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20、再会、そして後退

日常系ほのぼの作品を目指してます。


 白髪少女とのフラグをぽっきり折って二日経ち。自らの痛々しさも忘れつつあり、徐々に平静を取り戻していた。メアドでも聞いておけばよかったと、後々になって悩むのがオレが非モテたる所以なんだよなぁ……


 ま。今後会うことなど無いだろう。というか、オレが恥ずかしいので会いたくない。

 ハーフエルフに出会った喜びのあまり、妙なテンションで奇天烈なことを口走った黒歴史だ。もう忘れたい……


「で、あるからして、この計算で――――」


 今、座学では物理学と思しき内容をやっている。

 式の形や考え方は微妙に違うものの、概ね理論の基礎が似通っているのは非常に面白い。授業で出てくる式を変形したら運動方程式とか普通に出てくるしな。

 そんな風に、いつも通り授業を聞かずに独自の世界を展開していると終了のチャイムが鳴る。


「あー、疲れたぁー」


 そんな風に後ろで凛が大声を上げているのが聞こえる。


 あいつ、まだ教師いるのにすげぇ度胸だな……


 そんなオレの心配どおり、凛は物理講師に呼び出されていた。あーあ、ご愁傷様。

 内心で彼女の勇士を忘れまいと堅く誓い、敬礼。彼女に冥福のあらんことを。

 オレは手早く参考書等を片付けると、『隠密』を使って教室を後にした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 いつも通り魔法の訓練も終え、オレは騎士団寮の通路を歩いていた。

 今日は新しい魔法も開発できたので、若干ホクホク顔なのはご愛嬌。周囲から見ると、一人ニヤついている気持ちの悪いやつなのだが、まあ、ニヤついていなくても元から気持ち悪いので問題ないだろう。え、酷くないその評価?


 などと、自問自答ならぬ自責自滅を繰り返しながら大したあてもなく歩いていると、後ろからの衝撃で思わずよろめいてしまった。


「うお、悪い。って、何だ。十一か」


 ぶつかってきておいて「なんだ」とは聞き捨てならんぞ。


「何だって何だ。何だって」


 一度のセリフで思わず三回も「何だ」って入れちゃうぐらい、遺憾の意を表明する。


「悪いって言ってんだろ。じゃ、俺ら急いでるから」


 そう言うと、その数人組の勇者男子は小走りで去っていってしまった。


 畜生、オレの扱い酷くねぇか? そのうち、遺憾の「か」ぐらい表明しちゃうぞ。遺憾の「ん」まで表明するとどうなるんだろうか。げきおこなんちゃらかんちゃらーになるのだろうか。

 そんな益体無いことを考えながら、彼らの様子に首を傾げる。


「なんだったんだ……?」


 あんなに大所帯で何を急いでいるというのか。トイレか?

 そうか、だからあいつらあんなに急いでいたのか……どれだけ漏らしそうでも連れションすることを忘れない、小市民精神に誇りをもった彼らに敬礼。さすれば、オレにぶつかったことも水に流せるというものだ。


