158、釣果なし
いつも通りのレイラの大食っぷりに苦笑を零しながら、口に夕餉をほおばる。
今日はそこそこにいいレストランで食べているので、食べれば食べるほど出費がかさむ。
いつもより少しだけ豪勢な食事にしたのは、今日一日の自分たちの行いへのねぎらいが理由の一つ。もう一つは先ほど目の前の人間を救えなかった罪悪感を、紛らわすため。
エルピスの食事は大体うまい。
新鮮な肉や野菜はやや不足しているものの、全体的にオイリーで若者ウケする味であることは間違いないだろう。
どちらかというと上流階級で上品な料理を食べることが多かったリアも最初は面食らっていたものの、今となっては美味しい品を探してメニュー表とにらめっこをしている。
あの後、エルピスの街から出る門にも立ち寄り遠目から見ていたのだが、なるほどオレたちが入ってきたときよりも警備が増えている様子があった。
恐らくはオレをここから出したくないのだろう。
エルピスという街は、必ずしも全方位を壁で囲まれているわけでもないので、抜けようと思えばいくらでも抜け出すことはできる。
ただ、それはあくまで人の身だけであった場合だ。
竜車が通れるような整備された大通りは限られた部分にしかないし、そこを通って街の外に出るには必ず門を経由するようになっている。
無論、街の外で合流するなどという文字通りの抜け道は存在するわけだが、そうした抜け道は街はずれにあるため治安上のリスクも大きい。ごろつきや盗賊たちに襲われる可能性も高いわけだ。
なるほど面白い街づくりの形になっている。
などとひとしきり感心してはいるが、いかんせんその状況がオレたちにとっては芳しくない。本に書かれた他人事とはいかないのが現実のつらいところだ。
「また難しいことを考えていますわね」
「……そうか? 極めて単純明快に今の状況が面倒であることを憂いているつもりなんだが……」
リアは手に持っていたフォークを音を立てずに置いた。
「安心なさい。いざとなれば腕ずくで突破すればいいのですから」
「お前がそういうことを言うから安心できないんだが?」
リア・アストレアという狂犬を解き放てば、それこそオアシスが真っ赤に染まりかねない。
彼女とて理性ある存在だとは思うのだが、いかんせん目の前の存在を敵認定したあとの徹底っぷりと容赦の無さについては、オレも身を以て知っている。
つくづく敵に回したくないし、味方にしても扱いに困る存在だ。
オレの考えを読み取ったのかリアが「何か?」と不満げな表情を浮かべたので、オレは慌てて「料理美味しいなぁ!!」と適当な料理を口に放り込んだ。
それが思ったよりも香辛料が効いていて、むせてしまう。
「だ、大丈夫?」
心配そうなレイラに渡された水を飲み干して、もう何度かゲホゲホと喉を鳴らした。
「悪い……助かった」
「ううん。これ、危ないからワタシが食べるね」
そう言うとレイラはこちらの返事も待たずに皿の上にあった料理をかき消した。いや、実際は食事として飲み込んだのであろうが、オレの目には料理が消える手品にしか見えなかった。
どうなってんだマジでこの食卓は。
「楽しそうなご友人方ですね」
突如背後から聞こえたしわがれ声に肩が跳ねた。
振り向くとそこには初老の男性。
背筋をピンと伸ばして立っていると、とても白髪白髭の爺には見えない。
「それとも、お二人とも恋人でしょうか?」
「こい……!」
リアとレイラが目を丸くしているのを差し置いて、オレは記憶に新しいその人物の名前を思い出す。
「フィリテン……領主様のところの執事さん……ローウェンさん?」
「覚えて頂いたようで恐縮です。トイチ様」
ローウェン・ヴェノーフ。
エルピス領主のフィリテンのお仕えだ。
立場上、執事と明言していいのかは分からないが、主人の世話や助言なども行っていたことからそれなりに地位あるお仕えと言って過言では無いだろう。
まあ、オレたちに面倒事を持ってきた張本人でもあるので、好印象もないのだが。
「どうしたんですか、こんなところで」
オレの質問の意図にいちはやく気づいたローウェンがキリっとした表情を崩し、好々爺然とした笑みを浮かべる。
「ああ、いえ。今日は偶々通りかかったに過ぎません。家内と二人で食事に」
ちら、と視線をやる先には一人の女性が優雅にワインを揺らしていた。
さすがに嘘では無さそうだ。
彼の視線にも慈しみと愛情を感じる。妻と二人で食事に出かける程度には夫婦仲も良好なのだろう。
「……ですが、それとは別に改めて謝罪を」
「謝罪ってのは?」
「我が主の非礼と、トイチ様にご迷惑をおかけしたことについてです」
「……確かに強引なやり口でしたね」
「ええ……主の悪癖でございます。申し訳ございません」
そう言うとローウェンは腰から体を折るようにして、少しだけ頭を下げた。
最敬礼ではないのは、恐らく場所を意識してのことだろう。こんな場所で盛大に謝られてもオレも困るし、他の客の迷惑にもなり得る。
バランス感覚の優れている人だ。
「まあ、別にいいですよ。可能な限り返答は引き延ばさせてもらいますけど」
オレの言い草にローウェンはこくりと頷いた。
「はい。是非ともそうなさってください。ああ、それと。おススメは北東の関門です」
「え?」
「この街の出入り口で唯一、警備が緩いですので」
ローウェンはそう言い残すと、お辞儀をして自分のテーブルに戻っていく。歩き方すらしゃんとしている彼の背中を見ながら、ローウェンの言い残した言葉に違和感を覚えていた。
もし彼が本当に主の意に沿うような結果を得たいのであれば、オレが返答を早く出すことを望むはずだ。だが、彼はそうは言わなかった。
オレが納得するはずないと、彼とて分かっているはずだ。よもや、オレが諦めてフィリテンの下に仕えることを納得するとは思っていまい。
もしかして、ローウェンは――――――――
いや、これは憶測だ。
ただ、もしかしたら面白いことになるかもしれない。
そんな淡い期待だけを抱いて、オレは皿の最後の一切れを口に放り込んだ。
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エルピスに来てから四日目の朝。
あれからウォシェに報酬の一部を渡しつつ、フィリテンに探りを入れてもらってはいるものの何とも微妙な情報しか上がってきていなかった。
フィリテンが娼婦を館に招いて酒池肉林を繰り広げているだとか、気に食わない商人を権力に物言わせて追放しただとか……ろくでもないと言えばろくでもないのであるが、権力者によくあるろくでもなさ故、彼を脅すほどの材料にはなり得ない。
ウォシェいわく、
「……あのおっさん、どこまでいっても小悪党だからな。腐り切ってるけど、パッとするような悪行は無いんだよ」
まあ、パッとするような悪行など無い方が良いのだろうが……
「どうしたもんか…………」
にこにこと石板に何かを落書きしているセーニャの横で唸る。レイラが何か絵の描き方を教えているようだ。絵心の無いオレが口を出すと酷いことになりそうだし、混ざるのはやめておくとしよう。
今日は予定通りいけばバートルが竜車の手配についての経過報告をしてくれる日だ。
フィリテンの方は完全無視してさっさとエルピスを抜けちまうか?
今後エルピスでの活動がしにくくなるが、まあ、もう二度と来ることもないだろう……たぶん……
ひとまずバートルの状況次第だな……
頭の中で今後の予定を構築しながら、朝の支度を終える。
だが、その日、バートルはオレたちのところに来なかった。




