175、郷愁
ようやく合意がとれたところで、オレたちは石畳を歩いて屋敷へと歩いていく。
『領識』で屋敷をスキャンする。
かなり大きな屋敷だ。部屋数も多く、廊下も長い。部屋が明確に仕切られておらず襖や障子などがあることからも、内装も含めて完全に日本式の建築であることが分かる。
ただ、これだけ大きい屋敷なのに、人の気配は一切なく、何なら動く物すらない。それにもかかわらず、何かが壊れたり崩れている様子はないのだから不気味だ。
警戒しながら門をくぐる。
くぐった瞬間両脇から槍やら矢やらが飛んで来たらどうしようかと思っていたが、そんなこともなく普通にくぐれてしまった。
まあ忍者屋敷ではないからな…………
玄関の戸はすりガラスの引き戸だった。
念のため『不可視の御手』越しに扉を開けると、ガラスの揺れるガラガラというどこか聞き覚えのある音とともに戸が開いた。
眼前に広がるのは普通の玄関。
いや、オレの目にとって普通に見えるだけで、この世界の人間にとってはかなり特殊に見えるだろう。
この世界では家に入るときに靴を脱ぐ文化が無い。つまり、玄関で靴を脱ぎ一段上がった場所に素足で登るという体験は存在しないのだ。
「木の匂いが強いね……」
レイラがくんくんとあたりを嗅いでいる。
確かに、彼女の言うように木材の匂いが強い。その匂いを実感して、一瞬だけ猛烈な郷愁に囚われてしまう。
もちろん元の世界に強い愛着などがあるわけでもなければ、家に帰りたいという意志もない。ただ、少しばかり元いた世界を懐かしみ、記憶を掘り返してしまう。
だが、思い返される記憶はぼんやりとして判然としないものも多く思わず笑ってしまう。
こちらの世界に来てからの記憶は重箱の隅をつつくようなものでも漏れなく思い出せるというのに、元の世界の記憶は曖昧だ。その事実が、無性に面白い。
オレの笑い声に首を傾げる二人に「何でもない」と告げて、靴を脱いで廊下に足を踏み入れた。
そんなオレの様子を見て、リアが怪訝そうに眉を顰めた。
「どうして靴を……?」
「ん? あ……いや、つい癖で」
こちらの世界に来てもう半年以上経つというのに、思わず靴を脱いでしまった。普段はそんなことはしないが、こと日本家屋という状況でつい癖が出てしまったのだろう。
靴を履き直すと、今度は土足で上がる。
少しばかり罪悪感があるが、廃屋を探索していると自分に言い聞かせて納得させる。
それから三人で屋敷の探索を開始した。
長い板張りの廊下は片側が縁側に続き、もう片側は障子で区切られた和室に続く。障子の1つを開いて部屋を見れば、オレの想定を裏切らずに畳張りの部屋が視界に広がる。
オレが最後に日本で住んでいた家には畳の部屋など無かったが、それでもどこか懐かしさを覚えるのだから不思議なものだ。
そんな風にして目に入るものに片っ端から懐かしさを覚えて探索を進めていく。
だが、15分と経たずに邸宅の中をぐるりと一周できてしまった。
特にめぼしいこともない、いたって普通の、大きな日本屋敷。
まあ、リアとレイラにとっては珍妙なものばかりだっただろうが、オレからすると畳も障子も襖も掛け軸も何もかも「ああ、はい。日本家屋ってそんな感じですよね」と言う他ない代り映えのしないラインナップだったのだ。
「何もねぇな……」
部屋を探索しながらぼやく。
本当にただの家屋という感じで、これといって奇妙なものも見つからない。
「ねぇ、ユートくん」
「ん?」
レイラに袖をひかれる。
「これ、何て書いてあるの?」
レイラが指さすのは掛け軸。
やたらと達筆な筆で書かれているが、辛うじて「明鏡止水」と四字熟語が記されていることが読み取れる。
「明鏡止水だってさ」
「……めーきょーしすい?」
「ああ。四字熟語の一つで、泰然として心が動じない様を…………」
レイラに説明をしていて違和感に気付く。
待て、待てよ。
この掛け軸に書かれているのは「明鏡止水」の四文字。
この世界にはないはずの、漢字。
「……やっぱり異世界人の仕業で確定だな」
恐らくはオレと同郷の人間。
リベリオ・アトラウスも禁書庫で言っていた。
オレたち以外にもこちらに飛ばされてきた異世界人がいたと。
いつかは知らないがかつてこちらの世界に飛ばされてきたらしい彼らのうちの誰かが、ここを作った。
何のためにかは知らないが。
「異世界人なら、こういう掛け軸の裏に隠し通路でも仕掛けてんじゃねぇのか?」
ダメもとで掛け軸をめくる。
「おい、マジか……」
眼前にぽっかりと空洞が空いている。
そしてその下に続く階段を見つける。
「は? さっき『領識』で見たときはこんなもん…………」
もう一度『領識』で見ようとするも、掛け軸の裏は確かに壁になっており通り抜けできるようには見えない。
まさか、『領識』を欺く何かしらの仕掛けがあるのか?