 などと、内心で溜まった鬱屈をくだらない思考で水に流す。トイレだけに。


「でも、実際何なんだ? ……少し気になるしオレも見に行ってみるか」


 普段なら気にも留めないことだが、今日のオレはどんな風に吹かれたのだろうか。

 ちょっとだけ、気になってしまったのだった。

 このことが、さらにオレの立場を磐石の底辺に変えることになるとは露も知らずに。




「うおお! すげえ、色々あるぞ!」

「きゃー!! これ可愛い!!」


 そんな風に勇者たちが男女入り乱れて、はしゃいでいる。男女入り乱れるってなんか、字面だけ見ると卑猥だよな。

 などというくだらない思考は平常運転で回り、周囲の騒がしさに気圧されることもない。


 放課後だというのに、騎士団寮の入口には多くの勇者たちでごった返していた。

 よく見ると、荷馬車が寮の前に止められており、玄関ホール――これがかなり広くて、学校の体育館ぐらいはあるのだが――には様々なものが並べられている。

 衣服や化粧品と思しきもの、嗜好品のような食品関係、はたまたあまり見かけない珍しい形の武具などなど。

 勇者たちや騎士たちに加え、普段見かけない大人の男性も見かける。


「こりゃ一体なんだ……?」


 オレがひとりごちたのを耳ざとく聞きつけたのだろうか、見かけない男性の一人が言った。


「あれ、お聞きになられていないのですか?」


 そう言った彼は、まだ若い。年齢もオレとさほど変わらないぐらいの青年だ。

 髪は薄い緑色で、顔つきは真面目そうだが、やはり異世界らしく整っている。どちらかと言えば美形だろうが、気弱さが隠しきれていないその表情が、その魅力を何段階か落としていた。


「どうしたんですか?」


 オレがたずねると、その青年は柔和な笑みを浮べながら言った。


「今日は我々バーミリオン商会が勇者様に向けて特別市を開いているのですよ」


「そんなものが……」


 オレ初耳なんだけど。


「ええ、普段鍛錬に勤しんでいらっしゃる皆さんの娯楽になれば、とヴァルヘイム騎士団長様が」


 ブラント団長の気配りか……


 確かに、ここ最近は春樹の件や例の三人組の立て続けの失踪で全員気が滅入っていた。こうした形で鬱屈や不安を多少なりとも解消することは必要かもしれない。

 やはり、人の上に立つ者として状況をよく把握しており、その対策が迅速だ。これだけの規模の市をオレたちだけのために開くというのも大変だろうに。


 ……まあ、その気遣いをオレは聞き及んでないんだけどね! これ、あれだな! 多分、ブラント団長が龍ヶ城あたりに「皆に伝えておいてくれ」って言って、オレにだけ伝言がまわってこなかったやつだな! ぼっちの弊害ここに極まれり。


「まあ、実際は騎士の皆様にも色々と買っていただけるそうですし、うちをより一層ご贔屓いただけるそうなので……あ」


 余計なことを言ってしまったという顔で口を手のひらで隠す男性。

 うかつすぎんだろ……

 ぽろっと裏事情を漏らす彼に、オレは苦笑を浮べた。


「ああ、まあ。大丈夫です。そんなこったろーなとは薄々思ってたんで。別に、吹聴するつもりも無いんでお互い、言わなかった、聞かなかったことで」


「め、面目ない……ありがとうございます……」


 申し訳無さそうに頭を下げるその様は非常に嗜虐心をそそられる。


「商人はあまり簡単にお礼を言わないほうが良いですよ。後、失言は絶対控えるべきかと。足元見られて破産しかねないので」


「ひっ……脅さないでくださいよ……」


「ああ、すみません。ま、商人のしの字も知らない素人の意見だと思って聞き流してくれて構わないので」


「それにしては、的を射ていたなぁ……」


 そう言いながら二人で小さく笑いあう。


「じゃあ、僕はこれで失礼します。あ、名前。僕は、エーミール・フォトンニアです。エーミールで構いません」


 エーミールが手を差し伸べてくる。

 そこに友好の色を感じたオレは、まして堅苦しい口調で言う。


「そうですか。オレは十一優斗です。こちらこそよろしくお願いします」


 それに手を握り返しつつ、オレも簡単に名前を告げた。


「分かりました。ユートさん。よろしくお願いします」


 向こうは、そんなオレの慇懃無礼ともとられかねない口調も気にせずに笑顔を浮べて応答する。

 だから、少しばかり彼のポーカーフェイスを崩してやろうと、不敵な笑みを浮べて言った。


「よろしくお願いしますね。共謀人エーミールさん」


「ちょ、ちょっと! なんですかその言い方!」


「いやあ、だって? オレがあなたの失言をお偉いさんにチクったら、あなたの地位が危ぶまれるわけじゃないですか? そう考えると、共謀人って呼ぶほうがいいかなぁと。あ、どうします? まな板の上の鯉でもいいですけど」


