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176、他愛ない日常の一幕

「……で、オレは言ってやったわけだ。オレに解けない問題を作ってから出直してきてくださいってな」


「もー、優斗は、すぐそうやって先生に喧嘩売るんだから」


 ぺらぺらとふかす十一優斗の言葉に、同級生の少年が苦笑しながら言った。


「ま、実際オレのテストの成績が良すぎるから難癖つけたいだけなんだよ、あの数学教師は。――――春樹だって、言われたらガツンと言い返さなきゃダメだぞ」


 優斗はそう言って同級生――――香川春樹に説教を返す。

 余計なお世話に他ならない優斗の言葉も春樹は笑って受け流すと、話を転じた。


「そういえば、この前の模試、すごい成績良かったんだってね? 先生が褒めてたよ」


「おおう、急なヨイショ入ったな。どうした? そんなに褒めちぎってもおかずのからあげぐらいしか提供できねぇぞ?」


 そう言いながら弁当箱の唐揚げを一個ひょいと春樹の弁当箱に移した。

 昼休みの喧騒のなか、春樹が困り顔を浮かべる。


「いや、何かを要求してたわけじゃないんだけど……」


「えー!! ずるい!! ゆーくん、わたしにも唐揚げ!!」


「何でお前に上げなくちゃいけないんだ、織村」


 不満そうにポニーテールを揺らす少女、織村凛に優斗は怪訝そうな目を向けた。

 凛は可愛らしいお弁当を一口口に放り込むと、「ぶー」と不満げに口を尖らした。


「何でゆーくんは香川君にだけ優しいのさ」


「いやいや万人に優しいつもりだぞ。織村にからあげを恵まないのも、カロリー過多にならないようにというオレなりの配慮があってだな……」


「絶対うそ」


 そんな風に軽口を叩き合いながらもお互いにからからと笑った。


 香川春樹、織村凛は同じ高校のクラスメイトだ。

 入学当初から何かと縁がありつるむことも多い。

 三人とも性格も趣味もまるで違うわけだが、人との距離感の保ち方が似通っているためか、優斗は一緒にいて心地よさを覚えていた。


「あ、そうだ。ゆーくん、お願いが……」


「どうせ勉強教えろとかだろ」


 優斗の即答に「いやぁ、毎度毎度すみませんねぇ」と凛が頭をかいた。


「少しは勤勉な春樹を見習ったらどうだ」


「え、ぼ、僕?」


「だって、わたし部活の練習とかあってあまり時間とれないんだもん!」


「はぁ……しょうがねえな」


 いつものことかと優斗がため息を漏らすのも気にしない調子で、凛が「やったー!」と万歳のポーズをとってみせた。

 凛は陸上部に所属しており、放課後は大体部活動に勤しんでいる。

 昼休みもミーティングなどでどこかに消えることが多く、こうして三人で昼食を囲めるのは週の半分も無い。

 オーバーなリアクションをとる凛に、優斗は何度目になるか分からない苦笑を返す。

 彼女の分かりやすすぎる一挙手一投足にややあざとさを覚えている優斗ではあったが、あえてそれを指摘することもあるまいと内心で考えていた。

 恐らくは彼女なりの処世術なのだろう。

 春樹は頬をかくと、申し訳なさそうに続けた。


「あー、その、僕もできれば数学教えて欲しい、かも」


「もちろん、構わないぞ」


「ほんと? ありがとう!」


「ねー!!! なんで香川君にだけ優しいのー!!!」


「織村、声がでかい」


 そんな風に益体のない会話を続ける日々。

 だが、友人たちと無為に語らう日々を優斗は嫌っておらず、むしろそこに心地よさすら覚えていた。


 そんな風に雑談に興じていると昼休みも終わり、午後の授業が始まる。

 先ほど話していた数学教師のやたらと平坦な授業が続く昼下がりは、睡魔を誘うには絶好のシチュエーションだ。

 事実、凛を含めた数名が開始10分程度で既に船をこぎ始め、一部の者にいたっては机に突っ伏している。

 我が校では自主自律とやらが重んじられているため、目くじらを立てて怒鳴られることもないが、いかんせん数学教師の不満そうな視線がちらちらと眠りこける生徒諸君に注がれていた。


「それでは、織村さん。この問題を解いてください」


「ふぉぇ!?」


 急な指名に凛が奇怪極まりない奇声をあげた。

 くすくす、と教室内を小さな笑い声が駆け巡る。

 ただ、決して嘲笑うようなニュアンスを含まないそれはどこか温かく、教室内での織村凛という少女の立ち位置を明確に示していた。


「えー、えーっと……√3?」


「この問題に√は出てきませんが…………ちゃんと授業を聞いておくように」


 凛の指名を受けて、他の睡魔に誘われていた生徒諸君も慌てて居住まいを正す。

 そんな様子を見て一人喉の奥で笑っていると、数学教師の睨むような視線がこちらを捉えた。


「十一さん。この問題の答えは?」


「え? x=2, 1/3 ですね」


「…………正解です」


 優斗は突然指名されてやや驚いたものの、すでに脳内で解き終えていた問題の答えを求められただけだ。つつがなく正答をたたきつけると、数学教師は若干不満そうに授業を続けた。


