172、決意
階下から響いた物音。
三人で顔を見合わせていると、かつかつかつと足早に足音が駆け上がってくる。
ここは3階。つまりは2階にいた何者かが上がってきているわけだが……
三人で警戒をして階段を睨みつけていると、ひょこ、と2つの獣耳が顔をのぞかせた。
現れた人物を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「何だ、バートルか…………」
「いや、兄弟が隠れてろっつたから、ずっと隠れて機会を窺ってたんだろうが」
現れたのはバートルだった。
「ったく、3階で隠れて待ってたらなんか急に天井がみしみし軋み始めやがってよぉ。慌てて下に降りて、外に出ようとしたら今度は空から変なもんが降ってきやがるし。また建物に駆けこんだら、急に静かになるし…………何があったんだ?」
バートルの軽妙な口調に、どう返そうか悩む。
彼自身も先ほどから視線を左右に動かしており、言葉には出していないながらもライセンの行方を捜しているのは明らかだった。
事の次第を話す。
ライセンやウォシェ、セーニャ……誰の命も救うことができなかったことも。
「そうか……死んだか」
ぼそり、と呟いたその言葉にいかな感情が潜んでいるのかは分からない。
「…………オレは、ライセンに救われた」
彼女の中でどのような心境の変化があったのかは分からないが、オレはライセンに命を救われた。彼女がオレを突き飛ばしていなければ、反応できずにアレに触れて死んでいた。
「遺言だ。バートル。お前に、後を頼むって」
確かに彼女は最期の力でそう言い遺していた。
「…………アイツが、そんなことを……分かった。ありがとな、兄弟」
責められるかとも思ったが、まさかバートルから礼が返ってくるとは思わなかった。
オレが困惑していると、バートルはぱんぱんと自分の頬を叩く。
「兄弟。いつまでここに隠れてるんだ?」
「…………分からん。正直、あの胞子がどれくらいの間生きているのか、どれくらいの間飛び続けているのか分からない。流石にあれからそれなりの時間は経ったし、まだ舞い続けてるって可能性はそこまで無いと思うが…………」
だが、触れれば即死の魔法なのだ。
慎重にならざるを得ない。
『領識』を展開する。
あたりに集っていた市民たちは、ライセンと同じように干からび、大地に倒れ伏している。
さらに遠くまで飛ばすも、街の外は死屍累々。
生きている人間を見かけない。
さらに広域に『領識』を広げる。
そこまでしてようやく、外で活動している人間を見つける。死体の前で膝立ちになり、祈りを捧げている。
「…………外に出ても、大丈夫そうだ」
できる限り肌を出さない方がいい。
念のため何重にも外套を纏い、皮膚の露出を最低限に抑える。
リア、レイラ、バートルも同様に外見から誰かが判別できないほどに着込む。
1階まで降り、ドアの前まで来る。
「よし、行くぞ――――」
布越しにドアを開ける。
ぎぃ、と木の軋む音を立て扉は簡単に開いた。
視界に広がるのは、惨憺たる光景だった。
死体の上に死体が折り重なっている。
十や二十では済まない死骸が、足の踏み場もないぐらいに敷き詰められている。
「…………ひとまず、死体を避けて通ろう。胞子も残っていないな」
あえて状況を口に出すことで冷静さを保とうと心がけるが、目の前に頽れ積もった死体の山に、さしものオレも閉口せざるを得ない。
不快感を隠しきれず思わずえづきそうになるのをこらえ、オレは何とか確実に一歩一歩前に進む。
ようやく死体の山を抜け、大通りへと出る。
だが、大通りもいたるところに死体が転がっており、亡骸の傍では遺族と思しき人々が悲しみに暮れている。
「くそっ、どれぐらいの被害か見当もつかねぇな」
このあたりだけでこの死者の数だ。
もしあの胞子が街全体に散らばっていれば、その被害は甚大などという言葉でもなお甘いだろう。
「なあ、兄弟。ひとまずオアシスに向かわねぇか。恐らくあのあたりに人が集まってるんじゃねぇかな」
「…………ああ、そうだな」
少し言葉を濁してしまったのは、オアシスで見られるだろう光景を想像してしまったからだ。
