157、取引
笑顔のセーニャに手を振られて見送られる。
ウォシェから有用な情報を得られればいいのだが、それに頼りすぎるのも危険だ。情報が手に入らなかった場合に向けて動かなければならないだろう。
「辛気くさい顔してんな、兄弟」
からからと笑うバートルに「はぁ」とため息をつく。
「どうして付いてきてんだ」
「いいだろぉ? 俺たちの仲じゃねぇか」
肩を組もうとするバートルを躱す。
「ええい、やめろ肩を組もうとするな暑苦しい!」
オレが露骨に嫌そうな顔をしても退く様子もない。恐らくオレが本気で拒否できないことすら見通しての態度なのだから、たちが悪い。
「……んだよ。いい情報教えてやろうってのに」
「あ? いい情報?」
オレの問い返した声に、バートルがにまぁと笑みを浮かべる。
「そ。いい情報だ。兄弟はドラグニル沼地への足が欲しいんだろ?」
「ああ、そりゃそうだが…………」
「フィリテンの手のかかってない竜車と御者…………準備してやれなくもない」
「本当か!?」
バートルはこくり、と頷いて一瞬だけ迷う仕草を見せる。
「ああ。ただ、条件がある」
「……まあ、そうだよな。オレに呑めるならある程度は聞くが」
「兄弟、治癒魔法使えたよな?」
「…………よく覚えてるな」
記憶を思い起こすと、確かに盗賊の襲撃時にリアにかけた治癒魔法を見られていたかもしれない。
「まあ、な。少し治して欲しい人がいてな……」
バートルらしくない濁した言い方に少し違和感を覚えながらも、この交渉の美味しさは理解していた。バートル自身、信用できない部分はあるが、だからといって交渉事を無に帰すようなことを簡単にやる男とも思えない。
オレは治癒魔法を使うだけ。仮にこの交渉がダメになってもデメリットはほとんどない。
「了解した。治せるかどうかは保証しないが、ひとまずやってみよう」
「……! ありがてぇ! 早速だけど、案内する! 付いてきてくれ!」
とっ、とっ、とっ、と大きな図体に似合わない軽快な足音で小走りに走るバートルを追いかける。
彼の足音からはいくばくかの期待と焦燥を感じた。
そのまま歩き半分早歩き半分で20分ほど。
眼前にはそこそこに大きな家屋。
いや、違う、ここは病院…………いや、規模としては診療所と呼ぶのが適切か?
「ここだ」
バートルは少しだけ息をためると小さくそう漏らした。
「……分かってると思うが、治癒魔法は怪我は治せても病気は治せないぞ」
オレの言葉にも驚く様子もなくバートルは確かにうなずく。
「ああ。分かってる。ただ、それでも試したい」
いつにないバートルの真っすぐな言葉に、オレは息を呑む。
彼の眼を見つめ返すと、こくり、と頷いた。
無言で案内をするバートルの後に続いて足を進める。
決して衛生環境が良い場所ではない。
待合室には数人の傷病人と思しき人たちがおり、奥からはしわがれた声が聞こえて来る。声の内容から察するに恐らく医者……かそれに類する誰かが説明をしているのだろう。
バートルは迷いない足取りで廊下を進み、突き当りで止まった。
廊下の両脇には木製のドアが立ち並び、奥には小さな窓。
バートルがドアを小さくノックする。
「入ります」
中から返事はない。
バートルは一瞬だけ待ったのちに、ゆっくりとドアを開けた。
中は廊下よりも清潔に保たれていた。白い壁のど真ん中には足の錆びたベッドが1つだけ置いてあり、黄ばんだシーツがかぶせられている。
そして、ベッドの上に、浅黒い肌の女性が座っている。
ぼーっとどこか虚空を見つめ、オレたちの入室にも何の反応も返さない。
一瞬だけ生きているのか不安になるも、微かに動く胸部からかろうじて彼女が呼吸をしていることが伝わってきた。
けれどもその息遣いはあまりに心細い。一吹きの風にさらされれば立ち消えてしまうロウソクの火のようだ。
「…………彼女を、治して欲しい」
バートルの苦し気な言葉に、オレは何も返せない。
直感的に理解してしまったのだ。
オレの治癒魔法では彼女は癒せない。
「……この人は?」
オレの問いに、バートルはぽつぽつと語り出した。
「俺の、恩人だ。ただ、ある事件がきっかけで、こうなっちまった。起きてるのか寝てるのか分からず、ただただぼーっとしているだけ。水や食べ物を口に運べば飲み込みはするが、うんともすんとも言わねぇ……まるで、魂が抜けちまったみたいだ。医者も何が何だか分からねぇって」
バートルの説明を聞いて、少しだけ考える。
「バートル、悪いんだが少しだけ彼女の容態を見させてもらってもいいか?」
「あ、ああ。でも、そんなことできんのか?」
バートルの言葉に自信なく「少しだけ」と答えると、オレは女性に近づく。
「はじめまして。オレは十一優斗と言います」
オレの言葉もまるで聞こえていないかのように何も返さない。
『持ち物』からランタンを取り出して付ける。
訝し気に見守るバートルを尻目に、彼女の目をランタンの光に晒したり隠したりする。
