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180、母の記憶

もうちょっとだけ夢パート。

「お母さま! お久しぶりです!」


 少女は少しだけ焦った様子で部屋に駆けこんできた。

 その顔は喜色に彩られており、全身で喜ぶその様は大型犬のようにも見える。


「まあ。また来てくれたのね、リア」


 少女――――リア・アーバンクライスはこくこくと頷く。


 それを見た女性、リアの母親であるエルトリアは顔に柔和な笑みを浮かべると彼女を手招く。

 リアが駆け寄ると、エルトリアはそのまま彼女を抱きしめるべく腕を伸ばし、彼女に手刀を打ち込んだ。

 リアは慣れた手つきでそれをいなし、反撃に手刀を返す。

 そうした手刀による打ち合いが何打か続き、お互いに言葉を交わすまでもなく手が止まった。


「ふふ。腕は錆びていないようですね」


 エルトリアは先ほどまでと欠片も変わらない笑みでそう続けた。


「もう、お母さま。急に試すのはやめてくださいませとあれほど……」


 リアは少しだけ不満そうに口を尖らせる。


 こうしてエルトリアがリアに不意打ちをするのは一度や二度のことではない。今日みたいにリアが久々に母親の住む故郷に戻ってくるようなことがあれば、そのたびに繰り返されてきた営みだ。

 彼女なりの愛情表現とはいえ、いささか不器用に過ぎるというのが周囲からの評ではあったのだが。


「騎士として、主を守るべく常に意識を張り詰めておくのは肝要ですよ。それで、騎士の仕事は十二分に全うできていますか?」


「ええ、もちろんですわ」


 リアは自慢げに胸を反らしたが、母親であるエルトリアはそれが彼女の虚勢であると見抜いていた。訝しげな視線が突き刺さっていることに気付き、リアがこほんと咳払いをする。


「……その、わたくしの主は、少し……いえ、かなり……うーん、大層気難しいと言いますか……いえ、単純と言えば単純なのですけれど、素直でないと言いますか……」


 リアは自分が仕えている青年の姿を思い出して、そんな風にぶつくさと言い訳を募った。

 何とも理屈っぽく、軽口と皮肉が多い彼ではあるが、もし彼のことを嫌っていれば騎士として仕えていない。


「確か、遥か遠方から来られた方だそうですね」


「はい。恐らく、この世界で心細い側面もあるのでしょう。わたくしが、支えて差し上げなければ……」


 真剣な目をしたリアを見て、エルトリアが笑う。


「本当に慕っているのですね。その主のことを」


「なっ…………!」


 リアはこれでもかと目を見開くと頬を赤らめた。大して暑い季節でもないのに、耳の先まで熱くなっていくのが分かる。

 そんなわけない、と勢いよく喉から出ていきそうになった言葉が、勢いそのままにつっかえて咽てしまう。


「まあ、まあ。大丈夫ですか? ほら、お水を」


 そう言って差し出された水を、リアは一息に飲み込む。冷たい液体が身体の奥底に流れ込んでいき、少しだけ顔が冷えたような気がする。


「……滅多なことをおっしゃらないでください、お母さま」


「あら、ごめんなさい。でも、悪いことではないのよ? もちろん、騎士としての本懐を疎かにするようでは、本末転倒ですけれど、私もかつて騎士だったころにあなたのお父さんと出会ったのですから」


 そう言うエルトリアも、かつては騎士として王国傍系の貴族に使えていた。だが、そこでその貴族の三男に見初められ、婚姻を結び、リアを身ごもったのである。

 身分差に物を言わせて強引に推し進められた婚姻、というわけでもなく、順当にリアの両親は恋愛結婚をしたのだから、この国においては非常に珍しい部類と言える。結婚相手が、三男で継承権が大きくなかったことも幸いし、周囲の妬みこそあれど血を見るような修羅場となることは無かった。

 そんな両親を見て育ったリア自身、騎士と主人の色恋というものに憧れが全く無いかと言えば断言はできなかった。


 ただ、今の主であるユウトとの関係が、そういった間柄になるかと言われれば……


「……まあ、無理ですわね」


 自分としては歓迎なのだが、ユウトがそれを望むべくもない。


 …………自分としては歓迎?


