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178、とりとめない日常の一幕


「……で、オレは言ってやったわけだ。オレに解けない問題を作ってから出直してきてくださいってな」


「ははっ! 優斗、お前、教師に向かってその言い方はマジでやべぇって!」


「ふふ、もう、十一君ってば……ダメだよ、先生にそんなこと言ったら」


 十一優斗は高校からの帰り道、コンビニで買った肉まんを片手に他愛ない言葉を転がしていた。


「ま、実際オレのテストの成績が良すぎるから難癖つけたいだけなんだよ、あの数学教師は」


 優斗はそう言い放って肉まんをかじった。

 彼のどこか調子に乗ったふかしに笑う一人の少年と一人の少女。


「優斗はほんっといい性格してるよな」


 少年、楠木秋彦はそう言いながら屈託なく笑った。

 ざっくばらんに短く切った茶髪はどこか軽薄さを感じさせる一方で、白い歯を見せながらけらけらと笑う様は子供っぽさも残っている。


「茉莉もそう思うだろ?」


「ふふ、ふふふ……」


「っと、まーた茉莉が変なツボに入っちまった」


 もう一人の少女、相田茉莉は、黒髪のおさげを揺らしながら俯いて笑いを噛み殺している。

 どこかちぐはぐにも見える三人だが、高校入学当初から奇妙な縁で結ばれ、何かとつるむ機会が多かった。

 今日も今日とて三人で帰路につく最中であった。

 入学してからちょうど一年ほど、幾度となく繰り返されてきた日々だ。


「もうすぐ春休みだねぇ……」


 何気なく茉莉がつぶやく。


「そうだな。いやぁ、登校できなくなるなんて寂しいなぁ」


 優斗のわざとらしい言葉に、秋彦が笑う。


「ぜってぇ思ってないだろ」


「いやいや、オレほど愛校精神にあふれた人間もそういないぜ? ああ、素晴らしきかな我が学び舎。生物講義室のクーラーがいつまで経っても直らないあたりとか、愛おしくてたまらないね」


「あー……夏は確かに地獄だったな……」


 夏の授業を思い出して三人そろって苦い思いをする。

 もう冬だというのに思わず汗がにじみ出てくるような錯覚すら覚えた。

 そうして雑談をしながらまったりと時間を惜しむように歩く。

 けれど、楽しい時間は永遠には続かない。


「……じゃ、オレはここで」


 交差点で優斗が立ち止まる。

 ここで秋彦、茉莉の二人と家の方向が分かれる。


「あとはお若い二人でよろしくやってくれ」


「ばっ……! そういうのやめろって! なぁ、茉莉!」


「え、う、うん……」


 つい一月ほど前から秋彦と茉莉が付き合い始めた。

 美女と野獣…………というのは流石に秋彦に失礼かもしれないが、まあともあれ意外な組み合わせではあった。

 ただ、優斗は素直な気持ちでそれを祝福できた。

 友人二人が同時に恋仲になるなど、それを祝わずして何が友情かとまあそのときは長々と高説を垂れたものであった。

 優斗自身、若干ひとり取り残されてしまった物寂しさを感じなくもなかったが、付き合い始める前と付き合い始めてからで特に彼らとの関係性に変りも無い。

 ただただ、二人が付き合っている、という事実が増えただけ。

 優斗は心の底からそう思っていたし、二人にはうまくやって欲しいと願っていた。

 二人が別れて気まずくなりでもしたら、この三人での今の関係が崩れてしまうのではないかという打算も理由の一つにはあったのだが。

 いずれにせよ、彼らとの関係は変わりなく良好。友人と呼んで差し支えない間柄はそのままであった。


「まあ、あれだ。最近治安悪いからな。このあたりに放火魔だっけか? が出没してるんだろ? 茉莉を守ってやれ。ナイト秋彦」


「何だその芸名みたいな呼び方……言われなくても分かってるっての。お前も炎上しないようにな」


「上手いこといいやがって」


 そう言いながら男二人で喉を鳴らして笑う。この軽口のたたき合いが出来るところが、優斗が秋彦に親しみを覚えた一番の理由なのかもしれない。

 そうして二、三言交わし合ってから別れる。


「くくっ」


 いつ思い出しても、二人が緊張した面持ちで付き合いだしたことを報告してきた光景は面白い。

 こちらは言われる前から気付いていたのだが、さも二人が重大発表かのように言うのだから何事かと思ったものだ。実は気付いていたと伝えた時の二人の顔は、今後も一生擦り続けるいいネタになるだろう。

