164、騎士の矜持
さむい。
「おい、あの魔導士を止めろッ!!」
こわい。
「ダメだ、攻撃が――――うわあああ!!!」
くらい。
「くそっ、何で剣も魔法も止まるんだッ!? 姉貴、姉貴ィ!!」
こわい。
だれか、たすけてくれ。
おとが。
むねにささったくさびのおとが。
ずっと、ずっと。
――――――――――――――――――――――――――――
「…………何が、何が起こっているんだ」
ライセンは絶望していた。
否、絶望と呼ぶにはまだ今目の前で起こっている状況を完全に把握できていなかった。
混乱、困惑、恐怖。
恐怖? このアタシが?
女盗賊の名はライセン。物心つく前に親に捨てられたため、家名はない。必要があればその都度別の家名を名乗ることはあったが、それらが全て彼女の名前となることはなかった。
ごろつきとしてエルピスの裏町で生き、その身一つでエルピスのごろつきたちをまとめあげた怪傑。ライセン盗賊団を作り、主に金持ちや利権持ちの大商人からの略奪を生業にしていた。
その成り立ちゆえ、義理や友情をどこまでも大切にし、不義理や悪徳を嫌った。
彼女の狼人族としての野性的勘、そして長年盗賊として綱渡りを続けてきた経験が、あり得ないほどの警鐘を鳴らしていた。
今すぐにすべてを捨ててここから逃げろ、と。
目の前に幽鬼のように立つのは一人の少年。
焦点すら定まらず、何を考えているのかは分からない。
ただ、ひた、ひた、と一定のペースで出口に向かって歩き続けている。
そして、一歩、また一歩と進むたびに、少年を止めようとする仲間たちが、切り捨てられ、燃やされ、吹き飛ばされ、埋められていく。
「姉貴、助けてくれ、姉貴ィ!!」
自らを慕う団員たちが、塵芥のように蹴散らされる様を、ライセンは見つめているしかなかった。
足が、足が動かないのだ。
それは生まれて初めて感じた恐怖。
目の前の一人の少年に対する、明確な恐怖だ。
ライセンは、喉を振るわせて叫んだ。
「全員、離脱しろッ! アタシが時間を稼ぐッ! この隠れ家は放棄するッ!」
叫ぶことで、動けなくなった両足にも喝を入れる。
「ですが、姐さん! まだ奥に伏せた仲間がッ…………」
分かっている。
目の前の少年の魔法によって、この洞窟は恐らく崩落する。
そうなれば、流行り病で寝込んでいる仲間たちは生き埋めだろう。
ライセンは、一歩で少年まで距離を詰め、そのまま切りかかった。
これでその営みは二度目。
しかし、先ほどと同様に少年の目の前で剣が止まる。まるで見えない壁に阻まれているように。
直感で身をよじると、先ほどまでライセンのいた場所を熱光線が通り過ぎた。白熱した光線はそのまま壁を溶かして、貫く。
ライセンは奥歯を噛んで目の前の少年を睨みつけた。
少年の名前は確か、トイチユート。
珍妙な名前だと鼻で笑ったのがつい数日前。
あの女が、アタシたちのところに来たときだ。
トイチユートという黒髪の少年の捕縛に力を貸して欲しい。そう話を持ち掛けられたのがちょうど5日ほど前のこと。
怪しい女だと思ったが、女は流行り病の特効薬を交換条件に持ち出してみせた。
仲間の半数が流行り病に伏せ、日に日に衰弱していた様子を見ていたライセンに、断るという選択肢は残されていなかった。
だが、その判断が間違いであったと、目の前の絶望的な光景が示している。
「クソっ、アタシが時間を稼ぐから、お前らは何とか奥にいる奴らを運び出して――――」
だが、少しでも動こうものなら、奴の魔法で再起不能にされる。
意思も無く、脈絡もない。
ただただ、動くものを狩り取るだけの機構のようだった。
ライセンは絶望とともに呟く。
「こんなのは人間じゃないッ! ――――――天災だ」
また一人、仲間が頽れた。
「ッ――――」
直感に従い剣を構える。
剣に強い風圧。
獣人の反射神経と脚力で衝撃を強引に殺してもなお、後方に吹き飛ばされる。
「せまい」
ゆっくりとした進行を続けていたはずの少年の足が止まる。
何を――――――
そう思った矢先、少年の手から発射された水の線が、洞窟の壁を撫で切りにした。岩が、まるで少女の柔肌のように容易く切り裂かれる。
まさか、洞窟を切り裂いて外に出るつもりか!?
