないようだ。まあ、一口に魔族軍と言えど巨大な組織だ。処刑の決定に手間取っているのかもしれない。
「良かった…………」
メフティスが目の端に涙を溜めて、鼻をすする。
「まだ気が早いっての。ひとまず城に入る方法を探さないとな……」
物陰から、城へと続く関門を観察する。
関門とは言うが、ちょこんと誂えられた門よりは、どちらかと言えば左右に続く白い壁こそが本命だろう。左右まで続く壁は城下町と城への道を隔てる明確な境界線として、そこに屹立している。
高さとしては4mちょっと。決して越えられないような高さではないが、壁の上には一定間隔で兵士が配置されており、壁の下にも兵士がいる。
『領識』でざっと抜け穴を探すが、通れる場所は中央の関門のみ。嘆願目的と思しき住人や国の兵士たち、積み荷の運び込みで竜車が通る以外には、人が通り抜ける様子も無い。
そして通過できる人は何かの帳簿と証書で符号しているらしく、飛び入りで城へ入るということもできそうにない。
空を飛んで抜けるっつうのも難しそうだな。見つかったら兵を呼ばれて終わる。六将軍レベルの奴がそうそういるとは思えないが、ガリバルディの手下も相当に強かった。あのレベルの兵士がごろごろいるとなれば、正面から戦いたいとは思えない。
「忍び込む方法を探ろう。処刑が今日明日に行われるってことは無いはずだ。多少時間を使ってでも確実な方向を見つける」
「わ、分かりました」
いくつかの方法は思いつくが、それが可能かどうかも確かめなきゃいけない。
さてと、潜入ミッションと行こうか。
そう自分を奮い立てて、オレは再び関門を睨みつけた。
潜入ミッション開始




