168、偽りの心臓
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巨大竜の咆哮に、膝が震えている。
本能的な恐怖。巨大な、圧倒的強者に対する。
だが、そうは言ってもあれを放置しておけるような状況ではない。
竜は既にちっぽけなオレの存在を見失っている。
考えろ。
あれはかつて生きていた古代の竜。
レイラが言っていた、水を求めてこの地で果てた巨大竜だ。
そして、奴は奇妙なことにエルピスを積極的に攻撃しようとはしていない。
当然やつが足踏みをすれば街並みが均されるのではあるが、それはただ単に移動のために足を動かしたらたまたまそこに街があったというだけな気がする。
もし奴が本気でこの街を破壊しようとしているのであれば、既にエルピスは跡形なく消え去っているだろう。
「…………つまり、あいつは蘇りはしたが、直接的にアイリーンの支配下にはない、のか?」
思い返せばアイリーンがオレを洗脳したときも、簡単な洗脳しかできていなかった。ただ単に近づく相手を魔法で蹴散らし、エルピスを目指すという簡単なプログラムしかなされていなかったはずだ。
先ほど襲い掛かってきた街の人々も、雑に武器を振りかぶってくるばかりで、連携も何もあったものではなかった。
過信は禁物だが、アイリーンとて緻密に対象の行動を操作できるわけじゃないのかもしれない。
「なら、あの竜の行動原理は何だ。何に突き動かされている?」
考えろ、考えろ。
あの竜が探し得るもの。
あの竜が求め得るもの。
可能性の最大公約数をとれ。
「もしかして、水か…………?」
これは仮定だ。だが、もしあの骨だけでよみがえった竜の行動原理が、死ぬ前と変わらないのであれば――――――
レイラの話を思い出す。
確か、あの巨大竜は水を求めて死んだ。
「魔力的に行けるか? いや、やるしかねぇのか…………」
試してみるにはややリソースを割きすぎる。
だが、このままやつが街を踏み荒らし続ければ被害は広がり続け、やがて取り返しがつかなくなる。
だん、と空を蹴り、再び奴の眼前に舞い戻る。
そこで初めて気づく。
竜の額に、巨大な紫色の水晶が打ち込まれているのに。
あれは―――――
いや、別の可能性の検討は一旦あとだ。
「……喉が渇いたんじゃないか? たんまりと飲んでくれ――――『水牢』」
巨大な水の球体を魔法で作り出す。
極度に乾燥した砂漠の中で水を作り出すことに、大量の魔力が注がれていくのが分かる。
竜の動きがぴたり、と止まる。
地響きのようになっていた足音が止み、静寂の中で巨大な紫の瞳がこちらを見つめていた。
今まで鈍い輝きしか放っていなかった瞳が、強く、強く輝き出す。
一歩。
巨大竜が確かにこちらに向けて足を踏み出した。
もう一歩。
かの竜は、確かにオレ目掛けて歩みを進める。
「よしよしよし! ビンゴ!」
オレはそのまま巨大竜を誘導するようにして、街から離れる方向へと飛び続ける。
巨大竜は自分の鼻先にちらつかされた水を求めて、彷徨うようにどしん、どしんと歩みを進めている。
既に上半身は街から出ている。
もう少し引っ張れば完全に街から引きはがせそうだ。
「よし、いい子だ…………こっちに来い」
ペットを宥めるようにして、巨大竜を引っ張り続ける。
既に体の大部分が街から離れた。
途中で多くの街が踏みつぶされてしまったが、コラテラルダメージと割り切るほかない。
誰も死なないでいてくれよ、と内心で勝手な願いを掲げながら、水球を維持する。
「さて、誘導は成功したがここからどうするか…………」
先ほど、破壊した骨が異常な速度で回復するのを目の当たりにしてしまった。
無限の回復ではないと信じたいが、オレのMPも心もとない今、スタミナレースになってしまってはオレの方が競り負ける可能性が高い。
となると勝利の可能性としてあり得るのは、あれしかない。
額に埋もれた紫色の水晶。
大きさは違えど、オレはあれに見覚えがある。
あれは、レイラたちの胸に埋め込まれていたものと同じだ。
「だとすれば、あれを破壊すればこいつが止まるのか……?」
と、水晶のことを考えていたからかは知らないが、水晶が強く光る。
咄嗟に警戒して、『不可触の王城』を展開する準備をするが、強い輝きから魔力は感じど、こちらに危害を加える様子はない。
だが、ぴたり、と竜の足が止まる。
竜はゆっくりと首をこちらから逸らすと、後方にある街を見つめる。
何だ、何をしている…………?