あそこに集まっているのは、恐らく生者だけではない。
等しく命を失った者たちも集っているはずだ。
「行こう」
オレの言葉にリアもレイラも黙ってうなずいた。
バートルは一瞬だけこちらに気づかわしげな視線を送ると、すぐにそっぽを向いてすたすたと歩きだす。
ライセンが死んだばかりだというのに強いな、こいつは。
決して表には出さないわずかな敬意を込めた目で見ながら、後を追う。
オアシスへは、残念ながらすぐに着いてしまった。
そして、目の前の光景にやはり言葉を発することができない。
リアも、レイラも、そして饒舌なバートルでさえ無言のままだ。
人、人、人。
そのすべてが死に絶え、大地に寝かせられている。
死体の傍らで祈りをささげる者がいれば、その反対では空を仰いで泣き叫ぶ者もいる。
その中で、一際豪奢な服を着た男が何かを叫んでいた。
「おい、貴様ら! 何をやっている! 変死した死体などさっさと焼却してしまえ! 未知の流行り病だったりしたらどうする!」
叫んでいる男の名前をオレは知っている。
ガルドルフ・ロー・フィリテン。オレに難癖をつけたこの街の領主。周辺には付き人や憲兵たちが集まり、中には憔悴した様子のローウェンの姿もある。
そして、たったいま天災に見舞われて本性を晒し、周囲に不平不満をぶちまける愚者は吼えた。
「し、しかし、今回の一件はあまりに想定外の災害です。もう少し慎重に……」
「貴様ぁ! 領主の私に逆らうつもりか!! 早く言うとおりに動け――――ん?」
唾を飛ばしながら息を荒げるフィリテンがようやくこちらの存在を見つける。
その顔を怪訝そうに歪め、少しばかり思案すると浅黒い顔を真っ赤に一変させた。
「……貴様ら。そうか、そうかそういうことか。今回の死を招く黒い雪は貴様らの差し金か」
「…………は?」
怒り狂うフィリテンの目はこちらを強く睨みつけているが、その瞳は何も映してはいない。こめかみに浮かんだ青筋が脈打ち、こちらに強い憎悪の言葉を吐きかけた。
「ふざけおって!! この大逆者どもが! よくも私の街をめちゃくちゃにしてくれたな!! 今すぐにここで切り捨てて――――――がっ!?」
フィリテンの焦点が合わなくなり、そのままふらと倒れ込む。
ローウェンが当て身でフィリテンを気絶させたのだ。
「申し訳ございません、お客人方。我が主は混乱しているのです。大変なご無礼を」
「…………大丈夫です。オレたちも、話を聞きたくてここに来たので」
オレの言葉にローウェンは首を振る。
「我々にもまだ何が起きたのか分からないのです。もし、ご存じのことがあればご教示いただきたい」
ローウェンはまっすぐとオレたちを見る。
彼は、恐らくオレたちが何かを知っているという確信を持っている。
……隠しても仕方ねぇな。
「ええ、知る限りのことを話します」
「ありがとうございます」
ローウェンはオレたちに一礼を告げると高らかに宣言した。
「これより、私、ローウェン・ヴェフナーが領主ガルドルフ・ロー・フィリテンの名代としてこの場を取り仕切る! 各自、私の指示に従って欲しい」
憲兵や付き人たちのほっとした表情を見るに、恐らくローウェンは人望が厚いのだろう。
そうして、オレはローウェンらと情報共有を始めた。
ローウェンとの話し合いの最中、各所から次々と情報が舞い込んだ。
アイリーンが自爆した周辺地域とその西部は壊滅状態。東風が吹いていたために胞子が西に流れたらしい。自我を失った市民の暴動や巨大古龍の復活で混乱していた状況下であの胞子が飛んできたのだ。生存者はほぼいないらしい。
ざっと見積もっても死者数は一万人強。
この規模の都市でそれだけの数の人間が死ぬのは大災害に見舞われたと言って過言ではない。
そして、さらなる情報として暴徒化していた市民はここ最近行方知れずとなっていた人たちらしい。となると、人さらいの実行犯がアイリーンであることもほぼ間違いない。
「…………なるほど、魔族の女が」
「はい。オレにも確証はありませんが、彼女は少なくともそう自称していました」