瞳孔は開閉している。食事をしていることからも、恐らく生理的な反応はしている。
だが、彼女の手指の反応や焦点などが変化する様子は見られない。
失礼だとは承知しつつも、『領識』で彼女の身体をスキャンする。
「っ…………」
これは…………
『領識』から伝えられた状態に少しだけ眩暈を覚えた。
……この人は、自らの身体を支えることができているし、呼吸や食事も問題ない。
とすると原因は恐らく――――――――
「バートル。その事件、ってのが何か、教えてくれたりはしないか」
「…………それは、話さなきゃダメなのか?」
渋るバートルを見て、頭をかく。
オレの予想が正しければ、恐らく彼自身あまり語りたくない情報のはずだ。
「無理にとは言わないが、何か解決の糸口が見つかるかもしれない」
バートルは悲痛に顔をゆがめた。
彼は頭の回転は遅くない。オレの口ぶりから、彼女の状態を治癒魔法では治せないことを悟ったのだろう。
バートルは壁に体重を預けるようにして手をつく。
そのまま俯いてたっぷり数十秒は考え込んでいた。
「……彼女……ララネーアは、ウォシェとセーニャの母親だ」
「なっ…………」
想像だにしていなかった関係に思わず声が漏れる。
「そして俺の姉貴分でもあった。スラム生まれの俺を、自分の弟でもねぇのによく面倒を見てくれてたよ」
そう言うとバートルは懐かしむように目を細めた。
「あの二人はここに入院してること知ってるのか?」
「いや、知らねぇよ。知らせてねぇ。出稼ぎに出てると俺が嘯いた」
どうして、と問うことはできなかった。
母親がこんな姿になっているのを見せられないというバートルの気持ちは理解できる。
「ララネーアは娼婦だったんだ。それも違法すれすれのな」
彼女を『領識』で見たときに見えた体中の傷、それは恐らく……
「過程は省くが、ある日ララネーアは金持ちに買われていった。そこで手酷い目に遭ってたらしい……俺が再会したときにゃあ、既にこの状態だった」
バートルはどん、と壁を叩いた。
ぱらぱらとバートルの拳から石灰の破片が床に零れていく。
買われた娼婦の行く末など、想像することすら憚られる。
恐らくは心因性の人格障害。強烈な恐怖や苦痛がもたらしたある種の防衛機構。精神を極限まで鈍化させることで、外界からの刺激に耐える。
……要するに心の問題だ。治癒魔法で治せるような類のものではない。
「治癒魔法はかけてみる。けど、あまり期待しないでくれ」
彼女に全力の治癒魔法を試みる。床ずれや体の擦り傷などは癒えていくが彼女の反応が戻ることは無い。
「…………残念だが」
オレの言葉にバートルは一瞬だけ天井を仰ぎ見る。
だが、すぐにこちらを見るといつも通りの笑みを浮かべた。
「なぁに、大丈夫だ。ありがとな。どんなに高位な治癒魔法でも治せないことは分かった。それだけでも収穫だ」
だが、それが空元気であることだけは流石のオレにも理解できた。
オレは何とか、自分の推測を述べる。トラウマがもたらした心因性の自我喪失であること。今後、療養によって戻る可能性があることなど。
だが、そんなことを早口でまくしたてられても、バートルにとってはどうしようもないことなのだということも、頭では分かっていた。
だが、それでもバートルは薄く微笑んだ。
「…………すごいな、兄弟は」
「……全部、素人の見立てだけどな」
バートルは首を振る。
「いや、こっちこそ急に悪かったな。竜車の手配は任せてくれ」
「…………いいのか? 治せなかったんだぞ?」
「ああ。流石にこれだけやってもらって、こっちから何も返さねぇのは筋が通らねぇだろ」
からからと笑うバートルにオレも笑みを返す。
自然な笑みが出たことに驚いて思わず自分の頬を手で触った。
「分かった、よろしく頼む」
「任せとけ…………っつっても、今どこの門も検閲強化してやがるからな……簡単に抜け出せないかもしれねぇ」
「あー、それなら何とかなるだろ。竜車だけ街の外に出してもらって、街の外で合流すりゃいい」
オレたちはぶっちゃけ門など経由せずとも空を飛んで街から出られる。問題は無いはずだ。
「まあ、兄弟たちならそれぐらいできるだろうな……っしゃ、決まりだ。こっちで手配しておく。詳しいことはまた追々だな。明後日ぐらいに報告できると思うぜ」
バートルに宿の場所を伝えて病室を後にする。
何とも言えない状態だが、ドラグニル沼地への足も見つかりホッと胸を撫で下ろす。
「……喜ぶのは少し不謹慎かもしれませんが、良かったですわね」
「ああ。一応は幸運と言っていいんだろうな」
バートルと出会えたことも、彼から交渉を持ち掛けられたことも、オレにしては幸運に過ぎる。
……まあ、フィリテンに絡まれた不幸と合わせれば収支はとんとんな気もするが。
「腹減ったし、何か食うか」
「うん……! そうだね!」
レイラの力強い頷きに苦笑を返しながらも、オレたちは中心部への方へと歩みを進めてた。