たっぷりと10秒近く見たあたりで、巨大竜はオレにそっぽを向いてUターンを始める。
「は!? おい、待て、水ならこっちに――――――――」
だが、竜はこちらを見ない。
真っすぐと街を見つめる。
どういうことだ!? アイリーンから街を狙うような指示が出たのか!? なら、何で最初からしなかった!? くそっ、こいつどこを見て――――――――
竜の視線の先を見て、オレは気づく。
そして、思い出す。
こいつが何を求めていたのか。
エルピスが、何と呼ばれているのか。
「オアシスッ…………!! あのクソでかい湖目当てかッ!!」
オレのちっぽけな水球なんかよりも、砂漠の中でも青々と光る巨大なオアシスの方が何倍も魅力的に映っているのだろう。
恐らくアイリーン自体が指示で出したのは、街の破壊じゃない。
ただ単に振り向け、という程度の簡単なものだ。
街の破壊を指示せずとも、こいつが街の中心にあるオアシス目掛けて行軍を続けるだけで街は破壊される。
そして、何故アイリーンが最初からそれをしなかったのか。
「ああ、クソッ!! 利用された……!!」
巨大竜が街の上にいる間は真下にあるオアシスが死角になって見えていなかった。だが、オレが街から引きはがしたことで、オアシスを視認できるようになってしまった。
恐らく、オレが街への被害を恐れてこいつを街から遠ざけることを読んでいたのだ。
「どれだけ人の精神を逆撫ですりゃ気が済むんだ、あの女は……!!」
嫌がらせの天才かよ!!
内心で毒づいても結果は変わらない。
早急に、水晶を破壊する――――
「行かせるかよ! 『蒼斬』!」
水晶目掛けて一直線に水のレーザーが走る。
直撃は免れない。
ぱりぃん、と小気味の良い音とともに水晶が砕け散る。
そのまま巨大竜も体の支えを失い、再び屍に戻る――――――
ことはなかった。
「…………は?」
どしん、と巨大竜は確かに次の一歩を踏み出す。
エルピスへ向けて、着実に行軍を続けている。
目の前の光景が信じられず、一瞬思考が真っ白になった。
「嘘だろ、あの水晶が原因じゃないのか!?」
あの水晶はあくまで簡単な指示を飛ばすためのアンテナのようなものだってのか!?
だとしたら、あれを動かしてる動力源はどこだ――――――
そこで初めて温存していた『領識』を巡らせ、巨大竜をサーチする。
巨大竜の頭部。
その洞の中に、不自然なほど高純度な魔力の球体を見つける。
美しいほどの真球。
その中身には全く魔力を浸透させることができない。
慌てて巨大竜を追いかけ、隙間から頭蓋骨の中を覗き込む。
どくん、と肉塊が脈打った。
薄く色のついた球体の中に、巨大な心臓が宙ぶらりんに脈打っていた。
どこに繋がれているでもないのに、規則的に脈打ち、何かを循環させている。
いや、循環させているものは明白。
あれは魔力を巨大竜の全身に送るポンプ。
そして周囲を囲う球体は、その心臓を守る鎧。
あんな高密度魔力の塊で囲まれているのだ。オレの魔力が浸透する余地などない。どうりで『領識』で見えないはずだ。
「『ファイアレイ』『蒼斬』」
両の手で魔法を放ち、心臓を破壊しようとする。
だが、水のレーザーも、熱の光線も、どちらも心臓を守る鎧に為すすべなく弾かれる。
弾かれる、というのもやや不正確。
削られ、かき消された。
固いとか、そういう話ではない。
オレの『不可触の王城』が「剛」の鎧に対をなす「柔」の鎧だとすれば、この球体は「剛」のさらにその先を行く鎧。攻撃こそ最大の防御を謳い、高密度の魔力を高速で振動させることで、あらゆる外的要素をすりつぶしている。
電動やすりに木片を押し当てているようなもので、どれだけ立派な木材の端くれをぶつけたところで、数秒のうちに木屑の山だ。
いずれにせよ、火力を上げれば容易く貫ける類の鎧ではないと容易に理解する。
「ああ、クソッ。どうすんだよこれ……!!」
魔力の供給源は不明。
動作はある程度の推測は立てられたが、原理は不明。
思いつく限りの魔法を試しに撃ち放してみるが、どれも真球に傷ひとつつけることもできない。
「雷撃も『不可視の御手』も通らねぇ……なら……」
だが、少し前にも似たような状況はあった。
すべての攻撃がかき消される異能。
それに対抗するための手段として、オレは新たな魔法を得たはずだ。
「貫通してくれよ――――『重力操作・過負荷』ッ!!!」
周囲の物理法則を歪める魔法。
重力を操作し、心臓に極限まで圧をかける。
みしみしと周囲の頭蓋骨がひずみ、そのまま陥没して砕け落ちていく。
だが、真球どころか、真球に覆われた心臓もびくともしない。
圧力をかけられている様子もなければ、破裂しそうな兆候も見られない。
「…………っはぁ、はぁ……!! それは流石に聞いてねぇぞ!! 重力すら無視するとかどういう理屈だよ!!」
集中して息を止めていたため、肩で息をしながら悪態をつく。
今しがた自分が重力を操作しておきながら、相手が重力を無視すると文句を言い募るのも何とも自分勝手な話ではあるが、そうも冷静に客観視を続けている状況ではない。
既に街並みの輪郭もはっきりとしてきており、このペースであれば恐らくあと数分たらずで街に足を踏み入れる。
このままではオアシスまで行軍を続け、街は壊滅的な被害を受けるだろう。
「ああ、クソどうすりゃいいんだ、こんなの!」
やけくそ気味に巨大竜の足を『蒼斬』で切断する。
巨大竜は片足を失いバランスを崩して倒れこむが、すぐに再生し何事もなかったかのように歩き出した。
リアとレイラがアイリーンを見つけることを期待してここで時間稼ぎに専念するか? いや、だが、あのアイリーンがそう簡単に見つかるとは思えない。ああ、クソ、やっぱり何とかしてこいつを止めないとダメじゃねぇか……!
