15、織村凛という少女
サブヒロイン(メイン)
織村凛は天真爛漫で、無邪気で、笑顔の似合う快活な少女である。
それが織村凛という少女のキャラクターであり、わたし自身が作り出したイメージだ。何者もその事実を疑ってはいないし、自分自身でさえそのキャラクターが自分のあるべき姿だと自負している。
きっかけは、なんだったっけ。
確か、転校でクラスに全く馴染めなかったとか、そんなことがきっかけだったような気がする。
詳しいことは覚えていないし、思い出したくも無いけれど、あのときの周囲のこちらを疎む冷たい視線の恐ろしさだけは、今でも鮮明に覚えている。
今の自分からは想像できないほど、織村凛という少女は地味な少女だった。
黒髪おかっぱで、スカートは校則の丈通り。スポーツも勉強も中の下ぐらいの。
そして、致命的に空気が読めなかった。
それは簡単に人間関係を破壊してしまうほどには。
織村凛が集団というものから省かれていったのも何ら不思議なことではなかったのだろう。
そんな少女は、漫画で読んでいたヒロインたちに憧れていた。
他愛の無い羨望に過ぎない。
ヒロインたちは学校生活を楽しんで、いつも誰かに囲まれて笑っていた。
そこには温かさと、わたしの望む理想の世界があった。
独りは怖い。独りは嫌だ。
マンガの描く明るい世界を見るたびにそんな思いが胸をつく。
お前のせいで――――
でも、マンガで憧れる世界と現実は違う。
空気読めよ――――
現実は冷たくて、怖い。
ホント使えない――――
いやだ……
こんなこともできないの、なんでやったの――――
やめて……
顔も見たくない、陰気臭い、感じ悪い、気持ち悪い、うざい――――
お願いだから……
死ねばいい――――――――
軽い気持ちで放たれた言葉のナイフは簡単にわたしの心をえぐっていった。
そうして、不登校になりがちだったある日、わたしは一冊の少女マンガと出会った。
大して有名な作品でもなかったはずだ。ありきたりで、波乱の展開も無い少女マンガ。
けれども、わたしはその漫画に出てくるキャラクターに強く心惹かれ、彼女のようになりたいと願った。今から考えれば痛々しいとしか思えないけれど、当時のわたしは縋るものが他に無かったのだ。
それからというもの、彼女に一歩でも、いや、理想に一歩でも近づくために、服装や髪型などの身だしなみや話し方、相手に好印象を与える方法などを死に物狂いで身につけた。我ながら狂気じみていたように思える。
でも、すがれる希望はそれぐらいしかなかったんだ。
だから、織村凛という少女はわたしであってわたしでない。そんな禅問答のような不確かで、でも何よりも明確な存在なのだ。
わたしはそうして誰も自分のことを知らない高校に入学し、織村凛という仮面を作り出すことに成功した。
高校ではすぐさま誰からも好かれ人気者になった。女の子と楽しく話したり、男の子たちと遊んだりもした。たまに告白もされた。ことごとく断り続けたのだけれど。
彼らは織村凛を好きなのであって、わたしを好きではない。
そう訴える心がわたしのどこかにいたのだ。
だからといって本当の自分をさらけ出すことなど出来はしない。
少女は凛としてあり続けるために、今日も織村凛を演じ続ける。
内心であらゆる不安を、恐怖を押し殺しながら無邪気な笑顔を振りまく。
仮面をつけて、自分の感情も分からないままにクルクル、クルクルと踊り続ける。滑稽なダンスのようにも見えるけれど、その仮面の裏に隠された表情は見るまでもなく悲惨だと思う。
そんな少女のたゆみない努力があってか、彼女のその仮面に気付く者は誰もいなかった。これまでも、そしてこれからも仮面は傷一つ無いはずだった。
だが、そんな完璧な、完璧だったはずの仮面にひびを入れた一人の少年が現れる。
「お前ってすげーいい性格してるよな。なんか、完璧すぎて、漫画とかで出てきそう」
大して冗談めかすでもなく、軽く笑いながら核心をついたのは十一優斗という一人の少年だった。
最初、何故わたしは彼に声をかけたのだろうか。
わたしはどのグループに入るべきかの調査のために色々なグループに話しかけていた。
でも、わたしが一番最初に広間で彼を見たとき、十一優斗は誰とも話さず、ただ一人で落ち着いた様子で座っていたのだ。しかも薄く笑って。