「その表現聞いたことないけど、どういう意味かだけは分かっちゃうのが悔しい……!!」


 そんな風にしてエーミールがその整った顔を、驚愕と焦りと悔しさとがごちゃまぜになった表情に変える。表情がころころと変わって面白い。


「まあ、じゃあ、これで」


「……はい。本当によろしくお願いしますよ?」


「大丈夫、大丈夫。オレは世界で70億番目に口が堅い男って巷で話題だったんですよ? そんな男の何を心配するって言うんですか」


「心配しかないな!?」


 驚愕に目を見開くエーミールに後ろ手で手を振りながら人ごみのほうへと足を進めて行く。


 ……あわよくば、もう会わないことを願おう。


 ――――――このままでは、友情を感じてしまいそうだ。


 そんな風に思ってしまう自らの屈折した気持ちに深い息を吐く。


「うおお! 可愛いな!」


「すっげー……肌しっろ……うちの女子じゃ考えられないな」


 オレが一人ため息をついていると、そんな風に騒いでいる男子を見つける。

 その声のほうをを見やると、そこには男女数人が人垣を作っていた。

 どうやら、その人垣の奥に話題の何かがあるらしい。


 ま、いいか。男子たちがギャーギャー騒いでる中に飛び込みたいと思うほど、オレはマゾヒストな性格はしていない。

 そう考えてその場を離れようとする。


 だが、ふと、その人垣が割れて奥が見える。


 白――――――


 一目見て、そう思った。


 人垣の奥に白い姿が見えたのだ。

 そこにいたのは、白い髪と幻想的な雰囲気をかもし出す一人の少女だ。人形のように繊細可憐なその輪郭は、触れれば壊れてしまいそうで、浮世離れと呼ぶに相応しい。この異世界という環境ですら異質とみなされてもおかしくはない。


 だが次いでつむがれるオレの思考は穏やかではない。


 ………………あれ。オレあの子のこと知ってるんだけど。


 いや、別にナンパの常套手法とかそういうんじゃなくて、物理的に彼女を知っている。もし、オレがここ数日幻覚や白昼夢にさいなまれていたのでなければ、あの子は……

 オレが思わず凝視していたのを見つけたのだろうか。

 少女がこちらを見て一瞬驚いた表情をした。


 あ、やべ、逃げ――――


「あ、勇者さんっ」


 次の瞬間、その白髪少女が身体に合わないぐらいの大きな声でオレを呼んだのであった。


「勇者さんっ!!」


 もう一度だけ、そう言って、こちらに小走りで近づいてくる白髪少女。

 うわやめてなんかめっちゃ視線が集まってる。オレは知っている。あの視線には「あんたこの子とどんな関係なのよ? 返答によっては殺す」という殺意の波動が詰まっている。


 しかも、その殺意の裏にあるのは、オレへの好意や嫉妬心などではなく、オレに女子が近づくことへの生理的な嫌悪感と警戒だ。オレに向ける視線には、できれば夢とか希望とか愛を詰めてほしいのだが。残念なことに、不信感を不審感でラッピングしたような視線に思わず足がすくむ。