 そんなことを考えていると、いつの間にか家の前についていた。

 住宅地の端にある一軒家だ。

 家の鍵をポケットから取り出す手が、少しだけ重い。

 かちり、と鍵の回る音がして息を殺して中に身を滑り込ませた。


 がしゃーん、と皿か何かが割れる音が耳を劈いた。


「クソッ、俺が悪いってのか!? なあ、答えてみろよ!!」


 怒号。


 幾度となく聞きなれた男の怒鳴り声が、家中に響き渡っている。

 優斗は死んだ心で「近所に聞こえるからやめて欲しいな」と思った。


「ごめんなさい、いいえ、いいえ、違うの。あなたは、あなたは悪くないわ……」


 母親のすすり泣く声。

 幾度となく聞いて、耳にこびりついてしまった声から逃げるように二階に駆け上がる。


「おいっ! 優斗! 帰ったなら声ぐらいかけたらどうだ!! 誰が食わせてやってると思って――――――」


 部屋にこもり、ヘッドフォンで耳に蓋をする。かつて父親だった男の怒号は、大音量の音楽に潰されてもう聞こえない。


「――――――――」


 下から微かに誰かの声が聞こえそうになる。

 さらに音楽の音量を上げて掻き消した。


 ……どうして、こうなってしまったのだろう。


 優斗は自らの記憶を掘り返した。

 最後に父が父であったのは、恐らく優斗が中学生のときだろう。

 一流企業に勤めていた父はそれなりに稼ぎもあり、専業主婦の母や一人っ子の優斗を養うために身を粉にしていてはたらいていた。

 毎日優斗が寝る時間に帰ってきて疲れた顔をしてはいたが、それでも母や優斗に声を荒げることなどなく、いつも優しい笑みを浮かべていた。

 そして、時折優斗が学校で良い成績をとると優斗の頭を撫でてこう褒めるのだ。


「優斗は父さんに似て賢い子だ」


 当時、優斗は父の傲慢さにも気づかず、その言葉を喜んで受け取っていた。

 すべてが変わったのは優斗が中学三年生のとき。

 不況のあおりを受け、会社の大幅なリストラに父親が巻き込まれたのだ。父親は仕事では優秀だったらしいが、同僚たちの妬みと、優秀なら他の会社でもやっていけるだろうという理由であえなくリストラに遭った。

 クビになった直後の父は呆然としながらも、「まあ、俺が何とかするさ。大丈夫だ」と力なく笑っていたのをよく覚えている。


 だが、父親の転職先は見つからなかった。

 不況の中で、今の生活を維持するべく待遇面の要求水準も高かったのだろう。

 父親は転職先が見つからない苛立ちを募らせ、徐々にその矛先は優斗や母に向かっていった。いや、正確には自分以外のあらゆる他人に向かっていった。


 そうして父親はいつからか仕事を探さなくなった。

 家で酒を飲み、日がな寝たりテレビを見て過ごしている。

 たまにでかけてもどうせ飲んでいるのだろう。

 いつも強烈なアルコールとたばこの臭いがする。

 アルコールを摂取し過ぎたのかは知らないが、最近はガソリンのようなきついアルコール臭に変わってきた。できるだけ近づかないようにしているが、父親が通り過ぎたあとに臭いが残るから最悪だ。

 母親が始めたパートとかつての貯蓄で何とかなっているが、この生活も恐らく数年で破綻するだろう。


 ありきたりな話で、どこにでもあるくだらない家族の話だと言ってしまえばそこまでだ。


 ただ、それが当人のものでなければという一点を除いて。


 当人に降り注ぐ悲劇は、いかにそれがチープな三文脚本だったとしても、臨場感ある悲劇として迫ってくる。


 ノートと教科書を開き、ただ無心に知識を脳内に詰め込んでいく。

 勉強をしている最中は、うるさい声も気にならないし、この世界のすべての理不尽に無頓着になれる気がする。


 それから一時間ほど。

 音楽と音楽の切れ目に、こんこん、と控えめなノックが部屋のドアを叩いた。

 そのノックがたまたまそのときに響いたのか、それともオレが聞こえるまでずっと鳴らし続けていたのかは分からない。

 けれど、その憔悴しきったノックの音から誰のものかは分かる。

 そっとドアを開けると、母がトレイを持って立っていた。

 その上には既に冷めてしまった料理が乗っかっている。


「ごめんなさい、優斗。勉強中だった?」


「……いや、いいんだ。母さん」


「これ、夕ご飯。リビングはお父さんがいるから、部屋で食べて。食べ終わったら、部屋の前に置いておいてくれていいから」


 優斗はやけに小さく見える自分の母親を直視できなかった。

 「ああ」とか「うん」とか、曖昧模糊とした言葉ともとれないようなうめき声を返すと、そのままトレイを受け取って扉を閉めた。


「…………母さんはいいのかよ、それで」


 小さく呟いた声は、誰にも届きはしない。

 味もよく分からない夕ご飯を口の中に放り込んでいく。


 また下から怒鳴り声が聞こえて、すっとヘッドフォンを付けた。


楠木秋彦くんと相田茉莉ちゃんは初登場です。

優斗が「いや、元の世界にもいたし」と言っていた友達Aです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 秋彦と茉莉… 誰だっけ… [一言] 前話で夢から覚めるのかと思いきや別の夢?のおかわりが予想外だったなぁ
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