思えばシャーラントの禁書庫も奥の方までは魔力をいきわたらせることができなかった。それに先ほどの砂嵐も同様だ。魔力――――魔素を通さない何かがあってもおかしくはない。
「過信は禁物ってことか……」
『領識』の万能さに依存していたが、すべてを信じ切ることの危険性に気付かされる。
奥の方へ光魔法で作り出した『光球』を落とす。
階段は20段程度しか続いていない。そこから真っすぐに進む道が続いている。
「リア、奥の方の気配探れるか?」
「……いいえ、何も感じませんわ」
「レイラは?」
「うーん……少し埃っぽい匂いはするけど、他の匂いはしないかなぁ……音も聞こえない」
三人がかりで索敵をしても、特に得られる情報はなかった。
「…………奥に進むけど、いいか?」
こくり、と二人の頷きを受けてオレたちは階段の下へと体を滑り込ませた。
リアを先頭にしてオレ、レイラの順で続く。
ランタンで光を確保し、念のため『光球』と『風蕾』に先導させた。
階段を下り、いくばくか通路を進んだ先、開けた空間に出た。
開けた、と言っても天井の高さは2メートル程度と低く、部屋の広さも手狭。走り回るようなスペースはない。石材で囲まれた空間はやや冷たさを感じさせる。
正面に木製の扉があり、その前には素朴なテーブルが1つ。そして、その上に三本の小瓶が置かれていた。薄水色の小瓶の中には何かの液体が入っているようだが、それがどんなものかまでは判別がつかない。
周囲には他にも何も見当たらない。
警戒しながらテーブルに向き合うと、小瓶の奥にプレートがはめ込んであり文字が刻まれていた。
「小瓶の中身は貴公の夢。夢より醒めし者だけがこの先へ進める……」
目の前の扉をがちゃがちゃと動かしてみるもピクリとも動かない。案の定『領識』で扉の向こう側を窺い知ることも出来なかった。
「少し下がっていてくださいな――――はぁッ!」
リアが一閃のうちに扉を切り捨てようとするが、木製の扉には傷ひとつつかない。
「ワタシも試してみていい?」
レイラが、そう言って消滅魔法を手に纏い、木製の扉を殴りつけた。
ごっ、という鈍い音とともに扉にレイラの拳がぶつかる。
「……じーんって来た……」
だが、彼女の異能を以てしても目の前の扉が傷ひとつつくことはない。
これがゲームであれば、破壊不能オブジェクトといったところか……
レイラの異能すらも受け付けない絶対不可侵の防御。恐らくは結界や術法に類するものだろう。
先ほどからオレの想像と知識を超えることばかりが起きている。そろそろ頭がパンクしそうだ。
「…………あくまでそういうギミックを解けって話なのか」
急にゲーム的要素を持ち込んできているのもいかにも異世界人らしいなと鼻で笑う。
だが、仮にそうだとしても目の前の正体不明の小瓶を飲み干すほど安直な人間ではない。毒の可能性も十分にあるし、仮に毒でないとしても安全なものである保障がない。
「しょうがねぇ。他の隠し通路が無いか一旦戻って確認し――――」
言いかけて思わず言葉が留まる。
先ほどオレたちが通って来たはずの通路が見当たらない。
眼前にあるのは無機質な壁。
何かをはめ込んだような素振りも無く、ただただそこには石壁があるだけ。
幻覚の類かと『領識』を使って確認したり、リアやレイラに破壊を試みてもらうも結果はあえなく撃沈。
「冗談、だろ……」
とどのつまりオレたちに退路は残されておらず、眼前の小瓶を飲み干すほかないというわけだ。
「いや、待てよ……脱出するだけなら、可能か?」
たとえ密室だろうと強引に外に脱出する手段がある。
むしろ、今までその可能性に思い当たらなかった自らの至らなさを恥じるまである。
転移魔方陣。
今ここで転移魔方陣を描き、自宅に転移してしまえばいい。
無論、砂漠の旅は一旦中断してしまうが、エルピスには魔方陣を設置してある。エルピスから旅の再開と思えばそこまで大きなロスでもない。
「何してるの?」
レイラの問いに答えながら、魔方陣を床に描く。
「転移魔方陣だ。一旦ここから脱出する」
手慣れたものでさっさと描き上げると、魔力を注ぎ込む。
だが、いくら注げども魔方陣が光を放つことはない。
「……おかしいな」
魔力の量を調節したり、魔方陣に瑕疵が無いかを確かめるが、特に問題があるようには思えない。
リスチェリカの自宅側の魔方陣が消された…………?