異世界に飛ばされたというのに、淡々と現実を受け止め冷静に流れを見守っていた。もちろん、龍ヶ城輝政を含む筆頭勇者たちも落ち着き払っていたのは知っている。でも、彼らは一人じゃなかった。仲間がいた。
彼は独りだった。誰とも、不安を、恐怖を、疑問を共有することができなかったはずだ。そんな状況で、ただ独りで、自分を守ってくれるものなんて何も無いのに、何故落ち着いていられるのだろうか。そんな疑問を抱いたのが彼に話しかけたきっかけだったような気がする。
もしかしたら、彼は元々独りに慣れているのかもしれないと、そう思った。
けれど、実際は彼に対人能力やその他の精神的、肉体的な障がいや問題があるわけでもなく、聞けば元の世界では普通に友人と呼べる人間もいたらしい。だというのに、本人は「いやー、まあ間が悪かったからなぁ……」と、一人ぼっちでいることを何ら苦痛だと思っていない。
それが何故なのか、わたしには分からなかった。
だから、彼を知ろうと、彼に近づいた。
でも、彼を知れば知るほど、どうして彼が独りでも大丈夫なのか分からなかった。
独りは怖い。
つまはじきにされるのは怖い。
自分の周りに誰もいないなんて嫌だ。
そう思うわたしの考えは間違っていないはずだ。誰しもそう思うはずだ。
集団であることこそが人間のあるべき姿であり、わたしの生き方に何らおかしい点は無い。
そして、ある日彼に友達と呼べる存在が出来た。
友達と彼とはいつも一緒にいて、楽しげに話しているようだった。
そのとき少し安心したのだ。
ああ、彼も友達と一緒にいるのだと。独りではないのだと。彼も、独りは嫌なのだと。
……でも、彼らの関係はわたしには少し歪に見えた。どう歪なのかはわからないけれど……
あえて言うなら、優斗は香川春樹といても独りに見えた。彼は、どこか斜に構えて、まるで自分自身を俯瞰しているようだった。馬鹿げていると思うし、自分でも意味が分からない。
けれど、普段から人の顔ばかり見ている自分の直感と経験がそう告げるのだ。
「――――春樹を助けにいかないとっ!」
そんな風に彼のあり方に不可解な恐怖を感じていたちょうどそのとき、彼の友人となった香川春樹が死んだ。
彼はそのことを気に病み、自分を責め、激しく後悔し、慟哭した。
彼を心配だと思った。 別に、わたしに人並みの感情が無いわけじゃない。ただ、独りになることに誰よりも過敏だから、独りにならないように過剰に取り繕うだけ。皆、多かれ少なかれやっていることだ。
わたしは、恐らくいつの間にか彼に連帯感のようなものを感じていたのだと思う。同じような人種がいて安心していたのかもしれない。
そして彼の号哭に、酷く安堵した。彼も、友を思う感情をもった一人の人間であると知れたのだ。それに、彼に潰れられてはわたしの中の渦巻く彼への疑問を解消できない、というある種冷酷な打算もあった。だから、人並みに、皆の考える織村凛としてだけではなく、わたしとして彼の身を案じた。
図書館で慟哭する彼を見て、心配に声をかけた。
その気持ちに嘘偽りは無い。
無いはずだ。
でも、彼はそれを拒んだ。
まるで、全てから目を背けるように、わたしとの関係を希薄にするように。
彼は全てに背を向け、独りであることを、自ら選んだ。
どうしてだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「えー、で、あるからして。この世界における生物形態は魔物を頂点とした――――」
今日も、座学でこの世界の常識や知識を吸収する。
各分野の著名な学者が講師を務めているらしく、その話は含蓄に富んだ素晴らしいものである。と、いうのはブラント団長の談だ。
正直、わたしには半分ぐらい何を言っているか分からない。
大体の講師が、自分の好きなように話し、あまり相手に伝えようとしていないため、非常に分かりづらいのだ。授業を受ける勇者たちも半数近くがうつらうつらと船を漕ぎながら、授業終了の鐘を待ちわびている。
ちらり、と十一優斗の方を見やる。