少年はひたすら出口に向かって歩き続けていた、もし天井や壁を壊して洞窟から出ることになれば…………
ライセンは砂漠のど真ん中の岩場にあった洞窟を拠点としていた。入口自体は地上にあるものの地下洞窟のようになっており、当然その上には大量の岩石や砂漠の砂がある。
奴が岩盤を切り崩せば、それらが一挙して洞窟に落ちてきて生き埋めは必至。
「やめろッ!!!!」
仲間たちの顔が思い浮かび、だっ、と駆け出すも、すぐに眼前に光が弾け、そのまま吹き飛ばされた。
起き上がらなければ。
だが、体が痺れ、動けない。
奴の魔法が無造作に洞窟を切り刻んでいく。
「頼む、やめて、くれ…………」
だから、奪われる側は嫌なんだ。
霞む視界の中で、ライセンは希うしかなかった。
もう数手で洞窟は崩落するだろう――――――
「――――――――何をやっているんですの」
奴の攻撃がやむ。
否、誰かが奴の攻撃を止めたのだ。
不可避かつ必殺のあの天災のような魔法を、真正面から。
金髪の女。
見覚えがある。
「おい、ライセン、大丈夫か!?」
声が聞こえる。
馴染みのある声だ。
ああ、大丈夫だ。
そう言うはずだったのに、口が痺れて動かない。
「ユウトッ!!」
だん、と宙を蹴り彼の無差別攻撃を止める。
あたりには血と土煙のニオイが充満している。
気温が高く感じるのは、いたるところにある赤熱した岩盤のせいだろう。
「……アナタ、何をしていますの?」
ユウトに呼びかけるも、返事はない。
こちらを見ているのかも分からない。
……正気の彼であれば、きっと軽口を叩くはずですわね。
そう思い、すぐに何かしらの精神汚染を受けていると仮定を置く。
脱出するにしても、彼がこんな風にいたずらに被害を増やす方法をとるとは思えない。
「ライセン、なあ、ライセン大丈夫か!」
「うるさいぞ、バートル…………アタシは大丈夫だ」
「ったく、嫌な予感がしたから来てみれば何でこんなことに……兄弟が、ぶちギレてんのか、ありゃ!?」
ライセンと呼ばれた盗賊の首領と、バートルが親しげに話している。
「はぁ、アナタたちの関係については後で聞くとして……いえ、あれは怒っているわけではありませんわね。恐らくは洗脳や精神汚染の類……この状況を見るに、アナタ方が何かをしたわけではなさそうですが」
「あの女だ…………」
ライセンが忌々しげにつぶやく。
「アタシたちにそこの少年を攫うように依頼してきた女。そいつのせいだ」
「詳しく聞きたいところですけれど」
言いかけて片手間に剣を振るう。ギィン、と金属音を出して尖った岩石の塊を弾き飛ばした。
無差別攻撃をやめ、どうやらこちらの様子を窺っているようだ。
「まずは彼を止めますわ。……この状況は彼の本意でもないでしょうし」
まさか騎士としてまたも彼に剣を向けることになろうとは。
いいえ、いいえ。
真の騎士は君主を諫めるもの。この前読んだ騎士の心得を書いた本にもそう記されていました。
「ね、ねぇ……ワタシ、ワタシはどうすればいい?」
「あなたは…………見ていろというわけにもいきませんわね。わたくしが能力の使用を許可します。ただ、くれぐれも洞窟を壊したり、彼を傷つけたりしないように。もし暴走しそうなら――――」
「斬ってでも止めてね」
レイラに先んじて言われ、思わず息を呑む。
彼女の覚悟を受け取り、こくんと頷きを返す。
「では、少しばかり彼の目を覚ます…………いいえ、正確には眠らせる方がただしいでしょうか?」