「あの……その、本当に、勇者さん、だったんですね……」


 そう言うと少女は恥ずかしそうに顔を赤らめる。


 その姿を見間違うことなどない。

 つい先日、いじめられているところを助けたハーフエルフの女の子だ。

 もう二度と会うことなど無いと思っていたし、会うつもりもさらさら無かったのだが。


「ま、まぁ……オレは嘘はつかない性質だからな」


 このセリフ自体が嘘なのだが、まあそれは些細な問題だろう。


 現在オレの頭はフル回転していた。


 今、周囲の興味関心は完全にオレに傾いている。

 この場にいる多くがこちらの成り行きを、かたやさりげなく、かたや露骨に見守っていた。場を静寂が支配していないのがまだ救いか。

 何はともあれ、オレの発言や挙措によってはオレは社会的に死ぬ。まず、間違いない。これはそういうイベントだ。これまで何度もラノベやらで読んできた。

 などと、対して信頼も置けないソースを元に思考を構築していると、


「またお会いできて、嬉しいです……」


 少女は両手の指を手の前で合わせて微笑む。

 恥じらいの感じられる表情だが、自分の気持ちを伝えようと勇気を出したのだろう。

 その行動に、さらに周囲の殺意の波動が強まる。

 主に男子陣の白い目がやばい。明らかに血走っている。真に血走った人間の目など、そうそうお目にかかれるものではない。ここは貴重なものを見たと喜んでおくべきだろうか。

 そんな現実逃避気味な思考を空回しながらも、オレは何とか少女に返事を返した。


「お、おう……元気そうで、何よりだ……」


 オレからしてみれば忘れてしまいたい黒歴史の一部なのだが、彼女はさして気にしていないようだ。いや、むしろオレのことを尊敬する眼差しすら感じる。


「あの、今度は、その……もしよろしければ、お名前を教えていただけますか……?」


 オレの胸元あたりの高さから上目遣いでこちらを見つめてくる。


 ま、まぶしいっ! なんて、無垢な瞳なんだ! オレの目なんて淀んで東京湾にたまったヘドロのような有様だというのに!


 というか、そもそもこの場で「いや、ちょっと名前とか教えられないんで」なんて言うと後で学内殺人により一人の少年死体が出来あがってしまうので、もちろんオレに選択肢はない。


「と、十一優斗。呼び方は、ま、まあ、任せる……」


 そんなしどろもどろとしたオレの返答にも一々彼女は顔を赤らめる。


「で、でしたら、その…………」


 少女は決意するように息を吸う。


「ユート、さん……」


 ぐはっ!


 トイチユウト に つうこんの いちげき!▽


 トイチユウト は しんでしまった!▽


 おお、勇者よ……死んでしまうとは情けない。


 そんなモノローグが流れるぐらいの殺傷能力をもったそのセリフにオレが思わず押し黙っていると、少女が慌てて言った。


「あ、す、すみません……い、いきなり、名前でお呼びするのは失礼ですよね……!」


 急に落ち込んだ表情を浮べる。その流れに、オレの脳内信号がけたたましくアラートを上げた。やばい、聴衆に殺される!


「あ、いや! 別にそれはいいんだけどさ! ……そ、そう! 君の名前聞いてなかったなって!」


 無理矢理に自分の思考を気取られないように何とか言い訳をつむぎだす。

 女の子特有のいい香りがオレの鼻腔をくすぐり、オレは必要以上にドギマギしているのを隠すのに必死だ。


「わ、私の名前は、シエル……シエル・バーミリオンです」


「シエル・バーミリオン……」


「は、はい!?」


 ビクン! と名前を呼ばれたシエルが背筋を伸ばす。いや、そんな緊張しなくても。オレの言えたことではないが。さっきから妙に汗が出るんだけど、これってこの部屋が暑いからかな? 急に空調が壊れたのかな?


「じゃ、じゃあ、バーミリオンさん」


「え……あの……」


 白髪少女、もといバーミリオンが悲しそうな表情をうかべる。

 いや、ホワイ? 何故そこでそんな顔をする? オレは一体なんの選択肢を間違えた?

 ……まさかとは思うが。


「シエルさん?」


「……」


「…………シエル」


「はいっ」


 オレが名前で呼び捨てにすると、とたんに顔を明るくする。

 名前呼び強制なのね、了解です……女の子のことを下の名前で呼び捨てとか生まれて初めてだよ! 凛は例外で。


 シエルは何故だか分からないが、顔を真っ赤にしている。


 熱でもあるのなら早く医者に見てもらったほうがいい。この世界には、どんな感染症や流行の病があるか分からないからな。身体は大事にしろよ?

