181、記憶と知識
彼女の家名はとうに失われている。
火竜や氷竜などとは違い、稀少な竜の血を引く竜人。全てを消し去るという虚竜の権能は、彼女が幼いころから脅威的なものであった。
「……□□も□□も、こいつを置いて出て行ってんだろ? アンタも、気を付けてねぇと、寝ぼけて消されるぜ?」
そう言われた□□は、不機嫌そうにその言葉を一蹴する。
「ふん。そんな覚悟、とうにできてるわ。私はこの子の唯一の家族なの。だから、絶対に見放したりはしない。だから、そんな不安そうな顔しないの、――――レイラ」
まだ幼い少女――――レイラは、叔母の言葉を受けてほっと胸を撫で下ろした。「えへへ」と恥ずかしそうにはにかむと、叔母の手を確かめるように片手で握る。
両親がレイラを捨てて村を出て行ってから既に□□年とちょっと。レイラは叔母と二人で暮らしていた。
叔母は独り身ながらも、レイラのことを腫物のようには扱わずに、ずっと面倒を見てくれた。竜人としてはまだ幼く、未成熟なレイラにとって唯一頼れる大人だった。
「……忠告はしたからな」
そう言うと、男は出ていく。
レイラは名前も知らないが、ちょくちょく叔母と話しているのを見かける。けれど、物覚えの悪いレイラにとっては、関わりの薄い人の名前を覚えるのは非常に難しかった。
一度覚えたと思っても、気付いたときにはすっぽりと抜け落ちている。そんな物覚えの悪さをレイラは、自分がバカだからだと考えていた。
だから、それを誤魔化すようにしてレイラはもう一度だけ叔母に笑いかける。
叔母は何かを言おうとして口を噤むと、そのままレイラの頭を撫でた。
「……もう寝なさい。おやすみ、レイラ」
「うん、おやすみ。叔母さん」
レイラはそう言ってベッドに向かう。
あれ、ワタシのベッドってどっちだっけ?
夜だからかぼんやりと霞む家の中を適当に歩いていると、ようやく自分のベッドらしき場所にたどり着く。
くぁぁ、と大きなあくびを漏らすとベッドに飛び込む。
そのまま、すぐに意識を手放した。
翌朝、寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす。
いつもの癖でそのまま外に出て、水瓶で顔を洗う。
「え?」
そのとき水瓶に映った自分の顔を見て何かおかしいなと感じる。
「こんなに、お姉さんだっけ?」
そこに映るレイラの姿は、とても幼少の少女には見えなかった。恐らく竜人の年齢で言えば30以上。既に青年期に突入しているように見える。
「うーん……?」
自分の頬をぐにぐにと引っ張ったり伸ばしたりして見るも、姿が変わらない。
……あれ、ワタシ今何才なんだっけ?
自分の歳も分からず、叔母に聞こうとして後ろから声をかけられる。
「おはよう、レイラ」
そこには叔母の姿があった。
叔母はいつものように□□□□な様子で、□□している。
「おはよう、叔母さん……?」
けれど、レイラはそのとき初めて気づく。
叔母の顔がぼやけていることに。
「あれ……?」
目に水が残っているのかとごしごしと目元を擦るも、叔母の顔が鮮明に映ることはない。
いや、違う。ぼやけているのは叔母の顔だけじゃない。
家の周囲に、何もない。
濃い霧が張っているみたいに、何も見えない。
「どうしたの、レイラ?」
「え、う、ううん。今日は霧があるな、って」
「…………? そうかしら。まあ、このあたりは湿度も高いから。ああ、そうだ。今日の午後に約束していた遺跡の見学に行きましょう」
「え、ほ、ほんと?」
レイラの叔母は、集落近辺の遺跡などを調査している。レイラも、彼女にたまに連れていってもらうことがあり、徐々に考古学などに興味を向けていた。
「ええ。確か、□□は行ったことあるわよね? 今日は□□□□だから、前のところとは□□□□だけど――――」
声が霞む。
何? 叔母さん、よく聞こえない――――
そう言おうとして、声が出ない。
ワタシの声って、どんなだっけ?