巨大古龍の復活、市民の暴動、死の黒雪。それが、全て魔族の六将軍の一人が引き起こしたことであること。魔族を撃退はしたが、その撃退にも確信が持てないことなどを告げた。
「よもや、トイチ様がそこまでの優れた魔導の使い手であったとは……魔族と渡り合うなど、見当もつきません」
「……過分な評価です。オレは、結局何もできなかった」
不覚をとってアイリーンに拉致られたばかりか、多くの物を取りこぼしてそれでも浅ましくここに生き延びてしまっている。
どうしてオレはいつも――――――――
沈みそうになる意識を必死に引き上げながらローウェンとの会話を続ける。
ただ、追加で耳に入る情報はどれも嬉しくないものばかりで、オレも思わず口を噤んでしまう。
ローウェンがかろうじて指示を飛ばしているが、明らかに人手が足りていない。
民衆から向けられる視線も痛く、どちらかと言えば領主側の責任を問い詰めるような流れになっている。今はまだ混乱と絶望の渦中にあるために大事にはなっていないが、もし何かきっかけがあれば今度は民衆の意志で暴動が起きる可能性すらある。
「……なあ、兄弟」
「あ? 何だ?」
バートルが耳打ちをしてくる。
らしくなくつっかえつっかえになりながら言葉を紡いだ。
「その、ライセン……を今のうちに回収しておきたい。それに、ウォシェと、セーニャもあのままあそこに放置しておくわけにはいかないだろ」
「…………ああ、そうだな」
彼の言葉に少しだけ逡巡を経て、肯う。
確かに今あの三人の遺体は建物の屋上に放置してしまっている。情報収集を優先したためだが、真新しい情報の入りが鈍化してきた今、このままここに滞在している理由も薄い。
「ローウェンさん。オレたちは少しの間ここを離れます」
「どちらへ…………とは、聞きますまい。もちろん、お行きになっていただいて大丈夫です」
ローウェンに「すぐ戻ります」とだけ言い残すと、リア、レイラ、バートルを引き連れて今しがた来たばかりの道を引き返す。
道中に転がっていた死体のほとんどは今は端に寄せられ、顔に布がかぶせられている。
きっと、その死相は苦悶に歪み、見るに堪えるものではないのだろう。
脳内を魔女の顔が過り、ぎり、と奥歯を強く噛みしめた。
腹の底に煮えるのは静かな怒り。
決して冷めない怒りと、決して消えない憎しみが、オレの奥底で熱く煮えたぎっている。
あの魔女だけは、決して許してはいけない。
「ユートくん、大丈夫? 顔、怖いよ」
「悪いが人相が悪いのは生まれつきだ」
「そういうことじゃなくて。つらいの?」
レイラの何気ない一言に一瞬だけ歩く足が止まる。
その場で立ち止まり、彼女の言葉を反芻する。
「…………かも、しれないな」
口からこぼれ出た弱音に、他でもないオレ自身が一番驚いていた。
リアも目を見開いてこちらを見ているし、そりゃあもう意外だったのだろう。
今回の事件。全てが全て、最悪の一言で済ませることすら憚られる出来事だった。
アイリーン・ブラックスノウという一人の魔族が、すべてを踏みにじり、すべてを嘲笑って去っていった。
何一つ自分では止められなかった自らの無力さをいくら呪っても足りはしない。
「けど、大丈夫だ。アイリーンは、必ずオレが殺す」
地の果てなど生ぬるい。
たとえ世界の果てに逃げようと、否、その先へ逃げおおせようとも必ず見つけ出して殺す。
あの災厄は、この世に存在していい生き物じゃない。
オレの言葉を聞いたレイラが一瞬だけ悲しそうな顔をした。
その意味が分からないままにオレが歩き出そうとすると、ぽんぽんと頭を叩かれる。
リアが、撫でるようにオレの頭を叩いていた。
「ええ。わたくしも同感です。きっと、彼女を誅せねばなりません」
確固たる決意を以て、リアはもう片方の手で剣の柄を握りしめた。
前を歩くバートルはこちらを振り返りはしない。
けれど、彼の握られた拳から伝わる感情は、決して小さくない。
またオレは取りこぼした。
掬えなかった。
だが、前を向け。
刮目して、すべてを見続けろ。
そして、必ず災厄を討つ。
確固たる意志と決意が、自分の中で確かな産声を上げるのが聞こえた。




