196、虚空を掴む
「……あいつら……定期報告しろっつってるのに」
うんともすんとも言わない通信指輪を睨みつけて悪態をつく。
フォンズにもアルティにも連絡がとれない。まあ、そもそもアルティとの連絡手段は存在しないので向こうがオレを訪ねてこない限りは連絡をとれないのだが、まさかフォンズともつながらないとは思わなかった。
通信用の指輪、どっかにしまいこんで忘れてるんじゃないだろうな。
それはかつて自分がやらかした失態だ。だが、あの眼鏡の魔族もどこか抜けているところがある。同じような凡ミスをやらかしていてもおかしくはない。
はぁ、と行き場も無いため息をつきながら、オレはある人物を訪ねていた。
場所は魔法都市の数ある工房のうちの1つ。部屋の前にの標識には「古代魔法科・学科長室」と書かれている。
重い色の木製扉を、こんこん、とノックする。拳に固い感触が返ってきたことで、扉の重さを実感する。
「…………はい」
中からくぐもった声が聞こえてきた。
「十一優斗です。約束をしているはずなんですけど――――」
というと、どたどた、という足音が中から聞こえ、オレの言葉尻を待つよりも先に中から扉が開いた。
「やあやあ、これはトイチさん! お、お待ちしておりましたとも!」
中から出てきたのは中性的な風貌の男。顔には不器用な笑顔を浮かべている。灰色の縮れ毛は大して手入れをしている様子もなく、目の下の隈と曲がった背筋からは不摂生が見て取れる。
「……お久しぶりです。カロスさん」
オレの言葉に、男は「へ、へへ」と曖昧な調子で笑った。
男の名はカロス・ヴェンデイン。魔法都市に数ある学科の1つ、古代魔法科の学科長だ。学科長と言ってもまだ25歳ほどで、年齢だけで言えばまだまだ若いはずなのだが、いかんせん過労と不養生がたたり、プラス10歳は老いて見える。
「それで、本日はどういったご用件で? あ、申し訳ない、こ、こんなところでお待たせしても。はいはい、中にお通ししますね。え、あ、申し訳ない、よ、汚れていて、今片づけますとも、ええ、すぐにでも!」
と言うと、カロスはばたばたと慌ただしくテーブルの上を片付け始める。大量の紙の束に書物、見覚えのない魔道具や史料の類。そんなに乱雑に扱って大丈夫か? と思わなくもないが、それを指摘する領分でもない。
オレは彼に招かれるがままに中に入る。
カロスとはこれが初対面ではない。オレがかつて魔法都市で勇者として滞在していた折に、彼とは魔法に関することで何度か議論や勉強会を行ったことがある。
おどおどと落ち着きのない男だが、これでいて含蓄と知識の量は目を見張るものがある。そして洞察力も深く、その研究成果と身一つで、学科長にまで上り詰めたらしい。
そんな彼の専門は、古代魔法。
通称ロストマジックとも呼ばれ、既に失われてしまい誰も使うことのできない魔法の類を研究している。
たとえば、転移魔法とか。
「いやあ、トイチさんがお描きくださった、転移魔法陣……あれは素晴らしいものです。各地で発見された魔方陣の写しを資料として見ていたとはいえ、じ、実物を見ることができるというのは、やはり、やはり、情報量が格段に違う。いや、まさか、まさかと言わざるを得ません。何と感謝していいものか。あ、か、感謝とはいえ、薄給なので大したお礼などはできませんが、へ、へへ」
……このオタク特有の早口レベル99が無ければ、もう少しとっつきやすいのではあろうが。
「そ、それで、改めまして今日はどのような御用で?」
なんとかテーブルのスペースを確保し、二人で向かい合うように座る。
「……前回は転移魔法についての話をしていたと思うんですけど、今度はもうちょっと広く……空間魔法について、色々と話を聞きたいな、と思いまして」
空間魔法。
魔王シリウスが使いこなし、こちらを圧倒せしめた魔法だ。
ありとあらゆる攻撃が当たらず、幾重にも重なった防御すらも貫く。そんなチートこの上ない魔法について、これからも無対策でいるのは楽観的に過ぎる。
だから、少しでも情報が欲しい。
「く、空間魔法、ですか」
そう言うと、カロスは少しだけ考え込むような仕草を見せた。だが、数秒ほど沈黙したのちに口を開く。
「た、確かに、転移魔法も、空間魔法の、一種とされていますね。転移魔法は、今でも転移魔方陣という形でダンジョンや遺跡などには残っているため、多少の資料はありますが……ほ、他の、空間魔法、についてはあまり情報はない…………」
情報がない。その言葉を聞いて落胆しかけていると、
「と、一般、一般には思われています」
「?」
思わぬ形で続いたカロスの言葉に首を傾げ、続きを視線で促す。
「は、はい。こ、ここは魔法都市ですから。大図書館、には空間魔法に関する記述も、わ、わずかに存在しています。特に、あ、これ言っていいのかな? あ、そっか。トイチさんはもう評議会のメンバーだから、いいのか。え、あ、はい。大図書館の最奥、一般学生の立ち入れない禁書庫も含めれば、それなりの情報があると言えます」
「本当ですか!?」
「え、ええ。ただ、その、理論的学術的な物が多く、必要な詠唱などはほぼ記されていません……か、仮に詠唱が記されていても、常人には扱えない代物で、少なくとも、私がこの魔法都市にいて、く、空間魔法の適性を持った者は、一人も見たことがありません」
…………そんなに難しいのか。
そう考えながらも、その妥当さは理解できる。空間を歪め、捻じ曲げるなどという芸当が、そうそう簡単に出来てたまるかと思う。
だからこそ、あのシリウスという存在を、魔王たると信じることができるのであるが。
「た、たとえば、初級の空間魔法に『ディストーション』というものが、あります」
「『ディストーション』?」
「は、はい。空間魔法の根源は、歪みです。その初歩の、初歩。空間を、空間を歪ませるというものです」
空間を、歪ませる…………
「こ、この世界は、魔素に充ちています。そして、その魔素は、空間や時間、といったものと強く結びついていると、一部の学説では提唱されています。故に、空間と結びついた魔素を適切に導いてやることが、できれば空間それ自体が歪む……可能性もある、という考えもあります」
魔素が…………空間と結びついてる?