□□□□□□□□□□□。
何かが、消えてしまった。
□□□□□□□□□□□。
また、何か□消え□。
□□□□□□□□□□□。
あ□、全部、□□□□□。
□□□。
お願いし□す。
これ以上――――――――
□□□から、奪わないで――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ぼんやりと、意識が覚醒していくのを感じる。
場所は薄暗い小部屋。
床には三本の小瓶が転がり、両脇にはリアとレイラが倒れ伏している。
「…………くそっ。なんてもんを見せやがるんだ……!」
悪態をつきながら足元の小瓶を蹴飛ばした。
カラカラと回る小瓶は勢いよく空転するばかりで、そのまま壁にぶち当たると我も関せずにその場に転がった。
オレが見せられたのは2つの夢。
1つはあり得たかもしれない可能性の世界の夢。
もう1つは元の世界での記憶の夢。
後者については、忌々しい、唾棄すべき歴史だ。
「…………思い出したくもねぇ」
がり、と奥歯を噛んで俯く。
嫌な汗が出ている。
皮膚の裏側が浮き上がるような不快感が体中に纏わりついている。
くだらない。
本当にくだらない、話だ。
「夢から醒めろだと? 冗談じゃねぇ」
理想の夢を見せたあとに現実の夢を見せるなど、趣味が悪いことこの上ない。
「他の2人は……?」
今しがた見せられたものを記憶から振り払おうとして、他のことに意識を向ける。
見ると二人もちょうど起きたようで、呻きながら瞼を開けた。
「…………大丈夫か?」
少しだけ待ってから声をかける。
二人の沈み切った様子から、オレと同じようにあまり芳しくない夢の内容だったことは窺える。
「ええ……あまり、気分のいいものではありませんでしたが」
「ワタシは……なんとも、なかったけど……」
これ以上掘り下げても誰も幸せにならないだろうと思い、『持ち物』から飲み物や軽食を取り出す。
と、そのタイミングで、かちっ、と何かが外れるようなおとが鼓膜を叩いた。
リアとレイラに食料を渡しながら、奥のドアを見ると先ほどまで無かったはずの隙間が空いており、ドアが開いたのだろうことが分かる。
気分転換をかねた栄養補給を済ませると、オレを先頭にしてドアを開ける。
見た目から重いかと思ったドアは慣性に従って簡単に開いた。
「……何だここ」
奥に広がっていたのは、また別の小部屋。
案の定目の前には机があり、その上に今度は謎のパネルとペンのようなものが置かれている。
奥には扉。
「…………またくだらないことさせるんじゃねぇだろうな」
三人で小部屋に入ると、すぐに背後の扉が閉まり、まるで扉などなかったように壁になってしまった。
考えても仕方ねぇなとため息をついて、目の前のパネルを調べる。
パネルは良く見ると二段に分かれていた。
「あ? 何だこれ」
そう独り言ちた瞬間、パネルの上段に文章が浮かび上がった。
問1.ファイヤーボールの詠唱を答えよ
「……は?」
意味が分からず目をしぱしぱさせていると、レイラが机の上のペンを持ちあげた。
「これで答えを書くのかな?」
レイラが試しにペンをパネルに押し当てると、そこの部分だけ黒くパネルがにじんだ。
どういう仕組みかは分からないが、ホワイトボード代わりということか?
試しに詠唱をパネルの下段に書き込んでいく。
最後まで書き終わったタイミングでパネルの問題もオレの解答もふっと消えた。
そして次の問題が現れる。
問2.生息地からはぐれて人里近くに現れる竜種のことを何と呼ぶか
「おいおい……クイズ大会やってるんじゃねぇんだぞ」
げんなりとしながらも「ロストドラゴン」と答えを書くと、またパネルの記述が消えた。
そして次の問題が現れる。
「…………はぁ。付き合うしかねぇか」
誰が作ったかは知らないが、ひとまずはこのクイズ大会に付き合うしかないようだ。
それから何問かはすらすらと解き進めていく。
問8.グランティリエ三大遺跡を答えよ
「あー……知らん」
初めて知らない問題に突き当たり、思わずつぶやく。
これまでがすらすらと解けていただけに、完全に手も足も出ない問題を出されてしまったことに少しだけ虚を突かれた。
どうしたもんかな……
「東方のサムグリア迷宮、レグザス近辺にあるミナカンシュ遺跡、ヴォルカノ火山のデフ・アルデ大坑道……だったと思う」
隣から聞こえた声に驚嘆の息が漏れる。
見ると、レイラが少しだけ恥ずかしそうに指先をいじいじとしながら口に含むような声で続けた。
「えへ……その、こういうの、好きだから」
確かに、レイラは古物や民俗学なんかに興味があるみたいな話をしていたが、よもやここまで博識だとは思わなかった。
これだけ聡明なのに、何でこう微妙に忘れっぽいんだか。
変な抜け方をしている彼女を見て小さく笑いながら、彼女の言った名前を書き込んでいく。
どうやら正解だったらしく、文字が消えて次の問いが浮かび上がった。
そこからは順調も順調。
オレとレイラの二人で難なくクイズを解いていく。
リアはそんなにも戦力にならなかったが、まあ、うん、得手不得手はあるからね……
だが、異変が起きたのは問題を15問ほど解き終わったあとだった。
問14.水素と酸素の混合気体を燃焼させた場合に発生する物質を答えよ
「水……っと」
何気なく答えるが、リアとレイラは首を傾げた。
「スイソ……とサンソ……って何ですの?」
「? そりゃ気体の一種で、酸素なんかはオレたちの生存にも必須……」
って、待てよ。いや、待て。待て。この問題はおかしい。
この世界に、原子論は存在しない。まだ、そこまで科学が発展していないのだ。
これまでの問題は全てこの世界の知識で解ける問題だった。
だが、明らかにこの問題は、この世界の知識では解けない。
問15.円周率を小数点第二位まで答えよ
円周率……の概念は辛うじてこちらの世界にもある。座学でやった記憶があるからあるはずだ。
だが、小数点第何位の概念はあったか? スキルが小数点以下まで表示されるから、小数の概念自体はあるんだが、その位数まで定義されていたか?