 いや、生徒が授業内容を理解してるんだから、喜べよ。

 自らの反骨的な態度を棚に上げて教師の態度を非難する。

 そんな風にしていつも通りの授業風景はつつがなく進み、時計の針が一周したあたりで聞きなれたチャイムが鳴り響く。


「本日はここまで。予習復習はしておくように」


 そう口早にまくし立てた数学教師はこちらを一瞥することもなく、すたすたと足早に教室の外に出ていった。

 すると、どたどたどたという足音をあげて、凛が優斗の机に迫ってくる。


「ゆーくん!! 何で答え教えてくれなかったの!!!」


 どん、と凛が優斗の机を両手でたたいた。

 その勢いは彼女の語気の強さの割には強くなく、あくまでポージングのみのものだろうということが一目瞭然だった。


「いや、授業中に教えろって方が無理があるだろ」


 優斗の至極当たり前の回答に、凛は「でもさー!」と続けた。


「こう、アイコンタクトとか! なんか、良い感じにさ!! あ、ほら、モールス信号? ってやつとか!」


 恐らく凛はモールス信号が何か理解せずに言っているのだろうと優斗はため息をつく。

「モールス信号を覚えている余裕があったら、教科書読め、教科書」


「ぐぬぬ」


 優斗と会話をするきっかけや話のネタが欲しかっただけで、凛とて本気で言っているわけではなかった。

 優斗もそれを分かっているからこそ、あえて塩対応で返していた。

 そんな戯れをもう数回も繰り返せば、次の授業の時間が迫る。


「ほら、さっさと席に戻れ」


 しっし、と優斗が追い払うような仕草を見せると、凛は「はーい」とけろっとした表情で自席に戻っていく。

 凛は自席に戻ってからも近くの女子と雑談に興じている。人と話していないと死んでしまう病気なのだろうか、と優斗は内心で凛の生態を適当に定義づけて遊んでいると、すぐにチャイムが鳴って教師が入ってくる。

 そうして、午後最後の授業も無事に終わり、放課後が来る。


「じゃあ、ゆーくん、香川くん! 勉強会!」


 開口一番、優斗と春樹に向かってそう言い放つ。

 今週はテスト期間のため、部活も活動を停止している。そのため、陸上部に所属している凛も部活にはいかずに、こうして勉強会に参加する運びとなっている。

 凛は両手に大量のノートと教科書を抱えており、準備は万端と言った様子だった。


「なんか、そんだけ大量の教科書持ってると逆にバカっぽいな」


「なんですとー!!」


 優斗の辛い評価に凛が全身で不満を表現する。


「あはは。でも、やる気があるのはいいことじゃない?」


「そうだな。春樹の言うとおりだ」


「ねぇ、格差!! 格差があるよね!? 対応に!!」


 そんな風に三人でぎゃーぎゃーとわめきながらも、机を繋げると勉強会を始める。

 と言っても、基本的には三人で自習をしつつ、分からない箇所があれば優斗が二人に教えるという形をとっていた。

 優斗自身、解けない問題などは稀にあれど、学校の期末試験でわざわざ人に聞かなければならないような状況に陥ることはほぼなかった。

 優斗は、適当に自ら自習を進めながらも、時折二人から来る質問に答えていた。


「ふふ」


「? どうした、春樹」


 急に笑みをこぼした春樹に、優斗は首を傾げた。


「あ、ご、ごめん。なんか、その、楽しいなって。こういうの」


 春樹の言葉に、優斗は目を丸くした。


「ご、ごめん。変なこと言ってるよね……でも、あんまりしたことなかったから。その、友達……とみんなで勉強会みたいなこと」


 優斗はそう言われて自分の過去を思い返す。

 確かに中学時代に友人と勉強会をするなどという機会は無かったなと思った。


 そもそも中学時代に多少交友があったやつで今でも付き合いがあるような関係の深いやつがいな……


 この話は置いておこう。

 思わぬ大怪我を負いそうになり慌てて思考を軌道修正する。


「まあ、確かにな。いかんせん、オレの労働環境がブラックな気もするが」


 無給でいつ終わるか分からない学業指導に勤しんでいる。

 やりがいのある楽しい職場です!


「その件は本当にありがとうございます……帰りにアイス奢るね?」


「いや、この寒い季節に? 新手の嫌がらせか?」


 ぱん、と両手を叩いてすりすりと優斗を拝む春樹に追従するように、凛も優斗に祈りを捧げ始めた。


「ありがたや……ゆーくん神さまや……」


「何、学業の神様か何か? 菅原道真の気持ちになってるわ」


 怖い怖いと身を震わせる優斗に、他二人が無邪気に笑う。

 それにつられるようにして優斗も顔を崩して笑った。

 そんな風にして、他愛ない放課後はカチカチと規則的な音を鳴らす時計すらも置き去りにして過ぎていった。


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