そう思い、魔方陣を別のものに描きかえるも結果は同じ。
「…………転移すら許されないのか」
思い当たった結論を独り言ち、絶望が沸き上がるのを感じる。
まさか、そこまで封殺されるとは思わなかった。転移魔方陣は失われた技術。あまりに万能ゆえに、転送それ自体が封じられる状況などないと高をくくっていた。
だが、事実オレはそんな状況に囚われてしまっているわけだ。
「どうしますの?」
「………………飲むしかねぇだろ。このクソったれな条件を」
そもそもこれだけの密閉空間だ。換気されているかも怪しい。
場合によっちゃ餓死より先に窒息死が来る。
目の前の小瓶を一つ手に取る。
中の液体が揺れる。
蓋を開けて匂いを嗅ぐも無臭。
これでまだ刺激臭の一つでもしてくれたらよかったのだが、生憎危険信号は発していない。
「ワ、ワタシが先に飲むよ……!」
そう言うとレイラはオレから小瓶をひったくり、ぐい、と一気にあおった。
「ばっ……! お前、何やって……!」
止める暇も無かったレイラの行動に驚いて慌てて彼女の腕を掴む。
からん、と彼女の手から零れ落ちた小瓶は既に空っぽで、ころころと乾いた音を立てて石畳の上を転がった。
「……何も、変わらないかも?」
不思議そうに自分の身体をぺたぺたと触るレイラ。
その様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
が、それがすぐに油断だったと悟る。
ふら、とレイラの身体が揺らぐ。
「お、おい!?」
そのままオレにもたれるように倒れ掛かると、意識を失ってしまう。
「レイラ!? おい、しっかりしろ!?」
慌てて彼女の呼吸や心拍を確認するが、特に異常はない。
発汗や発熱、痙攣の症状などもない。
この状態を見てまず思うこととすれば、彼女はただ眠っているだけだということ。
すぅ、すぅ、とこの旅で長らく聞いてきた寝息が耳をくすぐった。
「……本当に、寝てるだけなのか?」
ちらと書かれていた文字を見る。
小瓶の中身は貴公の夢。夢より醒めし者だけがこの先へ進める。
「…………睡眠導入剤ってわけか」
毒が効かないはずのレイラにも効いたものだ。
相当強力……いや、もしかしたらそもそも生物学的な毒ではないのかもしれない。
恐らくは魔術に近い何か。
それを同定する術は、今のオレには無いのではあるが。
「……毒を食らわばってか」
レイラを床に寝かせると、オレも小瓶を掴む。
「わたくしは――――」
「リアは念のため待機していてくれ。もし半日待ってもオレたちが目覚めなければ、そのときは小瓶を呑むように」
そう言って彼女にはいくらかの水と軽食を渡しておく。
もしこれが三人同時に飲まなければならない類のものであれば、三人が飲むまで待ち受けている「何か」が始まらない可能性もある。
丸一日水分をとらなければ脱水症状になり得る。
眠りこけるオレやレイラの護衛の意味でリアには起きていて欲しいが、その可能性が捨てきれない以上半日様子を見て飲むしかない。
「ええ……分かりましたわ」
「……頼んだ。じゃあ、おやすみ」
そう言うとオレは小瓶の中身を飲み干した。
味はなかった。
まるで空気を呑んだかのように体の中に一瞬で溶け込んでいく。
喉を焼くような感覚も、嘔吐感もない。
ただ、少しずつ思考が鈍っていく感覚を覚えた。
立っていられずに膝をつく。
リアが支えてくれているのをぼんやりと理解したのを最後に、オレは真っ暗い無意識の底に落ちていった。