まさかと思い、試しに元の世界の文字で「3.14」と書き込む。
すると、問題と解答が消え、次の問題が現れた。
問16.電流の大きさを表すSI単位系における単位を答えよ
確信する。
この問題は確実にこの世界の人間に向けて作られたものではない。
義務教育を受けた現代異世界人に向けて作られたもの。
それ以外の人間に解けるようにはできていない。
リアもレイラも問題の意味が理解できないと言った様子でうんうん唸っているが、これは流石に仕方がない。
「……異世界人以外はそもそも解けねぇようになってんのか」
いよいよここの製作者に文句を言いたい気持ちが募ってきた。
そうして、計19問の問題を解き終えたとき。
問20.神とは何か
「はぁ?」
何だ急に。哲学か?
シンプルだが答えなどないような命題をふっかけられて困惑する。これまでの問題が全て知識や計算能力を試すものだったため、面食らってしまう。
「1つの答えがあるのか、んなもん」
宗教や思想にもよるだろうし、そもそも概念的なものだ。もちろん、辞書的な意味を答えることはできるだろうが、この問いが本当にそれを求めているのか?
恐らく答えはない。何を答えても正解だし、何を答えても不正解。クイズとして成り立っていない問いかけだ。
なら、オレが思う神の定義を書きなぐるしかない。
「――――人が信じる虚像」
そう書きなぐる。
しん、と部屋が静まり返った。
不正解かと思い答えを消そうとしたところで、がちゃ、という音が奥の扉から聞こえた。
見れば薄く隙間が開いている。
どうやら出題者の御眼鏡にかなったらしい。
「…………また、変な部屋があるんじゃねぇだろうな」
そうぼやきながら、扉を投げやりに押し開ける。
だが、目の前に広がる光景はオレの予期していたものではなかった。
そこはこれまでよりも明らかに広い部屋。
奥にあるのは座敷。一段上がった座敷の上に畳が敷かれている。その最奥には巨大な掛け軸がかかっている。
手前に浴衣姿の一人の男が座っていた。
男の背中は広く、肩口まである黒髪を後ろで無造作に束ねている。
リアが剣の柄に手を当てるのに気づき、それを手だけで制した。
最初に声を上げたのは、オレたちではなかった。
「――――よォ、当代賢者。俺の用意したアトラクションは楽しんでもらえたか?」
低い男の声。
こちらに振り返りもせずに、目の前に座す男が問いかけた。
「……最悪のアトラクションだったよ。作ったやつはセンスがねぇ。人を楽しませたことがねぇんじゃねえのか?」
オレのとげとげしい言葉に、男は「かっかっ」と朗々に笑った。
「いやァ、すまんな。アトラクションとは言いつつ、試練っちゃ試練だったんだ。心と知恵を試す、な。許してくれや。これでもテメェらを歓迎してんだ。そこに嘘偽りはねェぜ?」
そこで男はくるりと胡坐をかいたままこちらを振り向いた。
「俺の名前は、スドウカムイ。須藤、神威だ。改めて歓迎するぜェ? 当代賢者、十一優斗」
若い男――――神威はそう言い放つと、「かっかっか」とオレたちを笑い飛ばしたのだった。
どうでもいい裏設定:実はあのクイズ結構適当に答えてもパスできて、知らない問題は「知らない」って書くと別の問題に変えてくれたりする。