あれだけところかまわず魔法を放ってくる相手を殺さずに無力化するのは至難の業でしょう。けれど、それぐらいできなければ彼の騎士は務まらない。
「アナタたちは適当に逃げてくださいな。流石に面倒は見切れませんので」
「アタシも戦え――――――」
「……アナタ、雷は切ったことがありますの?」
わたくしの問いに、獣人の女は意表をつかれたようにぽかんと口を開けた。
「は?」
「いいから答えなさい」
「い、いや、雷なんぞ、常人に斬れるわけ…………」
「そうですか、わたくしは、何度か」
かっ、と目を焼くような光ののちに、両腕に衝撃が伝わる。
彼の放った雷撃を断ち切ったからだ。
もう、待ってはくれませんわね。
「レイラさん! ユウトの攻撃で洞窟が崩落しないように魔法をかき消してください! わたくしは、彼の透明な鎧を削りますわ!! 魔力が切れれば、彼は戦えない!」
「わかった!」
レイラは両腕と両足を竜に変形させると大地を蹴った。
わたくしも遅れをとらないように、縮地で近づこうとする。
せりあがる大地を切り捨て、幾発もの雷撃を避け、飛び交う水の槍や炎の槍を切り払っていく。
なかなか距離が縮まらないことにいら立ちを覚える。
レイラさんはあのすべてをかき消す能力を使って、上手く立ち回っている。
どうやら相手によって魔法を変えるような知能は残っていないらしい。
「ああ、もう、数が多いッ!!」
息をつく間もなく体を動かしながら剣を振るう。
その一発一発が大木を斬るかのような重さで剣に響く。
当たれば即死。かすれば戦闘不能。
すでに擦り傷や痣の数など数えてはいられない。
恐らく、ユウトは何も考えていない方が強い。
あれだけ高位の魔法を詠唱も無く同時かつ連続に大量発射できるのだ。何も考えずに物量で敵を押しつぶした方が強いに決まっている。
けれど、ユウトはどこか上手い戦い方に固執している部分がある。
たとえばそれはどれだけ手を抜けるかであったりとか、巧みな戦術で相手を出し抜けるかといったことだ。
もちろん、それがハマることもありはしますが、基本的には彼はその圧倒的な魔法の才で相手を蹴散らす方が簡単に済むことも多い。
つまり、彼は言わば常に手加減をしている状態。
そんな状態の彼であっても、わたくしは一度たりとも勝ち得ていないのだから、自らの不甲斐なさに歯噛みするしかない。
今回の戦闘は場違いではあるけれど、千載一遇の好機。
今こそにっくき…………もとい好敵手である主に、一矢報いることが――――――
「ッ!!」
余計な思考を回したバチが当たったらしい。
わき腹を水の槍がかすめる。
致命傷ではないものの浅い傷ではない。止血する余裕もない現状、放置し続ければやがて動きが鈍る。
「はぁッ!」
ようやく射程に入り、彼の手首を目掛けて剣を振るう。
彼には悪いけれど、手首の腱を切らせてもらう。
それにどの程度の意味があるのかは分かりませんが、一定以上の効果はあるでしょう。
彼の纏う透明の鎧を切り裂き、そのまま彼の手首に一閃を入れる。
ユウトはうめき声も上げずに、魔法による攻撃を続けた。
彼の一撃を強引に受け止めて、距離をとる。
「治療もしないんですのね…………」
彼は強力な治癒魔法も使えるはずだ。
それを使わないということは、自分の身を顧みない洗脳を受けているということ。その洗脳をかけた存在を内心で呪う。
「絶対にあとで切り刻んでやりますわ」
怒りのままに、眼前に迫った炎を断ち切った。