そんなことは考えもしなかった。
魔素はてっきり原子や分子のように空気内を自由に動き回っているものだと思っていた。だからこそ、オレは『不可触の王城』や『不可視の御手』で魔素そのものを触れ得る魔力として扱えるのだと。
……だが、その考えが誤謬だった?
魔素は恐らく原子や分子よりもさらに小さい何か。そしてこの世界を満たしている。
いや、違う。もしかして、魔素はこの世界を満たしているんじゃないのか。
この世界自体が魔素で出来ている?
空間そのものが、魔素という粒子――――いや、もう粒子であるという仮定すらここでは意味がないが――――によって構築されているとしたら。言わば、魔素によるビーズアートのようなものがこの世界なのか?
そしてオレが今までしていたのは、世界を構築する魔素というものに属性を与えていただけ。魔素を操っていると思っていた『魔力操作』も、「触れられる魔素」という属性を伝搬させていただけなんじゃないか?
それなら、魔法は――――
魔法は、世界そのものを描き変えるもの――――
「…………魔素が世界そのものなら、魔素を直接引っ掴んで動かせれば、空間そのものを歪ませられる……?」
「か、噛み砕いた理屈としては、そうなるはずです。です、はい」
目を瞑る。
イメージしろ。世界を満たす魔素を。
恐らく、感覚としては水中に手を突っ込み、水を掻くのが近い。それによって水の粒子はうねり、静けさが支配していた水面下の世界が歪む。
最も近いのは重力魔法。
あれは何も対象に直接的な効果を及ぼしていないはずなのに、世界に働く力を歪ませた。
かつては力のベクトルを歪ませた。
今度は空間上の点をずらす。
世界を掴み、捻じる。
「『ディストーション』」
ぐにゃり、とカロスの顔が歪む。それは表情がとか比喩的な意味ではなく、物理的に彼の顔が歪んだ。目を見開いて、オレと彼を隔てる空間が歪んだのだと気づく。
「これ、これぇっ……これはぁ!?」
カロスが驚嘆して椅子を蹴飛ばした。
そのままテーブルの周りをぐるぐると周り、小さく歪んだ空間を色々な方向から見て回る。
たらり、と汗が垂れる。
呼吸が苦しい。
『持ち物』からコインを取り出して、歪みの上に放り投げた。
くるくると空中で回るコインは、重力に従って落ち続ける。そのままであれば、垂直にテーブルに落下するだろう。
だが、歪みに囚われたコインが、真横に弾き出される。
途中で物理法則を無視して屈折したコインは、もう一度重力に従い始めると放物線を描いて床に落下した。ちゃりん、と軽い音が床に響く。
「……っはぁ、はぁ! きつい……!!」
ばくばくと心臓が鳴っている。
耳鳴りがして、視界が眩む。
思わず椅子の背もたれに深く体を預けた。
くそっ、バカみたいに集中力が要る。魔法の発現に極限まで脳のリソースが割かれ、体が生命活動を疎かにするほどだ。スキル『多重展開』の全ての枠を使ってようやく1つの魔法として発現させることができた。
こんな芸当、戦闘中に使えるような代物ではない。
「おお、こんなことが……! 大魔導士様、今のは確かに空間魔法!! まさか、まさか、この目で見ることができる日が来るとは……! 何たる僥倖、何という幸運!! ああ、わが生涯に一片の悔いはないとはまさにこのこと。あ、いえ、もし他の空間魔法もご披露いただけるというのであれば死ぬわけにはいかないので是非とも長生きさせていただくのですけれどね!」
「…………少し、静かにしてもらえると嬉しいです」
額に手を当てながら疲労に項垂れるオレとは対照的に、カロスさんは始終楽しそうにしていた。
空間魔法のとっかかり。