 オレがそんな意図をこめて視線を送ると、シエルは手で顔を隠しさらに顔を赤くしていった。


 その光景を見た周囲の面々は、女子は好奇心を隠しきれない表情を、男子は怨嗟と憎悪のおもった表情を浮べていた。


 ……あ、これすげぇめんどくさいやつだ。


 オレの中の直感と理性がこのときばかりは息を合わせて一つの結論に合意してしまった。

 そう、漫画なんかでよくある「今朝偶然であった美少女が実は転校生だった」展開だ。あれ系は、漫画なんかではいいが現実だと露骨に人間関係にひびを入れかねないからな。まあ、今のオレには人間関係など無いのでなんら問題ないのだが。やっぱりぼっちって最強ね!


 けれども、オレをそんじゃそこらの漫画の主人公と一緒にしてもらっちゃ困る。


 オレはそういった状況には一日の長があると言っても過言ではない。もちろん、フィクションの中でのみだが。ならば、この場でオレがとるべき最善行動はただ一つ!


「じゃ、オレはこれで行くから。またどこかで」


 逃げるに限るぜッ! あばよ、とっつぁん!


 そんな某モンキーでパンチな怪盗もびっくりするような、迅速な判断で逃亡を決断。軽くシエルに手を振ると、そのまま玄関ホールを後にしようとする。あらほらさっさー。


「わー! すごーい! いっぱいあるねっ!」


 そんなオレが逃げようとした通路から、絶望を告げる声音が届いた。


「凛……」


「あれ? ゆーくんも来てたんだ! 意外っ!」


 そう、先ほどもオレの脳内を賑わせた張本人、スーパーガール織村凛だ。


「よ、よぉ……珍しいな……じゃあ、オレはもう買い終えたんで行くわ……」


 オレはさっさと退散をしようと試みるが、


「えー! 折角だから一緒に見てこうよっ!」


 そう言いつつ凛がガッシリとオレの腕をホールド。


 ダメだ! 膂力パラメータで大きく劣っているオレでは振りほどけないっ! くそっ! ここにきてさらに話がややこしくなる原因がっ!!


 そんな風に内心で悪態を付きつつズルズルと凛に引きづられていく。


 はーなーしーてー! おうちかえるのー!


「あ、あの……!!」


 オレを引っ張る凛に、恐る恐るといった様子でシエルが声をかける。


「うにゃ? どしたの?」


 凛が持ち前の社交性マックスの仮面でシエルに対応する。こいつの建前笑顔完璧なんだけどよく見るとすげえ怖いんだよな。

 オレが凛に腕を掴まれて斜めに倒れた状態で、二人のやりとりを見守る。


「その……ユート、さん……い、嫌がってません……か?」


 控えめだが、そこには確かな反感の意思があった。

 どうやらオレが内心で嫌がっていたのが表情にも出てしまっていたらしい。もちろん、嫌がってるのは、凛ではなくこの状況と空間なのだが。


 凛が驚愕の色を顔に浮べる。


「え…………ゆ、ゆーくんは嫌じゃないよねっ?」


 そうオレに笑いかけるも、凛のその目は笑っていない。

 『この子誰よ?』

 顔にはそんな文字が書いてある。いや、オレの気のせいかもしれないけどさ。気のせいだといいな。気のせいじゃないんだろうな。


「いや、その、だな……」


 浮気が見つかった夫よろしく、しどろもどろになりながら答える。


 いや、そもそも何故オレが妙な後ろめたさにさいなまれなければいけないんだ……? そうだ、何も恥じるべきところはないじゃないか! そうだよ!

 オレがそんな風に自己肯定に陥っていると、凛はオレを無視してシエルのほうへ向いた。


「ねー? シエルちゃん、だっけ?」


「は、はい……」


 凛の恐ろしいほどに完璧な笑みに、蛇に睨まれたカエルよろしくシエルが竦む。


「シエルちゃん、ってさ。ゆーくんとどんなお知り合い?」


「え、えっと……わ、私は……」


 声音は優しいが有無を言わさない迫力をもった凛の問いかけ。

 シエルは既に半分涙目になっていた。それを見かねて、オレが言葉を継ぐ。


「……あのな、凛。自分で言うのもなんだけど、街中で困っているシエルを偶然助けたっていうだけだから。そんで、今日開かれてる市の開催者の関係者だったらしくて、さっき偶然再会したってわけ。何をどう勘ぐっているのかは分からんが、ただそれだけだ」