戦闘が始まってからかなりの時間が経っている。
そろそろ魔力が切れてもいいはず――――
「レイラさん!! 大丈夫ですか!!」
ユウトを挟んで向こう側にいるレイラに呼びかける。
「うん、うん。大丈夫。ワタシはレイラ。彼女はリア、リア、リア・アストレア。ユートを、ユートくんを助けなきゃいけない。ユートくんを…………」
そこで初めて彼女がぶつぶつとずっと何かを呟き続けていることに気付く。
「大丈夫ですの!?」
「え、あ、うん! だいじょう――――」
言いかけたレイラが地面に叩きつけられる。
まるで見えない何かで抑えつけたかのように彼女は地面に張りつき、バキバキと嫌な音が鼓膜を揺らした。
「か、はっ――――」
「レイラさんッ!」
彼女に通常の魔法は効かないはず。
事実、先ほどまで彼女に当たった魔法は全てかき消されていた。つまり、今彼女を攻撃しているのは、彼の言っていた、確か、重力。
「このッ!!」
意識をこちらへ向けさせようとユウトに切りかかると、彼の姿がまるで幻影のようにかき消える。
こんな魔法、一度も見たことがない。
「どこへ――――」
あたりを見回そうとして、衝撃が背中を砕いた。
悲鳴も上げられず、肺の中の空気を全て吐き出してゴロゴロと地面を転がる。
ああ、きっと背骨にひびが入りましたわね。
何となく分かる。
立ち上がろうとしても、下半身に力が入らない。
洞窟が戦闘に耐え切れなくなりパラパラと天井が剥がれ落ちていく。メキメキと、嫌な音とともに、レイラさんの悲鳴が洞窟内に響き渡る。
…………ああ、ダメなのでしょうか。
わたくしは、また。
後悔は何度もした。
二度と、同じ過ちは繰り返さないのだとここまで走ってきた。
もう、大切なものを喪わないために、強くなるのだと。
ああ、お母様。
わたくしは、また、何も守れないのでしょうか。
ぱらぱらと崩れていく岩の欠片が、ぼーっと立っているだけのユウトの頭に積もっていく。
「…………? 彼の、頭に?」
何か、自分が得た情報の中に違和感を感じる。
もう踏ん張ることもできない体で、何ができるのかと自嘲気に笑う自分を切り捨てて、思考を回す。
思考を回す。
彼が教えてくれたことだ。
「透明な鎧が、無くなっている……?」
気づけばレイラさんの悲鳴も止まっている。
血まみれで気を失ってはいるものの、彼女自身にかかる重圧はやんでいるように見えた。
魔力切れ――――――
踏ん張れ。
立ち上がれ。
ここで、立ち止まるな。
走れ、そして剣を振るえ。
それこそが、そう生きると決めた、わたくしのありかたでしょう。
リア・アストレアッ!!
強引に、足首のばねだけで彼への距離を詰める。
右足の腱が切れた音がした。
けれども、気にするな。
目の前の男の、わたくしの守らなければならない――――――
否、守りたい大切な人のために。
「目を覚ましなさいッ!! 十一優斗ッ!!!!」
制御も出来ない勢いのままに、彼の額に自らの頭をぶつける。
彼は受け身をとることもなく、そのまま仰向けに倒れこんだ。
その上に覆いかぶさるように自分も倒れこむ。
背中に落ちて来る石片に、恐怖も感じない。
ただ、彼の胸に頭を預けているだけだというのに、得も言えぬ安心感があった。
ゆっくりと瞼が閉じていく。
「――――――」
最後に、声を聞いた気がする。
「――――――大丈夫だ、あとは任せてくれ」
ええ、きっと、あなたなら――――――
剣士なので当然頭突きをする。