彼は、一見まじめに配布された教科書を読んでいるように見えるけれど、よくよく見てみると教科書の内側に別の本が隠されており、授業などまるで聞いていない。本人曰く「図書館の本で全部読んだことだから別に聞かなくていい」とのこと。自頭がいいらしい。
「そうだな……じゃあ、トイチユウトさん。魔物はどのようにして発生するのか簡単に述べなさい」
講師が優斗を名指しする。
本人は一瞬面食らったような顔をするも、すぐに気を取り直して淀みなく答えを述べる。
「魔物の発生原因については、未だ完全に解明はされていません。ですが、死骸が魔素に分解されて消えることや、魔素濃度の高い地域の魔物発生率が高いことから、高濃度の魔素にある種のひずみが生じると発生する、という推論が主流となっています」
「……せ、正解です。いま、彼が言ったように――――」
そう答え終わると優斗は何事も無かったかのように読書に戻る。
先ほどまで退屈していた周囲のざわめきが耳に入る。
「彼、勉強できたのね」
隣に座っている十六夜穂香が声を潜めて言う。彼女は、龍ヶ城グループのNO2とも呼べる存在だ。わたしも彼女と懇意にしているため、今の地位を確立していると言っても過言じゃない。
「うん。頭いいよねー」
わたしもそれに相槌を打ち、軽く返答する。
実際、冷静に状況を把握・分析する能力や思考力もあるし、記憶力も十二分。頭脳明晰、といって差し支えないだろう。本人はあまり自覚が無いようだけれど。
そんな風にして他愛なく過ぎていく日常。
異世界といえ、元の世界にいた頃とさほど変わらない生活を送っている気がする。
皆も、魔族との戦争がどうのこうのなんて忘れて、毎日楽しんでいるように思える。多分、ある種ランナーズハイな状態になっているのかもしれない。だからこそ、こんな状況でも動じずに日常を演じ続けられるのだ。
既にダンジョンでの悲劇からは一週間が経過している。
ほとんどの人が、完全に元通りとはいえないながらも立ち直っている。そのメンタルの強さにはある種薄気味の悪さすら覚えるけれど、これが勇者というものなのかもしれない。
一部の女子はまだ剣を持つと震える者もいるようだが、さして日常生活に支障をきたすほどではない。本当なら病んでしまってもおかしくないほどのトラウマだろうに、あろうことか輝政君たちは「また挑戦しよう」などと言って近々ダンジョンに潜るそうだ。といっても、わたしもその一員に数えられているので、他人事ではないのだけれど。
そんな風に考え事をしながらくるくると鉛筆を回していると、授業の終了を知らせる鐘がなる。
この騎士団寮は、生活の規律の観点から一時間ごとに鐘が鳴るのだ。
「――――では、本日はここまでとする」
教師が告げるとともに教室のあちらこちらからため息が漏れる。
と、同時に教室がざわめきだした。本日の訓練および授業はこれでおしまいだ。ここからは各自に自由時間が与えられている。元の世界の放課後もこんな雰囲気だったな。
放課後特有の疲労感と解放感が入り混じったような空気に、わたしも思わず欠伸を漏らす。
穂香ちゃんたちは街に行くのだろう。
でも、わたしは、
「ゆーくん!」
「ああ、はいはい」
その一言だけで通じ合う。それがちょっとだけ嬉しかった。
皆が遊びにいく中、わたしはこれから優斗と魔法の訓練だ。
この一週間ほどで、みっちりと魔法の理論を仕込まれたわたしはようやく今日から実戦的な魔法を教えてもらえることになっていた。
「じゃ、いつものところで」
それだけ言うと優斗はスキル『隠密』を発動させて教室から去る。わざわざ気配を消さなくともとは思うけど、本人曰く「いや、絡まれるとめんどくさいから」とのこと。
本当に人と関わろうとしない。
「十一君と何話してたの?」
「んー? いやーゆーくん教えるの上手だからさー勉強教えてもらってるんだー」
「ああ、それで最近放課後に見かけないのね」
穂香はわたしの言ったことで納得をしたようだ。まあ、あながち嘘ってわけでもない。
「じゃ! また晩御飯のときにねっ!」
「ええ、頑張りなさいよ?」
そう言う穂香に手を振り、足早に教室から出る。
早く、魔法を教えてもらわなければ!
そんな風にはやる自分の気持ちを、まるで乙女みたいだと苦笑しながらも、わたしは彼の元へと急ぐのであった。
天然おばかキャラが天然モノなわけない。




