171、緞帳は降り、観客は咽ぶ。
「何が、起きて――――――」
眼前で起きている出来事に思考が追い付かず、うわ言のように呟いた。
目の前で痙攣してうつぶせに倒れているウォシェとセーニャを見て、思わずえづいた。
「ぉぇ…………」
「まあ、なんとおいたわしい……」
えずくオレの隣に、先ほど殺したはずの女魔族が立っていた。
「何でお前が生きて……」
リアの刹那の一振りが、アイリーンの首を切り落とす。
だが、瞬きのうちにすぐに彼女の首が元に戻る。
「幻覚……!!」
まさか、この場の全員が奴の幻影に呑まれたってのか!? あの一瞬で!?
「貴方様は結局どちらも選ぼうとはしなかった。その結果がご覧の通りでございます」
眼前に広がる血の海。
亡骸と化したウォシェとセーニャを、ライセンが抱きかかえている。
「アイリーン……!! ふざけるな……!! 最初からどっちも助けられるようにはしてなかったんだろ……!」
恐らくは遅効性の毒の類。
最初から、首輪を外そうが外すまいが二人は死ぬ定めだった。
この女はオレたちの反応を見て愉悦に浸っていただけに過ぎない。
「さあ、それはどうでしょうか」
「殺してやる――――」
呪詛の声は、驚くほど簡単に口から零れ落ちた。
脳の奥底が熱く燃え上がり、目の前の死に反応して、知らないはずの魔法が沸き上がる。
「反転する天地。哭く獣は天をも擁く――――『戴天ノ断頭台』」
重力が、歪みねじ切れる。
アイリーンの上半身と下半身にかかる重力が逆方向に向かい、強大な力によって無理矢理引き裂かれた。
鮮血が舞い、散った。
今度は『領識』で確実に捉えた。これは幻覚でも何でもない。アイリーンの本体。
だが、それでもアイリーンは笑みを崩さない。
「ひ、ひひ………」
むしろ気味が悪いほどに、心地よさそうに笑っている。
恐怖が背筋を這い上がる。
目の前の存在が理解できない。
理解してはいけない。
理解の果てに待つのは、決して揺らがぬ狂気である。
「……ああ、ああ。そうです、ね。今回の演目はこれでおしまいのようです」
「今回の? お前はここで死ぬんだ。次回はねぇよ」
そう言いながらも、内心で警戒を続ける。
まだ、何か手があるのか? この状況で、何か――――――
目の前の女は確かにオレを洗脳した時の魔族の女の風貌をしている。人間ではなく、確かに魔族だ。偽物なわけが――――――
「いや、違う…………人格をコピーできるのは、人間だけじゃない…………」
目の前の女は確かに魔族だ。
だが、アイリーン本人とは限らない。
奴が、もし替え玉の他の魔族に人格をコピーしていたとしたら。
そして、オレの前に現れたとき、既にその魔族の姿でいたら。
目の前で悦楽に笑い狂っている女は、誰だ――――――
女の真っ赤な口が、深紅の三日月を作った。
「無垢なる悪意。奔流なりて、魂を蝕む。渇き、飢え、涸れ。全ては焦がれ尽きる――――」
アイリーンの詠唱――――
「『黄泉蛍』」
刹那、女の身体が崩れていく。
体が土くれのように剥がれ落ちていき、剥がれ落ちた欠片が黒い靄のような塊に変わっていく。
キノコが胞子を吹き出すように、大量の黒い何かが噴き出す。
その光景にオレは、首の後ろがじりじりと灼けるような錯覚を覚えた。
「それでは、ごきげんよう、勇者様。またお会いする、その日まで」
「アイリーン・ブラックスノウッ!!!」
オレの叫び声も虚しく、アイリーンの身体は崩れ落ち、ぶわっと黒い胞子が舞った。
「これは…………?」
リアの呟き。
ゾッと背筋を恐怖が駆けた。
「絶対に触るなッ!! 早くこっちへッ!! 屋根のある場所に隠れろッ!!」
喉が裂けるほどの声で叫ぶ。
首の後ろがちりちりと灼けるような感覚。
死神が、首に手をかけている感覚。
全身が総毛立つ。ダメだ、この魔法は――――――――
あたり一帯にまき散らされた胞子が降り注ぐ。まるで、砂漠の真ん中で真っ黒な雪が降っているような幻想的な景色だ。
だが、幻想的であるからこそ、この世にあってはならない光景。
早く逃げ――――――――
ふっ、と不規則な挙動で舞ってきた胞子が眼前に迫る。
「あ」
――――避けられない。
瞬間、衝撃に吹き飛ばされる。
オレは勢いそのままに受け身も取れずに屋内に転がり込んだ。
せき込みながらも、ライセンがオレを吹き飛ばしたことを理解する。
「っ!? ライセン、あんたも隠れ――――――」
リアとレイラも何とか屋内に逃げ込んできている。
だが、ライセンは先ほどまでオレの立っていた場所に棒立ちするばかりで、こちらを振り向きもしない。
「おい!! 聞いて――――――ッ!?」
彼女の腕に、黒い胞子が1つそっと付いているのに気づく。
そして、そこから黒い染みのようなものが身体全体に広がっていっていることに。