 オレが努めて平静に告げる。

 凛は、少し難しい顔をしていたがやがてぼそっと言葉をつむいだ。


「それって、いつの話?」


「ん? そうだな、つい一昨日とか」


「一昨日……それって、わたしがゆーくんに街に行こうって誘った日だよね?」


 ……あ、この展開はマズイ。

 オレが地雷を踏んだのに気付いたときには既に遅かった。


「なんでわたしとは一緒に行かないって言ったのに、シエルちゃんとは一緒にいたの?」


「いや! お前、話聞いてたか!? シエルとはその日に初めて出会ったんだって!」


「でも、一人で街に行ったってことでしょ?」


「いや、それは……ちょっと前に紆余曲折あってこの子のスカーフを拾っててさ。それを返しに行こうと街に出たら、目的地とは別の場所で困ってるこの子に遭遇したんだよ」


 出来る限り誠実に、かつシエルが言われて嫌な気持ちになるようなことは伏せて告げる。


「待って。シエルちゃんと一昨日初めて会ったなら、なんでスカーフがこの子のものって分かったの?」


 妙なところは鋭いな、こいつ……


「話すとややこしくなるが、一昨日が実質初対面なのは事実だ」


「わたしとは行かないって言ったのに、この子のためには街に行ったんだ」


「……そりゃあ、これはあくまでオレの私用だからお前に付き合わせるのも悪かったしな」


「…………私用……」


 凛が一瞬――――恐らくオレ以外には誰も気づかなかっただろうが――――顔を歪めて泣きそうな表情になる。そうして、当惑の表情を浮べた。

 そんな表情の乱高下は、オレには全く理解できないものだった。


「おい、凛――――」


「もう、いいや……今日は部屋に戻るね。ごめんね、ゆーくん」


 そう言うと、再び顔に笑みを貼り付けて足早に玄関ホールを去っていく凛。



 ……おい、ちょっと待てなんだこの展開。



 オレは一体何を間違えた?


 まず大前提として、何故あいつがオレの行動に関してあんな風に問い詰める?


 オレはあいつには一切、義にもとる行為はしていないはずだ。

 あいつと買い物に行く気は無いと言ったのは事実だが、だからといって街に行かないとまでは一言も言っていない。ああ、オレの記憶に間違いはない。


 いや、しかし、人間の心情の機微というものは得てして面倒なものだ。

 可能性として最も考えられるのは、凛が「自分とは街に行かないと言ったのに、一人で行くのはどういうことか」という、論理的に考えると成立しえない怒りに駆られたということか。オレならば、このようなことについて何ら思うことは無いが、相手は女子、しかもまだ年端も行かぬ少女だ。ならば、そのように全て論理的に思考し行動できるとも限らないだろう。それゆえ、彼女が刹那的な怒りの衝動に身を任せてしまったとして一体誰が責められようか。逆に、責められるべきは、うかつな行動をとったオレ自身にあるのではないだろうか。大体――――


 などと、今しがた起きた事態にひたすら思考を回していると、右腕の袖を引かれた。


「ん?」


 振り返るとそこにはシエルが泣きそうな顔をしていた。


「す、すみません……わ、わたしのせいで……」


 声はかすれがすれになっており、見ると手は震えている。


「あー、まあ、あんまり気にすんな。多分、うかつな行動をとったオレが悪いんだと思う」


 まあ、全く納得はできないが。


 だが、世の中正論ではまわらないことなどざらだ。ならば、こちらが一つ大人になるしかない。

 後で謝っておけば許してくれるだろう。






 そんな淡い期待とまるで分かっていない自分自身の考えを打ち砕かれるのに、そう時間はかからなかった。


新ヒロインが出て凛ちゃんの色々が浮き彫りになっていくといいなぁ。

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