「いえ……! これは、これは違いますわ……! あくまで、あくまで向こうから迫られればやぶさかではないという意味であって、決してわたくしが……!」


 これ以上は墓穴になりそうだと思い、ぶんぶんと頭を振って余計な情念を追い出した。


「あなたも、難儀な子ですね……」


 エルトリアが微妙な表情でリアの頭を撫でる。


 ただ、それだけのことに、どきり、と心臓が鳴った。


 その手が、とても懐かしく感じた。

 別に、半年に一度は顔を合わせているというのに。


 もっと長く、それこそ10年以上も会えていないような錯覚に――――


「どうかしましたか? リア」


「……い、いえ」


 だが、エルトリアの顔を見るとそんな懐かしさもどこかえ消えてしまう。当たり前だ、彼女は今も目の前にいるのだから。


 でも、ですが、今の違和感は――――


「さあ、せっかく来たのだから、お茶にしましょう。あなたの好きな焼き菓子を焼いてあげます」


 そう言うと、エルトリアは立ち上がる。

 その隙に見えた彼女の手は、たくさんの剣タコが出来て、ごつごつとしていた。


 ああ、そうだ。

 自分は、母のあの手を見て、育ったのだ。


「――――お母さま」


「? どうしました?」


 まるで幼子をあやすような口ぶりの母親の言葉。


 それに、ずきり、と胸の奥が痛んだ。


「お母さまは、どうして騎士をやめられたのですか?」


「おかしなことを聞くのね」


 エルトリアは首を傾げた。

 だが、そのあとに言葉は続かない。


「……答えてくださいまし」


「…………そう……そうなのですね」


 そこでエルトリアは悲しそうに眉を下げた。

 そうして初めて、わたくし(・・・・)は自分の中にあるこの感情に意味を与えられた。


「お母さまが、騎士をやめるはずがありません……! たとえ、お父さまと結ばれようと、最期まで騎士としての本懐を貫く……!! それが、わたくしの知るお母さまです……!!」


 だから、騎士をやめ、剣を置いたお母さまなど、いるはずがないっ……!


「……ええ。そうです。私は、騎士であり続けました。最期まで」


「っ…………!」


 全て思い出す。

 まだ幼かったころに、母親が死んだことも。

 泣きじゃくって、喉を枯らして、それでも泣き続けたことを。

 血のにじむような努力をして、剣を振り続けたことも。


「これは、夢、なのですわね……」


「……はい。あなたの言う通りです、リア。これは夢。あなたが記憶を元に作りあげた、幻」


 だからこそ母親の姿は若く。

 そして、彼女の言葉も子供に言い聞かせるように優しい。


「お母さま、わたくしはっ……! あなたのような、騎士に――――」


「それを言う相手は、私ではありませんよ、リア」


「え…………」


「あなたは、既に主を得たのでしょう。そして、その方のために戦うと決めたのでしょう?」


 お母さまは、そう言ってわたくしの頬に手を当てた。剣タコでごつごつとした手はそれでも優しく、わたくしの顔を包み込んでくれている。

 目の奥が熱くなる。


「それならば、剣を持ち、その人に誓いなさい。騎士としての本懐を全うしなさい。最期まで、騎士らしくありなさい。リア・アストレア!」


 世界が、割れていく。

 先ほどまでいたはずのお屋敷が、少しずつ崩れていく。


 これは夢。


 きっと、この言葉がお母さまに届くことはない。


 けれど。


 涙をこらえる。

 真っすぐと、騎士、エルトリア・アーバンクライスを見つめた。


「――――ええ、この剣に賭けて」


 わたくしの手には、お母さまの形見の剣が握られている。

 眼前でお母さまが、にこりと微笑んだ。


――――――――――――――――――――


 それは、記憶。

 否、記憶と呼べるほど正確なものではない。

 けれども、自分の脳に、自分の魂に、深く、深く刻まれている。


 ――――お母さんは、もう帰ってこないんだ。


 父がそう告げたとき、リアには何のことだかよく分からなかった。


 母は数日前に騎士の仕事の一環で賊狩りに出かけた。なんてことは無い集落付近の野盗を狩るだけの任務。

 母の騎士の腕は超一流。それをさらに超えていると、リアは考えていた。そんな彼女にかかれば、卑しい盗賊風情など、瞬きのうちに屠ってくれると。

 事実、母は何の気負いもせずにいつものようにリアに微笑んで、家を出て行った。まるで近くに買い物に行くかのように、気楽に。


 けれど、出かけしなに見せた母の微笑みが、彼女が最後に見た母親の姿となった。


「嘘、嘘ですわ!!」


 リアはその言葉を信じなかった。

 まだ5つであった彼女は家の周りを、村の周りを一人で駆けた。母親の姿を探して。

 けれど、探せど探せどどこにも彼女の姿はなく、体中を擦り傷だらけにするだけだった。空腹と泣き疲れて家に帰ると、焦った様子の父親が出迎えてくれた。


「心配したんだぞ……! お前まで、いなくならないでくれ……!!」


 そのとき、初めて父の涙を見た。

 そして、そのときようやくリアは、もう母親が戻らないのだと悟った。頭ではなく、感情で理解できた。しかし、それは同時に彼女にとっては絶望と悲哀に向き合わなければならないということでもあった。


 だが、リアは悲哀に暮れることはしなかった。


「……強くなりますわ」


 母のような立派な騎士として、自分が父を守る。

 母は間違っていなかったのだと、自らが強さで示す。


「…………リア、これを」


 父に、一振りの剣を渡される。

 それは母が若い頃からずっと使っていた直剣。今回の遠征では持っていかなかったが、確かに母の形見の一振りだ。

 シンプルな装飾に真っすぐと伸びる白銀の剣は、齢5つのリアの体躯には大きい。


「……きっと、お前なら、この剣を使いこなせる」


 そう言って託された剣は、わたくしにはとても重く感じました。


 けれど、それでも、きっとその剣に似合う騎士になりたいと。


 いえ、ならなければならないのだと。


 そう、決意して、自らの身体を一本の剣に捧げることを誓ったのです。


2カ月ぐらい毎日投稿してきましたが、書き溜めがあってもやっぱり結構大変ですね……

毎日投稿をずっと続けている作者さんは本当にすごい。

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