「ひっ…………」
リアの喉が鳴る。
彼女の可愛らしい悲鳴に気を留めている余裕すらないほどに、心臓がバクバクと高鳴る。
ライセンがこちらに振り向く。
目が異常なまでに充血している。
はらはらと毛が抜けていき、唇が干からびていく。
「ぁ…………」
何かを言おうとして口を開いた途端、ぽろぽろと牙が落ちた。
ライセンは、枯れた声で、それでも続けた。
「……ぁ、トルに、後は……………………頼む、と――――」
そして、そのまま地面に倒れ込む。
体中を蝕んでいく黒い染みは宿主が死んでなお広がり続け、やがて体の端が枯れ木のようにしなびてくる。
「これ、なに…………」
「リア、レイラッ!! 扉閉めろッ! 窓にも近づくな! いいか、あの黒い胞子に絶対触れるなよ!!!」
馬鹿げている。
こんなもの、人間一人の手で起こせるような現象であっていいはずがない。
魔法、魔法、魔法。
世界を蝕む法外の法。
理屈を捻じ曲げる、最悪の毒。
アイリーンの身代わりが死に際に放った魔法、『黄泉蛍』。
あれは、大量殺戮を行う魔法。
あたりに死の胞子をばらまく、超広範囲無差別攻撃。
……あんなものが。
「あんなものが、あっていいわけがない…………!!」
今しがた起きた現象を受け止めきれずに室内にあった椅子を蹴飛ばす。
幸いにもエルピスの家屋は窓が小さく、適当に土魔法で塞いでしまえば外から胞子が入ってくることもない。
昼間だというのに閉め切った室内は薄暗い。ランタンを点けて明かりを確保するが、外の状況が分からない以上いつまでここに閉じこもっていればいいか分からない。
「あれは……」
「オレにも分からない。ただ、あたりに死をばらまく魔法だ。あんなもの、見たことも聞いたこともない…………」
魔法都市の禁書庫ならもしかしたら何か情報があるかもしれないが、今それを読みに行く余裕はない。
今もなお、うるさいくらいに心臓が鳴っている。生きていることを主張するようにばくばくと叫ぶ。
「クソッ…………」
あれのせいで、街にどれくらいの被害が出るのか想像がつかない。
胞子は風に乗り、街中に降り注ぐだろう。
オレの見た限りでも数十や数百という数ではなかった。もっと多く――――恐らくは数千数万の死の胞子が、街中に降り注ぐ。
咄嗟の判断で屋内に逃げ込んでしまったが、もしあの場ですぐに胞子を魔法で封じ込めていたら、結果は変わったかもしれない。
被害を最小限に抑え、死者数を減らせたかもしれない。
そんなことを考えて強く拳を握りしめる。
「ユウト。また、自分を責めていますの?」
「……ああ。まただ。オレは、判断を誤った」
あの場で、それが出来たのはオレだけだった。オレがやらなくちゃいけなかったんだ。
「いいえ、そんなことはありません。あの場で、アナタは手の届く限りの命を助けようとした」
「でも、ライセンも死んだ。きっと、この魔法でエルピスの市民が大量に死ぬ」
「…………ですが、あの女を止めなければ、きっと被害はもっと大きくなっていたでしょう」
どう、だろうか。
オレが手を出したから、こんな風になってしまったんじゃないか。
もっと別のやり方があったんじゃないか。
そんな疑念がぐるぐると渦を巻き、まるで砂地獄のように足をとられて身動きがとれない。
「ね、ユートくん。きみは、何でそんなに何でも一人でやろうとするの?」
「一人で…………そりゃあ、そうだろ。オレしかいないんだから」
レイラの問いに、オレは当然の答えを返す。
そう。オレにしかできないことがある。オレがやらなくちゃいけないことがあるんだ。
オレの言葉にレイラは悲しそうに首を振った。
「違うよ。ワタシがこう言うのも変だけど、ユートくんは一人じゃないの。リアさんがいる。ワタシもいる。きっと、ここにはいないけど、ユートくんのことを支えてくれる人が、たくさんいる」
レイラの言葉に、返答に詰まってしまう。
否定するのは簡単だ。
だが、否定したから何になるのだろうか。
その先に、何があるというのだろうか。
「そうですわ。わたくしはあなたの騎士。あなたと共にあると言ったでしょう。あなたの背負うべきものも、少しは分けなさいな」
リアが剣の柄をオレの胸にぶつける。
それにちくりと差すような痛みを覚えて、思わず後ずさった。
「…………分かんねぇよ。オレは――――――――」
自分でも何が言いたいか分からないまま言葉を紡ごうとすると、がた、と物音が階下から響いた。
作品のタイトルとか今風に変えた方がいいんですかね……
「Sランク勇者を追放されたオレが、ひとりぼっちで魔法無双~王国に戻れと言われてももう遅い~」みたいな。Sランク勇者はよく分かんないし、追放もされてないし、戻れとも言われてないから大嘘だけど。