だが、オレの手札ではこいつを止められない。正直言って、詰みに近い。
いや、違う。違うぞ、十一優斗。
「土壇場でいつだってひねり出して来ただろ。考えろ、考えろ。お前に出来ることはそれしかないはずだ」
思考を回す。
巨大竜の全身を調べたが、唯一異常があると考えられるのはこの心臓。つまり、こいつが原因である可能性は極めて高い。その仮定はもはや真実と確定させるしかない。
そして、オレがすべきは心臓の機能停止、もしくは破壊。
機能停止の方法は不明だから、ひとまず破壊を以て機能停止することを祈るしかない。
そして心臓は丈夫な鎧に守られており手が出せない。
鎧は高密度の魔力が振動するやすりのようになっており、あらゆる物体、熱、光は通らず、どういう原理か重力すら遮断する。
そもそも、魔力の振動――――魔素の高周波熱運動って、何だ? いや、原理としちゃあ原子や分子の振動とさして変わらないんだろうが、そんなもんどうしようも――――――
「…………ある。いや、でも、できるのか?」
魔素の振動。
魔素は粒子でありエネルギーでもある。
それなら、あるいは。
「いや、けどな…………」
逡巡。
構想としては考えたことはあるのだが、実際に使ったことの無い魔法だ。
残りのMPを鑑みても、恐らくは一発勝負。
そこに全ての魔力をつぎ込むことになるだろう。
「……ったく、いつものことじゃねえか」
一発勝負。失敗すれば大惨事。
さらに言えば今回はベットされているのが、オレ以外の命であるからなおたちが悪い。
「けど、やるしかないんだよな。ああ、分かってる」
瞑目して魔力を練る。
イメージだ。
明確な結果をイメージしろ。
思い出せ、あの指先がかじかんで、凍てついていく感覚を。
「泡沫の白き夢へ、永遠の微睡を捧ぐ――――『冬幻郷』」
集約した魔力が、眼前の空間に展開される。
魔力の濃度に対し、訪れる結果はあまりに静か。
傍から見れば、何も変わりはないように見えるかもしれない。
だが、目の前の小さな世界の中では、すべてが止まっていた。
オレが表象させた世界は、絶対零度の世界。ありとあらゆる物質が凍り付き、すべての粒子がその運動を停止させる、時の止まった世界だ。
魔素すらもその運動を止めるかは賭けだった。
だが、目の前の光景がオレが賭けに勝利したことを告げていた。
心臓を囲う鎧の色が、徐々に薄れていく。
そして、心臓に端から徐々に霜が降りていく。
表面が凍結し、真っ赤な心臓が白く脱色されていく。
ものの数十秒のうちに心臓は真っ白に染まり、そのまま脈打つのをやめた。
巨大竜はぴたり、とその足を止める。
「これで終わりだ。砕けちまえ。『氷結穿槍』」
幾本もの氷槍を心臓に突き立てる。
機能を停止した真球に阻まれることもなく突き刺さった氷槍は、凍てついた心臓をあえなく粉砕した。
小気味の良い音とともに心臓が砕け落ちていく。
『冬幻郷』を解除すると、どっと疲れが押し寄せて思わず頭蓋骨の上に倒れこんだ。
こめかみがずきずきと痛む。視界がぼやけていて、上手く立ち上がれない。
巨大竜は自重を支えきれなくなったのか、大きな音を上げながら崩れ落ちていく。
頭蓋骨も例外ではなかったようで、落下していく頭蓋骨から滑り落ち、そのまま砂漠の上に自由落下させられる。
強引に風圧で勢いを殺すと、受け身もとれずに砂の地面に全身を叩きつけられる。
「思ったより痛ぇ……」
砂漠は思いのほか固く、クッションにはなってくれなかったようだ。
とはいえ体を強打したわけでも無ければ、変な着地の仕方でもなかった。MP切れで体が重く立ち上がれないが、すぐに復帰できるだろう。
数十秒としないうちに徐々に魔力が戻ってくる。
まだ気怠さは残っているものの、何とか立ち上がるとエルピスに向けて歩き出す。
熱い。暑い、じゃなくて、熱い。
『持ち物』から外套を取り出して纏い、水筒の水を一気に飲み干す。
ここからエルピスまで、オレの足で歩いて15分ぐらいか?
時間は真っ昼間。炎天下の砂漠でずっと歩いていたら、干からびてしまいそうだ。
「ああ、クソ。竜にもう少し運んでもらうんだったな」
そう、独りごちた。
水のない場所でここまでの水遁を……!




